第五話
「うわ、加奈子。何その顔、何があったの」
朝、教室に入るなり、顔をしかめた美恵の声が飛んできた。昨日家に帰ってから思いっきり泣いてしまったから、今日のあたしの顔はなかなか酷い有り様になっていた。
まぶたが腫れぼったくて、重い。
「別に、何も無いよ」
「何も無いってことないでしょ。そんなに顔腫れてるんだから。やっぱりまた、三嶋のバカが何か……」
「そんな風に言うから、美恵には言えないんだってば!」
つい声を荒げたあたしを、美恵はきょとんとした顔で見ている。……自己嫌悪。何、美恵に当たってるんだか……。
「ごめん、奴当たり……。お願い、三嶋のこと悪く言わないで」
言いながら、また涙がにじんだ。昨日、あんなに泣いたのに……。あたし、どうしてこんなに涙もろくなったんだろう。昔は、こんなに泣いたりすることなんてなかった。
「加奈子……」
あたしの様子を見て、美恵は顔を曇らせたかと思うと、あたしの頭を子供をあやすように撫で始めた。
「あたしこそごめんね。もう悪く言ったりしないから。……ほらほら、いい子だから泣かないの」
「……幼稚園児じゃないんだから」
あたしはぷっと吹き出した。こんなとこがあるから、美恵は好きだ。一緒に笑っていた美恵は、ふと、怪訝な表情をすると、あたしの頭においていた手を額に持っていった。
「……加奈子、あんたちょっと熱いよ。風邪じゃないの? 昨日もぬれて帰ったんでしょ」
「あ、やっぱり? 実は朝からちょっと、きついんだよね。帰ろうかな」
あたしが自分のおでこに手を当てながらそう言って、手をどけて美恵を見たら、美恵は廊下の方、ドアのある方をじっと見ていた。
「美恵? どうしたの」
「加奈子。三嶋が、来てるけど……」
「えっ?」
言うなり、あたしはドアの方を振り向いた。そこに立っていたのは、他の誰でもなく、三嶋。なんで? だって、このクラスには三嶋の仲いい友達なんていないし……そもそも、今までこの教室に三嶋が来たことなんてない。
一瞬迷ったけど、やっぱり三嶋のとこに話しに行くことに決めた。歩いてきたあたしが三嶋の前に立つと、三嶋は伏せていた顔を上げて、あたしを見た。いつも見てるけど、やっぱりどきりとしてしまう。あたしは悟られないように、努めて自然な笑顔を作る。
「何、どうしたの? ……あ、もしかして、あたしに用事?」
冗談めかして言ってみたけど、三嶋は無反応のまま、黙っている。
やっぱり違ったのかな? 第一、三嶋があたしに会いに来るわけなんてなかったよね。そう思うと何だかすごく恥ずかしくなって、あたしは妙に焦ってしまった。
「……なワケないか! 誰に会いに来たの? 呼んで来てあげるよ!」
「あ、いえ、木原さんに……」
「あたしに? どうしたの?」
三嶋があたしに会いに来てくれたなんて。嬉しいのと、もしかしたら三嶋の気持ちも動いたのかも、なんて、一瞬のうちにあたしの頭の中を期待の二文字が駆け巡った。
その時あたしの耳に、ふと教室の中からひそひそ言う声が聞こえてきた。あたしが三嶋を好きなことは有名な話になってしまっているからだろう。でもそういえば、三嶋ってこういうの苦手だったはず。三嶋を見ると、案の定顔を伏せて小さくなってしまっている。
「屋上にでも行こっか?」
あたしは追い詰められているだろう三嶋の心中を察して、そう提案した。
屋上の扉を開けると、少し風が吹いてきて気持ちがよかった。今日は天気がよくて、青空が広がってて。それを背景に立ってる三嶋を見てると、なんだかドキドキした。
三嶋には青空が似合うと思う。溶け込んでるみたいでいて、はっきりと存在してる。
「で? 何の用事だったの?」
「あ、これ……、ありがとうございました」
三嶋がおずおずと差し出したのは、昨日無理矢理貸したあたしのカサ。
「あぁ……カサね」
なんだ……。期待がはずれて、ちょっとがっかりしてしまった。でもきっと教室まで来るのもすごく恥ずかしかっただろうし、すごく勇気を出してくれたんだろう。そう思うと、がっかりした気持ちも、少しだけ嬉しい気持ちに変わった。
それにしても今日は何かおかしい。頭にもやがかかったみたい。屋上まで歩いてきたことで、調子が更に悪くなった気がする。力が入んなくて、あたしはとうとうしゃがみこんでいた。三嶋は不思議そうな目でそんなあたしを見ている。
「木原さん? どうしたんですか」
「あ、何でもないよ。平気平気!」
せっかく三嶋から来てくれたんだから。ちょっと具合が悪いくらいで三嶋と話せる時間無くしたくない。あたしはできる限り元気を装って、勢い良く立ち上がった。そこまでは良かったんだけど……目の前が急にかすんでしまった。立ちくらみ、ってやつ。
視界がぐねぐね回って、もうわけわかんなくなった。何かにつまづいた後、頭に石で思いっきり殴られたような衝撃が走った。
あ……痛い。目は閉じてるはずなのに、なんか星みたいな光ってるのが見える。硬いコンクリートの地面に、思いっきり頭ぶつけたみたい。ってことは、あたし今倒れてんだよね。何が起こったのか全然わかんなかった。
こら、三嶋。あんたも男なんだから、倒れる前にちょっと支えてやるとかできないわけ? そんなに青い顔して慌ててないでさ。
でも、まぁいいや。何だか心配そうに、あたしの名前呼んでるから……