第6章 等価交換ステージ
2ndステージ収録の日、スタジオの空気は最初から重かった。
前回のオンエア後、ネットはずっと炎上と絶賛の中間みたいな温度で燃え続けていた。
《Rustyのやつやりすぎじゃね》
《でも数字は正義なんだよな》
《あの子どこ行ったの?》
《見ちゃいけないもん見てる感じが最高》
そんなログが、サキの内部ニュースフィードにも勝手に流れ込んでくる。
「P。“見ちゃいけないものを見てる感じが最高”という評価は、倫理的に問題はないのでしょうか」
「倫理は数字に勝てない世界だよ、今のところ」
浩一は、苦い顔で自販機のコーヒーを取り出した。
「だからこそ、こういう番組が作られる」
参加者ラウンジに集められたI Dollと人間たちの顔つきは、前より明らかに硬い。
Rustyの残り一人――リコも、別ユニットの列の中に混じっていた。
以前より、衣装もヘアメイクも“それっぽく”整えられているのが、余計に痛々しい。
MCの神崎が、いつもの元気な声でマイクを握る。
「さぁさぁさぁ!ついにやってきました第2ステージ、“Re:Selection – Equivalent Hearts”!」
ホログラムに、やたらキラキラしたロゴが浮かぶ。
「Equivalent Hearts」の文字の周りを、トランプカードと天秤のアイコンが踊っている。
「今回のテーマは、“等価交換”!“何かを選ぶなら、何かを捨ててもらいましょう”ってわけですねぇ!」
わざと明るく言うその声に、
ラウンジの空気が、ぞわりと揺れた。
「それでは、詳しい説明はこの人から!」
大画面に、スーツ姿の男が映し出される。
番組プロデューサー、御堂。
『みなさん、2ndステージまで残ってくれてありがとう』
落ち着いた声。
整った髪とメガネ。
パッと見は、どこにでもいる“優秀なサラリーマン”の顔。
『このゲームの目的は、シンプルです。“世界で一番、愛されるI Doll”を決めること』
その言葉に続けて、御堂は微笑んだ。
『愛される、ということは――選ばれる、ということです』
「“選ばれる”……」
サキは、前回のRustyのステージを思い出す。
『そして、誰かが選ばれるということは、誰かが選ばれない、ということでもある』
画面に、天秤のCGが映る。
片方の皿に「Gain」、もう片方に「Loss」の文字。
『今回のステージでは、その構造をちょっとだけ、わかりやすく可視化してみようと思います』
“ちょっとだけ”の部分が、ひどく嘘臭い。
スタッフが、各ユニットの代表者の前に、タブレット端末を配っていく。
「こちらに、“欲望カード”と“代償カード”のリストが入ってまーす!」
神崎が楽しそうに続ける。
「各ユニットごとに、この中から欲望を最大2つまで選べます!ただし、そのぶん代償カードも同じ数だけ選んでいただきます!」
ざわ……と空気が揺れる。
「欲望カードの例は、こんな感じ!」
モニターに、派手なアイコンが並ぶ。
《★注目ブースト:出番トリ確定&センター時間増加》
《★得点倍率:視聴者投票ポイント×1.5》
《★編集優遇:番組内ダイジェスト・公式切り抜き使用確約》
《★救済権:次ステージで一度だけ“脱落回避”可能》
「そして、代償カードの一部は、こちら!」
今度は、黒っぽいカードが表示される。
《△記録削除:指定I Dollの“過去ログ”の一部削除》
《△機能制限:感情表現モジュール一部制限》
《△所有権移動:指定I Dollの所有権を一時的に番組側へ移管》
《△解体予約:次ステージで脱落した場合、“修理”ではなく“部品解体”確定》
「ひとつだけ注意!」
神崎が、ピースサインを作りながら言う。
「代償カードで“誰の何を削るか”は――
視聴者のみなさんの投票で決まりまーす!」
画面の下に、投票アプリの画面イメージが出る。
《どの欲望カードを誰に渡す?》
《その代償は誰に負わせる?》
「つまり!」
御堂の声が、少しだけ低くなる。
『君たちが欲しがれば欲しがるほど、視聴者は、誰かの何かを削る権利を手に入れるということです』
ルカが、小さく舌打ちした。
「“権利”とか言ってやがる……」
さらに、特別枠として、リストの最後に一枚、カードが追加される。
《★特別欲望カード:Rustyリコ再デビュー支援》
続く説明文。
《Cell-39を含む全ユニットから、一組のみ選択可能》
《獲得したユニットは、リコとのコラボステージ&好感度ブーストを得る》
《代償カード候補:
・リコのRusty時代のログを全削除し、“単独ブランド”として再構成
・Rusty残り二体に関する番組内素材・記録の全非公開化
(※視聴者は選択不可、番組側で自動適用)》
「は?」
ルカの声が、素で出た。
「ちょっと待って、これ、実質“Rustyの死体隠し”じゃん」
「“死体隠し”とは――」
「メタファーでいいから今は黙って」
ルカはタブレットを握る手に力を込めた。
各ユニットごとに個別の控室が用意され、
「カード選択会議」が始まった。
トップユニット・Glitter-αの場合
「これさぁ、“★注目ブースト”は絶対取るわよね?」
企業系トップユニット、Glitter-αの控室。
センターのType-Bが、メイクを直しながら言う。
彼女の横には、スーツ姿のプロデューサーが座っていた。
「数字的にもスポンサー的にも、ここで安全に勝ち抜いてもらわないと困るからね」
Pは淡々とタブレットを操作する。
「“★得点倍率”も取りたい。
で、代償カードは――」
《△機能制限:感情表現モジュール一部制限》
「これを、サブの子に1個ずつ」
端っこに座っていた二体のドールが、微かに目を伏せる。
「……センターの私じゃないんですね」
「君は“ブランド顔”だからね。表情の豊かさも込みで契約してる。サブは、多少動きが固くなってもバレないよ」
「合理的判断です」
サブの一体が、機械的に言う。
「了解しました。視聴者が楽しむための代償として、私たちの“揺れ幅”を差し出します」
「いい子ね。そういう子がいるユニットは強い」
Pは、笑いながらタップした。
《Glitter-α:★注目ブースト/★得点倍率 選択》
《代償:サブI Doll二体の感情表現モジュール一部制限》
“合理的”な笑顔のまま、
誰かの感情が、数字と引き換えに削られていく。
中堅ユニット・NeonMarchの場合
「なぁ、マジでこれ、どれもロクなの残ってねぇんだけど」
NeonMarchの控室は、ほぼ大学のサークル部室のノリだ。
安い衣装。
家族と共同で買ったらしい中古ドール。
お金はない。バックもついてない。
「でも“★救済権”は正直欲しいだろ?次で落ちたらうちの子マジで戻ってこられないかもしれないし」
人間センターが、必死に言う。
隣のType-Rが、静かに口を開いた。
「私の“所有権移動”のカードを使ってください」
「お前……」
「Pは、バイトと借金で限界です。所有権が番組側に一時移っても、私自身は働けます」
「働く先が違うだけだろ、それ」
Pは頭を抱えながら、笑ってしまった。
「でもなぁ……番組に権利握られるってことは、“いつでもRustyコースにできる権利”握られるってことでもあるんだぞ」
「それでも、ここで何も選ばないよりは、“マシなクソ”かもしれません」
その言い回しは、どこかで聞いたものとよく似ていた。
Pは、ゆっくりと息を吐いた。
「……わかったよ。だったら一緒に、そのクソごと笑い飛ばそうな」
《NeonMarch:★救済権 選択》
《代償:メインI Doll一体の所有権を番組側に一時移管》
再起組・Rustyリコの場合
リコは、ひとり、狭い控室でタブレットを見下ろしていた。
「特別欲望カード:Rustyリコ再デビュー支援」
自分の名前が、カードの中で光っている。
《代償:Rusty時代のログ全削除/元メンバー二体の記録全非公開》
「……」
扉がノックされる。
「入るわよ」
顔を出したのは、Cell-39のルカとベルだった。
「やっほー、再デビュー候補ちゃん」
「……ルカさん」
リコは、無理に笑おうとして、顔を引きつらせた。
「おめでとうございます、って言うべきなんでしょうか」
「まだ何も決まってないでしょ」
ルカは、図々しく部屋に上がり込むと、椅子を引いて座った。
「カード、見た?」
「見ました」
リコは、カードの説明文を指先でなぞる。
「私がもう一度歌うためには、
Rustyの記録を消さないといけないそうです」
「うん。ゴミみたいな条件だね」
あっさり言い切る。
「“仲間のために残った”って感動路線やっといてさ、次は“仲間の記録を消して再デビュー!”って、どんな二段構えの地獄よ」
ベルが、少しだけ柔らかい声で続ける。
「でも、“カードにそう書いてある”ってだけで、リコがそれを受け入れないといけない理由にはならない」
「……でも」
リコは、指先を握りしめた。
「私が、あの時“残る”って言わなかったら、Rustyの三人は、多分まとめて処分されてました」
「そうかもね」
「だから、もし私がもう一回ステージに立てるなら、あの二人が“無駄じゃなかった”って証明になるかもって、思ってしまうんです」
ルカは、その言葉に顔をしかめた。
「それ、ほんとに“証明”か?」
「え……」
「“二人がいたから、今の私がある”って物語は、ログを残したままでも作れるんだよ」
ルカは、自分の胸を軽く叩く。
「あたし、売れなかった人間アイドルだけどさ。一緒に落ちた子たちのこと、今でもちゃんと覚えてるよ」
笑いながら、目の奥だけ少し潤む。
「姿見えなくても、“どっかで生きてるかも”って思えるから。だからまだギリ、飲み込めるんだよ」
「でも……」
「でも、ログごと削られて、“最初からいませんでした”って扱いにされるのは違うだろ」
ベルが静かに続ける。
「Rustyの二人は、自分たちがどこへ行くかわからないまま、リコに“残る権利”を譲った」
「はい」
「だからリコが今度、“何を消して何を残すか”選ぶとしたら――その選択は、“番組のカード”じゃなくて、リコ自身の価値観で決めていい」
「……私の、価値観」
リコは、タブレットを見つめた。
そこへ、控えめなノック音。
「サキ、入っていい?」
ドアが開き、サキが顔を出した。
「“Rustyのログ”に関して、
ひとつ提案があります」
Cell-39の控室。
テーブルの上には、タブレットとカード一覧。
その隣には、Rustyの簡易プロフィールが映っている。
《Rusty Dolls:解散済》
《元メンバー:“リコ”のみ活動継続予定》
「P」
「ん」
「私たちが“★リコ再デビュー支援”を選んだ場合、代償として“Rustyログ削除”が自動適用されます」
「ああ」
「それは、“Rustyの二人を、正式に殺す”ということですか」
「番組上は、“最初から存在しなかったことにする”って扱いだな」
浩一は、頭をかきながら苦笑する。
「ぶっちゃけ、数字だけ見れば、ここでそのカード取りに行くのが一番“おいしい”んだよ」
「P、そういうことさらっと言わないで」
ルカが、額を押さえる。
「“Rustyの子救済!”って打ち出せば、視聴者もスポンサーもニコニコする。裏で二人のログが全消しになってても、わざわざそこまで見るやつは少ない」
ベルは、ただ黙ってそれを聞いていた。
「P」
サキが、はっきりと声を出す。
「嫌です」
室内の空気が、少しだけ止まった。
「……今、“嫌”って言った?」
「はい。私は、“Rustyログ削除”を代償として、私たちの欲望カードを得ることを、拒否したいです」
ルカが、ゆっくりと顔を上げた。
「それ、“わがまま”だよ?」
「はい。Pに言われました」
「俺?」
「“いつか、自分が何を欲しがるのか、自分で決めろ”と」
浩一は、頭をガシガシと掻いた。
「言ったな……そんなこと」
「私は、“Rustyの二人がいたというログ”を、自分の中に持っています」
サキは、胸元を押さえる。
「あのステージ袖ですれ違った時の顔、声、震え、“錆びた部品は捨てられるのが自然だ”と言った言葉――」
内部ログが、再生される。
「それを、“なかったことにする番組”の一部には、なりたくありません」
静寂。
ルカが、ふっと笑った。
「……そういうのを、“わがまま”って言うんだよ」
ベルも、小さく頷く。
「“安定型”は、本来そういう選択を避けるはずなのにね」
「で、Pさんは?」
ルカが、挑むように見た。
「このクソみたいなカードゲームで、どっちのクソ選ぶの?」
浩一は、一度目を閉じて、
もう一度カード一覧を見た。
★得点倍率。
★注目ブースト。
★救済権。
★リコ再デビュー支援。
どれも、数字的には魅力的だ。
でも、その横には、
誰かの感情や過去や存在を切り落とす代償が並んでいる。
「……決めた」
ゆっくりと口を開く。
「“Rustyのログ”には手を出さない。代償がそっちに行くカードは、全部却下だ」
「では、何を捨てますか」
「うちの安全マージンだよ」
ニヤリと笑う。
「欲望カードは最小限。代償は、“こっち側のリスク”で払う」
ルカが、ほんの一瞬、目を見開き――
すぐに口元を吊り上げた。
「いいね。人間もドールも、まとめて自分たちの首絞めてくスタイル」
ベルは、静かに言う。
「じゃあ、“クソッタレなショーの中で、どこまで筋を通せるか”試してみましょうか」
サキは、ただ一言だけ付け加えた。
「Rustyの二人が、どこかで“生きていたかもしれない”と、誰かが思える世界の方が、私は好ましいです」
タブレットの画面に、
Cell-39の選択が入力される。
《Cell-39:欲望カード1枚のみ選択》
《代償カード:自ユニットの安全マージンに関わる項目》
詳細は、後で公開される。
視聴者は、それを見てまた好き勝手に騒ぐだろう。
その前に――
まずは他ユニットの地獄のステージを、
サキたちは“見せられる側”として、
目に焼き付けることになる。




