あなたとだったら何度でも
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「姫さまっ! どうぞこちらをっ!」
「ちょっとお待ちなさいカスク! これはあなたのマントでしょう? ……ねぇ!? なんでわたくしのワンピースを持ってるの?! ねぇ! やめてやめて! 何を考えてるの?! お願いだからやめて! やめてちょうだいっ!」
バチバチと火花の音がする。
さっきまでうっすらと漂っていただけの白い煙は、今明らかな殺意を持って室内に忍び込んでくる。
ガタガタと激しい物音と、剣戟、厳しい怒号が扉の向こうで遠く近くと響き渡っていた。
「姫さま! もう時間がないんです! こちらを被って!」
「ねぇやめてやめて! やめてちょうだい!」
慌ててカスクの細い腕を掴む。
誰にも意識を向けられない、王家のお荷物であるわたくしに十分な人手、予算などあてられる訳もなく。
なけなしの財産を使い尽くして買い取った元奴隷で現従者のカスクにだって十分な食事を与えられるはずもなかった。
だからこそ、いつまでもわたくし達は似たような背丈、似たような体型だった。どこもかしこも細い。
それがお揃いみたいで嬉しいと。
同じような髪色もしてたから、まるで姉妹みたいだと。
この無駄に広い廃墟みたいな離宮でたった二人。
肩を寄せ合って生きていた従者が……わたくしのたった一人の家族だと。
どこまでもそっくりな二人だと喜んでしまった罰なのだろうか。
カスクはいつも言ってたのに。
『僕はもう少し大きく強くなりたい』って。
それを嫌だなと、ずっと一緒がいいと願ってしまった罰なのだろうか。
カスクは今。
見た目がそっくりなわたくしの身代わりとなって外へと飛び出そうとしている。
王家の圧政に追い詰められた民が蜂起し、王城を蹂躙している真っただ中に。
「ねぇ! やめて! わたくし! わたくし一人はいや! お願い! いかないで!」
どれだけ懇願しても。
どれだけ希っても。
カスクの腕はテキパキとわたくしに自分の服を着せる。
背後に回ったカスクが、わたくしの無駄に長く伸ばしていた髪に手をかける。
カスクとお揃いの。
唯一の自慢だった、キラキラとした星の色をした髪に。
ザクリ。
妙に軽くなった頭と同時にボロボロと涙がこぼれた。
「ねぇ……カスク……お願いだからいかないで……。わたくし……死ぬときはあなたと一緒がいい……一緒に逝きましょう?」
あぁ。
あぁ。
なんて傲慢なことを願ってしまったのだろう。
一緒がいいだなんて。
カスクにとってわたくしは決して良い主人ではなかったのに。
碌な食事も寝床も与えられない、ダメな主人だったのに。
だから……。
これは罰だ。
「……お逃げください。姫さま。僕が扉を蹴り飛ばします。そうしたら、姫さまは右へ、僕は左へ走ります。
いいですね? 右ですよ?」
カスクの言葉にイヤイヤと首を振る。
扉の向こうに待っているのは恐ろしいモノだ。
だって確実にわたくしとカスクを引き離してしまう。
「姫さま……いいですね? 右ですよ? 僕は……あなたに生きていてほしい……」
ほつりと落とされたカスクの言葉に目を見開く。
「……カスク……あなた残酷だわ」
「……理解っております。でも……それでも……」
あなたに生きてほしい。
不意にカスクの温もりに包まれた。
奴隷として売られていたカスクを買って、従者としてここに招き入れてから、決して埋まることのなかった距離。
それが今はない。
ぎゅっと抱きしめられた腕の力強さに再び涙が溢れ出る。
だからこそ……。
「……わかったわ……右に走る。だからお願い……約束して……捕まったらすぐに自分は第二王女に虐げられていた元奴隷だと白状なさい。
そうすれば……もしかしたら……」
さらに強まった拘束に……絶望を見た。
「わたくしだって……あなたに生きてほしいのに……」
嗚咽混じりの絶望は、カスクの肩に吸い込まれて消えていった。
うぉぉぉぉぉ!!!
外から民衆たちの怒号が迫ってきた。
離れていく温もりを寂しく思いながら、カスクのマントをかぶり直す。
フードを被るついでに頭に触れてみれば、首筋も顕わな長さでギザギザに切られた毛先がチクチクと指を刺した。
短くなってしまったカスクとの思い出に胸を痛めながら、うつむきがちにフードで隠す。
こくりと1つ頷いたカスクは、いつの間にかわたくしの唯一華やかに見えるワンピースを着こんでいた。
「……姫さま……生きて……必ず……」
「カスク……あなたもよ……」
目線の変わらないわたくし達。
くっとワンピースに付いているレースでできた衿を引く。
近づいてきた唇に同じもので僅かに触れれば、こみ上げてくるのは……絶望。
もう二度と交わることがない、最初で最期の口付け。
「……カスク……好きよ。好きよ。大好きよ。だから……お願い」
笑った顔を覚えてほしくて、歪に笑う。
「僕も……愛しております。ずっと……永遠に……」
にこりと微笑んだカスクが扉に向き合う。
大きく振り上げた足が扉を蹴破って、倒れる扉が大きな物音を立てた。
二人揃って扉をくぐり……走り出す……その瞬間。
「っ?! ひめさっ?! なにをっ!?」
思い切りカスクの襟首を引っ張る。
前に集中していたカスクは面白いくらい後ろに転がった。
「っ! ごめんなさい! あなたは! 生きてっ!」
そう言って駆け出したわたくしの足は……左へ、民衆たちが多く集まる場所へと向かう。
買うだけ買って、何もしてあげられなかったダメな主人のわたくしが唯一できること。
それを果たしにわたくしは走る。ひたすらに……ただひたすらに。
彼の、わたくしの、わたくしだけのカスクの命が助かりますようにと願いながら……。
背後に響く、カスクの絶望に彩られた絶叫を聞きながら……。
§ § §
「河野さぁん! コレもやっといてくれなぁい?」
ゴテゴテと重そうな飾りのついた指先が、わたしのデスクに書類を積み上げた。
ちらりと、オフィスの壁掛け時計に視線を走らせ、積み上げられた書類にも視線を投げる。
「……わかりました」
「ありがとぉ。 今日デートでぇ。 ざんぎょーできなくて困ってたのぉ」
「はぁ。そうですか」
頭が痛くなりそうな甘ったるい香りを纏いながら、甘ったるい声でそう嘯く彼女に何と返すのが正解だったのか。
わからないままに答えれば、彼女の機嫌を損ねたらしい。
「なぁにぃ? それ。デートに行くあたしに嫉妬してるのぉ?」
「いえ? 別に……」
綺麗に整えられた彼女の片眉がきりりと跳ねあがった。どうやらこの返事もまずかったらしい。
「はんっ! 男とデートの1つもしたことなさそうだもんねぇ。あんなオシャレなマンションに住んでて、男の1人も連れ込めないとか……生きてて楽しいのぉ?」
……もちろん楽しいですよ? 今のわたしにとっては生きてるだけで幸いだ。
そんなわたしの人生観は彼女には伝わらないだろう。
だから曖昧な笑みを浮かべるだけにとどめた。
それすら気に食わなかったらしく、ふんと鼻を鳴らされる。
だけど興味が失せたのか、お疲れ様の一言もなくひらひらと手を振りながら去っていった。
そんな彼女に軽く会釈だけして、モニタに向き合う。
……まぁ、わたしの会釈が彼女に見えていたかは知らないけど。
モニタの脇に目をやれば、プラスチックのケースに入った社員証が目に入った。
河野 萌香。
それがわたしの今の名前だ。
社員証は社員であることを示す身分証であり、部屋への入退室の鍵にもなっている為、就業中は首から下げておくのが原則だ。
だけど首に何かが触れるのがトラウマ級に苦手はわたしは、こうして自席での作業中には外すことにしている。
そう、トラウマ。
小説とか漫画で流行りの設定だが、わたしにも前世の記憶がある。
どこかの国の、家族に見捨てられたお姫様で、革命が起こった時に囚われて絞首刑になった記憶が。
そんな生々しい記憶を持っていれば、首にひも状のものが触れるだけで、全身に怖気が走るのも仕方ないだろう。
「河野さん……? また山田さんに仕事押し付けられたんですか?」
黙々と残業をこなす中、ひょいと後ろからモニタを覗き込んできたのは、今年配属された新人の男の子だった。
「……一応山田さん先輩なんだから、そういうこと言わないよ。如月くん」
ちらりと視線だけ投げて、若人の言動を諫める。
いちおう彼のメンターだからね。ちょっと細かく注意するのだ。
「そう言っても、押し付けられてますよね? これ……明日が締め切りなのに全然手を付けてなくて課長が呆れてたやつですよね?」
ペラペラとわたしのデスクに置かれた資料をめくりながら、呆れた声が言う。
「そうね。まぁなんかデートらしいし? だったら仕方ない……かもね?」
好きな人と一緒にいられる時間って大事だし。
前世のお姫様が悲し気に呟いた気がした。
のに……。
「はっ! なに言ってんすか! 山田さん、デートと言えばデートっすけど、オヤジとですよ?」
若人に鼻で嗤われた。
「……この年になってお父様とデートというも素敵じゃない? 家族仲が良くて……」
「……真剣に言ってます?」
心底呆れたような声が降ってきたから気になってくるりと後ろを振りかえれば、本当に呆れたような表情の如月くんがわたしを見下ろしていた。
「え? 如月くんがお父様とデートって言ったんだよね?」
なんで、そんな表情で見られなきゃならんのだ。
「はぁ……ホント……河野さんって……世間知らずですよね。まるでどこかのお姫様みたいだ」
如月くんの言葉に、ピクリと動揺が走る。
って、いやいや、今のわたしは庶民だ庶民。前世は全くこれっぽっちも関係ない。
「何? 悪口? 本当にオウジサマなのは如月くんじゃん」
唇を尖らして抗議する。
そう、如月くんこと如月一希くんはこの会社の跡継ぎ、御曹司、社長令息というヤツなのだ。
そんな大型新人に、わたしみたいなのがメンターになったのも、立派な理由がある。
え? 理由聞きたい?
まぁ、単純な話で。
いずれ上司になる相手を指導するにあたって、男性社員はどうしても遠慮……とか、ちょっと取り扱いに困るし、女性社員は玉の輿を狙って仕事にならなかったからだ。
まぁ、その筆頭が山田さんだったんだけど……。
そこで、例え相手が御曹司だろうと遠慮なく指導し、玉の輿に微塵も興味なさそうなわたしがメンターに選ばれたという訳。
……別に玉の輿に興味がないわけじゃなく、ただ単に……本当に好きな人と添い遂げたいと考えてるだけなんだけどなぁ。
わたしの好きな人。
それはカスクだ。前世から今でもずっと好き。もはやそれは執着とも言えるほどに。
といってもカスクも転生しているかわからないし、現実で会ったらナンカチガウってなるかもしれないけどね。
あんな献身を受けた記憶が残っていればこそ、彼以上の人を見つけることができないのだ。
「俺はオウジサマなんてもんじゃないですよ。一介の平民です。それを言ったら、河野さんの方がよっぽど浮世離れしてますよ」
「まだいうか! わたしほど現実に足付けた人間はいないと思うよ?」
「じゃあ、山田さんのデートの相手、誰だと思います?」
「え? だから山田さんのお父様なんでしょ?」
ふんと鼻息が落ちてきた。
と思ったら、幼い子供にするように頭を撫でてくる如月くん。何するんだ君。わたしは君のメンターだぞ?
「違いますよ。山田さんはこれからパパ活。エロオヤジとデートしてお金貰うんですよ」
食事デートで終わるかは知りませんが……。
そう嘯く如月くんを思わずポカンと眺めてしまう。
「あ……あぁ、そうい……う?」
「そう。しかもそこでエロオヤジから巻き上げた金、何に使ってると思います?」
「……さぁ? 貯蓄……とか?」
山田さんの懐事情にこれっぽっちも興味がないから、とりあえず自分が大金を手に入れた時にしそうなことを上げてみる。
そしたらまた鼻で笑われた。酷い。
「ホスクラですよホスクラ。ホストに貢いでんですよ」
「へ、へぇ?」
詳しいのね? とは口に出さなかったがチラリと思った。
「そうですよ。だから彼女の為にももう仕事を引き受けない方が良いのでは?」
彼女の為になりません。
如月くんの真剣な瞳の奥に、心底山田さんを心配している色が覗いていた。
……なんだかんだ言いつつも、如月くんも山田さんが心配らしい。
偉いなぁと思いつつも、小さなトゲがチクリと胸を刺したことに……気づかないふりをした。
「……あのですね? 何を勘違いしているか知りませんが、俺が山田さんを心配してるのは、下手打った山田さんがニュース沙汰になるようなこと起こさないでくれよ? って方ですからね?」
どこかぼんやりとしていた視界に、如月くんの整った顔が飛び込んできた。
そう。彼は顔もいい。
短めにすっきりと整えられた髪。
ワックスか何かでしっかりと前髪を上げているから、形の良い額があらわになっている。
すっきりと整った眉と切れ長の二重、意志の強さを秘めた黒い瞳。
すっと通った鼻筋と、薄めの唇。
それらすべてが小さな顔にバランスよく収められていた。
顔が小さいからか、そこまで身長はないはずなのに、非常に背が高く見える。
恐らくそれは足が長いせいもあるのだろう。
……これで御曹司っていうんだから、モテにモテてきたのだろう。
女性との距離感がバグっている。
「近いよ。如月くん」
つるりとしたおでこを指先で突いて押しのける。
にやりと笑った如月くんはどこか嬉しそうだった。
「河野さんも変な男に引っかからないように気をつけてくださいね」
「大丈夫だよ。わたし、人生の目標は平穏無事に過ごして老衰でぽっくり逝くことなんだから」
「……夢がないですねぇ」
如月くんが微妙な表情になった。
だけどさ。
「わたしはね。今世は生きなきゃいけないの。老衰だったらさすがに赦されると思うから、それまでずっと生きなきゃいけないの。
だからね? トラブルとか巻き込まれるのは勘弁なのよ」
「……なんか……必死ですね」
神妙な表情になった如月くんに頷きを返す。
「うん。必死。それが……わたしにできる償いだと思うから……」
『生きて……欲しかった……』
未だ耳朶の奥に残る、絶望の声。
それがわたしを生へと掻き立てる。執着させる。
前世で果たせなかったことを今世で全うするために記憶が残っているのだと……そう思うから……。
「わたしは生きなきゃいけないの」
そう宣言したわたしを、如月くんがどんなカオして見ていたのか、自分の想いに囚われていたわたしが気づくことはなかった。
「ところで……山田さんをご自宅に案内したことあるんですか?」
唐突に変わった話題に、思わず如月くんの顔を見やる。
「え? そんな機会ある訳ないよね?」
なんで突然そんなことを言い出したのか……。
「じゃあ……なんで山田さんは河野さんの家の外観なんて知ってたんです?」
如月くんの言葉に、山田さんとの会話を思い出す。確かに我が家はちょっと小洒落た外観のマンションなんだけど……。
「……なんでだろう?」
このささやかな疑問が、後日とんでもないトラブルとなって己の身に降りかかるとは思ってもみなかった。
§ § §
「なんでぇ!? なんであたしがクビになるんですかぁ?! そんなのぜぇったい認めませんからぁ!!」
廊下の向こうから甲高い山田さんの声が聞こえてきた。
しかも内容がかなり不穏。
ざわざわとフロアに残ってた人たちが騒めく。
確か彼女は……朝イチで課長に会議室に呼ばれてたような?
「……やっぱあのウワサ、ホントだったんだ……」
隣の席の子がぽつりと呟いた言葉が引っかかった。
「噂って?」
思わず振り返って訊ねると、少しだけ気まずげな表情を浮かべた後、口を開いた。
「あのですね……。山田さん、なんか拙い筋の人とトラブってたらしくって……。で、その人にそそのかされて、社内の機密データを持ち出してたとか……」
「それは……拙いわね」
そんなことをひそひそと話していると、ガツガツとヒールを蹴立てて山田さんが姿を現した。
「ちょっと!! アンタでしょ!?」
ぐっと肩を掴まれ、無理やりに振り向かされる。
見上げればそこには般若のような山田さんの顔。正直恐い。美人が台無しだ。
「な、何がですか?」
山田さんの長い爪がギリギリとわたしの肩に食い込む。地味に痛い。
そんな暴挙を振われる覚えもなくて、困惑が募る。
「だからアンタでしょっ! あたしが社内の情報を横流ししてるって噂したのっ!」
無理やりに椅子から引きずり降ろされる。
だけど不思議と恐怖は湧かない。
だって……本当の恐怖はこんなものじゃない。
怒り狂った民達に囲まれて引きずられていったあの時の方がよっぽど怖かった。
怒号と石礫を向けられて、誰もがわたくしの死を願うあの状況の方がよっぽど怖かった。
あの時はすべての怒りがわたくしに向いていたけど……今はそうじゃない。
隣の席の子だってオロオロとわたしを心配そうに見てるし、同じ課の先輩たちはどう割って入ろうかとこちらを窺っている。
だからわたしはいたって冷静だ。
「何を言いたいかわかりませんが、山田さんについて噂したことなどありませんよ?」
きっぱりと言い切ってみたものの、山田さんの顔がますます歪んでいく。
「じゃあ誰だっていうのよっ! アンタ以外誰が……っ?! 「俺ですけど?」 っ?!」
激高する山田さんの後ろから姿を現したのは……如月くんだった。
「はぁ?! なんで如月さんがっ?!」
「貴女の行いが目に余ったからですよ。河野さんの優しさにつけこんで仕事を押し付けて……。
何をしてるかと思えばパパ活ですか? しかもそのお金を何に使ってるかと思えばホストにつぎ込んで……。
挙句に良くない筋から借金して、それで強請られて産業スパイの真似事ですか?
まったく……呆れて物も言えませんね」
やれやれといった態で話す如月くんの態度は、山田さんを煽るものでしかなかったようだ。
「はぁ?! なんでそんなことまで知ってんの?! ストーカーかよっ?! きんもっ!」
「いや、別に山田さんに個人的な興味なんて微塵も湧かないんで、ストーカーする趣味はないですね。時間と金の無駄っていうか?
そんなことより会社が大切でしてね。大事な会社をアンタみたいなヤツに引っ掻き回されるなんてご勘弁なんですよ。
あと……」
ちらりと如月くんの視線がわたしを見た……ような気がした。
「っ?! だ、だったらわかるでしょう? あたしだって騙されて借金背負わされて……仕方なかったのよっ!
従わなかったら殺されちゃうかもしれなかったのよっ! 仕方ないじゃないっ!」
「だからって……河野さんを巻き込むのはいただけないな? アンタ……自分の代わりに河野さんを売ろうとしてたでしょ?」
「へ?」
思わず声をあげてしまう。え? なんて? わたしが山田さんの代わり?
「な、なんで知って……?! っ! 別にいいでしょっ?! どうせ河野さんなんてモテとは無縁なんだから、そういうお店でオトコにちやほやしてもらうのが天職かもしれないじゃないっ!」
「……あ゙?」
如月くんの低い声がフロアに響く。
あまりの展開にわたしも、フロアのみんなも、ついでに山田さんを追いかけてきたらしい課長も呆然と眺めているしかなかった。
いや、そういうお店って何? わたしこの会社気に入ってるんで、転職の予定はないんだけど?
ぐるぐると混乱していると、静まり返ったフロアに冷え切った如月くんの声が響いた。
「……警備員、この女、このまま警察に突き出せ。
良かったですね? 山田さん。怖い人とかからは警察が保護してくれますよ? あぁ、でもしっかりとわが社に損害を与えた諸々の罪は償っていただきますからね?」
如月くんの声と同時に警備の人が飛び込んできた。
暴れる山田さんをなんとか諫めながら、周りを固めてどこかへ連れていく。
それをわたし達は……呆然と見送るしかなかった。
§ § §
「なんだったの……?」
昼間の騒ぎが嘘のように落ち着いた午後の業務を経て、仕事を終えたわたしは家路についていた。
どこか白昼夢のようにも思える山田さんのあれやこれやを思い出しながら、なんでわたしが巻き込まれたのかイマイチ腑に落ちないでいる。
なんで山田さんにあそこまで言われたのか、さっぱりわからない。
むしろ山田さんの仕事を手伝ったりしてたんだからさぁ。
なんでだろう? と思案していたのが悪かったのだろう。
気が付けば……。
気絶させられて、どこかの倉庫に閉じ込められていた。
「うーん、平穏無事から遠ざかっている気がするんだけど?」
胸の前あたりで縛られた手首を呆然と眺めながらそう呟くと、タバコ臭さと共に下卑た声の応えがあった。
「まぁ、ある意味平穏無事なんじゃねぇ? ちょっとごほーしする仕事についてもらうだけだから」
「いやなんでわたしなんです?」
ニヤニヤと嗤いながら紙タバコを吹かす男の顔をしっかりと見つめながら言葉を放つ。
こういうのは怯えを見せたら負けだ。野生動物のにらみ合いと一緒だ。
そして男の顔を見つつも、脱出経路を探るのは忘れない。
だって……わたしは……。
生きなくちゃ……。
状況を把握するためあちらこちらに視線を投げる。
そんなわたしの行動が面白いのか、ネズミをいたぶる猫のような男の声がわたしにぶつけられた。
「なんでおまえさんかってぇ? なんかぁ、借金抱えたねーちゃんが、おまえさんが代わりに稼いでくれるって言ってよぉ」
おまえさん、あのねーちゃんに売られたんだねぇ。ごていねーに住んでる所まで教えてくれたぜぇ。
ニタニタと嗤う男の顔を遠慮なくねめつける。
「……別に山田さんに何の恩義もないんだから、山田さんの借金をわたしが返す必要はないのでは? 勝手に売り買いされても困ります」
「オレらにそういわれてもねぇ。オレらは払ってもらえるモンもらえばいいだけだから」
ふはりと男の吐いたタバコの煙がわたしの顔にあたる。
その臭いに思わず顔をしかめた。
「だからわたしじゃなくて……山田さ……「うっせぇ!!」 っ?!」
ガアンと壁を叩かれて、思わず身体が跳ねる。
「よぉ、ねぇちゃん。おまえさん売られるだけならまだましなんだぜぇ? 最近はオンナより内臓の方がよく売れるからな。
別にねぇちゃんバラして内臓売った金で借金返済しても構わないんだぜ?」
そう言って、やっぱりニタニタ嗤いながら男は部屋を後にした。
ガチャリとかかる鍵の音が、虚しく部屋に響いた。
男が出ていった後、部屋を見回す。
窓の1つもないこの部屋の出入り口は、どうやら男が出ていったドアだけのようだ。
もちろんあのドアには鍵がかかってる。
試しに縛られたままの手で引っ張って見ても、ビクともしなかった。
「……あー、もうっ!」
ごつりと額を鉄でできたドアにぶつける。
冷えた感触が、熱くなった思考を冷やす。
ここから脱出する方法など何も思いつかない。
だけど……なんとか生きなくちゃ。生き延びなくちゃ。
不意に前世の記憶がよみがえる。
王族への怒りに震える民達に引きずられ、あっという間に処刑台へと登らされたわたくしに、唯一届いた声。
『あなたに……生きて……欲しかった……』
王族を処する歓声に包まれた処刑場で唯一聞こえたあの声の持ち主はカスクだった。
絶望と悲嘆に暮れた声は、周囲の歓声にかき消されてもおかしくないはずなのに、不思議とわたくしの耳に届いた。
どうやら彼は生き延びたらしい。
その事実に心底ホッとしたのが最期の記憶だ。
その後は……もう覚えていない。
だからこそ、わたしは生きなければならないのだ。なんとしてでも……。
心底傷ついていたカスクの声が願ったように、わたしは生きなければならないのだ。
それが……彼を傷つけたことへの自分勝手な贖罪だと気づきながらも。
だけど……。
「どうしろってーのよ……」
決意はしっかりしてるものの、事態は八方塞がりだ。
このまま水商売に沈められるのも嫌だし、内臓を抜き取られるのはもっと嫌だ。
「どうする? どうする?」
焦りだけが空回る時間をどれだけ過ごしたことだろう。
ドアの向こうがにわかに騒がしくなった。
その音に、トラウマ的な恐怖が蘇る。
あの最期の日。扉の向こうから聞こえてきた民衆たちの怒号は恐ろしいものだったから。
一歩二歩と後ずさり、壁を背にして備える。
絶対……絶対……今世は生きるんだからっ!
部屋に入ってきた人間に体当たりしてでも逃げ出してやるっ!
強い決意と共にドアをねめつけていると、勢いよくドアが開いた。
「萌香っ?!」
「ひぇっ?! ……て、如月くん?」
ドアを蹴立てて飛び込んできたのは……如月くんだった。
いつもはピシリと整えてる前髪を乱して、汗なんてかかなさそうなクールな顔面に汗を滴らせて。
毎日アイロンかけてるんだろうなぁって、いつも感心してるシャツはぐしゃぐしゃに皺が寄っていた。
そしてその必死な表情に……。
どこか懐かしい気持ちになった。
「きさら……「もかっ!」 っ?!」
ぎゅっと抱きしめられ、ふわりと汗の匂いがした。
他人の汗の匂いなんてあまりいいものではなさそうだけど、如月くんのはちっとも気にならない。
それどころか……強く抱き締められて、鼓動がバクバクと跳ねた。
「もか?! もか?! 怪我はありませんか? どこも……なにもありませんか?!」
いつもの飄々とした態度と喋り方とは違う、必死な表情の如月くんの向こうに……1つの影が重なった。
「……大丈夫よ……カスク……」
思うがままに懐かしい名前を口にすれば、目の前にあったイケメンの顔がぐしゃりと崩れた。
「っ! ……姫さまっ?! やっと……っ! やっと……!!」
ぐいぐいと抱きしめられて、わたしと如月くんの間に挟まってる縛られたままの手が痛い。
だけどその痛みすら……生きている証だ。
「でも痛い……」
「あぁ! すみません! ついっ! あぁぁぁぁぁ! 手首に傷がっ?! あの男!? 何という所業を!? 姫さまを縛って傷を負わせるなど言語道断! 万死に値するっ! ……ちょっとあの男殺してきますんで……」
わたしの手首の拘束を解きながら、支離滅裂ながらも物騒なことを宣う。
「まってまって! 殺人はあなたが捕まっちゃうから……!!」
そこには新人のくせになんでもそつなくこなす後輩の姿はなかった。
元奴隷という身分を気にして、教養がないことを他人に蔑まれないよう人一倍努力してた彼。
だけど、どこかおっちょこちょいで。ちょっとした失敗に大慌てしていたわたくしの大事な従者。
「せっかく逢えたのに、また逢えなくなるのは嫌よ」
ぽつりと呟けば、ものすごい勢いで再び抱きしめられた。
「もう二度と離しません」
そうは言っても……。
「でも如月くん御曹司だし……」
そう言えば……と思い出す。
今世は、身分制度がある訳でないが、そこそこ大手企業の御曹司である彼とはなかなか格差がありそうな気がする……。
なんか、元華族の由緒正しいお家だとかも聞いたことあるし。幼いころからの許嫁とかいるんじゃ……。
「何言ってるんですか! 今世は身分差なんてありませんよっ! 当たり前じゃないですか!
例え周囲に何と言われようと……あなたしかいらない……っ!」
愛の告白なのに、血を吐くような悲痛さを秘めているのは、前世の最期が最期だったからだろうか……。
僅かに震える大きな背中を抱きしめる。
あの最期の日。抱きしめ合ったお互いの身体は同じくらいの背丈で同じくらいの体格だった……同じくらいでしかいられなかった二人は今。
見上げる高さにある顔は明らかに大人で。筋肉のしっかりと付いた体躯に包み込まれて。ドキドキと高鳴る鼓動を隠す胸元は確かな厚みがあった。
大きさも見た目もこれまでの経験も……何もかも違うけど……。
だけど彼はわたしの大事な人だ。
それだけがたった1つの真実なのだから。
「もう……離しませんよ。ずっとずっと一緒です。死んでも……離すものですか……」
嗚咽混じりの声に返す言葉は……。
「あなたとだったら何度でも……一緒にいるわ。ずっと……ね」
一緒に生きましょう。わたくしの……わたしの最愛のあなた。
最後までご覧いただきありがとうございました。
ご評価、お星様、ご感想、いいね等々お待ちしております。
こちらは、柴野いずみ様が主催されたアンソロジー「身分差逆転ラブストーリーアンソロジ」に寄稿したお話となります。
前世と今世で身分差が逆転しても離れない二人のお話をお楽しみいただければ幸いです。
改めて、最後までお読みいただきありがとうございました!




