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「せんせぇ、俺ぁ恋の病にかかってんスよ」


「はあ」


気の抜けた声が漏れた。

それは致し方ない事だ。

横溝の喋り方はとても阿呆っぽいのだ。


リビングのテーブルの上にはノートパソコンと、彼の手作りクッキーが並んでいる。紅茶の茶葉が広がるのを待っている間、何を思ったか、彼は自分の病を告白した。


「っていうか、先生って呼ぶのやめてくれる? なんだか凄い腹が立つ」


「なんでっスか。作家せんせーでしょ。ほら、なんか賞とったじゃん、賞」


そうだね、とったね、おかげでニュースにも出てしまったよ。

おかげで隣に住むお前が毎日のように家に押し掛けてくるようになった。


それまではただのたまに顔を合わせるアパートの隣人同士だったはずなのに、テレビ放映されたと思えばその放送中に部屋の呼び鈴が何度も鳴らされた。嫌がらせかと思うほどに。


うるせぇタコが、と思いながら玄関扉に付けられたら覗き穴から外を見ると、横溝が目をキラキラさせて立っていたのである。


僕は正直、この隣人が苦手だった。外見も中身もとにかく派手なのだ。

パッサパサで光沢の無い金髪に、何やらジャラジャラと邪魔そうなピアス。確か舌先にも輪っかのが付いていた気がする。

だらしなく着崩した制服に、へこたれたカバン。

これでも現役高校2年生なのだそうだ。嘘だろ。


「……なんの用でしょうか」


チェーンをつけたまま扉を少しだけ開けて応対する。


「テレビ! テレビ観た!」


そーでございすか。


「あんたすっげえな! よくわかんねぇけどすごい! はー、知り合いがテレビ出てるすげぇ! 呟いたぜ、俺は」


「やめろ。あと年上には敬語を使えよ、すっ飛ばすぞ」


賞をとったからといって、気を抜かないで下さい。これからどういったものを書くかが問題なんです。引き締めて下さいね。


と、プレッシャーがどんよりとのしかかるような事を担当に言われ、新作のプロットを徹夜でパソコンに打っていたから機嫌がすこぶる悪かった。


半眼で睨みつけると、横溝はきょとんとした顔をして「疲れてるんスか?」と首を傾げた。

お前、それは敬語じゃねえぞ。


「気付いたんなら帰れ」


「甘い物好きって、インタビューで答えてたっスよね?」


「そうっスね」


嫌味を込めて言ったのだが彼は気付かなかったのか、どうしてかニーッと笑って「ちょい待ってて下さいよ」と自宅へ消えた。

何故私がお前を待たなけりゃならんのだ。

しかしこのまま奥へ引っ込んでも、またインターホンを連打されそうな気がして、それは嫌なので大人しくそのまま待つ。


1分もしないうちにまたバタバタと騒がしく彼が登場し、その右手にはスプーン、左手には陶器のカップが。


「……なんですか」


「プリンっス!」


「へえ」


「プリン。俺が今朝つくったんスよ。良い感じに冷えてます」


「え? お前がつくったの?」


心底驚いて訊ねると、彼はまたニッコリと笑う。


「疲れた時には甘いもの食っときゃなんとかなるんじゃないっスかね」


はい、と差し出されたそれをつい受け取ってしまった。


「あ、ありがとう」


つるんと薄黄色い表面が光る。

横溝の瞳も光り、「食べて食べて」と言われているような気がした。

スプーンが優しくプリンに沈み込む。

すくい上げると、すの開いていない滑らかなそこからバニラの良い香りがした。


「うへぇ、何これ美味い」


口の中で溶けて、喉へストンと滑り落ちる。


美味い。美味過ぎ。なんじゃこりゃ。


「美味いっしょ。甘い物つくるのだけは自信あるんスよ。つーか、美味いんならもっと良い顔してくったいよ。眉間にシワよってるっスよ、シワ」


昔から、美味しいものを食べると眉間にシワが寄る。

まるで不味いものを食べているようだとよく言われるのだが、意識せずにそんな表情になるのだから仕方が無い。


それにしても、だ。

こんなに美味しいものを彼がつくりだせるとは。

この、ヤンキーなんだかチンピラなんだかチャラ男なんだかよく解らない外見の男が。


「人は見た目じゃないって本当なんだな。感動したよ」


「ちょっとシツレーっスよ」


横溝がベッと舌を出す。

やっぱり輪っかのピアスをしていた。


それからと言うもの、彼は何かと手作りのお菓子持参でうちにやってくるようになった。


何故。


その一言に尽きる。

彼が僕の家に来る理由が見当たらない。

まあ、タダでこんな美味いお菓子が食べられるのはとても嬉しいのだが。


「恋。恋なあ。良いんじゃないかね。青春ってやつだな」


横溝が2人分のティーカップに紅茶を注ぐ。

良い香りだ。横溝の淹れる紅茶はこれまた美味い。


「はぁーあ」


彼が盛大な溜め息を吐いて、近くの本棚から一冊引っ張り出した。

彼は知っているのかいないのか、それは僕のデビュー作だった。

パラパラめくったかと思うと、また溜め息を吐いてパタンと閉じる。


「字ばっか」


「小説なんで。貸してみな」


彼からハードカバーの文芸書を受け取り、手近にあったボールペンで扉にサインをした。


「これやるよ。僕のデビュー作」


「えっ!?」


「売るなよ」


「更科さんの本って売れんですか?」


「さあ」


賞をとってから約1年が経った。

横溝は高3になったし、僕は23歳に。

担当のプレッシャーをびしびしと感じながら出版された新作は無事にヒットし、重版を繰り返しながらいまだに着々と売れている。


文芸誌の連載は3本、女性誌のコラムが1本。

来年、デビュー作が実写ドラマ化される事にもなった。

テレビのブックコーナーで特集される機会も幾度かあり、僕の知名度は右肩上がりで小説家として暮らしていけている。


「今度それ映画化するんだよ。文庫化してるから文芸書は絶版みたいなもんだし、帯付き初版、状態良好。普段サインペンでしかサインしないし、多分100円以上では売れるさ」


「いや、売らないっスけど。ありがとう。バカにも解る内容?」


横溝が心配そうな顔で眉を寄せるから笑えた。

彼はいつでも正直で素直だ。そこは好ましく思える。


「解るし、横溝はバカじゃないよ」


「いーや、俺はバカだね。恋をする奴は皆バカだ」


彼が舌を出す。

舌先のピアスは、いつからか輪っかからボール型に変わっていた。


「思いが報われると良いね」


「おそらく無理っスね」


「おそらく、とか。そんな言葉どこで覚えてきたの」


「……俺ん事バカじゃないって言ったの誰っスか」


僕は答えずに、ラップの上のクッキーに手を伸ばした。

サクサクとした食感は流石としか言いようがない。


「今度水ようかんつくってよ」


「うーん、頑張ります」


僕の注文に、横溝は不満げな表情を崩さないまま、けれど何度か頷いた。


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