黄昏
城壁の内側へ雪崩れ込んだ周軍は、その勢いを保ったまま城下の市外を占拠していった。
姜尚は周軍の兵へ、
「窃盗を働く者や非武装の市民を殺める者は、姫大公殿の名に泥を塗った罪にて誅殺を免れぬであろう。我等は賊ではない。殷の民は周の民となるのだ」
と述べ、自らを律せよと厳しく言い渡してあった。だが、いざ踏み込んでみれば、朝歌の民衆には周軍を歓迎する声が少なくなかった。王城が豪奢を尽くす一方で、人々は長らく重税に困窮していたのだから、革命に抗う理由が無かったのである。巨大な朝歌の都は、ほんの数日で周軍に占拠された。
紂王は、城で最も高い建物である摘星楼の最上層から、都を見下ろしていた。
黄昏時だった。
周の旗が市街の随所にたなびいて、夕陽に照らされている。
今や砂上の楼閣となった城の頂に立ちながら、紂王の心は不思議と穏やかだった。
何人かが荒々しく楼へ登って来る足音がした。
「紂王陛下!」
息を切らせて登って来た家臣が叫んでも、紂王は振り向きもしなかった。
「恐れながら申し上げます。西伯候姫発と軍師姜尚の率いる軍勢が、この城を――ほぼ、取り囲みました」
「そうか」
この期に及んで、姫発を西伯公と呼んだ家臣の忠義が嬉しく、また皮肉でもあった。摘星楼の足元に目を移せば、戴盆と、その中に累累と重なる白骨が見えた。
――時が来た。
自らの手で殷六百年の歴史に幕を引くなどとは、夢にも思わなかった。
けれどもその感慨は、紂王にとって、良く知っているもののように感じられた。覚悟は君主となった遠い昔に、既に決めていたかのようだった。紂王は家臣と兵に背を向けたまま、静かに命じた。
「摘星楼から、役人、女官、その他の者達すべてを払え。そしてお前達は、この建物の下に薪を積め」
居合わせた人々が、一様に息を呑んだ。
「紂王陛下――」
紂王が家臣達を振り返った。力強く、それでいて温かな笑みを浮かべていた。
「儂は賢い者達の言葉に耳を傾けず、多くの者の命を奪い、民を苦しめた。そして終わりが来たのだよ」
兵達は跪いたまま、なかなか頭を上げようとしなかった。
「さあ、行け。――儂の最後の命令だ」
誰も一言も発しない中で、紂王が笑って促した。
陽が沈もうとしていた。