守護騎士は英雄〜呪いと誓いのあらまし〜
「守護騎士は英雄」「守護騎士は英雄〜王女様襲来〜」「守護騎士は英雄〜友人は公爵家長姫〜」の続編です。やはり軽い読み物だと思ってお読みください。
第三王子ジゼル・グィン・ゲオルグ・アナスタシアは笑顔のまま、異母妹である第一王女の頭をがっちり片手で掴み、そのまま力を込めて下へと圧力をかけていた。
「い、痛っ、お兄さま、痛い…………!」
「あっはっは、誰が口を開いていいと言った?愚妹」
襟足の長い黄金色の髪が、心なしかその静かな怒気に波打っているような気さえする。いつもは冴え冴えとした紫眼が、途方もない溶岩のような熱に煮たっているようだ。
王女の侍女は、部屋の角で静かに頭を下げている。だが前で上品に組まれた手は、よく見れば片方の手でもう片方の手を必死で押さえ付けているようであった。
「本当、よくもやってくれたなリリアーチェ。あのラルトヴェートの女狐に付け込まれるような馬鹿やりやがって……!」
そこなのか、と第三王子の護衛に当たっていたサフィルは顔を伏せながら内心で物申した。同時に、でもそうかもしれないとも。
サフィルはエリオを預かる立場上、レタランテの令嬢に数回会ったことがある。確かに彼女は社交界からは一線を引いた、権力欲のない少女に思えた。彼女はサフィルが頼めば、第一王女の訪問自体「なかった」ことにしてくれるだろう。たぶん二つ返事で。
だが彼女の周囲━━友人の立場にあるラルトヴェートの姫君はそれに待ったをかけるだろう。レタランテ嬢のためではない。どこまでも反りが合わず、どこまでも気に食わない存在である第三王子への嫌がらせのために。
「ああ、想像しただけで吐き気がする!あの女が毒しか含まない笑顔で、わざわざ新調した羽扇を片手に『皆様ご存知ですこと?つい先日姫殿下がとても愛らしい粗相をなさったことをオホホホホ』とか社交界で吹き込みまくるその様を!!なんっで不敬罪でぶちこめないかねぇ!?」
「あ、あぅ!首が、首が落ちますわ……!」
「殿下、落ち着いて下さい」
ラルトヴェートの長姫を不敬罪で投獄━━は無理でも、その咎を問うことができないのは、彼女が初代神殿長の「遺品」に見初められた聖人指定の人物であるからだ。
彼女の背後にはラルトヴェート家だけではなく、本来であるならば中立であるはずの神殿も控えている。
ああ、なんて忌々しい。
その思いをひたすら第一王女の頭を掴んでいる手にこめていれば、涼やかな美声が第三王子の沸騰した頭をほんのわずかに鎮めた。
「……あー、呼びつけておいてすまない、エリオ。ただの兄妹喧嘩だ」
「左様でございますか。しかし王女殿下の頭が椿の花のようになりかけておりますが」
「あ、ごめん愚妹」
「ひ、ひどいですわお兄さま……!」
「リリアーチェ様……!」
第一王女の頭を押さえ付けていた手を放せば、座り込んだ王女のもとへ彼女の侍女が駆け寄り、その傍に侍る。さっさと身を翻した第三王子は、長椅子に腰を沈めて手をヒラヒラと揺らした。
「それで、エリオ。我が愚妹が、何やらレタランテ嬢に約束を取り付けたと言っていたんだが」
「聞き及んでおります。尊家レタランテとトワフェストの、200年に渡る呪いと誓いについて語るようにとの命を賜りました」
━━アトルは100年と思い込んでいるが。
実際にレタランテが呪いを受けたのは200年前だ。その呪いが他家に知れ渡ったのがここ100年の話である。
「本来、今に続くレタランテの血族を蝕む呪いは、我が血族に降りかかるはずのものだったのです」
「……何?」
200年前。当時のレタランテの当主であった男と━━当時、子爵位を賜っていたトワフェストの当主は友人関係にあった。
ある晴れた日のこと。ともに狩りに出かけたふたりは、獲物を深追いして禁域とされていた場所に足を踏み入れ、そこで旧きものに出会った。
「旧きもの……?」
「教本からはとうに削られているから、リリアーチェが知らぬのも無理はないか。『旧きもの』。土着の尊崇されていた神霊のことだよ。神殿の女神に恭順した神々は聖霊としてその教えに連ねられたが、反した神々は名を剥奪され、旧きものとだけ呼ばれるんだ」
旧きもの、というその呼び方すら第三王子からすればもう記憶の彼方にあるものだ。まだ七つのころ、書庫でホコリを被っていた書物に興味を示さなければ、彼も第一王女と同じ反応を示していただろう。
「……伝えられています語りによれば。その旧きものは、襤褸を纏った梟面だったそうです」
トワフェストの当主は、その旧きものに無礼を働いた。怒り狂った旧きものは、トワフェストの当主に呪いのことばを吐いたのだ。
━━我が呪いを受けるがよい、愚かな人間。これより後、そなたの血族はゆるやかに木偶と化そう。
そのことばはそのまま炎を纏った文字となった。震えて腰を抜かすトワフェストの当主に、レタランテの当主が何を思ったのかは定かではない。
だが、きっと慈悲であったのだろう。なんと愚かな男であったのか、我が友は。
そう、当主の手記には滲んだ文字で記されてあっただけだ。
「レタランテの当主はその場で額ずき、旧きものに懇願したそうです。『神罰ならばどうか我が身に。この森に最初に踏み込んだのは私なのです。どうか、どうか』と。そして旧きものはその懇願を受け入れました。その文字はレタランテ当主を取り囲み、その身を焼き尽くしたそうです」
そしてその日から、レタランテの悪夢は始まった。
産まれ来るこどもは何かしら精神に問題があった。否、欠陥と言った方がいいだろう。何かしらの感情に欠落がある。その弊害でレタランテは短命の一族となり、そして代を重ねるほどに欠陥は大きさを増して行った。
それをよしとしなかったのが、生き残ったトワフェストの当主である。レタランテの衰退を部外者とされ、傍らで歯噛みしながら見続けるしかなかった始まりの当主は、齢百を重ねた頃に子爵位も領地も返上し、その身一つで神殿に出向き誓約を立たという。
「『我が一族がレタランテの血族を守護しよう。これよりトワフェストはレタランテの剣であり盾である。血の一滴、肉の一欠片、魂の一雫、全てをレタランテの血族に福音を齎すために存在せん』」
━━それが、レタランテとトワフェストの誓い。無二の友情から始まった、呪いとともにある誓い。
ゆえにエリオは主から離れない。例え肉体は離れていても、心はいつも彼女に預けている。すべてのトワフェスト一族が、レタランテの血族にそうしているように。
「……あー、エリオ」
「はい」
「重い」
そうですか、とエリオは表情を変えずに言った。第三王子は眉間を揉み、サフィルは頭を抱え、何故か第一王女は号泣している。王女の侍女は白けた顔をしていた。
「な、なんて悲劇ですの、エリオ様がお可哀想……!」
「この場合変な情出したレタランテの方が哀れだよ。黒焦げとかどんだけ」
まあ、血族を蝕む呪いを自分が身代わりになるという思考自体、第三王子は理解できなかったのだが。
この場合、問題はそこではない。
「正直に申せ、エリオ・トワフェスト。救世の英雄よ。その呪いは、女神にすら取り除けなかったのか」
「私が女神に相見えました際、請願しなかったとお思いですか」
女の脳を蕩けさせる美声が、重みを帯びる。
神々がかけた呪いは、その神が存在を消滅させると自然に解ける。だがレタランテの血族は呪いに抱かれたままだ。
そしてまつろわぬ神々、旧きものの名を剥奪する女神の神威は、各地に点在する教会を中心に展開している。その展開域は空白を埋めるようにいくつも重複し、その神威が届かぬ場所はもはや世界にはない。
そう、つまりそういうことなのだ。
五国に女神を崇める神殿が根を張り二千年。レタランテが呪いを授かったのはわずか二百年前。
━━名を奪われて尚。未だ神殿の女神の力を退けるほどの神力を持った旧きものが、他でも無いこの国に巣食っている。
「……」
第三王子は目眩を振り払うように二、三頭を振り、明らかに厄介ごとを抱えた声音でエリオに棒読みの感謝を告げた。
「……長いこと語らせてすまなかった。感謝する。もう下がっていいぞ」
「御意のままに」
「あ、じゃあわたくしも失礼いたしますわね、お兄さま」
「逃がすか愚妹。まだ説教終わってない」
騒ぐ第一王女の首をしっかり掴み、第三王子は執務室から退出するエリオを視線だけで見送り━━しかし、ふと疑問がわいた。
「なあエリオ。お前は女神に、体質を治して欲しいと願わなかったのか」
エリオの足が、扉を開けた格好のまま止まった。沈黙は吐息を吐き出す時間程度のもの。応えることばは世間話よりもずっと短い。
しかし吐き出すようなそのことばを、第三王子は生涯忘れないだろう。
「━━アトル様を救えぬ程度の神にかける願望なぞ、私にはありません」
救世の英雄。世界中から讃えられる救世主。女神から求められた華の騎士。
しかしエリオ・トワフェストは、たったひとりの少女を救えない女神なぞからは背を向けているのだと第三王子は理解した。
王家の権威も、神の威光も、人民の信望も、きっとエリオにとって屑ほどにも役に立たず意味のないもので、英雄が求めているものを眼前に突き出さねば、笑みひとつこぼさないに違いない。
「……愚妹、エリオだけはやめておけよ……」
首を掴んでいた手を振り払い、侍女を伴いエリオを追って出て行ってしまった第一王女への忠告を拾ったのは、嘆かわしいかな女心とは全く無縁のサフィルだけなのであった。