儚き恋は風に散る
ゴブリン、という種族を知っているだろうか。
そう、醜悪な小鬼の姿をした怪物のことだ。円卓遊戯ならばいちばん最初に出てきて呆気なく勇者の名を冠した人1に殺され、その後も強化のためにぶちりぶちりと蟻でも潰すようにくびり殺されていく、哀れな存在である。
無論、蟻のような存在に人間が哀れみなど抱くはずもなく、それどころか興味すら抱くまい。
けれど、語らなければならないものがある。
皆、忘れているのではないだろうか。
ゴブリンは小鬼姿の醜悪な怪物。人に害を成すことがあるため、人に駆逐される存在。
だが、彼らとて生き物だ。譬、生きるために食らう食物が人間であろうが、それが生きるためならば、生物学上、仕方のないことではないか──という唐突すぎる譲歩までは求めない。
けれど、同じ生き物という括りにある以上、知らなければならない。
ゴブリンが起こしたという悲劇のその裏側──人間が引き起こした愛憎劇であり、悲恋。
貴方の知るゴブリンの全てが変わるかもしれない、物語。
***
レーア、という少女がいた。
森の木の実を売り歩く少女だ。桜色のずきんを被り、山吹色の貫頭衣を着た深緑の目を持つ愛らしい少女。様々な街にふらりと現れ、その時期ごとの木の実を売る。
彼女がどこから来るのかわからない。いつの間に現れるようになったかもわからない。謎多き少女レーアだが、彼女の明るい声は人々の疑念など晴らす春風のような温かさを伴って、誰からも好かれていた。
レーアは幼い、齢は十に届くか、といった具合の子どもだ。街から街へ渡り歩くという話は風の噂に各街に届いた。
風の噂も七十五日というが、これは噂ではなく事実であるため、人々に広まって、消えなかった。
「林檎ー、林檎はいりませんかぁ」
あるとき、そんな無邪気なレーアの声に、街の者が寄ってきた。
「レーアや。この辺りはゴブリンが出ると聞く。道中、襲われなかったかえ?」
「大丈夫ですよ。ほら、わたしは林檎を持ってここにいるじゃあ、ありませんか。おひとついかがですか?」
「うむ、ならよいのだ。買おう」
レーアは言葉巧みに林檎を売りさばいていく。数が多くはないとはいえ、その手並みはそんじょそこらの商人全員が目を剥いて驚くほどだ。
売り終えると、また森へ、ふらりと消える。そんな不思議な少女は、街の皆の癒しであった。
あるときのことだ。
レーアに懸想した少年がいた。少年はミクナといった。
彼は平凡な靴屋の息子だった。
年の頃は、レーアと同じくらいだろう。いつも輝くような笑顔を振り撒き、木の実を売るレーアに、初めての恋を知った。
恋とは愛の具現。愛とは、執着であったりする。
幼き愛は純粋であるが故に強い執着となり、あるときミクナはある決意をする。
街を出たレーアを追ってみよう。
ミクナはレーアを知りたかった。
親しく、なりたかったのだ。
故にレーアを追いかけた。
恋は盲目とは、まさしくこのことだろう。
ミクナの頭には、街の衆がよくする忠告など、頭になかったのだろう。
森には、人に仇なす、ゴブリンが出るのだ。
勇者などという人1にあっさり命を刈り取られるのがお決まりになって雑魚扱いのゴブリンだが、皆、忘れていないだろうか?
勇者という人1に倒されこそすれど、ゴブリンは、人に仇なす存在。
勇者という人1でもない普通の人間が対したらどうなるか?
答えは簡単だ。
手も足も出ない。
そもそもゴブリンが嫌われるのは、人を殺せるほどの力があるからだ。
勇者などという生意気な人1以外に簡単に倒されてたまるものか。
つまりミクナがどうなったかというと──そういうことだ。
ゴブリンにも、住処がある彼らとて生き物。当たり前のことだろう。
そこに一人の少年ゴブリンがいた。彼は数いる怪物たちの中で最弱とされるゴブリンに生まれるも、その能力は高く、しかも特異な力まで持つ変異種であった。
彼はゴブリンでありながら、その特異な力故に、固有名詞を授けられた。それはゾアヌというものだった。
ゾアヌは変異種としてゴブリン内で崇められ、最弱怪物のゴブリンとしては異例なまでの力をもって、何もかもを縦にしていた。
もちろん、住処の守護も怠っていない。また、住処……森に侵入してしまった人間に対しては気紛れに狩りを行い、同胞たちの糧として振る舞っている。
ゾアヌの狩りはかなり手際よい。
まず、ゾアヌの能力──人間に擬態できる力で、森に迷う幼子のふりをして、街からふらふらと森へ向かう。そこへ心配して出てきた人間を自然の風に紛れさせた魔法の風でさくっと首を刈り取る。
その手際よいところも評価されていた。あまり血腥い戦いにならないことから、人間から真っ向に反抗を受けることもなく、平和な狩りである。
ゴブリンの平和な生活を守る主として、ゾアヌは誰も文句のつけようがないほど、優秀であった。
そんなゾアヌにも一つ欠点……というか、秘密があった。
心の奥底に秘めたる感情──そう、恋である。
彼は森によく来る桜色のずきんを被った山吹色の貫頭衣を着た少女を敢えて狩らずにいた。まあ、その少女がするのは森から少しばかりの木の実を採っていくだけである。ゴブリンの生活に著しく支障はきたさない。故に彼女を狩らないというゾアヌの判断は間違っていなかった。
だが、それがゾアヌの中に芽生えた、恋心から来たものだとしたらどうだろう? もし、少女がゴブリンに仇なすようならば、狩らねばならない。ゾアヌはゴブリンの主なのだ。ゴブリンの平穏を守るために力を振るうのだ。故にこのような異種族恋愛など、あってはならなかった。
ゾアヌは恋心を他者に気取られぬよう、隠しながら住処を管理しつつ、少女を見守っていた。
そんな最中、ゾアヌに縁談が舞い込む。
ゴブリンという生き物は、あまり知られてはいないが人型を取る故か、雌雄があるのだ。
つまり、その繁殖方法は人間と同じである。まあ、普段は縁談などなく、本能のままに片割れと子孫を成していく。
ゾアヌに縁談があったのは、ゾアヌが特殊で優秀なゴブリンであったことと──相手もゾアヌと同じく特殊なゴブリンであったからだ。
縁談なぞ興味もない、と思っていたゾアヌだが。
「お相手様はゾアヌ様と同じく、人間擬態の能力を持つゴブリン、レーア様です」
「レーア様は普段、桜色のずきんを被り、山吹色の貫頭衣を着て、木の実売りに人間の街に出入りしているとか」
なんということだろう。
その相手こそ、まさしくゾアヌの想い人だったのだ。
しかし一方で、ゴブリンたちは神出鬼没とも謳われる木の実売りの少女──もとい擬態ゴブリンのレーアの居所を掴むことができずにいた。
彼女はゴブリンとしては異端で、人間に歩み寄ろうとしていたのだ。
自分の能力をゾアヌとは違う形で生かして、人間とゴブリンの間を取り持とう、と。
そう思ったのは──レーアには人間の中に想い人がいたからである。
そよぐ風に靡く髪はレーアの目と似た色の深緑。瞳はともすれば一つ手を触れれば折れてしまいそうに脆い、枝の色をした騎士の青年アムル。
騎士とは人間を外の害悪から守る存在。……当然、人間に仇なすゴブリンと相容れるはずもない。
人間とゴブリン……そんな恋など、叶うはずもない。けれどそれでも叶えたかったレーアは、人間に扮して交流をはかることにした。
人間が自分に好意的になってきたところで、正体を現し、ゴブリンも害悪な存在だけではないのだと示したかった。
それで愛しいアムルに、想いを告げたかった。
レーアのあまりにも儚い恋心はゾアヌの知るところとなった。
ゾアヌは、気に食わなかった。ゴブリンは人間にとって害悪でしかない。それは何千年も前から決まっていることだ。それを今更覆して……その目的が、恋を叶える?
レーアに好意を抱くゾアヌにはとても許しがたいことだった。
けれど、初めての恋を汚してしまうのも躊躇われた。故に、ゾアヌは密やかに、愚かにもレーアに心奪われて森へやってきた子どもを狩ることで、憂さ晴らしをしていたのだ。ミクナは、その一人に過ぎない。
ゾアヌは叶わぬ恋が苦しくて仕方なかった。持てる風の力を荒ぶらせ、全てを破壊してしまいそうなほどに。
されど、叶わぬ恋はレーアも同じ。同じ苦しみを味わっているにちがいない。故に、レーアを無理に振り向かせることはしなかった。いつかレーアがその恋を諦めたとき、受け入れようと……
しかし、それすらも夢想であった。
レーアはあるとき、よりにもよって想い人アムルの前で、ゴブリンであることが明らかになってしまう。
それは風の悪戯だった。
どこからともなく吹いた風が、レーアの頭を隠していたずきんを飛ばしてしまったのである。
擬態の力をもってしても隠しきれないゴブリンの証……頭部の角が、露になったのだ。
街の衆は掌を返したようにレーアを怪物と罵り、痛めつけ、排斥した。
レーアはゴブリンである故、抵抗もできた。だが、彼女は最期まで、人間に手を上げなかった。人間とゴブリンの和平を望むが故に。
しかし人間はそうとも知らず、無抵抗のレーアをなぶった。レーアの想い人であるアムルに止めとも言える致命傷を与えられまでした。
涙して絶命する彼女を腕に抱いたのは、騒ぎを聞きつけたゾアヌだった。
「最期まで和平を望み、人に仇なすことなかった彼女への蛮行、許しがたい……!」
ゾアヌが怒りに打ち震えたのも、無理はあるまい。
その日、アムルはもちろん、街の者は竜巻、突風、大嵐により、瞬く間に壊滅した。
それが一人のゴブリンによって成されたと知るや否や、人間はこれまでになくゴブリンに恐怖し、もはや相容れる道など、途絶えてしまった。
ゴブリンにとっても人間にとっても、これは大災厄としか呼びようのない決定的な出来事であっただろう。
そんな大災厄を引き起こしたゴブリンは、自ら放った風と運命を共にしたという。最期まで振り向いてくれなかった想い人をその腕に抱きながら……
***
円卓遊戯では語られない、そんなゴブリンの物語があるとしたのなら、
それでも貴方はまだ、ゴブリンを雑魚雑兵と蔑むか?