ポルトガルのクルミ
「死にたくないんだよ」とナタリアは言った。
「まあ、そうだろ。誰だってそうだ」と私は答える。
すると、彼女は怒ったように繰り返す。「僕は死にたくないんだよ。けど、人間は必ず死ぬと皆が言うだろう。それが、どうしても我慢ができないんだ」
それがナタリア・ナサレノが魔法使いになった理由だった。
彼女は遠く北国よりやってきた、女の魔法使いであるという。髪は苔のような緑色で短く刈っていて、肌は長旅の所為か、黒く日焼けをしている。一目見ると、若い少年のように見えるが、胸が若干膨らんでいて、私の安易な予測を裏切った。
「なぜ君は死を憎む」
詳しく話を聞いてみると、彼女は物心付いた時に祖父が死んだのを目撃した。それが切っ掛けとなったらしい。
彼女の祖父――ミッティオ・ナサレノという名の石鹸職人であったという――は、礼儀正しく、折り目正しく、紳士で子ども好きの好々爺で、忙しい両親に変わって、幼いナタリアの面倒を、いつも見てくれていたそうだ。だから、幼児だったナタリアは、祖父の事が好きだったらしい。もっとも彼女自身にその記憶は無く、親兄弟からそういう話を聞いただけだ。何かというと祖父ミッティオを「じーじ」と呼んで探したという。
そんな祖父とナタリアの別れは、一緒に散歩をしているときに、空から落ちてきた植木鉢によって、祖父の頭部が粉砕されるというものだった。手を繋いで歩いているとき、鈍い音と共に飛び散った頭蓋の欠片や脳漿が、ナタリアの覚えている最初の光景で、彼女の原風景となった。
「死が焼き付いているんだ」とナタリアは呟く。
「なかなかヘヴィな始まりだね。人生の始まりとしては」
「重い軽いはどうでもいいんだよ。重要なのは、僕が最初に意識したことが『死』その物ということだ。人という生き物は最期に死ぬ。どれだけ自分を高めたとしても、どんなに輝かしい成功を収めたとしても、最期は死という絶望的な結末が待っている。バットエンド確定だ。そんなのは絶対に許せない」
「そう思ったから、君は魔法使いの門を叩いた?」
「そういうことだ」
古くから、魔法使いという生き物は不老不死を追い求めた。それは魔法使いにとって永遠のテーマであり、ありきたりでもあるテーマだ。難易度は異様に高く、今のところ完全な不老不死を実現できた魔法使いは存在しない。
現在の主流は不老長生。寿命の延長と、回春だ。
「君は、そういう研究をしたいのかい?」
私が尋ねると、ナタリアは激しく首を振る。
「そんなものは興味ないね」
「けど、不老不死を研究したいんだろう?」
「違う。僕が欲しいのは死なないことだけだよ。寿命延長だと、祖父みたいに頭を潰されたら死んでしまうではないか。僕が欲しいのは、完全な不死だ」
「成る程、だから、君は私を尋ねたわけだ」
私は大いに頷いた。
私は宮廷魔術師であると同時に、拷問吏と処刑人をやっている。より正確には、拷問吏の子として生まれながら、魔法使いとなったというところだろうか。
拷問吏に生まれるという事は、残酷な事だ。
拷問吏には職業選択の自由がない。
拷問吏の子に生まれたら、拷問吏以外の職には就けない。他の仕事に就く事は、法律的にも社会的にも許されない。市民達は私達を穢れていると毛嫌いするし、施政者にしても、他に成り手のいない拷問吏を手放したくないから、絶対に自由にさせない。
拷問吏に生まれた以上、拷問吏として生きるしかない。
けれど、副業は許されている。ちょっとした流れ者向けの酒場を経営したり、闇医者をしたり、娼館を経営する拷問吏だっている。私の知り合いの拷問吏などは、狼殺しを副業にして、一ヶ月に金貨三枚稼いでいた。
そんな私が選んだ副業が、魔法使いだった。
切っ掛けは拷問をする時、治癒魔法が使えれば、もっと効率的に拷問できると思ったことだった。幸い、私は魔法の素質を持っていた。
私の母は、名の知れた魔女であったからだ。
拷問吏という職業は、とても結婚しにくい職業だ。市民は私達と婚姻関係を結びたがらないし、風呂に入らない流れ者達すら、私を死と血に穢れていると毛嫌いする。結婚相手は他の街の拷問吏や処刑人などの同業者ばかりだ。けど、そうそう上手い具合に同業者に年頃の娘が居るとは限らない。
だから拷問吏は、死刑が決まった受刑者に求婚する事が許されている。受刑者が受け容れれば、どんな罪でも許される。否、ある意味で、私達と結婚することは死刑よりも重い罪なのだろう。その証拠に、父は母と結婚するまで、二十二人に断られたと語っていた。多くの市民にとって、拷問吏と結婚するより死んだ方がマシなのだ。
ともあれ、そうして混ざった魔女の血が魔法の素質を与えてくれた。家で主婦をする私の母が、魔法の師匠となってくれた。こうして、私は拷問吏として修行を積む傍ら、魔法使いという余技を身につけた。
そして、私は徒弟時代を終える。
一人前となった私は、一人の親方として、拷問対象を死なせないようにしながら、より強烈な苦痛を与える技術を磨いていった。そうした技術の集大成として、私が編み出した呪法が『ポルトガルのクルミ』だ。
この、特にポルトガルとは関係のない呪法は、世間一般に行われている不老長生の延命魔術とは一線を画した呪法である。なぜなら、それは人を生かす為に生み出されたものではないからだ。人を長く苦しめる、その観点から生み出された魔法だ。
これをかけられた被術者は、大量出血をさせようが、内臓を全て引きずり出そうが、頭を潰そうが、全身をすり身にしようが、絶対に死ぬ事がなくなる。致命的な損傷を負っても勝手に再生するようになる。
どんな非道な拷問でも、どんな無茶な尋問でも死ぬ事はない。安心して拷問する事が出来る。発狂や精神的な死も許されない。ポルトガルのクルミによる再生は、被術者の精神にも作用するからだ。拷問によって発狂しても、ポルトガルのクルミは、被術者を発狂前の健全な精神に戻してしまう。
拷問吏をしている私にとって、とても便利な魔法だった。
「それについて、僕はどうしても知りたいんだ」
ナタリアは、そんな私の開発した拷問呪法を求めて、はるばる遠方よりやって来たという。
私は苦い顔をした。
「君ね。ポルトガルのクルミとは、拷問の為に生み出した呪法なんだ。確かにこれは、擬似的な不死をもたらしてくれる。けれど、それは拷問するためのものなんだ。不老不死などではないんだよ」
「けれど、それを使えばどんな事をしても死なないのだろう?」
「死ぬけどね」
「し、死ぬのか!?」
ナタリアは驚いた顔をした。
私は溜め息を吐きつつ、続ける。
「少し勘違いをしているようだけれど。私はね、これでも拷問吏であると同時に処刑人でもあるんだよ。罪に応じて人を苦しめて、場合によっては処刑する。特に拷問を受ける罪人なんて、最期は死刑となる場合が多い。ポルトガルのクルミが完全な不死をもたらすとしたら、どうやって不死者を死刑にすればいいんだい。だから、ちゃんと死ぬようにしているんだよ。ポルトガルのクルミの本質は、一時的に死を奪うだけなんだ。魂は、呪法の核となったクルミの中に――」
「……クルミの中に?」
ナタリアが不思議そうな顔で聞き返した瞬間、私は「しまった」と口を噤んだ。
生まれてこの方、家族の存在を抜きにすれば、私はずっと一人で生きてきた。友人と呼べる人間もいないし、魔法について話をするのは、魔女である母だけだった。だから、隠し事などしたことはなく、つい口が滑ってしまった。
「おい、どうしたんだ。なぜいきなり黙る」
「……と、ともかくだ。これは君の求めている魔法などではない。だから、さあ、帰りなさい」
ポルトガルのクルミは、そもそも悪魔伝来の外法だ。魔女である母が悪魔から教わった呪法、その一つだ。
だから、公にしていいものではないし、軽々しく教えていいものではない。ましてや、それを自分に使いたいなんて人間に教えてはいけない。
「いやだね!」
けれど、ナタリアは強硬に抵抗した。私の家の椅子にしがみついて、どうあっても返ろうとしない。無理矢理引き剥がそうとすると、手に噛み付く始末だ。
結局、私は根負けして『ポルトガルのクルミ』について教える事になった。
ポルトガルのクルミとは。
シンプルに言えば、死ぬ前に魂をあらかじめ抜き出しておく事によって――疑似的に死体とする事によって、死ななくなる呪いだ。
生命の死とは、肉体が破壊されて魂が失われる事によって成立する。逆説的に言えば、魂のないものが死ぬ事はない。死する為には魂の存在が不可欠であり、魂が存在しない――たとえば、ゴーレムやアンデットは不死である。肉体を破壊される事はあっても、生きていないものは死ぬ事はできない。
生者の魂、あるいは本質と呼ばれる霊的な要素を抜き出して、それを別の器――これはなんでも構わない。私はクルミ等を使う――の中などに保存してしまえば、その物はアンデットやゴーレムと哲学的には同じとなる。
それは魂を持たないので、死ぬ事はない。肉体を破壊されても、その身体に掛けられた呪いが、魂に記憶された情報を元に復元させる。発狂しても同じ事だ。ポルトガルのクルミは、被術者が、健全であった時の魂をクルミの中で保存し続ける。すぐに健全な精神に復元してしまう。
クルミに魂を捕らわれた者から、死という安寧は奪う。
ポルトガルのクルミとは、そういう呪いだ。
「逆に、処刑したいと思ったときはクルミをくるみ割り人形にかければいい。それで被術者は突然死する。どうだい、これで分かっただろう? ポルトガルのクルミというのは、君が求める不老不死とは程遠い……」
「これだよ!」
ナタリアが私の言葉を遮った。
彼女は満面の笑みを浮かべて、「これこそ僕が望んだものだ!」と言い放つ。その顔には狂気の色が浮かんでいた。
「正気じゃない」私は思わず呟いたが、ふと彼女が不死を求めている理由を思い出した。
頭部の潰れた祖父の死体。
それがナタリア・ナサレノの原風景だ。彼女の正気は、たぶん物心ついた瞬間に消えてしまったのだろう。死への病的な恐怖こそが、ナタリアという女性の根本であり、それを払拭する事が彼女の全てなのだろう。
「……しかし、クルミが割れたら、君は死ぬのだよ?」
「大丈夫。だったら、絶対に割れないようにすればいい」
こうして、私はナタリアに『ポルトガルのクルミ』を教える事になった。しばらく、彼女の一緒に暮らす事となった。元々、さして難しい呪法ではないし、彼女は筋も良かった。だから、一ヶ月程度のレッスンで、彼女は私の呪法をものにした。
「ありがとう、師匠のお陰で僕は死から逃れられそうだ」
「師匠はやめてくれ。私と君は大して年の差が無いのだからね」
「……いや、貴方は僕の師匠だよ。本当に、大切な人だ」
そう言うと、ナタリアは服を脱いで、私に抱きついてきた。僅かに白檀の香りがした。
その夜、私はナタリア・ナサレノを抱いた。
翌朝、起きると同じベッドで寝ていたはずのナタリアの姿がどこにもなかった。
「……そうか。もう出て行ったのか」
なんとなくもの悲しい気分になって、私はベッドから起ち上がろうとした。すると、突然、ドアが開いた。旅装束に着替えたナタリアが、部屋の中へと入ってきたからだ。
「ナ、ナタリア……!?」
私は声を上げた。彼女の手には、大ぶりのナイフが握られていたからだ。銀色に光それを、ナタリアは無言で突き出してくる。
左胸にそれは突き立てられた。
心臓を貫かれた。恐ろしいほどの冷ややかさ、続いてカッとなる熱さが、私の左胸を襲う。
「ど、どうして……」
私は呻き声を上げながら、ナタリアに尋ねた。
彼女は優しく笑っていた。私の胸からナイフを引き抜くと、自分の首を切り裂いた。頸動脈が切り裂かれて、私の視界が真っ赤に染まった。
あれでは、絶対に助からない。
全く意味が分からない。無理心中でも図っているのか。だが、誰よりも死を恐れた彼女がどうして――
「……あ。あああああ」
その瞬間に気付いた。
彼女が自分の頸動脈を切り裂いたのは、試したいからやったのだ。ナタリアは私が眠っている間に、自分にポルトガルのクルミの呪法をかけた。そして、本当に死なないかを確かめようとしているのだ。
そして、私の胸を突いたのも――
「大丈夫か、師匠」
「ナ、ナタリア。お、お前は、私に……」
左胸の傷は消えていた。
深く刺さったナイフの傷は、跡形もない。
「よかった。ちゃんと効いているみたいだ」
ナタリアは、無邪気に笑う。
「お前は、自分だけでなく、私の魂まで抜き出したのか!!」
ナタリアの肩を掴んで怒鳴ると、彼女は「うん」と笑顔で頷く。それを見て、私は気が遠くなって、その場に座り込んでしまった。
やはり、ポルトガルのクルミは他人に教えてはいけなかった。これは、それを破ったしっぺ返しだ。守るべきしきたりを守らなかった事で、私はこれから、魂の入ったクルミを抱えて――
「わ、私のクルミはどこだ!」
「ちょっと師匠。興奮しすぎだ」
「う、五月蠅い! そんな事よりも私の魂が入ったクルミをさっさと寄越さないか!!」
私はナタリアの首を絞めた。
彼女は顔を真っ赤にして、口をパクパクさせている。このままでは、きっと窒息してしまうだろう。だが、気にする事はない。こいつにもポルトガルのクルミがかかっている。窒息死しても、すぐ蘇る。
「は、はなして……も……も、持っている」
顔を真っ赤にして、ナタリアはそれだけ言った。私は少し考えて、手を緩める。その口振りだと、彼女が私のクルミを持っている可能性もあるからだ。
間違ってクルミを潰せば、その瞬間に私は死ぬ。用心するにこしたことはない。しばらくの間、ナタリアはゲホゲホ言っていた。
「……さ、流石は拷問吏。容赦ないな」
「減らず口はいい。持っているとは、どういう意味だ」
「そのままの意味だよ」そう言って、自分の身体を指差してナタリアは言った。「不死となった僕の身体が、師匠の魂が入っているクルミだ」
その言葉の意味を飲み込もうとして、しばらくの間、私は固まっていた。やがて、その意味を飲み込んだ途端、腰が抜けてしまった。
「逆に僕の魂は、不死となった師匠の身体に入っている。相互に魂を入れ合うことで、僕らは完璧な不死を手に入れたんだ。唯一懸念だったのは、二人が同時に死んだ時にどうなってしまうかだったけれど、いまので確信した。不死の身体という容れ物は、上手い具合に魂を逃がさなかったらしい。ありがとう、本当にありがとう師匠。これで僕は死ぬ事はなく永遠に生き続ける事が出来るよ」
ナタリア・ナサレノは、そう嬉しそうに礼を言うと、私の部屋から出て行った。
永遠という呪いを受けた私は、呆然と、それを見送る事しか出来なかった。




