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第四話


 授業が終わって、部活へ行く美恵を見送ってから、あたしは教室の隅っこのカサ入れから自分のカサを取り出して、教室を出た。今日は、雨が降ってる。帰り道のびしょびしょになった道路を想像すると、気分が重くなった。


 でも、実を言うとあたしは、雨は嫌いじゃないんだ。濡れるのは、確かにイヤだけどさ。

 前は嫌いだったんだけど、好きになった。あの日の、あいつのおかげで。


 階段を降りて玄関に出ると、三嶋のクラスの靴箱が見えた。

 そういえば前はいつもチェックしてたんだよね、帰りには。三嶋がまだ学校にいるか確かめたくて、三嶋の靴箱に靴がまだあるかなって。もちろん、三嶋の靴があったら教室まで押しかけてた。

 今思うと確かに、三嶋は迷惑だったよね。あの時はそんなこと見えてなかった。ただ、好きで。


 今日は押しかけたりしないけど、何となくまだ学校にいるか気になって、三嶋のクラスの靴箱の棚の方を覗いてみた。何となくで予想も何もしてなかったから、あたしの心臓は大きく波打った。

 そこには、あいつがいた。細っこくて、弱々しくて、でも見てたらなんだか切なくなるくらい、愛しいあいつ。――三嶋は、玄関のところに立ったまま、外をじっと見ている。ああ、カサがないんだ。朝は晴れてたもんね。


「雨宿り?」


 あたしが声を掛けると、三嶋はびくっとして振り向いた。


「木原さん……」

「そんなに怯えないでよ。もうしつこく追い回したりしないから」


 三嶋は黙っている。責めるつもりなんて無いのに、責めたような響きを帯びる自分の声に、何だか嫌になった。


「ねぇ、もう避けるのやめてよ」


 あたしはそう言いながら、持ってたカサを差し出した。三嶋に濡れてほしくないって、それだけだったんだけど。

 三嶋ときたらぶたれるとでも思ったのか、目をぎゅっと瞑って顔を背けながら、両腕を顔の前に交差させて身構えてる。嫌われたもんだよね。もう涙も出ないよ。


 あたしは三嶋にカサを押し付けると、学校の玄関を出た。三嶋が何か言ってるのが聞こえたけど、振り向かない。だってあいつは絶対、カサを返してくるに決まってるから。

 でも三嶋。嫌いな奴のでも、カサは悪くないんだからさ、せめて使ってよ。やっぱりあたしは嫌われても三嶋が好きだから、カサだけでも三嶋の役に立てたら嬉しいんだ。


 水溜りに足を突っ込んじゃって、靴の中まで濡れた。それでも立ち止まらずに、雨に濡れて走りながら、あたしはあの日のこと思い出してた。

 あいつを初めて見た日。あの日も、雨だった。そしてすぐ好きになった。たった一瞬の小さな出来事。でもあたしには、ただただ大きな出来事。恋に落ちた瞬間。


 あれは、去年の秋だっけ。






「え〜? なんで雨とか降ってんの?」

「天気予報で、午後から雨って言ってたじゃん」


 帰ろうとしたら、突然雨が降ってきたあの日。窓の外を見ながら声を上げたあたしに、美恵が苦笑いしながら言ってきた。


「あたし、カサ持ってきてないのに……あ、美恵。ちょっと入れてってよ」

「ごめん、あたし今日部活」


 美恵はすまなそうに両手を顔の前で合わせて見せた。ああ、そっか。じゃあぬれて帰るしかないかも……そう思って、ウンザリしながらも美恵と別れて、玄関まで行ったら、予想外に雨はひどかった。


「うわ……これじゃ帰れないよ」


 どしゃ降り、と言ってもいいくらいの雨の降り方に、あたしは途方にくれた。雨は全然止みそうにもないし、一人で玄関なんかで雨宿りするのもなんか間抜けだし。ため息をつきながら俯いたら、ふいに靴箱の横のカサ立てが目に入ってきた。みんな教室のカサ立てを使うから、いつも空っぽのはずなんだけど。

 その日は、カサが一本だけ入っていた。ブルーの無地で、ちょっと使い込んだ感じがする。駄目だとわかっていても、頭の中に”ある考え”が浮かんでしまって、あたしはそれを実行するしかなかった。


 ブルーのカサは、広げたらきれいな水色になった。あたしはそれが気に入って、ちょっと気分が良くなった。

 持ち主の人、ごめんね。でも、こんなとこに置いとくほうが悪いんだよ、とか思ったりして。あたしは鼻歌なんか歌いながら、水たまりをよけて歩き出した。

 そうして歩き始めてすぐ、だったかな。校門を出ようとした時、後ろから誰かが走ってくる音がしたんだ。なんだろうと思って振り向いたら、そこには知らない男子生徒がいた。


 びしょぬれになって息を切らして。


「え……何?」


 あたしはその人のあまりの気迫に押されながらも、恐る恐る呟くように言った。でもその人は何も言わず、あたしのカサをじっと見てる。


 入れてほしいのかな? でも、初対面だし……。

 あたしがそんなことを思っていると、突然、その人がふっと困ったような顔で笑って。一瞬だけど、ドキッとしてしまった。どちらかと言うと大人しそうで、かっこいい、ってわけでは全然なかったんだけど。

 あたしが動揺していると、その人はとうとう何も言わないまま走って行った。後姿を見送りながら、あたしは呆然としてつっ立っていた。


 ……今、あたし見て笑ったよね? そういえばあの人、やけにカサの柄のとこ見てた。そう思ってあたしもそこを見てみたら、何か彫ってあった。

 アルファベットで、ミ、シ、マ……


「”ミシマ”?」

「……――三嶋!」


 あたしが呟くのと同時に、誰かの声がそう呼ぶのを聞いて、あたしはびくっとして顔を上げた。呼ばれた声に応えたのは、さっきの、男子生徒だった。

 全部ばれていたことがわかって、頭にかぁっと血が上った。でも、あの困ったような笑った顔が、その日からずっと頭から離れなかったんだ。


 それから何日かしてから、同じ学年の子だってわかった。カサを返すのを口実に、それから三嶋に会いに行った。毎日毎日会いに行った。

 三嶋が好きで、どんどん好きになって、楽しくて。それが三嶋にとっては迷惑以外の何でもなかったんだって、わかってるけど考えたくない。でも、今考えてみると、あたしって三嶋の笑った顔、あの時の一回しか見たことないんだ……


 今日のあたしって、カサ貸して自分は濡れて、なんかあの日の三嶋みたい。雨の中でひたすら走ってたら、今さら泣けてきた。さっき三嶋と会ったときは、涙なんて全然出なかったのに。

 雨と混じった涙が口まで流れてきて、何だかしょぱかった。


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