グレーヌアレニェ
今草原を求めて全力疾走している自分は、広大な森に住むごく一般的な蜘蛛。強いて違うところあげるとすれば、中身が全部スライムになっているとこかな……名前はまだない。などと適当に現実逃避しているが、時間が経っても森の攻撃が収まる事はなく逆に苛烈さを増している。
頭上からは絨毯爆撃されているかの如く鳴り響く轟音と共に黒光りする果実が降ってくる。地面から突き出す若草は地獄にあると言われる剣の山を連想させる程、鋭く長く伸びており此方に顔を向けている。周囲は鉄条網のような蔓が張り巡らされている。
前後の四本足を攻撃に使い、障害物を排除しつつ進む。前方に太い枝葉で構成された壁が見えてきた。おそらく壁の向こうが終着点である草原だろう。
先程から降っている砲丸のような果実を走りながら幾つか回収し、圧縮空気で壁に撃ち出す。放たれた砲弾は緑色の壁を貫通し、小さな隙間を作り出す。隙間が重なってできた裂け目に脚を突き込み、自分が通れる大きさまで押し広げる。
今までの森とは比べ物にならない日の光を浴びて、一瞬だけ目がくらむ。森は最後の抵抗とばかりに、緑壁の枝や蔓を増やして絞め殺そうとしてくる。体中の関節を外し、軟体生物のように隙間を通り抜ける。迫ってくる植物達を振り切る為、関節を外したまま目の前の光に飛び込む。
全身に羽毛のように柔らかな若草の感触が伝わる。
関節をはめ直しながら、周辺を見回すと眼前には草原の五分の一は占める程の巨大な樹木が佇んでいた。森の王が巌石大蛇なら、森の神は正しくこの巨樹であろう。雲すら突き抜けて天高く伸びる神樹は、太陽のように淡く輝き、草原全体を包み込むように照らしている。
幻想的で神々しい神樹は、ある程度の知能がある者なら信仰に値するであろう。自らの体の一部も捧げたくなるというもの。巌石大蛇を捕食した時は心や感情は感じ取れず、記憶と生体情報しか得られなかった為、本当に信仰していたかは不明だ。
この神樹を知る為に、まずはじっくりと周りを探索しよう。急ぐ必要はない、淡く輝く神樹は夜になろうと草原を照らしてくれるだろう。
根元を伝い右回りに、神樹の周辺を歩いていく。見たところ擬態動物の気配はない。小石などは存在せず、足元の若草は柔らかくて実に心地よい。体感で数十分くらいだろうか。歩いていると神樹の根元に人影が見えてくる。
そう人の影だ。地面に隆起している太い根の影から覗くように観察すると、中学生程の少年だろうか。フード付きのコートを着ていて、容姿が分からないが、神樹に右手を当てて何か探ってる様子。
久しぶりの人でどのように対処したものか、分からない。少年を見て気がついたが、自分の体は相当大きいらしい。少年の身長が百二十、三十と、仮定しても自分は三倍以上ある。三メートルを軽く超える蜘蛛が影から人を凝視する様は、どこからどう見ても小動物を狙う獣。言い訳のしようがない。そもそも話すことができないので、言い訳も何もあったものではないが。いっその事、素早く仕留めて知識を得るのも手だろうか。
悩んでいる間に、少年が此方に気がついたようだ。フードを深く被り、顔がよく見えないが、口元から笑っているようだ。此方に手を振り口元が動いている事から挨拶しているのが伺える。
どないせいっちゅうねん。思わず心の中でそんなことを呟くが、彼方が挨拶をしているのなら、返すのが礼儀というもの。
とりあえず影から体を出して、右前脚の一本を振る。傍から見ると威嚇しているようにしか見えないと思うが、これが限界だ。すると気を良くしたのか、いつの間にか少年は此方の目の前まで近づいて来ていた。
決して速い動きではない、親しい友人が久しぶりに会った親友に気軽に声を掛け、近づいているような遅い速度だ。しかしその氷上を滑るような動き、まるで実体のない幽鬼のような動きに全く反応できなかった。
何故、近づいてきた。正直何をすれば良いか分からず、内心おろおろしていると、少年は足元に拳大の果実を地面に置いて、少し此方との距離を離した。
少年に意識を向けると同じ果実を手に取り、口に運ぶジェスチャーをしている。おそらく食べろという事だろう。土留色の果実はあまり美味しそうには見えない。今までの対応から多分毒ではないだろうと高を括り、前足を刺して丸呑みにする。
体全体がむずむずする。核に取り込んだ情報からは感覚を鋭敏にする作用があるらしい。森の果実とはまた違う成分が含まれているので、詳しい事は分からない。
感覚を集中させると、音が聞こえてくる。今まで殆ど聞こえなかった音だ。耳に詰め物でもされていたような鈍い聴覚が、確かに音を捉えている。
緩やかな風が奏でる木々の囁き、空に溶けるように微かに響く虫の旋律、これまで聞こえてこなかった生命の鼓動が、聞こえてくる。生まれた時からなかった半ば諦めていた感覚だったが、取り戻すと感動で涙が出そうになる。世界とはこんなにも美しく素晴らしいものだと思えてくる。それほど感動に満ち溢れている。
「此方の声が聞こえたら返事をしてくれ」
変声期を迎えていない幼い声が聞こえる。感動のあまり思わず意識の外に出してしまった少年の声だろう。こんな素晴らしいものを与えてくれた少年に感謝の意を込めて、ぶんぶん頭を上下に動かして返事をする。
「喜んでもらえて何より。自己紹介が遅れた、私の名前は阿摩羅 識。世界を渡り、当てもない旅を続ける者だ。よろしく」
フードを外しながら自己紹介する少年の容姿は一言で言うと平凡だ。小説の主人公のように美麗ではない。かと言って醜悪なものでもない。短く切られた黒髪で、顔立ちは平均平凡。とても親しみやすく、子供特有の愛くるしさを感じる。しかし反対に非常に落ち着いていて、不思議と大人びた印象も受ける。
よろしく。と此方も自己紹介したいのは山々だが、あいにく喋る事ができない。そもそも此方は日本語として理解し聞こえるが、この世界の言葉についてはまだ知らない。さてどのように返したものか。
「あぁ、声を出すことができないのか。大丈夫、私はこれでも長生きしていてね。相手を見れば、大体言いたいことは分かるから。嘘だと思うなら試しに何か質問を思い浮かべてみてくれ」
考えが読めるという事か。地球でも馬の考える事が分かる人がいたはずだから、あながち間違いでもないのだろう。では、質問。アマラさんはここで何をしていたの。
「堅苦しいのは苦手だから呼び捨てで構わない。質問についてだが、この森の調査をしていた。どうやらこの森は他の世界から力を吸収して、成長しているようでね。何故、森がそのような事をするか。その目的を探っているところだ」
しっかりと質問に答えてくれた。どうやら本当に考えが読めるらしい。しかし調査か……。自分も生まれた時から森の調査をしているが、分かった事はとても少ない。専用の計測機器等はないから、自分に見える範囲の小さな目線でしかこの森を観測するしかない為、仕方ないといえば仕方ないのだが。
ここは彼の調査に協力した方がいいだろう。先程の様子から森の中心である神樹を調べているはず。自分の目的と合致し、尚且転生してから初めての人間であるアマラと友好的な関係を築ける。もちろん拒否されたら引き下がるが、世間話くらいはしたいものだ。数ヶ月間誰とも話をしてないのだ。人肌恋しいというやつだ。
ということで一緒に調査しませんか。
「ちょうど此処の大樹には少々苦戦していたからな。調査に協力してくれるのなら、ありがたい限りだ」
協力と言っても自分にできる事は限られているが、捕食から得る生態情報を彼に渡す事で、調査はいくらか進展するだろう。彼に自分の能力をできるだけ説明してから調査方法を話し合う。結果、自分が吸収した情報を彼が読み取り、必要な情報を精査する事となった。彼は触れる事で相手の深層意識まで読めるようになるとかで、情報の受け渡しについては問題ない。
彼には後ろに下がってもらい、神樹の根元に近づく。神樹の樹皮に片足をつけて、捕食を開始する。瞬間、意識が暗転した。
目覚めた時には、広い宇宙のような暗い空間を漂っていた。こんな事今まで一度もなかった。慌てて周辺を見渡し、状況確認を行う。
下方に淡く光る存在が確認できる。意識を向けると、そこには白き光の樹海が地平線の向こうまで広がっていた。これは森の全体像だろうか。半透明で淡く光る樹海はどこまで広がり、地上らしき平面には様々な色彩の放つ物体がある。よく見ると地上だけでなく枝葉生い茂る木々の隙間、今自分が浮かんでいる上空付近にも存在している。
物体は色様々だが形は自分の見てきた森の生物そのもので、既知の生命活動の他に大気中から何か、様々な色の付いた霧を吸収している。霧を辿ると周辺の巨樹から散布されているようだ。さらに意識して辿ると霧は地面の下から来ていた。
半透明に透けている大地だから分かるが、巨樹の根は地上部よりも長く太く大きく伸びており、暗い海に漂う太陽のような球体を包み込んでいる。
彼の話からおそらく球体は他の世界であると推測される。球体を包み込み光を搾取している様子から、霧は吸収された世界の力だろう。世界の力を霧状にして樹海全体に撒くことで成長させているのだろうか。
真下の樹海に変化が訪れる。樹海の木々がほんの少しだけ移動して、道のような広い空間ができている。
道があるのなら通る者もいるようで。そこを長大で他の生物とは比べ物にならない程の白い輝きを放つ者が地平線の向こうから移動してくる。
その容貌から判断すると、先日捕食した巌石大蛇と同系種のようだ。巌石大蛇は樹海を駆け抜けて次々と他の生物を喰らう。無差別に襲っているかと思ったが、観察していると捕食する生物には共通点があるのが分かる。自分と同色の白い光を放つ生物しか食べていない。
白い光に特別な意味があるのだろうか。判断材料が少ない現状ではどのような意味があるか分からない。何時まで此処に留まれるかも分からない。今は他の情報を集めた方が良さそうだ。
多くの生物を喰らい、なお輝きの増した巌石大蛇は、獲物を求めていつの間にか遠くに移動していた。樹海を走る巌石大蛇が現れた方角に向かおう。おそらくだが、その方角には神樹が佇む草原があるはずだ。この宇宙のような空間を移動する方法だが、以前海が有った時の為に考えておいた泳ぎ方で移動してみようと思う。
前脚四本で宙をかき、後足四本を上下に動かして泳ぐ、名づけて蜘蛛式八本足泳法で宙を移動する。うん、正直ゼンマイ仕掛けの玩具が暴走しているようにしか見えない。しかも暫くしたら、別に泳がなくても前に進もうと思うだけで移動できる事が分かった。此処に自分しかいなかった事は不幸中の幸い。いかにも自信たっぷりに泳いでいた為、軽い黒歴史になっている。
宙を平行移動していると、前方に初日の出のような光が見えてきた。同時にとても小さな綿毛にも似たものが流れに乗って漂っているのを発見する。夜に降る雪のような反射する光で辛うじて認識できる物体。
それは最も近いもので表現するなら一昔前に流行った妖怪、ケサランパサランだろうか。限りなく透明な細い糸で構成され、強い光がなければ知覚する事もできない綿毛は草原に近づく程多くなっていく。ここまで来れば発生源は大体分かる。
神樹の全体が見渡せる上空に到達する。神樹の根元には漆黒の大きな蜘蛛が確認できる。おそらく自分であろう、だがアマラの姿が見当たらない。この樹海の住人ではないから認識されないのだろうか。考えても予想の域はでないだろう。
改めてこの世界から神樹を見るとより神々しく感じる反面、異様な点が見えてくる。
地面の下にある巨体を支える為の根は細く、下に伸びるのではなく横に広がっていた。それは竹の地下茎のような印象を受ける。およそ天まで届く巨樹を支えられるものではない。地下茎は樹海まで広がっており、神樹単独からなる群落が形成されている。
竹林の地中は白い光の線が蜘蛛の巣より絡み合い、神樹の根元で一つとなる。光線は幹を通り上部に集められる。神樹の上部は白光の枝葉が生い茂り、大空へタンポポの種のように綿毛を散らす。
地下茎から繋がる枝葉から作り出される綿毛は、他の世界から吸い上げた力を使っているのだろう。樹海と同様に世界の力を散布しているのだろうか。綿毛と霧の違いは色の有無だが、どのような意味があるか分からない。判断するには情報が足りない。
神樹の周りを飛び回り、舐めるように観察する。真上に差し掛かる上空で神樹の内側に埋没する巨大な黒い球体を発見する。
上から見ると休火山の噴火口に似ているだろう。枝葉の山の頂上が真上に向かってぽっかり穴が空き、光すら飲み込むような漆黒の球体が顔を覗かせている。これは自分と同じような核、又はそれに類する重要な器官である可能性が高い。近づいて慎重に観察してみよう。
黒球の上空から徐々に高度を下げて近づく。足を伸ばせば届く距離まで近づいた。ここから分かる事は黒球が周りの光を吸収して、極小同色の球体を生成しているくらいか。生成された極小黒球は、枝葉に渡り見えなくなることから、あれが綿毛の元なのかも知れない。
観察を続けようと少しだけ近づいた時、黒球が一度心臓のように脈動したような気がした。
気がついた時には遅かった。
体に黒い糸が巻きついて黒球が中に引きずり込もうとしていた。黒球に体が触れると削られて吸収される感覚を覚える。同時に巌石大蛇とは比べ物にならない程の記憶、記録、歴史、膨大な時間と共に積み重ねられた情報が濁流のように流れ込む。激流に押し流されるように意識が遠のく。
不味い……意識が……保てない…………。
突如何かに引きずり上げられた気がした。
意識が覚醒し、あの宇宙のような場所に行く前の場所。神樹の根元にいつの間にか戻って来ていた。
「済まない。救出が遅れてしまった」
赤い光に照らされたアマラが申し訳なさそうに声を出す。
自分の体を見ると上半身、脚八本が跡形もなく存在せず、袋状の腹部しか残ってなかった。幸い本体である核は最も装甲が厚い腹部の中心だったから無事だったが、あのまま助けが入らなかったらと思うとゾッとする。
彼にここまで顛末を聞く。根元で自分が動かなくなり数時間経ったある時、突然草原全域が血のように赤く染まり、体が削られるように消えていったらしい。数秒としないうちに上半身の全てが削られたが、すぐに後ろへ引っ張り上げて応急処置する事で事なきを得たらしい。
赤光が明滅し、涙のように血の樹液を滴らす神樹と鮮血を撒いたような草原は、前世での警察車両のついていた回転灯を思わせ、言い知れぬ不安を煽る。
思えばこれは警告だったのだろう。
赤光に照らされた樹海から土石流でも流れているかと思う程の轟音が響く。轟音と共に巨樹がなぎ倒され、草原にどす黒い巨大生物が飛び出してくる。それはこの樹海の王者、巌石大蛇だったのだろうか。
その姿は同種とはとても思えない。
自分が打倒したものと比べても三倍以上あるどす黒い体躯、厚く城砦を思わせる鱗は逆立ち小刻みに震えている。紅く光る瞳から始まる血管のような線は電子回路のように全身を巡り、体全体から金属が軋むような鈍く不快な音を発している。
黒い巌石大蛇は神樹の根元にいる自分達に向かって猛進してくる。このままでは彼共々黒い巌石大蛇に襲われ、挽肉になってしまうだろう。逃げるにしても自分は先の調査でおよそ腹部しか残ってない。全く手も足も出ない、絶望的な状況。
絶体絶命、そんな言葉が頭を過ぎる。
せめて彼だけでも。そう思い、呼びかけようとした時である。彼が黒い巌石大蛇の進路を遮るように自分の目の前に立っていた。
「君はこの大樹の調査をしてくれた。ここからは私の番だ」
今も大地を削りながら轟音と共に此方へ猛進してくる黒い巌石大蛇に彼は向かっていく。その足取りは軽やかでまるで水面を歩いているような印象を受ける。しかし軽やか足取りとは別に、彼からは途方もない重圧が放たれている。
殺気というやつだろうか。呼吸をしていないのに息が詰まり、冷たく暗い深海に引きずり込まれたような錯覚すら覚える。
幽鬼のように移動する彼と金属を引き裂くような唸り声を上げながら、猛進する黒い巌石大蛇が接触する。
彼が行った事は、砲弾のように迫る黒い巌石大蛇に向けて貫手を放つ。それだけである。
流麗で力強く、不気味な程に洗練された御技。
無駄な動きなど一つとて見つからない、極限まで練り上げられた絶技。
一種の完成された芸術のような動きで放つ貫手は、黒い巌石大蛇の鼻先を容赦なく的確に捉え、穿つ。
音が消える。今まで騒がしかった金属音も、森が奏でる自然の歌も、全て消えて静寂が訪れる。手首まで貫手を突き入れられた黒い巌石大蛇動かず、まるで時間が止まってしまったように佇む。
変化がしたのは貫手でできた傷口から。黒い巌石大蛇が白い光に変わってゆく。白い光の粒は体中に伝播し、見る間に黒い巌石大蛇の姿を覆う。光の塊となった巌石大蛇は世界に還るように、大地に溶けてその姿を消した。
何時しか草原と神樹は元の神々しい光を取り戻し、夜闇を優しく照らしていた。黒い巌石大蛇の姿は跡形もなく消滅しており、彼は大地に手を触れて何かを確かめた後、歩み寄ってくる。
当初の予定通りに情報を受け渡す。その際助けてもらったお礼を言うと、彼は気にする必要はないと返してくれた。むしろ此方が調査に協力してくれたお礼をしたいと彼は言い出した。助けてもらってばかりなので悪い気がして断ろうとするが、彼は協力の正当な報酬としてお礼がしたいとの事。
調査も一段落ついたらしく、休憩の準備をするらしい。再生中の自分の目の前で彼は今まで着ていたコートを脱ぐ。
アマラの服装は前世の知識から近い表現すると、中国の拳法家が着る服。もっと明確にするのなら太極拳の使い手が着る、ゆったりとしてとても動きやすい表演服と言われる物に近い。黒い表演服の肩には簡素な金龍の刺繍があしらわれ、品のあるデザインになっている。
彼の服装に気を取られていたが、いつの間にか目の前に大きな蓙が敷かれていた。自分の全長を軽く超える蓙に、これまた大きな卓袱台が設置されている。彼は向かい側に座ると何処から出したのか、湯呑を取り出しお茶を注ぐ。
「遠慮せずに座るといい。茶でも飲みながらゆっくりしよう」
アマラが茶を飲みながら座るように促すが、この蜘蛛の体ではどのような姿勢が座るに該当するか分からない。暫し考えた後、楽な姿勢で良いという結論に至り、前足二本を卓袱台に乗せて体全体を蓙に預けるように座った。
お茶は再生が殆ど終わったから、口吻と言われる蝶などが持っている細い筒状の口を作って、美味しくいただいた。味覚がないのに味を感じる不思議な緑茶で、彼に聞くと追憶の緑茶と言われる記憶から最も美味しいお茶の味を再現するものらしい。
それから休憩と言いながら、夜を通して話し込んでしまう。久しぶりの会話と彼の旅話で話が弾んでしまったのだ。
彼の話から自分が現在住んでいる世界についても話に出てきた。
自分の所属する世界は、一般的に統合世界群クラスタと呼ばれている。この世界の成り立ちは、高度な文明が新たな世界を構築する為、技術協力を求めて考えうる全ての異界領域に暗号を発信したのが始まり。
暗号を解読できる個人、団体、文明、世界が様々な思惑を胸にそこへ集まり技術を持ち寄って、創世は開始された。集まった者の中には神、と観測されたら呼ばれる存在も参加していた。
そして出来たのが基幹世界アーキタイプ。アマラの出身地で最初に創り上げられた世界。
最初の世界が創られるまでは皆が協力し合い、仲良く世界を構築した。だが最初の創世からしばらく経つと、持ち寄られた技術と経験を使い、皆がそれぞれ世界を創り始める。元々集まった殆どの存在が最初からそのつもりだった為、特に争いはなく数多くの創世が開始されたらしい。
時間が経ち世界が数え切れない程生み出され、数多くの問題が発生した。世界の問題というのは個々での対処は難しく、困った創造主達が頼ったのは最初期に面白半分で創世に参加していた上位の存在。俗に言う神様のような存在に管理を頼んだのだ。
一部の上位存在は頼まれた管理を快く受け入れた。そして上位存在がより管理しやすいように創られた世界を統合したのが、統合世界郡クラスタらしい。
今なお世界は増え続けており、創られた世界だけでなく、元からあった世界や欠片となった世界も統合されている。
様々な文化、法則、概念が世界の数だけ存在する。自分が住んでいた樹海もそこに統合された世界の一つ。
アマラはそんな無数にある世界をより発展させる為に、技術や物品を提供しながら半分観光気分で旅を続けているらしい。
彼は最初期から存在し、出身地でもかなり重要な立場にいたようだ。特定の技術者に与えられる称号のようなものを獲得しており、特級虚闘士、特級魂術士、特級投擲士など自分では想像もつかない技術者である事が分かった。
出身地には妻もいるらしいが、自分がその事について尋ねてみると、君に似て素敵な女性だ、と語ってくれた。これは物理的に似ているのか、精神的に似ているのか、疑問に思ったが深く考えないようにした。
彼の話は一つの物語を読んでいるようで時間を忘れる程に楽しいものだった。
夜が明けたまで幻想的な神樹の根元で静かな、二人だけのお茶会が続く。
朝を迎えて、長い休憩が終わるとお茶会の片付けを終えた彼から報酬の話が入る。何でも言って欲しいと彼が言ったので少しだけ意地悪をしたくなり、最強の力が欲しいと返した。
「最強というのは厄介だな。強さを求めて上を目指せば果てがない。万能、全能、超次元に絶対なる無限、例を挙げてもキリがない。強さを求めるのならより具体的に欲しい力を挙げてくれないと、手のつけようがない」
彼は若干困り気味に答える。まあ確かに強さというのは曖昧なものだからな。悪ふざけはこのくらいして本当に欲しい物。言われるとなかなか思いつかない。
強いて挙げるとするならば基礎能力の向上くらいかな。他に思いつかないし、これに決めよう。
「決まったみたいだね。先程の最強について一つ助言をするなら、際限がない上を目指すより底がある下を求めてみるといい。根源的な力は色が無く、故に全てを兼ね備えるものだからな」
そう、少しだけ意味深に言いながら、何処からか取り出した小さな苗のような物を此方に受け渡す。銀の毛糸玉から生えた一本の金色の茎は二股に分かれている。自分が知っている中で一番近い植物はヤドリギかな。
吸収すると植物の詳細な情報が頭の中に入ってくる。どうやらこの銀色の毛玉部分は、糸のような体を持った自分と同性質の蟲が固まって出来たものらしい。一匹でも自分を上回る性質を持つこの蟲をヤドリギが統率、管理する事で毛玉状にしていたようだ。
これはヤドリギと同時に吸収しないと逆に此方が食われていた。彼に説明の一つでも求めればよかった。なんにせよ核で完全に蟲を取り込んだ為、捕食される心配もなく基礎能力が向上した。若干、異物感を覚えるがすぐに治まるだろう。
彼に話しかけ、他に手伝える事はないか聞いてみたが、特にないようだ。が気になる事があるらしい
「君の名前を聞いてなかった。ここは新たな友人として教えてもらえないだろうか」
名乗ってなかった。というより名前がないから名乗りようがない。どうしたものか。名前とは子供が親から貰うもの最初の贈り物と、少しロマンチックな考え方をしていたからか、自分の名前を自分で付けるのは抵抗がある。一生ものだからゲーム感覚で軽く名前を考えたくない。
この際だから、友好と親愛の証として彼に付けてもらおうか。幾つもの世界を旅してきたのだ。きっとその豊富な経験から自分に相応しい名前を付けてくれるはずだ。
アマラに自分は名前がない事を伝えて、名付けを頼む。彼は少し間考え込むと自分に近づいて、右手で此方に触れながら言い放つ。
「では命名しよう!! 君の名前は今日から―――――――――アザト――だ!!」
彼が声高らかに命名する。肝心な部分は、何か特別な意味合いがあるのか不可思議な音が混じり、聞き取れたのはアザトと言われた部分だけだ。
アザト。これでいいのかと彼に視線を送るが満足げな表情から、どうも唯一聞き取れた部分、アザトでいいらしい。前世の何処かで聞いたことがあるような気がするが思い出せない。
名前も付いて彼の調査も手伝える事がない。話を聞くとこれからの調査は彼だけでも成り立つらしい。此方が独自で神樹を調べてもいいが、黒い巌石大蛇が再び出現する可能性が高い。
此処に来て、目標を失ってしまった。生きるだけなら樹海にいるだけで事足りる。だが代わり映えのない生活は心に乾きをもたらす。今生の楽しみである捕食による知識の取得も、以前の巌石大蛇で大体終わってしまった。
思い切ってこの樹海を出て、世界を旅しようかな。昨晩の彼の話を聞いて、様々な文化を持つ外の世界に興味が湧いた。外の世界は、この閉ざされた樹海では決して得られないような情報や知識が溢れているだろう。
想像するだけで居ても立っても居られない。彼と別れるのは惜しいが、手伝える事もないし、調査の邪魔になるわけにもいかない。
命名した後、調査に没頭していた彼に別れの言葉を告げて神樹の反対方向に歩き出す。考えが読めるアマラは別れの言葉を即座に理解して、何かを投げ渡した。
「それは旅の先輩からの餞別だ。通信機のような物だから誰かと連絡を取りたい時に使うといい」
彼は小さな白色の箱を投げ渡すと手を振って見送る。
通信機を吸収して彼に向き直ると大きく前脚を振り返す。彼は笑った後に調査を再開する。
思えば、アマラは不思議な人物だった。子供のような振る舞いをしたり、逆に老練した雰囲気を醸し出したり、掴みどころがない印象が強い。
旅を続けると又、彼のような人物と出会うのだろうか。これからの旅路に思いを馳せながら、草原の境界線となる樹海に突入する。
今更ながら主人公の名前とややこしい世界観の説明。名前は某外なる神から拝借しました。
世界観の簡単な解説ですが、三行で説明すると。
皆で一緒に異世界を作ろう。
一つ出来たから皆ノウハウを活かして勝手に作り始めた。
世界の数だけ問題も発生したから神様に運営を任せた。
です。創造主達が無限に広げる世界は未熟な部分が多くあり問題が多発する為、自分達よりも優れた上位の存在に丸投げした状態がこの世界です。管理を容易にする為に世界をある地点で融合しています。
名前:アザト
全長:熊一回り程
形態:多層装甲蜘蛛
技能:身体操作、全方位視界、異界知識、毒耐性、消化耐性、体当たり、八脚歩行、パイルバンカー触手、多層外骨格、基礎能力強化
輪廻の森とアマラについての解説は次回の番外編と人物紹介に回します。
今更ながらこの小説の登場人物の九割が人外ってどうゆうことなの。
これからも人は殆ど出ない予定です。ヒロインは出る予定。人か分からんが。