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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私とあの子と隣のアイツ

作者: 南極海鳥

【注意】 


メインキャラクターとして男が出ます。百合作品に男が出るのが苦手な方はくれぐれもご注意ください。

 あの子を友達として意識できなくなったのは、いつからだろうか。


 と言っても決して嫌いになったとかそういう事ではない。むしろ逆だ。好きになり過ぎて、なり過ぎて、どうしようも無くなってしまった。もう友達という言葉では足りないくらいに。

 物心つく前からずっと一緒で、高校もそれが当然といわんばかりに地元の同じ高校に決めたあの子。

 あの子の笑顔を見ただけで心臓が高鳴り、顔が一気に火照ってしまう。目が合わせる事ができず、息が苦しくなってしまう。それを表に出さないように必死で繕って、必死で冷静を装って。

 甘い香りを漂わせながら身体を摺り寄せられたものなら、頭がくらくらして理性を保てなくなる。でも必死に押さえ込んで無理矢理引き離して、少し寂しそうな顔をしたあの子に小さくごめんと呟く。

 彼女をこれ以上好きになってしまうのが怖かった。


「ねぇ理恵ちゃん?」

 突然声をかけられ、私はつい読んでいた本を落としそうになってしまった。その直前で何とか耐えてパタリと本を閉じる。そして顔を上げてみると、目の前には少し不満げに頬を膨らませたあの子、アキの顔があった。私の顔が熱くなっていくのが分かる。

「な、何?」

「もー、さっきから呼んでたのに全然返事してくれないから……」

 私から顔を離してしゅんとするアキ。またこの顔だ。寂しそうな顔はこの子には似合わない。でも私には本を机の上に置き、きまり悪く頬を掻くことしか出来ない。


 放課後の部室には私とアキ、二人の姿しか無かった。元々幽霊部員ばかりのこの文芸部だ。三年生の先輩が引退してからは、こうして二人だけの部活が続いている。

 通常教室の半分の大きさしか無いこの部室には無機質な棚に歴代の先輩達が大量に残した本や作品が並べられ、窓から差し込む赤い斜光に照らされていた。時計に目を向けてみると針は既に午後五時を指している。


「ごめんなさい、随分集中していたみたいだから邪魔しないようにと思って……」

 私と向かい合わせに座るアキの手元には文字で埋められた原稿用紙が何枚も積み重ねられていた。今度のコンクールに応募する作品に必死で取り組んでいるアキの邪魔をしないように私は話しかけないで本を読んでいたのだけど、あまりにのめり込み過ぎていたようだ。

 またアキは拗ねた顔をしてシャープペンを筆箱の中に落とした。

「もういいもん。理恵ちゃんったらさっさと書き上げちゃって余裕綽々だし」

「……拗ねないでよ。で、どうしたの?」

 私が訊くと、アキは表情を変えて明るい顔を見せた。

「実はね、これ見てこれ」

 そう言って鞄から取り出したのは一枚のチラシ。どこか得意げにそれを私に広げて見せる。

 そこに書かれていた文字は『東公園イルミネーション』の文字。東公園とはここから電車で二駅の所にある、県ではちょっと有名な広い公園の事だ。その下の詳細を読んでみると、どうやらクリスマスイブとクリスマスの二日間、イルミネーションイベントを行うらしい。

 チラシを下ろして、アキが笑う。

「どう?」

「どうって……?」

 恋人の居ない私にとって、このような場所には縁が無い。きょとんとする私に、じれったそうに唸ってからアキが言葉を続ける。

「だからー……一緒に行こ?」

 

 顔が一気に熱くなった。慌てて本を広げて顔を半分隠し、その顔から目を逸らす。「あれ?」と今度はアキが首を傾げてきょとんとした。彼女のショートカットが揺れる。

「あれ? 何か変なこと言った?」

「へ、変ではないけど……その……」

 チラリと机に置かれたチラシを確認する。クリスマスにロマンチックなイルミネーションを見に行く。これはもしかすると、恋人同士のシチュエーションなのでは。

 なんて想像を勝手に頭の中で巡らせて、ふと冷静に戻る。いや、アキはただ友達として私を誘っているに過ぎない。私が想像したようなことは絶対に有り得ないのだ。

 ふぅ、とため息をついて本を下ろす。

「まぁ、いいけど」

「本当? 良かったー……」

 よっぽどイルミネーションを見に行きたかったのか、アキは表情を緩めてぎゅっと小さくガッツポーズをした。

 何がどうであれ、アキと一緒にクリスマスを過ごせるという事実は変わらない。たとえ恋人同士ではなく、友達同士の関係だとしても、きっと夢のような時間になるだろう。

「でも……本当に私とでいいの?」

「何言ってるの。理恵ちゃんしかいないよ」

 また恥ずかしいことを平気で言う。



 完全下校を告げるチャイムが鳴り、部活動を終えた生徒達が下校を始める。結局今日も書き終えられなかったアキは原稿用紙を大事そうにしまうと、鞄を持った。

「じゃあ行こっか」

「ええ」

 部室の鍵を閉め、誰もいない廊下に歩き出す。半分開いた窓からは寒風が吹き込んで、無機質な廊下をひんやりと冷たいものにしていた。アキが体を震わせる。

「うぅ……寒いねー」

 そう言うと歩きながら段々私に寄ってきて、ぴたりと体をくっつけた。鼓動が跳ね上がる。洋菓子のような甘い匂いと、確かな温もり。はじかれたようにアキを見た私に、彼女は更に腕も絡ませてこようとする。

「あ、アキ? ちょっと……」

「寒いよー」

 彼女にとっては、ただのスキンシップなのだろう。でも私には大問題だ。心臓の音を聞かれやしないかと気が気でない。

 それよりもこのままこうされていると、思わず抱き返してしまいそうで。

「イルミネーション楽しみだねー」

 唐突に、アキはそんな事を口にした。私は動揺していて何も言えない。アキは体を更に私に傾ける。

「早くクリスマスにならないかなー。あっ、ちょっと待ってて」

 そう言うとアキは自分から離れ、鍵返しに行くねと小走りに少し先の職員室へと駆けて行った。胸のドキドキと右腕の温もりだけを残して、寒い廊下に残される。


 昇降口から外に出ると、すっかり外は闇に包まれていた。古い電灯が頼りない光で下校する生徒達を照らす。

 野球部の集団が私達の前を駆け抜けて行った。アキはまた体を震わせて、身を小さく縮める。手袋もしていない指先は赤みを帯びている。

 こんな時何の躊躇いも無く「手を繋ごう」と誘えたなら、どんなに楽だろうか。私には彼女の指先を見つめる事しか出来ない。

「おっ、アキに理恵じゃん」

 そんな私を、その声が現実に引き戻した。


 ラケットケースを肩に掛けた男子生徒が一人、私達の前に立っている。その締まりの無い顔を見て、またかと思わず心の中で呟いてしまった。

「かけるー」

 アキが手を振って奴の名前を呼ぶ。駆も手を上げてそれに答えた。

 駆は小学校の頃から一緒の男子で、特にアキとは家も近くて仲が良い。今はテニス部の部長も勤めていて女子からの人気は高い、らしい。このいつも調子良い男のどこが良いのか、私には理解出来ない。もっとも男に向ける目など持っていないが。


「どうせだから一緒に帰ろうぜー」

 また調子良くそんな誘いをかけて、アキもそれに乗ってしまう。駆はさも当然であるように私とアキの間に割り込んで、彼女と会話を始める。私が苛立って校門へ向かおうと歩を進めると、二人も付いてきた。


「理恵ちゃんそれじゃあね、バイバーイ」

「そんじゃなー」

 校門の前で方向の違う二人と私は左右に別れる。並んで話しながら遠ざかる二人の背中を、私はその場に立ち尽くしたまま見送った。


 楽しそうに笑うアキと肩を揺らして笑う駆。楽しそう。私もあんな風に笑い合えたなら。

 二人は付き合っているのだろうか。いや、そんな話は聞いたことがないし、もし付き合っているのならクリスマスに私をイルミネーションに誘ったりはしないだろう。でも並んで歩く二人を見ていると、自信が無くなってくる。

 さっきとは違う、胸の痛み。

 アキの隣にいるべきなのは、本当に私なのだろうか。

 振り払うように、二人に背中を向けた。

 私とあの子の距離は、驚くほど遠い。



「おっ、理恵!」

 小さな公園の前を通り過ぎようとした時、そんな声が私を呼び止めた。その方向に目を向けてみるとブランコに乗った若い女の人が私に手を振っている。

「先輩……」

 元文芸部の先輩、現大学一年生の佳子先輩は屈託のない笑顔を見せた。


「ふーん、アキと男の子がねー」

 私と先輩は並んでブランコを揺らしながら温かい缶コーヒーを飲んでいた。ちなみにこれは先輩の奢りだ。真っ暗な公園に人気は無く、消えかけた街灯と自動販売機だけがブランコの周りを照らしている。

「で、理恵は入る隙が無いと思ってるんだ」

「その通りです……」

 先輩は、私のこの気持ちを知っている。というより勝手に気付かれた。洞察力の優れている先輩には容易い事らしい。

「でもさ、二人は付き合ってるわけじゃないんでしょ?」

「そうですけど……」

 缶コーヒーを啜って、ため息をつく。先輩はうーんと考えて、

「じゃあいいじゃん。遠慮すること無いって」

「でも、二人共すごく仲が良くて」

 私が嫉妬する位に。

 周りでからかわれる位に二人は仲が良い。特に最近は二人が何やらこそこそ話しているのをよく見かける。そこには私が入り込めないような、独特の雰囲気があった。

「あー、もうじれったいな!」

 メキっと先輩の缶コーヒーが音を立てた。びくりと体を震わせる。

「思いっきりぶつかっていけー!」

 ブン、と先輩が空のカンを思いっきり投げた。何度か地面を跳ねてコロコロと転がっていく。

「ポイ捨てはいけないと思います」

「あとで拾うから良いのです。で、どうするの?」

 質問の意図が分からず、何も言えない。先輩はそんな私にじれったそうに、

「いつになったら告白するの!?」


 ボン、と思考が停止した。

 告白、とはつまりこの思いを伝えるということ。

 無理だ。そんなこと私には出来ない。


「こ、こ、告白なんてそんな」

「だって言わなくちゃ伝わんないじゃん」

 その通りだ。でも、この気持ちを伝えた所で結果は明らかだ。今まで友達だと思っていた人に突然一人の女の子として好きだなんて言われたら、どう思うだろうか。

 あの子は優しいから、きっと露骨に拒否したりはしない。でももう二度と前の関係には戻れないだろう。それなら、ずっと心の中にしまっておく方がずっといい。ずっとこのまま、友達のままで。

「グズグズしてると、その男の子にアキ、取られちゃうよ?」

 でも、そんな言葉が私の心を揺らす。


 先輩に目を向ける。先輩は真剣な目で私を見つめていた。この人は真剣に私と向き合ってくれている。

「ずっと胸の中に気持ちをしまったままで、後から後悔することになってもいいの?」

「でも……」

「嫉妬する権利があるのは、行動した人だけだよ」

 そう言って先輩は笑って見せた。

「私が言うんだから間違いない」


 しばらくの沈黙。

 先輩の言う通りだ。このまま気持ちを伝えないまま、仮にアキと駆が付き合うことになったとして、私には駆に嫉妬する権利は無い。気持ちを伝えることを恐れ、逃げを選んだ私には、ちゃんと気持ちを伝え合った人達を憎む権利などない。

 自分を偽ったまま、おめでとうと祝福する私を想像して頭が痛くなる。

 私の顔つきが変わったのが分かったのか、先輩はにっこりと笑った。

「よし、じゃあ早速告白といこうか」

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 立ち上がり、今にも駆け出しそうになった先輩を慌てて止める。さすがに今から告白しに行くのには無理がある。

 それに、私には考えがあった。

「あの……実は、クリスマスにアキと二人でイルミネーションを見に行くことになってて……」

「えっ、それって東公園の? デートじゃん!」

 ひゅーひゅーと口でちゃかす先輩。私はまた顔が赤くなるのを感じながら言葉を続ける。


「そこで私……言います」


「よっしゃ! やったぜ! 頑張れ!」

 先輩はやけにテンション高く叫んだ。ブランコの柵を飛び越え、向こう側へ着地する。両腕を大きく広げて私に振り返り、満面の笑みを見せた。

「絶対大丈夫だから!」

 元々付き合えるとは思っていないのだけど、そう言ってもらえると心強い。私も残りのコーヒーを飲み干して、ブランコから立ち上がると先輩と同じようにそれを遠くに投げ飛ばした。

 宙を二転三転するカンを見ながら、決意を固める。

 叶わなくても、伝えよう。後の事は後で考えよう。

 自分の中で何かが吹っ切れたのを感じた。



 そう決めてからは慌ただしい日々だった。

 頭の中で何回も告白のシミュレーションをしては一人頭を沸騰させ、慌てたアキに介抱された。アキが駆と話しているのを見ては心が揺らいだけれど、先輩の言葉を思い出してなんとか耐えた。

 何度も公園の地図を眺めては良いシチュエーションを想像して、思い通りには行くわけないと落ち込んだ。

 これは恋人になるための告白ではない。後で後悔しないための告白だ。

 そう何度も言い聞かせてみるけれど、僅かな希望は捨てられなかった。



「それじゃあ、怪我のない冬休みを過ごすように」

 担任がそう告げて、号令をかけるとクラスの全員がようやく解放されたように歓喜の声を漏らした。

 終業式が終わり、ホームルームが終わった教室を、皆は冬休みの予定などを話しながらバラバラに出て行く。私は校門まで一緒に行こうと誘う為にアキの姿を探す。でも彼女の姿はマフラーを巻いた駆と共にあった。

「あ、理恵ちゃん。じゃあねー」

 にっこり笑って手を振るアキ。駆も手を上げて挨拶してくる。呆然とする私には手を上げ返すことしか出来なかった。二人はそんな私を置いて、二人並んで教室を出て行く。

 そんな後ろ姿を見て、胸が詰まった。

 二人はよく一緒に帰っているけど、いつもという訳ではない。この前のように偶然会ったら一緒に帰る程度だ。でも、今回は違う。確実に一緒に帰ることを約束していた。

 そして最近駆が巻いているあのマフラー。どこか不恰好なあの赤い毛糸のマフラーは、本当に売り物なのだろうか。

 やっぱり、二人は。


 首を振って、良からぬ想像を振り払う。

 私は私の気持ちを伝えるだけだ。


 気持ちを切り替えて、別の事を考える。

 クリスマス、正確にはクリスマスイブに会うというのだから当然プレゼントは必要だろう。あまりこういう事には慣れてないから不安なものがあるけれど、出来る限りの事はしたい。

 そう思い立って机から鞄を持ち上げ、買い物に出掛ける事に決めた。


 一度家に帰ってから向かったのは近所にあるショッピングモール。終業式の後という事もあり私のような高校生の姿もあってそれなりの賑わいを見せていた。

 広い通路にはツリーなども飾られていて、両側に立ち並ぶ店々からはきらきらしたクリスマスソングが聞こえて来る。完全にクリスマスムード一色だった。

 そんな中に一人立っているとかなり場違いに思えてしまうけれど、決心してプレゼントを探しに行く。

 やっぱり買うならアキの欲しい物がいいだろう。というとアナログ派の彼女に相応しいのはペンか原稿用紙か。いやいや、クリスマスプレゼントでそれはないか。だったらお菓子か。それだったら当日になる前に古くなってしまう。

 色々悩みながら普段は入らない店などを見て回る。といっても普段は本屋か文房具屋にしか行かないのだけど。

 お洒落な中高生向けのアクセサリー店に入って棚に並べられたアクセサリー類をなんとなく眺める。ふと、その中で一つのネックレスに目が留まった。

 

 雪の結晶と、星が一緒についているネックレス。綺麗。素直にそう思った。

 所詮は中高生向けの安物かもしれないけど、私にはそれが女優さんが着けているようなとても素敵な物に思えた。何より、アキがこれを着けている所を想像すると頬が熱くなってくる。

 棚から持ち上げて、手の平に乗せてみる。一緒に付いていた値段を確認してみると少々勇気のいる値段だった。

「何かお探しですか?」

 その時突然声をかけられて驚いて振り返ってみると、エプロンを着けた店員さんがにこにこと立っていた。

「あっいえその……こ、これ下さい」

 しまったと思った時には、既にテンパってつい口走ってしまっていた。店員さんは微笑まし気に笑うと、私をレジに案内する。


 結局買ってしまった。クリスマスソングに見送られて店を出て、ため息をつく。結構な出費だ。でも、後悔はしていなかった。かなり良いものが買えたはずだ。リボンのついたその箱を大事に抱きしめてから、鞄にしまう。

 私の思いを乗せるプレゼントだ。


 予定より早く用事が済んだので私は昼飯を済ませようとファーストフード店に向かった。一階のフロアをきょろきょろしながら歩いて行く。

 きらびやかな装飾に彩られたショッピングモールは本当に綺麗で、恋人と来たなら楽しいだろうな、と思う。甘い香りを漂わせるドーナツ店を見て、あそこはアキが好きそうだなどと思う。店内にはカウンターの他に客席が並べられていて、

 


 足が止まった。

 幻覚かと思った。


 あの店のテーブルで、とろけた顔でドーナツを食べている女の子は、

 そして彼女の前に座っている男子は、


 逃げ出していた。

 顔を見られる前に駆け出していた。

 偶然に見てしまった申し訳なさと、向き合えなくて逃げ出した自分への嫌悪感で目頭が熱くなってきた。

 こんなショッピングモールに二人きりで来ている二人はどこからどう見ても恋人で、二人は本当に楽しそうで、私が入る隙なんてどこにも無くて、

 前から分かっていた筈なのに涙が溢れて止まらなかった。


 どうやって家に辿り着いたのかは覚えていない。涙も枯れ果ててベッドに倒れ込むと、買ってもらったばかりのスマホの画面を点けた。

 待ち受けは満面の笑みでピースするアキと、引きつった笑顔で丸まったピースをする私。スマホをアキに見せた時、自撮りのやり方教えるねと彼女が半ば強制的に撮った写真だ。初めに壁紙に設定してからずっと変えていない。

 この笑顔は、絶対に私のものにはならないというのに。

 胸が苦しくて苦しくて、たまらない。


 その時、ポンという通知音と共にメッセージが画面に追加され、私を現実に引き戻した。

『明後日何時集合にする?』

 言わずもがなアキからのメッセージだ。あの子はまだ、私とクリスマスを過ごす気でいるらしい。私よりも、他に過ごす相手がいるのではないか。

『私はいいから、駆と行きなよ』

 慣れないフリック入力で文字を打ち込んでから、指が止まる。送信ボタンをタップする勇気が無い。

 これを送ったら、本当に終わってしまう。今度のチャンスを逃したら一生気持ちは伝わらないままだ。嫉妬する権利すらないままアキと駆の後ろ姿を眺める、そんな日々だけが待っている。

 削除ボタンを連打して文字を消す。そして新たに文字を打ち込んだ。

『朝に私がアキの家へ行くよ』


 翌日の冬休み一日目は、次の日に迫ったクリスマスイブの準備をするだけで過ぎた。それ程持っていない服を鏡の前で何度も吟味して、普段は結んでもいないロングの髪をリボンで一つに結んでみたりしてみた。デートに向かう女の子の気持ちは、きっとこういうものなんだろう。

 一世一代の告白をどういう言葉にするか、文芸部の意地も賭けて必死に考えた。お話の中では幾らでも思い付くのに、結局日が暮れても良い言葉を思い付くことは出来なかった。

 あなたの事が好き。一直線にそう伝えても、友達としての好きだと解釈されて普通に返されることは目に見えている。だったら愛してるはどうだろう。いや、さすがに背伸びし過ぎている。

 あれやこれやと鏡の前で練習していると、突然扉を開けた母親にその姿を見られてうふふと微笑まれて、扉を閉じられてしまった。


 そんなこんなで時は過ぎ、気が付いたら夕方になっていた。

 鞄に荷物を入れている時にスマホが点灯したので、何だろうと確かめてみると、なんとメッセージの相手は駆だった。

 今までも何度か下らない事を送ってきて、私もそれに適当に返していたりはしてきてたけど、このタイミングは悪いとしか言いようがない。胸を痛めながらも画面をスワイプしてメッセージを表示する。

『今、何やってる?』

 恐らく、送る相手をアキと間違えたのだろう。ドジなところもある奴だから、悪気は無いのだろうけど今の私には自慢されているようにしか映らない。乱暴に文字を入力して叩きつけるように送り返してやった。送る相手間違えてるよと。

 結局それから返事は来なかった。



 十二月二十四日。ついに、運命の日はやって来た。

 昨日決めた服を着て、髪を後ろで結んで、可愛いピンなんか着けてみて。鏡の前で「よし」と一人頷いた。何時もの私とは違う、女の子らしい私。あの子にだから見せる私だ。

 今日は頬の赤みを隠す本は持たない。もう私は、逃げも隠れもしない。後の事は考えずに、伝えるだけだ。

 スマホがメッセージを通知した。画面を確認してみると、佳子先輩からだった。健闘を祈る。その五文字だけが表示されていた。ありがとうございますと返し、今度はアキとのトークを開く。

『今から行くね』

 躊躇いなく送信ボタンをタップし、画面を閉じる。さあ、行こう。

 部屋を出た私を母親が見て察したのか、意味深く「頑張って」と頷いた。

 

「おはよー!」

「あ、アキ……う、うわあっ」

 私がアキの家の前に着くと、既に外に立っていたアキが思いっきり抱きついてきた。とても温かく、柔らかい感触。髪が私の頬に揺れてくすぐったい。しょっちゅうお菓子を食べているからなのか分からないけど、いつもの甘い匂いがする。そして私の理性が崩壊寸前に陥る。

 ああ、幸せとはこういうものの事を言うのだろう。ずっとこうしていられるのなら、思いを伝えなくても、

 ぶんぶんと頭を振って一瞬頭によぎった事を振り払う。もう決めた事だ。今更揺るぎはしない。でも最後にと彼女の背中に私も腕を回して、少し力を込めてみた。

「えっ、理恵ちゃん……?」

 アキが驚いたように私を見た。どことなくその顔はいつもより赤みを帯びている。

「何?」

「いや、珍しいなと」

 アキが更に力を込めた。私も負けじと抱き返す。ああ、柔らかい。そうしているうちに私は真っ赤になって体は温まってきたけれど、往来の人達が露骨に目を逸らして通り過ぎるのを見て流石に止めることにした。

 私から離れると、アキも名残惜しそうに離れた。一歩距離を置いて、まじまじと私を見つめる。

「わぁー……理恵ちゃん可愛い」

「か、可愛っ……」

 やっぱり平気でそんな事を言うアキ。私にはアキの方が可愛いと返す勇気は無い。これだから駄目なんだろうとは思うけどこればっかりはどうしようもない。

「っもう。行くよ」

「あはは、理恵ちゃん赤くなってる」

 ごまかすように駅の方へ歩き出した私をアキが追いかけた。ふと目を下に向けてみるとアキはやっぱり手袋を着けておらず、指先が赤くなっていた。寒そうだ。ああ、この手が繋げたなら。

 アキがそんな私を不思議に思ったのか首を傾げて、暫く経ってから納得したように笑った。

「手繋ごっか」

「えっ」

 その言葉を理解するより先に、アキは手を伸ばして私の手を掴み、指を絡めていた。びっくりするくらい冷たい彼女の手は私の体温と絡まって、だんだんと温度を上げていく。

 暫く経ってからこの状況を理解する。

 私は今、好きな人と恋人繋ぎをしながら歩いている。たとえ彼女にとってはただのスキンシップだとしても、私にとってこれは特別な意味で、

 残された時間を噛み締めるように私もぎゅっと握り返した。思いを伝えたら、もうこんな事はできないかもしれない。


 東公園はここから電車で二番目の駅が最寄り駅だ。そこは私達の住宅街とは違って比較的大きなビルが立ち並ぶ繁華街で、大きなデパートや飲食店、娯楽施設が周りに多くある。県の中では一番都会だと言えるだろう。

 そんな中に穴が空いたように広大な面接を誇るのが東公園だ。都会のオアシスとも呼ばれるその公園には大きな池があったり噴水があったりと都会の喧騒を忘れさせてくれる設備が整っている。

 ここを活性化させるために数年前から始まったイルミネーションは、今や有名なクリスマススポットとなった。木という木はLEDで彩られ、様々な電飾が公園中に散りばめられる。電気代が勿体ないとか言ってはいけない。


「んー着いたー!」

 十分ちょっとしか電車には乗ってないのだけど、駅を出てアキは長旅を終えたように大きく伸びをした。

 私にくるりと振り返り、笑顔を見せる。

「ねっ、どこ行く?」

 日が暮れるまではまだまだ時間があった。私は綿密に練った予定をスマホで確認すると、それをポケットにしまってとても楽しみにしていた事を悟られないように落ち着いた声で、

「うーん、じゃあ本屋に行こうか」


 それからは本当に楽しい時間だった。

 二人で広い本屋を見て回り、お互いに本を一冊ずつ買って交換した。私があげたのは前に読んで面白かった推理小説で、アキがくれたのは毎度の如く恋愛小説だった。

 デパートに行ってアキの着せ替え人形にされたりした。本人曰く私はスタイルがいいし、か、可愛いから楽しいらしい。心の中でアキの方が何倍も可愛いって呟いたけれど、やっぱり言えないままだった。

 あとは二人でゲーセンで半ば強制的に初めてのプリクラを撮り、移動販売のタピオカドリンクを二人で飲んだりした。

 告白の事は頭の中にずっとあったけれど、本当に本当に心から楽しい時間だった。デートという幻想を抱き、友達に手を引かれる私は他人から見たらひどく滑稽に見えるかもしれない。もうこんな時間は二度と来ないかもしれない。そう思うと怖かったけれど、アキの笑顔を見るだけでそんな事は忘れていた。


「えへへ」

 お昼時になり、私達はファミレスに入って食事をとっていた。パスタをフォークに巻いたアキが私をずっと見つめてにこにこと笑っている。それを気にしないようにと私は黙々とオムライスを食べていたのだけど、なんだか恥ずかしくて顔を上げた。

「何?」

「えへへ、楽しいなって」

 心の底からアキは楽しそうだ。私も最初は事前に立てた予定通りにいこうとしてたのだけど、途中からはアキの好きなままにさせていた。そっちの方が私も楽しい。

 

 アキはフォークに巻いたパスタをぱくっと食べて、口でもぐもぐさせている間にふと何か思い出したようにポケットからスマホを取り出した。

「そういえば駆が言ってたんだけどね」

 私のスプーンの動きが止まった。

「十九時から東公園の噴水の辺りで何かイベントやるんだってさ」

「……イベント?」

 メッセージを確認しているのか、アキは指を動かしながら頷く。パンフレットは何度も見ていたけどそんな情報は載っていなかったはずだ。今回のイベントは大ツリーの点灯、プロジェクションマッピングのショー、その他出店などのはずだ。噴水でやるイベントなどあっただろうか。

「あとで行ってみようよ」

「まぁ、いいけど……」

 少々引っかかるものがあるものの承諾する。多分引っかかっているのは駆から聞いたという言葉だ。この二人の空間に無理矢理割り込んで来るような、そんな感覚すら覚える。考えすぎだとその感覚を飲み込むように、氷で薄まったメロンソーダを飲み干した。


「それはそうと、コンクールの作品はもう出来たの?」

 話題を変えようと話題をふる。するとアキは「うっ」と露骨にぎくりとして目を逸らした。

「いやぁそれがなかなか……」

「まったく……読まないと何も言えないし、とりあえず読ませてよ」

「ぅええ! いやぁそれがその都合が悪いというか……」

 アキは目を逸らしたまま指をつんつんと合わせる。またこの反応だ。何時もなら私が別にいいと言っても読ませて来ようとするのに、今回だけは頑なに隠そうとしている。以前目の前に広げられていた断片を盗み見した限り恋愛もののようだったのだが、すぐに隠されてしまったので詳しい内容までは読み取れなかった。

 いったいどんなものを書いているのか気になって仕方がない。

 ––––相手役がテニス部の部長だったりしてなければいいけど。

 

 

 それからダラダラとファミレスで駄弁って過ごし、店員さんの目が痛くなってきた辺りで私達は会計を済まして外に出た。まだまだ日は沈んでおらず、冬の低い青空が広がっている。冷たい北風が吹き抜けて、アキがキャッと声を上げた。マフラーに顔をうずめる。ベージュのコートに身を包んではいるもののやはり寒いものは寒いようだ。

 ふとアキのマフラーはあの赤い毛糸のマフラーじゃなくて市販の白いマフラーなんだなと思った。

「寒いねー。ねっ、どこ行く?」

 アキがこちらを向いて訊いてくる。私は腕時計を確認して、今が丁度おやつ時である事を確認した。でもさっきまでドリンクバーを何回も行ったりきたりしてケーキを食べ漁ってたのでまさか今から別の店に行くこともあるまい。スイーツ狂のアキなら余裕だろうけど私はちょっと勘弁して欲しい。

「まだ早いけど……公園行ってみる?」

 めぼしい場所は午前中に結構行ったはずだ。勿論まだまだ遊べる場所が無いわけではないけれど、二人で公園を歩くというのもまた一興だろう。この寒さは少し気になるけれど、距離を詰める理由にもなってくれるかもしれない。

 アキは笑顔で頷いて、一人で駆け出した。少し離れた所で立ち止まり、私に振り返る。

「行こっ」

「……うん」



 イルミネーションはまだ点灯してないけれど、公園には多くの家族連れや子供達、カップルが ベンチに座り、寄り添って喋ったり、原っぱで追いかけっこをしたりと各々の時間を楽しんでいた。

 そんな中に手を繋ぎながら歩く女子校生が二人。周りの人は私達をどう捉えているのだろうか。ただの仲の良い友達か、それとも、

「えへへ、あったかいね」

 右手をぎゅっと握ってアキがそんな感想を述べる。さっきまで少しずつこの状況に慣れてきて恥ずかしさが薄れてきていたのにその言葉でまた顔に熱が登ってくる。

 温かくて柔い感触。

 冬の公園なのに、彼女の右手と私の身体だけは異常な熱を帯びていた。


 しばらく無言で歩き続ける。点灯していない電飾が掛けられた並木道を歩き、原っぱを歩き、池が見えて来る。それを確認するとアキは手を離し、子供のようにはしゃぎながら駆けていく。私も早歩きで追いかけた。

「池だー」

 率直すぎる感想を口にしながら池の周りを囲むようにして作られた柵を掴むアキ。でも想像以上に冷えていたのか、驚いて手を離した。

 手をこすり合わせてひーひー言っている彼女の隣に私も並び、肘を柵に乗せる。

 水面は静かで、時折北風に吹かれて揺れていた。向こうから一羽の鴨がすいーっと泳いで来て波紋が広がった。

「なんか、こういうのいいね」

「え?」

 私が声を漏らすと、アキが嬉しそうな顔のまま私を見た。大きな目に捉えれているのを横目に感じながら私は池を見つめ続ける。

「こういう何もしない時間っていうのも」


 何気ない時間がひどく愛おしく感じるということがある。私の場合、それはアキといる時ならいつでもそうで、どんなに下らなく無駄な事をしていようが彼女が微笑むだけで私にはこの世で一番幸せな事に思えるのだ。

 でも、それだけでは満足出来なくなってしまった。

 もっと幸せを噛み締めたい。そんな欲望が芽生え、私はそれが恋だと気がついた。この子ともっと色んな時を過ごしたい。友達としてだけじゃなくて、もっと。

 後悔しない為の告白だなんて自分への言い訳だ。本当は結ばれたい。ただ、それだけだった。


「私は理恵ちゃんと一緒にいる時ならいつでも楽しいよ」

 そんな私の心を見透かしたように、アキが優しい声で言った。


「えっ……?」

 驚いて、アキを見据える。アキは手をポケットに入れて小さく震えながら、にこりと笑うだけだ。つい小さく彼女の名前を呟いた。

 私といる時が一番楽しい。その言葉を真に受けそうになった自分を咎める。アキは優しいだけだ。その優しさに、私は甘えているだけ。

「そっかそっか」

「あー、信じてないでしょー」

 冗談めかして返すと、軽く肩を叩かれて非難された。私もそんな彼女の脇腹を突っつく。お互いに笑い合いながらのじゃれ合いが始まる。

 こんな時間でさえも私には世界で一番幸せな時間なのだ。アキにとってもこの時間が、本当に一番幸せな時間であればいいのに。

 アキの柔らかくてよく伸びる頬を引っ張りながら、心の中でへらへら笑うアイツに拳を叩き込んだ。



 光の海。

 そんな表現が相応しいのだろうか。日の落ちた公園にはまったくの別世界が広がっていた。

 雪を思わせる広い光の中に散らばる青い光。渦をなし、波のように広がり、視界を幻想的な光で満たしていく。

 木々は温かな暖色の光で着飾り、スピーカーからは一昔前のクリスマスソングが流れて雰囲気を作り出していた。


「わぁ……」

 きょろきょろと見回して、アキが感嘆の声を漏らす。私に振り向いた目が光を反射してきらきらと輝いていた。

「綺麗だね!」

「……そうだね」

 イルミネーションは本当に、本当に綺麗だ。でも幻想的な光の中にいるアキはもっと綺麗で。本当に、本当に。

「可愛い」

「えっ」

 アキの顔から一瞬笑顔が消えた。驚きの表情になり、心なしか頬の赤みが増している。それを見て私はようやく自分がとんでもない事を口走ったことに気がついた。

「あっ、いや今のは違って……」

 違くないのだけど。

「なんだか今日の理恵ちゃんは変だね」

 そう言ってアキは楽しそうに笑い、一人で遠くに見えた光のトンネルへと駆け出す。途中で振り向いて私に手を振った。私も追い付こうと慌てて追い掛ける。


 その時間が近付いていた。

 今日一日中頭の中にはあったけれど、ついに現実としてその時間が近付いて来てしまった。

 このイルミネーションで名物となっている大ツリーの下で、私はこの思いを伝える。

 たとえどんな結果になっても。


 光のトンネルを抜けた先には噴水広場があった。その前でアキは何やらスマホを確認しながら私を待っている。私が近付くと、サッと画面を消してポケットにしまった。その動作に少しだけ違和感を覚える。


「もうすぐ七時だね」

「うん……あっ」

 思い出した。そういえばアキが十九時に噴水広場で何かがあると言っていたではないか。時計を確認してみると、あと十分程時間はあった。

 それ程時間がある訳ではないけれど、何かあるならそれまでに済ませておきたい用事がある。


「悪いんだけど……ちょっとお手洗い行っていい?」

「えっ、今?」

 ずっと行きたかったのだ。でもアキは私がそう言っただけで露骨に動揺した。いったい何があるんだろう。でもさすがにこれ以上我慢するのは辛いものがある。

「すぐに戻って来るから」

「う、うん」

 記憶を思い返し、売店の近くにお手洗いがあった事を思い出す。それ程の距離ではない。なんとか早く済ませようと私は小走りでそこへ向かった。



 さっと用事を済ませてアキの待つ噴水広場へ走りながら、私は告白の文句を必死で頭の中で反復させていた。

 噴水広場での何かが終わったらその先は大ツリーだ。そこが、私の決戦の舞台となる。

 時計を確認すると、まだ十九時までは二分程あった。私は速度を早めて子供やカップルの間を縫うようにしながら噴水の前で待っているであろうあの子の元へ急ぐ。光のトンネルを抜け、噴水が視界に入る。その前にいるあの子を探そうとして、


 私の時間が静止した。


 眼球が凍りついたように動かない。


「なんで」

 なんで、どうして、

 アキの隣に今ここに居るはずのない駆がいるんだ。



 私は全てを理解する。

 アキは十九時に噴水広場で何かイベントがあると駆が言っていたと言った。だが、イベントなどというのは駆の嘘だ。本当は駆がアキをこの場所に呼び出す口実に過ぎなかったのだ。

 どうやらアキと駆はまだ付き合ってはいない。なぜそう言えるのか。それはもし付き合っているのなら最初から私と来るはずなどないという事。そして今、駆がある事をしようとしているからだ。

 駆はきっと今この瞬間、アキに告白しようとしているのだ。

 私が考えたのと同じように、このクリスマスイブで。

 やめてくれ。

 ここは私達の場所だ。そう叫んでやりたかった。でも、体が震えて動かない。完全に予想外の出来事に脳が思考を放棄している。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。本当にその通り。ありふれた恋愛小説のように物事は上手く進んではくれない。でも、だからって告白シーンに突然割り込んで来るのはナンセンスというものだろう。

 服の裾を強く掴む。震える程に力を込めて。

 

 

「あっ、理恵ちゃ……」

 数メートル離れた場所で立ち止まると、アキと駆は私に気が付いてこちらに顔を向けた。アキには目線を向けず、一直線に駆を見据える。駆は後ろめたい事でもあるように露骨に目線を逸らした。どこかその頬は赤く染まっている。当たり前だ、告白しようとしているのだから恥ずかしくもあるだろう。

「い、いやーそこで偶然会っちゃって……」

 アキが頬をかきながら白々しい声を出す。この子は本当に嘘が下手だ。

「お邪魔だった?」

 重い口を開いて、そう言った。声は震えていなかっただろうか。前にドーナツ屋で見た二人の影がちらつく。駆が告白したら、アキはなんて答えるだろうか。

 駆に告白させてはいけない。自分の中で警報が鳴り響く。

「本当に偶然だね」

 目を逸らしたままの駆をじっと見据えたまま『偶然』の箇所を強調して威圧する。駆は私と目を合わせ、何時もとは違ってもぞもぞと唇を動かす。

「り、理恵、実は……」


 心を鬼にしろ。自分にそう言い聞かせ、

 悪いけど行く場所あるから。

 そうアキの手を引いて、


 そんな事出来なかった。


 思ってしまったのだ。もしアキが駆の事を好きならば、私がしようとしている事は彼女の幸せを奪う事だ。ただ自分を守ろうとするだけの、愚か者だ。

 私はアキの幸せを奪いたくはない。


「……お邪魔者は退散するね」

 言葉の後半は震えていた。同時に涙が溢れ出て、なんとか見られないように私は大ツリーの方角へ駆け出した。

 これで駆は告白し、アキと結ばれ、ハッピーエンドだ。アキにとっても幸せだ。

 元々私はアキと結ばれることなど期待していない。そうただ後で後悔しない為の告白だ。アキと駆が結ばれてからでも遅くはない。

 元々結ばれるはずないんだ。

 視界が涙でまったく見えない。口元を抑え、周りからの視線を感じながらも足は止まらない。

 アキにとってはハッピーエンドでも、私にとってはつらくてつらくて、

「アキぃ……」

 泣き声で、あの子の名前を呼んだ。


 その腕が掴まれた。

 まさか、と足を止める。

 そして僅かな希望を抱いて振り向いた。

 アキじゃ、ない。

 駆が息を切らして私の腕を掴んでいた。


「か、駆?」

 意味が分からない。

 ごしごしと袖で涙を拭う。力が抜けて駆は私から手を離した。そこでようやく私は自分が大ツリー前まで来ていた事に気がついた。

 何故ここで駆が追いかけて来るんだ。勝利宣言でもして私を笑ってやるつもりか。そう思うと怒りが湧いて来るけれど、なんとか落ち着きを保って手を腰に当てて片足に重心をかける。精一杯の抵抗だ。偉そうに、余裕そうに見せてみる。目は真っ赤なのに。

「……何の用?」

「り、理恵……聞いてくれ」

 聞きたくないとは言えない。

「俺……ずっと迷ってたんだけど、今日言うよ」

 だからなんでそれを私に言うんだ。さっさと戻ってあの子に伝えればいいものを。呆れて私は口を開き、同時に駆は大きく息を吸った。

「あのさ」

「俺、理恵の事が好きだ! 付き合ってくれ!」


 ……ん?

「は?」

「だから理恵の事が好きなんだ!!」

「いやいやいやいや」

 いや、違うでしょう。告白する相手を間違えているでしょう。そう思って駆の顔を見てみると彼の顔は真剣そのものだった。とても冗談を言っている雰囲気ではない。二つの目はじっと私を捉えて離さない。恥ずかしさからか真っ赤に染まっている顔。ちょっと待とう。一度、情報を整理する時間を取ろう。

 今、駆は何と言った?

 駆は私が好きだから付き合おうと言った。

 いやいや。どう考えてもおかしい。だって駆はアキの事が好きで、しょっちゅうあの子の隣に居て、この間だって一緒にまるで恋人のようにショッピングモールに居た。最近では二人で内緒話している事もあったし、クラスの皆だって噂しているし、今だってアキを噴水前に呼び出して、

 そんな考えが頭の中に次々と浮かんで沸騰しそうになる。これは本当にどういう事だ。だって今までたまに話したりメッセージアプリでやり取りする事はあってもそんな素振りは一切見せなかったではないか。いつも私とアキがいると私達の間に割り込んで、

 そこでふと気がつく。アキと話す為だけならわざわざ二人の間に割り込んで来る必要は無いと。アキを挟む形で私とは反対側に立てば、それで済むのでは無いかと。

「理恵……?」

「ちょ、っと、まって。え? 私の事が好きな、の?」

 駆がぶんぶんと首を縦に振る。いつものへらへらした雰囲気はそこには無い。

 私が何も言えず口をぱくぱくさせて呆然としていると、駆は堅い動きで肩に掛けた鞄から何やら袋を取り出し始めた。それを私に両手で差し出す。

「こ、これプレゼントだから」

「あ、そ、そう、ですか」

 私も堅い動きでそれを受け取る。何が入っているのか、柔らかい感触がする。ちらりと中身を確認してみると、中には赤い毛糸の何かと小さな箱が入っていた。赤い毛糸? 視線を駆に戻して確認してみると、駆は今日もあの赤い不恰好なマフラーを巻いていた。

「アキに訊いたら自分でマフラーを編んでプレゼントしようって言うから……でも上手くできなかったからアクセサリーも買った」

 早口で駆は言い切る。

 まさか、そのマフラーは自分で編んだのか。見たところ練習で作ったものをどうせだから自分で使おうとしたのか。それよりもアキじゃなくてあんたが編んだのか。それにプレゼントに男が手作りのマフラーとはいかがなものだろうか。思わず変な笑いが漏れそうになる。アキなら考えそうな事だ。

 そして手作りのマフラーとは別に買ったというアクセサリー。その箱を見て言いようの無い予感が突き抜ける。この箱はまさに私がアキへのプレゼントを買った店のものだ。

 恐る恐るというようにそれを開封する。中に入っていた銀色のそれを引っ張り出し、目の前に持って来る。シャラ、と鎖が鳴った。雪の結晶が私の前で揺れる。

「あ、はは」

 これは私がアキに買った物と全く同じだ。こんな偶然があるものだろうか。

「あ、りがとう」

「お、おう」

 駆は恥ずかしそうに目を逸らして、私も目を伏せる。周りの喧騒とはかけ離れて私達の間には沈黙が落ちる。なんだろう、これ。状況に頭が一切付いていけていない。

 告白を受けたのなんて人生において経験が無い。だからこんな時、どうすれば良いのか分からない。

 アキを取られると勘違いして憎く思ってはいたけれど、駆が悪い人じゃないっていうのは分かる。普通の女子ならばスポーツマンで成績もそこそこ良くて、顔もまぁ分からないけどそんなに悪くないであろう駆をフる理由は無いだろう。

 でも、私は違う。

 一気に申し訳無さが込み上げて来るけれど、この感情は曲げられない。


「い、いやー、昨日メッセージ送ってみたらなんか怒ったように返されちゃうし困ったよー。あ、それにしてもこのツリーでかいよなー、そうそうそういえば……」

「駆」

 沈黙に耐えかねた駆が早口で色々話しているのを止める。駆は口をつぐんで、じっと私を見つめた。ある意味告白する時よりも勇気のいる瞬間かもしれない。口を開き、閉じる。今度は決意を固めてまた開き、

「ごめん、なさい」

 駆の顔から血の気が引くのが分かった。へらへらした笑いの端が硬直し、引きつる。

「そ、そっか」

 くるりと私に背中を向け、空を仰ぐ駆。

 もしかすると、私は本当にひどい事をしているのかもしれない。勝手に駆がアキを好きだと思い込んで、勝手に恨んで、冷たくあしらったりして、その上フる。ただの最低な奴ではないか。頭が痛くなって来る。思い込みとは恐ろしいもので、駆が私に好意を寄せていることなど欠片も気づくことが出来なかった。でも今思えば、わざわざ私の隣になるように並んでいたのもそうだけど、思い当たる節がいくつかあった。

「俺、周りからはへらへらして何も考えてないって思われてるけど、本当はそうじゃないんだ」

 背中を向けたまま、駆が小さく言う。

「ずっと好きだったのに全然言えなくてさ。話したいのに、緊張しちゃうから話しかける事も出来ない。ついいつもアキに話しかけちゃってさ。俺ってマジ馬鹿だよな」

 駆が私に話しかける事が少ないのは、正直嫌われているからだと思っていた。でも、それは違ったのだ。駆も私と同じように心の中に色々なものを抱えて、悩んでいた。本当に馬鹿なのは私の方だ。


「ま、なんかスッキリしたわ。そんじゃな」

 でも駆はいつもの調子良い感じで振り返ると、ニカッと私に笑顔を見せた。それに私は息を飲む。どうして、こんな顔が出来るんだろう。駆はそのまま背中を向けて光の中へ消えて行こうとする。

「ごめんね」

 声を張って、その背中に呼びかけた。駆は前を向いたままひらひらと右腕を振って応えた。


 大ツリーの前に一人残され、立ち尽くす。周りの数人が私を見てひそひそと話していた。当たり前だ。目の前で突然告白が繰り広げられてそれを拒否したのだから、興味も湧くだろう。

 私はそれを気にしないようにして白く輝くツリーを見上げる。雪を被ったようなそのツリーには色とりどりの光がせわしなく泳ぎ、てっぺんでは大きな星がとても綺麗な強い輝きを放っていた。

 その時、背後からぱたぱた走る足音と息遣いが聞こえた。それにあの子が来た事を確信する。

 振り向こうとした瞬間、それは二本の腕に止められた。

 ふわっと感じる甘い、匂い。

 背中に感じる柔さと温もり。

 ぎゅっと私の腰を抱いて。

「理恵ちゃん」

 あの子が私の名前を、呼んだ。


「アキ……どうしたの?」

 アキは私の肩に顎を乗せて、目を閉じていた。その目の端から流れていたのは、涙だ。

「どうして、泣いているの?」

 こんな顔はこの子には似合わない。もっと笑顔で、明るさを放っていないと。ツリーの白い輝きに照らされて、アキの顔が浮かび上がる。ゆっくりと開いた瞳は涙が温かい光を受けて驚く程に綺麗だった。

「理恵ちゃん」

 ぎゅっと、更に力が込められる。

「私ね」

 この状況の中で、私は本当に小さな希望を抱いた。本当に、本当に小さな希望。だってそれは絶対にあり得ない事で、

 でもアキは私のそんな意識を遮って、

「理恵ちゃんの事が好き」

 小さく、耳元で囁いた。


 好き。

 その言葉が頭の中に反響する。

 好きとはあれか、友達としてとかそういうオチか。でもこの状況で友達として好きとはわざわざ言わないだろう。だとすると、本当に、

 アキは私が好き?


 これは夢だ。そうに違いない。だってアキは駆と、いや駆は私が好きだったのだけどいやそういう事では無く、あれ何だっけ私はアキが好きでアキは私が好きでつまりこれが意味する事は。

 強く、強く体が押しつけられる。髪が触れ合う。体温が混ざり合う。

「私、理恵ちゃんを誰にも取られたくない」

 アキの体と声は震えていて、ぽたぽたと私のコートを涙が濡らす。

「いきなり言われてもびっくりするよね。でもっ、でもっ」

 それから先は泣き声に遮られて聞き取れなかった。周りから「何だ何だ」と人が注目して来る。その羞恥に晒されていても不思議と気にならなかった。考える事を放棄している。

 一日に二度も告白を受けるなんて今日はなんという日だろう。

 私の腰を抱くアキの手を掴んだ。ビクリとアキが体を震わせる。指を絡ませ、頬と頬をくっつける。

 言え。心の中で叫んだ。口の中はからからだ。今日ここに来たのはこれを言う為だ。

 考えた文句はもはや意味を成さない。ただ単純に溢れる思いを、

「私も、アキの事が好き」

 伝えるだけだ。



「……」

「……」

 大ツリー前のベンチに並んで座り、私達は背筋を伸ばしたまま言いようの無い気まずさに苛まれていた。

 チラリと彼女の顔を確認する。

 もう、友達ではない。

 私達は『恋人』なのだ。

 ボンと頭が沸騰した。顔が一気に熱を帯びる。今日は顔を隠す本を持っていない事を後悔した。アキももじもじと足を動かしてうつむいている。でもその口元がにやけるのを隠せずにいた。

「え、えーっと」

 白黒させた目をしながらアキは閉じられていた口を開いた。

「せ、説明させていただきますと」

 妙にかしこまった口調でアキは話し始めた。

「ずっと前から駆から相談を受けて、理恵ちゃんに告白するサポートをしていたのですがそのー、途中である事に気がついてしまいましてー」

 顔を真っ赤にしてアキが続ける。

「理恵ちゃんが駆と付き合う事を想像して、たまらなくつらかったのであります」

 アキは私とずっと同じ気持ちだったのだ。ずっとお互いの事を好き合っていたのに、それを口に出す事が出来なかった。お互いが他の人、駆と付き合う所を想像して胸を痛めて。

 なんだか駆がたまらなく可哀想に思えてきた。今度何か奢ろう。

「えー、それで女の子同士の恋愛を小説にしたりなんかしてみたり……」

 これであの小説の謎も解けた。だから私には見せられなかったのだ。

「駆も昔からの友達だし、私のこの思いは一生胸の中にしまおうって思って相談に乗ったりアドバイスしたり一緒にプレゼント買いに行ったりしてたんだけど……」

 目線を落とし、私の膝に乗せられた袋を見据える。恐らく、あのショッピングモールで会った時はこのアクセサリーを買いに行っていたのだ。その後アキがねだってドーナツ屋に入ったというところか。

「今日だって駆と相談して十九時に待ち合わせて理恵ちゃんに告白させるつもりで」

 でも、とアキは言葉を切った。


「やっぱり諦めるなんて無理だった。私だって理恵ちゃんに告白して、その……」

 私に視線を向け、上目遣いで見据えて来る。

「まさか理恵ちゃんまで同じ気持ちだったなんて……」

 湯気が出そうな程に赤い顔でアキがまたうつむく。恐らく私もそう見えているだろう。


 私だって、こんな事は夢にも思っていなかった。アキがやけに体を密着させてくるのも、手を繋ごうとするのも彼女にとってはただのスキンシップだからと考えていた。でもそれは違った。私達はお互いに気持ちを隠し、その触れ合いは特別な意味を秘めていたのだった。

 ベンチの上に置かれたアキの左手に私の右手を重ねた。すっかり冷え切ったその手を優しく撫でる。アキは真っ赤のままで、気持ち良さそうに私の肩に頭を乗せた。


「あ、そうだ」

 そこでふと思い出すものがあって、私は隣に置かれた鞄からそれを取り出す。

「遅くなったけど、メリークリスマス」

 取り出したのは、色々あって渡すタイミングを逃していたクリスマスプレゼント。その箱を見て、アキの表情が変わる。驚いたように私を見て、私はにこりと笑い返した。

 そしてアキが箱の中から取り出したのはあのネックレス。意味が分からないというように私を見ている。このままだと駆が私にくれた物をそのままあげたと勘違いされかねないので私も自分のを取り出す。

 二つの雪の結晶が、光を受けてきらきらと輝いた。


「お揃いだ」

 苦笑して、アキが呟く。

「これ、理恵ちゃんに似合うよって私が選んだの」

 私もアキに似合うと思ってこれを選んだ。結局私達は同じ事を考えていたのだ。なんだか可笑しくて笑ってしまうと、アキも楽しそうに笑い出した。


「ね、着けてみようよ」

 アキはそう言うと、私に自分のを渡して私から私のを受け取る。チェーンを外すと、抱き合うようにしてお互いの首にそれを掛ける。そして離れる。

 お互いの胸元に、雪の結晶がきらめいた。

 私達は見つめ合ったまま微笑んで、


 その時、周りの景色が一瞬にして変わる。

 先程まで白と青の光に包まれていた空間が、一瞬にして温かなオレンジ色に染まった。私達の後ろにある大ツリーも、根元から色が切り替わっていく。

 あちらこちらで歓声が上がる。

 周囲を見渡してみると波紋が広がるように次々と色が広がっていく。

 アキを見てみると、その瞳も温かな光を帯びていた。



「ねぇ……アキ」

「ん?」

 オレンジ色の光に照らされたアキが私を見つめる。

 なんだろう、この雰囲気。

 言いようの無い空気が私達を包む。恐らく、これはムードと呼ぶのだろう。

 何も言わず、無言で見つめ合う。

 アキの濡れた唇が、少し動いた。そこに視線が張り付いて離れない。

 アキの目が少し潤んでくる。

 距離がまた縮まった。ぶつかりそうなくらいに近く、近く。

「理恵ちゃん……」

 吸い寄せられるように、


 あの子の唇は、想像していたよりもずっとずっと柔らかかった。




 あれから数日が過ぎ、年が明け、冬休みは終了した。今までとは少し違う、新しい学校生活だ。

「あのさ、今からでもあのアクセサリー私が買ったことにできないかな? 駆に代金払ったりして」

「……それはどうなんだろう」

 廊下を歩きながらそんなことを言い出したアキに、半ば呆れながら返す。いくら幼馴染とはいえ、駆の扱い雑すぎない?

 まぁ確かに、振った相手からのプレゼントをいつまでも持っているというのも変な話で……普通なら受け取らずに返すべきだったのだろう。でもあの時はそれどころじゃなかったし、アキが選んだものなので今更返すに返せないのだ。

 結果、マフラーとセットでしっかり保管してある。本当、どうしようね……。


「それよりさ、新しく二人でお揃いのものを買った方が私はいいと思うな」

「……! そうだね! そうしよ!」

「ちょ、ここじゃダメだって!」

 いきなり抱きついてきたアキを慌てて引き剥がす。


 あのクリスマスイブから、私達の関係は確実に変化した。といっても元々の仲の良さの延長線上で、それに少しスキンシップが増えたくらいだが。

「うぅ……家じゃ甘えて来るくせに……」

「ば、場所を考えて」

 涙目で見つめて来るアキ。流石に学校で噂になるのは勘弁だ。まぁ、アキと噂になるのならそう悪いような気もしないけれど。

 私はそんなアキは置いて部室に戻ろうと歩き出した。書きかけの小説がまだパソコンに保存されていない状態で残っている。早く書き上げてしまいたかった。まぁ、小説というか日記というか微妙なところではあるのだけれど。


 ちなみに駆は年が開けて新学期が始まり、暫くは落ち込んでいたものの今では新しい恋を見つけると宣言した結果、毎日女子達に追い回されている。果たして幸せなのか可哀想なのか、よく分からない。

 佳子先輩は祝福の言葉をかけてくれた。『まぁ知ってたけど』と言われた。さすがは自称洞察力が優れている人だ。なら最初から教えて下さい。


「うー、理恵ちゃーん」

 アキは渡り廊下の所で私に追い付いて、周囲に人目がないのを確認してから抱きついてくる。構わずに歩く。

「顔真っ赤だよ?」

「う、うるさい」

 そんな事は分かっている。

 アキはというと最近更にスキンシップが過剰になって来た気がする。ま、まぁ人前でなければ別に構わないけど。


 冷えた部室に入り、パソコンの前に座る。そろそろ完成といった所か。後ろからアキが画面を覗いてきたので、慌てて保存して閉じる。

「どうしたのー? 続き書きなよー」

 悪戯に笑いながらアキが上から包み込むように抱きしめてくる。そうは言われても自分の考えている事を人に見られるのはかなり勇気がいるものだ。


「……ねぇ、理恵ちゃん?」

 少し間が開いて、アキが小さく真面目な声を出した。その声に体が一気に熱を増す。

「今なら……誰もいないよ?」

 横を向くようにして、後ろから抱きつくようにしているアキと目を合わせる。すぐに目を合わせられずに逸らしてしまう。心臓が高鳴り、顔は熱を増すけれど、あの胸の苦しさは消えていた。

「うん……」


 どんな時間でも私とアキの間には幸せが満ちていて、アキにとって世界で一番幸せな時間が、私にとっての世界で一番幸せな時間だ。

 いつか、恋人と呼ぶのにも足りない日が来るのだろうか。

 分からないけど、私はずっとこの子と一緒にいたい。

 あぁ、そうだアイツにも感謝しなくてはいけない。

 今の私達があるのは、アイツのお陰かもしれないし。

 申し訳ない気持ちもあるけれど。

 

 私達の日常は変わりなく流れていき、

 あの輝きに満ちた日をたまに思い出したりして。


 柔らかな甘い匂いに包まれながら、確かな幸せを、噛み締めた。

お久しぶりです。

久し振りの投稿はまさかの百合物というこれいかに。


すごく久し振りに短編を書き上げました。といっても過去の作品はフォルダの奥深くに眠っていてどこにあるのやら。怖くて開けません。


あと文芸部設定をもう少し活かせたら良かったのですが力不足です。


読んでくれた方はありがとうございました。

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