ゲートキーパー
夕食後。ミーレスが後片付けをしている時間を見越したらしいメティスが、オレを訪ねてきた。なにか思い悩んだ表情なのでとりあえずリビングに通す。
「・・・タペストリー、かけたのね」
ドン、と壁を彩るタペストリーに目を向けて、ポツリと呟く。かつては家族と暮らした家にいまや他人が住み着き、どんどんとかつての面影が失われていく。少なからず思うところがあるのだろう。
だが、買った家だ。元の住人に同情していては暮らせない。
聞こえなかったことにして、反応はしなかった。
とりあえずで置いてある、木箱にクッションを乗せただけの椅子に座り、メティスにも勧めた。
木箱は食器や調理器具を買ったときに入れ物にしたものだ。返しに行くのが面倒だったので一個五十ダラダで買った。
五個ある。
しばらくはこれで十分だ。
「相談があるの」
木箱椅子に座ったメティスは、そう口火を切った。
相談、か。
ミーレスが聞いたらまた眉を上げそうな話だ。
奴隷の主とは命令する者だ、奴隷の相談を受ける者ではない。
「・・・あなたは知らないことでしょうけど、私には妹がいるの。ジョブとしてではなくて、役職としての騎士を目指してる、ね」
貴族に認められた結果として、転職するというような騎士ではなく。行政担当者として働く、騎士団員としての騎士を目指しているわけか。
「三年前、両親が事故で死ぬ直前に、帝都の騎士学校に行ったのよ。必ず騎士になって帰ってくるって、張り切ってたわ。でも、両親が死んで私だけになってからは、お客さんもずいぶん減ってね。私は両親と違ってそんなに腕もいいわけじゃないから・・・。それで、その学費や仕送りのために借金をしたのよ」
なるほど。
奴隷に落ちる羽目になるまで動けなかったのは、妹の帰る場所を守るためか。
家を売ったなんて言ったら、騎士を諦めて自分も働くとか言い出しかねないから、なんとか卒業までは。と粘った結果がこれだったわけだ。
「学費か仕送りが足りないのか?」
メティスはきまり悪げにうなずいた。
「学費は、もう卒業分まで支払ったわ。そこだけは守りたかったから、お金があるうちに払い込んだの。でも・・・仕送りは定期的に決まった額を送っていた。そうしないと、こっちの心配させちゃうと思って少し少なめに」
そんなに多くは送れないけど、欠かさずに送れる程度の余裕はある。と、仕送りを続けることで伝えようとしていたわけだ。
完全にウソだったわけだが。
「四節に一度、5000ダラダ。でも、もう送れない。それを伝えるには私が奴隷になったことも知らせないと納得のいく説明ができない。だからって、それを伝えたら・・・」
「すっ飛んで来て、大変だろうな」
騎士学校のことなんて放り捨てて戻ってきて、姉の代わりに私が、とか。メティスに似た性格だとしたらそうなりかねない。
メティスはうなだれた。
どう考えても自分のいまの境遇では、「だからなに?」と言われて終わる話をしているという自覚はあるようだ。
「一応確認しとこうか」
自覚はしているようだが、もう少し言っておこう。
「メティスはもうオレの所有物だ。事実として、オレが今から襲いかかってめちゃくちゃに犯したとしても君は文句の言えない立場だよ」
「・・・」
コクリ、とそこは素直にうなずくメティスを、冷然と見つめる。
「『商品』奴隷でなければ、胸を触ったら300ダラダ、ベッドで添い寝は500ダラダ、なんて交渉もありかもしれないけど。君にそれはない。オレには君のために追加で金を出す義務も理由もない。それをわかっているかな?」
「わかって、います」
頭ではわかっているらしい。
「・・・オレに家を貸すことにした。という名目で仕送りを7000ダラダに増やしておけ。そうすれば、ここにオレたちが住んでいることと、仕送りを続けられる理由は説明できるだろう」
言いつつ、オレはアイテムボックスから銀貨を七十枚取り出して、メティスの手に直接握らせた。郵送代として銅貨三十も握らせる。
数えるのが本当に面倒だ。
あ、銀貨一枚やって「釣りはいらねぇ」と言えば楽だしかっこよかったんじゃね?
失敗した。
「・・・い、いいの?」
「貸しにしておく。あとでどんな無理難題を与えられるか、覚悟しておくことだ」
「・・・ありがとう」
小さく礼を言い、メティスは出て行った。
これでまた、メティスの精神は傷を負ったことになる。
なにか、かなり鬼畜なことをしている気になった。
夜。そのむらむらモヤモヤを、ミーレスに叩きつけ、押し込んだ。
この行為も、もう三度目だ。
お互いだいぶ慣れてきて大胆になってきている。
今回は思い切り激しく責め立ててしまったが、ミーレスも結構な嬌声を上げていたから大丈夫だろう。
なんたって、夜のご奉仕はミーレスの方が積極的で、本当に好きでやっているのがわかるくらいなのだから。
「『ゲートキーパー』ですね」
迷宮を探索していると、一体、その場から動かない魔物がいるのに気が付いた。
普通の魔物は動き回るものなのだ。
なんだろう? と思って疑問を口にしたオレに対するミーレスの答えがこれだった。
リティアの講義で聞いた言葉。
「確か、階層と階層の境にいる奴だったか?」
ようするに階層ごとのボスという位置づけだと思えばいい。
「はい、そうです。倒すと次の階層に進めます」
「二層目、か。『神国』への階段を一つ上がることになるわけだな」
ようやくか、という気がする。
この迷宮に入り始めてもう十日が経っているのだ。初めての迷宮だし、魔物との当たりを見ながら進んだからではあるにしても、ゆっくり過ぎたかもしれない。
「いえ。必ずしもそうとは限りません」
「ああ、『魔国』に下がることもあり得るんだな」
「それもありますが、次の階層が二層目とは限らないのです」
「はい?」
なんだそれ?
一層目の次の階層なら二層目だろ?
「10階層内ならどこにでも出る可能性があります」
どうして?
と考えて、わかった。
異世界転移の魔法陣や『移動のタペストリー』があるのだ。迷宮内の階層内で瞬間移動するぐらい、簡単なことなのだろう。
だが。
「ルールはどうした? そんな罠はルール違反だろう?」
迷宮にもルールがある。
リティアの講義でそう聞いた。
「ルールにあるのは『一階層から、レベルの高い魔物を出してはならない』、『ゲートキーパーを配して、階層が変わることを示さなくてはならない』ということです。一階層の次が二階層でなければならない、ではありません」
それって・・・。
「つ、つまり、次の階層が二十階層とかもあり?」
それは反則だ。
「いえ、十階層までのどこかです」
それだって反則だ。一階層の次が九とかありえない。
レベルがどんだけ違うのか・・・。
「あの・・・」
理不尽さに怒りを感じていると、ミーレスがちょっと困ったような顔をした。
「階層が変わるからといって、魔物の強さが変わったりはあまりしませんよ?」
・・・・・・。
・・・・・・え?
魔物の強さが変わらない?
階層一つ上がるごとにレベルも上がるんじゃないの?
「一般的に、四十五階層までは迷宮の『恵み』の部分で、四十六階層からが『障害』の部分になります」
「そ、そうなんだ。でも、それだとレベルアップとかすごく時間かかりそうだね」
魔物の強さ=レベル、が上がらなければ得られる経験値も増えないということだ。
当然そうなる。
「経験値、ですか。変わった概念ですね」
「・・・変わってる?」
ものすごく一般的な気がしてたけど。
「レベルアップに必要なのは魔力です。一階層でも四十五階層でも魔物が放出する魔力の量は、多少の個体差があるにしても、変わりません。違うのは、放出された魔力を蓄積するための受容体、わたしたちの身体が魔力を蓄積できる量です」
つまり、一階層だろうと三十階層だろうと四十五階層だろうと、魔物を倒して手に入れられる魔力量は同じで、問題になるのは人間側が受け入れられる魔力の量、ということか。
始めの内は受け入れきれないので、溢れさせるだけでロスが多い。レベルが上がるにつれて受容量が増え、それまで以上の魔力を得られる。だが、そこからさらにレベルをあげるには多くの魔力が必要なわけで・・・なるほど、よくできている。
考えてみれば、経験の数値化ってどうすんだって話だ。
スライムを五百匹倒した経験を使って、ゴーレムと戦う。ゲームでは当然のことだけど、現実で考えたらあり得ないわな。
あれ?
「じゃあ、なんで『ゲートキーパー』が必要なんだ?」
今の話なら、四十五階層に居ればいいだけってことになる。
「恵み、ですから」
ポイント通過に伴う『ご褒美』だと?
どんだけ甘々なんだ。
今の話の流れだと、四十五階層までは射的ゲームだ。魔物を倒して景品をもらう。違うのは、迷宮では的が動くし、襲い掛かっても来るというところ。
初めて迷宮に入ったときから、命の危険を意識していたオレとしては拍子抜けだ。
これでは、みんな四十五階層までの階層に仕事として入るだけ、冒険なんてしないだろう。
あ!?
それが狙いか?!
下層域で満足して安定した生活をしていれば、神々のいる世界に行くために命をかけようなんてする人間はいなくなると。
十分に障害じゃないか!
「理解した。なら、とっとと倒して次の階層に進もう」
「はい」
マクリア迷宮の一階層『ゲートキーパー』は『アリエナイト』。剣を持った二足歩行のアリだった。
細い二本の足で立って、四本の腕に剣と盾を握っている。
右手が剣で左手が盾。ではない。上二本が剣で、下が盾だ。
剣の長さは普通、少し刀身の幅が広めだろうか。
盾は典型的な丸盾だ。
斬りかかると、一本で受け止め、もう一本で斬りかかってきた。
飛び退いてかわす。
そこにミーレスが割り込んでくる。
あいさつ代わりの横薙ぎの振りが、腰のあたりで待機していた盾に迎撃されて阻まれる。盾はそのまま防御態勢に。
・・・それなら、剣四本持って鎧着ければいいのに。
そんなことを思いながら、ミーレスの後ろを回り込んで足元を狙った。
ちょうどミーレスが剣二本の攻撃をかわし、斬りつけるところだ。
盾が二つ、迫る攻撃をシャットダウンしようと迎撃に向かうのが見えた。
させるか!
盾は、ミーレスの攻撃を迎撃できなかった。
迎撃するために伸ばされた腕、それをオレの剣が肘関節から斬り飛ばしたからだ。
頭の上で二本の剣、剣と盾が、ぶつかり合う音がした。
細すぎるウエストが、がら空きだ。
ザンッ!
小気味のいい音とともに、アリの騎士は魔素の塊となった。
五分の一くらいがカードに吸い込まれ、あとは霧散する。
なるほど。こういうことか。
「『ドロップアイテム』の『アリの剣』と『アリの盾』が手に入りましたね」
剣が一本、盾が一個。
って、二個ずつじゃなかったのかよ!?
『ドロップアイテム』の残り方には、マジで納得いかない。
「高く売れるのか?」
残り方に文句言ってもしょうがない。
重要なのは金になるかどうか、または役に立つかどうかだ。
まぁ、一階層のボスアイテムがそんな高いわけもないだろうけど。
「高額、とは言いませんがそこそこの金額で買い取ってもらえます」
「一階層で手に入るものなのにか?」
迷宮に入って十日のオレでも手に入れられるアイテムだ。需要より供給が過多になるのが当然という気がするが。
「迷宮の一階層で手に入るとは限りません。この迷宮ではそうですが、他の迷宮では四十五階層ということもあります。それ以前に、いない迷宮もあるでしょう。また、『ゲートキーパー』の『レアドロップアイテム』は初討伐特典で、二度目以降は通常の『ドロップアイテム』である『アリの甲殻』しかもらえなくなります」
初討伐特典・・・まさに『ご褒美』か。
いや、それよりも。
「『レアドロップアイテム』か。何か特殊効果があったりするものなのか?」
質問を重ねたが、タグを読めばいいだけのことじゃねぇの? と今になって気が付いた。
ミーレスとのコミュニケーションになるからいいか。
「戦うほどに成長すると聞いたことがあります」
「成長?」
「わたしたちと同じです。魔力を吸収して自分を成長させていくのです」
「出世するんだな」
さすが働き者。
アリは偉い。
「いえ。出世はしません」
あれ?
「極限まで成長させると、『諦念代謝――ていねんたいしゃ――』して拳大の塊になります。白金貨の原料になるそうです」
万年平で、退職金もらって終わりか。
どこかのサラリーマンだな、まるで。
それはそうと、出世はしない?
「もしかして出世するアイテムなんてものもあるのか?」
「はい。『オイシワカシ』とか、『サワラレサワラ』の『ドロップアイテム』は成長させると、『神』の名前を冠する武器に変わります」
・・・どんな魔物なんだろ?
「あー、ともかく。二層目・・・じゃない、次の階層に行けるんだな?」
「そうです。あちらに入り口が見えてます」
指差された方を見てみると、確かに迷宮の入り口と同じ鳥居のような石門が見えていた。
「あの門を通れば、次の層に行けます。そして、一度通れば次からは入り口で一階層と、その階層のどちらかを選べるようになります。
「わかった。じゃ、進もう」
「はい」
進んだ先は四階層だった。
通り抜けた石門にそう彫られていた。
出てくる魔物の種類や数は、ミーレスの言っていたように、一階層とそんなに変わらない。強さもだ。
階層越えも当分問題ないと思っていいわけだ。
四十五階層までは。
パーティー枠が三人だったのも道理だ。
これなら三人いれば十分だろう。
「あの・・・」
一人、手応えを感じていると、戸惑った様子のミーレスがオレを見ていた。
「ん? どうした?」
違うか。
よくみると、ミーレスが見ているのはオレじゃなかった。
というか顔ではないところに視線を注いでいる。
腰のあた・・・ってまさか。迷宮にいるというのに発情したとかか?!
いや、わかっている。
そんなことありえないと、まったく。女っけなしの童貞君じゃあるまいし、バカな白昼夢を見るのは卒業しなくてはな。
バカな妄想を振り払う、そして分かった。
「ああ、これのことか」
ミーレスが見ていたもの、それは『アリの剣』だ。予備の武器として腰に吊るしておいた。『アリの盾』は背中に背負っている。
どちらも、手に入れたときのままだ。形と大きさは。
ただし、輝いていた。
なにかの光を反射しているとかではなく、間違いなく発光している。
「成長するという話だったから、少しその速度を促進させてみたんだよ」
設定値を変更して、魔力の吸引力と、許容量を増大させたのだ。そのせいで剣としてはなまくらになってしまっているが、オレには元から使っている剣があるから支障はない。
ちなみに、この技はカード――照魔鏡――にも使える。
魔力を売るための機能と人体に魔力供給するための機能を犠牲にすることで、魔力の吸収範囲と蓄魔力量とを上げてみたのだ。今のところ問題なく機能している。
迷宮から出たら、吸収範囲を0にして、魔力供給機能を元に戻す。
いちいち切り替えないといけないのが、面倒と言えば面倒だが、それほどの手間でもない。
「そんな、ことが・・・あ! さ、さすが『異世界人』ということですね」
「少し違うが、まぁ、そんなところだ」
『異世界人』特有の能力ではないが、こんな能力がオレに備わっているのは、確かに『異世界人』ならではのことだろうから、間違いではない。
家具などを買い込んだので、正直金が底をつきかけていた。ここいらでドカン! と儲けたいと思っていたところだ。
白金貨の材料ということだから、きっと高く売れるに違いない。
さっさと成長させて、金に換えたい。
そんなわけで、オレとミーレスは『レマル・ティコス』の最終オーダーに間に合わなくなる寸前まで狩りを続けたのだった。
レストランを使うのにはちゃんと理由がある。
この時間に帰って食事の支度なんてしてられるか。
うん、無理だ。
電子レンジがあるなら作り置きという手もあるが、下ごしらえからやるとなると料理には2、3時間はとられる。
30分もあればできるだろうなどというのは料理をしたことのない奴の妄想だ。
テレビには数分で料理を作る様子を見せる番組があるが、よく見てみるがいい。
ガスかIH。
ともかく大火力から弱火まで指先一つで調節可能のコンロ。
数秒でみじん切りが作れたり、一度で簡単に千切りが作れる機械や道具、何時間から何か月もかけて味を調えた調味料を使い倒して作っていることに気が付くはずだ。
あれを、火の調節は薪や木炭の量と空気を送る量で、野菜を切るのは全て包丁。水は水瓶から汲む。という状況下でやったらどうなるか。
味付けだって、ダシをとるとこからやらないとできないとなったら?
化学調味料と粉末調味料を一切使わないで味付けしてみろ、どれだけ時間がかかるか。
風呂だって自動給湯なんかではない。
温めるのは魔力家電がやってくれるが、ポンプはないらしく水汲みと、お湯を浴槽に入れるのは人力だ。
設定値変更でどうにかできないかとやってみたが、うまくいかなかった。設定値の項目に温度はあるが、パラメーターを上げるために犠牲にできる項目がない。
無理にやれば爆発しそうだった。
それは余談だが、夕方まで迷宮に入って料理して食って、後片付けして風呂に入って寝る。
これだけで五時間は取られる。
夜中の0時をまたぐかどうかのギリギリのところだ。
そして夜明けとともに迷宮へなどと言ったら、寝る時間はせいぜい4時間。
その4時間の中には、ミーレスとの―――も含まれる。
・・・不可能だ。
夕食は外食に限る。
時間的に。