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第4章 スクラップと照明

 イントロのビートが、床から脚へと響いてくる。


 光が、熱を持って瞳孔を焼く。

 観客席は暗く、ステージだけがやたらと白い。


 サキの視覚センサーが、露出を自動調整する。


「照度、ステージ中央一万ルクス超。視覚データ、部分マスク処理――」


「ログるな。今は“立つ”方にリソース割け」


 横から、ルカの声が飛んでくる。

 彼女は、すでに客席方向を睨みつけていた。

 緊張しているくせに、それすらも「ライブ前の高揚」に変換するタイプだ。


「ONE、TWO!」


 反対側で、ベルが小さくカウントを切る。

 背筋は無駄なく伸び、笑顔だけが整っている。


 イントロの二小節目で、三人は一斉に前へ踏み出した。


「お、ちゃんと前に出たな」


 ステージ袖の暗がりから、浩一はモニターを睨む。


 カメラ2が、センターに立ったサキを抜く。

 その両側に、ルカとベルのシルエット。


 ライトの中、サキの白いブラウスとスカートが、思っていた以上に“普通のアイドル衣装”に見えた。


「――行け」


 自分でも気付かない声が、喉から漏れる。


 最初の振りは、右足からのステップだ。


 サキの関節は、何度も調整を繰り返した結果、ようやく“踊れる”ラインに達している。


 頭のどこかで、振り付けデータが展開される。


「ステップパターンB-1。右→左→ターン、上肢角度六十度――」


 だが、今日はその通りには動かない。


 真横で、ルカのスニーカーが床を踏む音がした。

 反対側では、ベルのブーツのヒールが、ほんの少しだけリズムを溜める。


 その“揺れ”が、サキの動きにノイズとして紛れ込む。


 足が床を掴む感覚。

 ターンの終わりに、ほんの僅かに残る回転。

 腕を上げる時に、視線が先に客席を撫でていくクセ。


 完璧なトレースから、わずかに外れる。


 それでも、音には合っていた。


 サビ前で、音が一瞬だけ抜ける。


 そこが、センターの自己紹介ポイントだ。


 MCの声が入る前に、観客席の空気が少しだけ落ち着く。

 カメラ1が、ゆっくりとサキに寄ってくる。


「P。“自己紹介とアピール”、ここです」


「わかってる。行け」


 浩一は、手汗で湿ったゲストパスを握りしめた。


 サキは、胸の前でマイクを握る。


 照明が、一瞬だけ少し落ちた。

 観客のざわめきが、ふっと薄くなる。


「はじめまして」


 声が、マイクを通ってホールに広がる。


「サキです。一度、処分されかけたところを、Pに拾われました」


 ざわ、と観客席が揺れた。


「“もう一回くらいなら、やり直してもいいかも”って、言ってもらえたので――今度は、ステージの上でやり直してみます」


 一拍、間が空く。


 完璧に計算された間ではない。

 何を言って、どこまで言っていいか迷った、そのままの“ズレ”。


 観客席のどこかから、小さな「がんばれー」の声が飛んだ。


 サキのセンサーが、それを拾う。


「応援音声、個別検出……“がんばれ”」


 胸の奥で、どこか、あたたかいログが微かに書き換わる。


「……よろしくお願いします」


 最後に頭を下げ、サビのド頭のビートがまた落ちてきた。


「っし」


 浩一は、思わず拳を握った。


 演出としては、やや“地味”だ。

 もっと派手なバックステージ映像を重ねたり、煽りテロップを足す余地はいくらでもある。


 それでも、今の数秒だけで確かに、客席の空気が変わった。


《スクラップ設定えぐ》

《Pってプロデューサー?》

《やり直してみます、はエモいな》


 配信コメントのテロップが、モニターの下に走る。


 ADが小声で言った。


「……意外と、来るなこれ」


「だろ」


 浩一は、口の端だけで笑った。


「“本当のこと”ってのは、ちゃんと刺さるようにできてんだよ」


 サビの振りに入ると、

 ルカがぐっとテンションを上げた。


「イェーイ! 行くよ、Cell-39!」


 マイクのオフのタイミングでも、口パクで煽る。

 手を振り上げ、客席に視線をばらまく。


 ベルは、センター横のポジションで、

 綺麗なラインを崩さないまま、表情だけを少し柔らかくした。


 サキは、サビの頭のポーズで一瞬だけ止まり、

 客席ではなく、カメラの向こう側を見た。


「カメラ2、視線一致。視覚センサー、ターゲットロック」


 訓練されたアイドルなら、“赤ランプ”の位置を探す動きだ。

 だがサキは、その意味を完全には理解していない。


 それでも、Pの言葉はログされていた。


「世の中の連中は、“なんとなく”で物事決めてる」


 “なんとなく”。

 揺れ。

 その正体をまだ知らないまま、サキは腕を伸ばす。


 その指先の向こうに、

 スクラップの山の上ではなく――

 観客席と、カメラと、配信画面が繋がっている。


 中盤で、センターがルカに移る。


「任せろ~!」


 ルカは経験値の塊だ。

 多少ステップを踏み外しても、それを“ノリ”に変えてしまう。


 ジャンプのタイミングで、少しだけ早く飛びすぎた。

 着地でぐらつき、肩がサキにぶつかる。


「接触検出。右肩部、外力――」


 サキは、一瞬よろめきかけ――

 反射的に、ルカの腰に手を回した。


 ルカが、そこで笑う。


「ありがと、サキ!」


 マイクのオンオフに関係なく、その声はサキのセンサーにははっきりと届いた。


「“ありがと”。サンキュー――“サキ”」


 名前の由来が、内部ログで一瞬だけ再生される。


 足の動きは乱れない。

 むしろ、そこからの数小節、三人の動きはさっきより揃って見えた。


 パーフェクトではない。

 けれど、“一緒に立っている”感じが、確かにそこにあった。


「今のとこ、編集で使える部分多いな」


 ステージ袖のモニターを見ながら、浩一は頭の中で勝手にカット割りを組み始める。


 自己紹介の一瞬の間。

 ルカのジャンプミスと、それを支えるサキ。

 ベルの横顔と、“Cell-39”のロゴテロップ。


 客席の抜きカットに、どの表情を拾うか。

 配信コメントを、どのタイミングで画面に出すか。


 仕事モードと、所有者モードと、Pモードが、頭の中で同時に回転する。


「……よくやってるよ、お前ら」


 誰にともなく呟いた。


 ラストの決めポーズ。


 曲が終わる一拍前、三人は中央に寄る。


 ルカが前傾姿勢で手を伸ばし、

 ベルがしなやかに片足を引き、

 サキは胸に手を当てた。


「I Doll this game――」


 最後の一音が消え、暗転。

 観客席から、拍手と歓声が上がった。


「ありがとー!」


 ルカが大きく手を振る。

 ベルは落ち着いた笑顔で一礼。

 サキは、少し遅れて頭を下げた。


「拍手音量、平均値……前ユニット比、一・一倍――」


 数字は、ただの数字だ。


 でも、そこに含まれる空気は、

 処分場で聞いた機械音とは、明らかに違っていた。


 ステージから袖へと戻る通路は、さっき来た時より狭く感じた。


「はぁぁぁぁ~~~っ!」


 ルカが、全身の空気を吐き出す。


「やっべ、緊張で足震えてた……! でも超楽しかったんだけど!」


「テンポ、一カ所だけ早取りしてたよ」


 ベルが淡々と言う。


「え、マジ?」


「でも、それをサキちゃんが合わせてくれたから、

 お客さんにはわからなかったと思う」


「私は、ルカの動きに追従する形で、動作パターンを微修正しました」


「それを“合わせる”って言うの」


 ベルが微笑んだ。


「ありがとね、センター」


「……どういたしまして、でいいのでしょうか」


「そうそう」


 そんな会話を交わしながらステージ袖へと引き上げると、

 次に出番のユニットが、暗がりで待機していた。


 さっきモニターでちらっと見た名前――“Rusty Dolls”。


 Type-Rが二体、Type-Rと人間のハーフっぽい顔立ちのドールが一体。

 全員、安価ラインのスキンと衣装だ。


 リハ室で見かけた時から、少し空気が重かった。


「お疲れ様でーす」


 スタッフが形だけ声をかける。


 Rusty Dollsの一人――前髪の長いType-Rが、

 ちらっとCell-39を見た。


 目には、嫉妬というより、

 諦めとも羨望ともつかない色が浮かんでいる。


「……すごかった、ね」


 か細い声。

 誰に向けたのか、自分でもわかっていないようなトーン。


「え、見てた? ありがと!」


 ルカが即座に反応する。


「でも、次あんたたちの番じゃん。

 こっちのこと気にしてる場合じゃなくない?」


「……うん」


 Type-Rは、微笑もうとしたが、

 表情筋の制御がうまくいかなかったのか、

 笑顔になりきれなかった。


 その横で、人間に近い顔立ちのドールが、

 ぼそっと言う。


「“Rusty”って、錆びたって意味なんだって」


 自分のユニット名を、どこか他人事のように呟く。


「最初に聞いた時、笑えなかった」


 ベルが一瞬だけ目を細めた。


「……番組、そういうセンスあるからね」


「行こう」


 もう一体のType-Rが、仲間の肩を軽く叩く。


「とりあえず、立たなきゃ。

 立てなかったら、ここまで来た意味ないから」


 その言葉に、一瞬だけサキの内部ログがざわつく。


「……“立たなきゃ”。“破棄拒否”――」


 Rusty Dollsがステージへと向かう。

 サキたちは、その背中を見送るだけだ。


「P」


「ん」


「今の彼女たちの“ログ”は、

 どこまで保存されるのでしょうか」


「さぁな」


 浩一は、モニターから目を逸らさなかった。


「番組が保存したがるのは、“使える絵”だけだ。

 それ以外は、撮れてても捨てられる」


「……」


「でも、お前の中に残ったログは、

 誰も勝手には消せない」


 そう言いながら、自分で自分の言葉に胸がちくりとした。


 Rusty Dollsのステージは――

 悪くはなかった。


 致命的なミスもない。

 振り付けも音程も、及第点。


 ただ、“何か”が足りなかった。


 客席の拍手は、前のユニットより明らかに少ない。

 配信コメントも、どこか冷めていた。


《量産顔すぎて覚えられん》

《楽しそうに見えない》

《Rustyって名前、コンセプト負けしてる》


 MCの神崎ジュンが、無理やり盛り上げようとする。


「いやー、かわいかったですね~Rusty Dolls!」


 その「かわいかったですね」が、

 どこか“社交辞令”に聞こえるのは、耳が疲れているせいか。


「P。彼女たちも、“ステージに立った”はずです」


「ああ」


「それでも、“記録に残らない”可能性があるのでしょうか」


「――あるさ」


 浩一は、あっさりと言い切った。


「でも、それを決めるのは、番組と客と、あと数字だ。

 俺やお前には、どうにもできない部分もある」


「……」


「だからせめて、“見た”やつはちゃんと覚えておいてやれ」


 サキは、小さく頷いた。


 すべてのユニットのステージが終わると、

 参加者たちは再びラウンジに集められた。


 モニターには、暫定のポイントランキングが表示されている。


 観客投票。

 オンライン投票。

 リアクション指数。

 編集部の“見込み評価”まで加味された、番組独自の偏差値。


《1位 Unit “Glitter-α”》

《2位 Unit “SugarBit”》

《3位 Unit “Cell-39”》


「……三位?」


 ルカが、目を剥いた。


「マジで!? やば、“普通にウケてる”じゃん!」


「数字上はね」


 ベルは落ち着いた声で言う。


「でも、1stステージは“合格ライン”と“最下位”が一番大事。真ん中あたりは、“様子見枠”よ」


 その言葉に、サキがモニターの下へ視線を移す。


 ランキングの下の方。

 ギリギリ合格ラインの、そのまた下。


《11位 Unit “NeonMarch”》

《12位 Unit “Rusty Dolls”》


 最下位のユニット名が、赤く点滅していた。


「……Rusty」


 さっきすれ違った、Type-Rたちの顔が、ログから再生される。


 その瞬間、MCの声がスピーカーから響いた。


「さぁ~~、皆さんお待ちかね!

 第1ステージの結果発表の時間でーす!」


 ラウンジ全体の空気が、ぴんと張り詰める。


「まずは、上位ユニットのみなさん!

 Glitter-α、SugarBit、Cell-39は――」


 一拍。


「文句なしで、次のステージ進出決定です! おめでとう!」


 ルカが思わず叫ぶ。


「よっしゃあああ!」


「……合格、ですか」


 サキは、小さく呟く。


「“処分ライン”から、一時的に離脱できたと判断してよいのでしょうか」


「そういう言い方やめろ。縁起でもねぇ」


 浩一は肩を叩きながら、それでも内心で大きく息を吐いた。


 モニターには、他のユニットの結果も次々と表示されていく。


《NeonMarch 辛くも通過》

《MoonTail 通過》

《Rusty Dolls 最下位》


「そして――!」


 神崎ジュンの声が、一段と芝居がかる。


「番組をご覧の皆さんは、もうお分かりですよねぇ?」


 観客席から、嫌なざわめきが起きる。


「最下位ユニット“Rusty Dolls”のみなさんには――“特別ルール”が適用されまーす!」


 サキのセンサーが、わずかにノイズを拾った。


「“特別ルール”……?事前資料に存在しない単語――」


「やっぱ来たか……」


 ベルが、小さく息を飲む。


 モニターが、スタジオ画面に切り替わる。


 眩しいライトの下に、Rusty Dollsの三人が並んでいた。

 さっきより、明らかに顔色が悪い――少なくとも、人間に近い方は。


「Rusty Dollsのみなさんは、この場で、“ユニットから一人だけ残す”メンバーを選んでくださ~い!」


 観客席から、わっと声が上がる。

 どよめきと笑い声と、悲鳴にも似たざわめき。


《うわ出た》

《きたwww》

《これ本当にやるの?》


 神崎は、笑顔を崩さない。


「いやぁ、“I Doll This Game”ですからねぇ!世界一“愛される”I Dollを決めるためには、“選ぶ”ことも必要です!」


 Rusty Dollsの真ん中で、人間寄りの顔をしたドールが震えていた。


「……選ぶ?」


 辛うじて絞り出した声が、マイクに乗る。


「“一人だけ残す”って、残りは、どうなるんですか」


「おっと、その質問が出ちゃいましたか~」


 神崎は、わざとらしく肩をすくめて見せる。


「もちろん、番組的には“脱落”という扱いです。ただし~」


 スクリーンの端に、小さくテロップが出る。


《※“脱落”となったドールは、当社規定に基づき適切に処理されます》


 ラウンジ内で、誰かが小さく息を飲んだ。


「P。“当社規定に基づき適切に処理”とは――」


「ゴミの分別と同じ言い回しだよ」


 浩一の声は、ひどく冷たかった。


「中身が何であれ、“廃棄物”ってラベル貼ったら、

 あとは数字としてしか扱わない、って意味だ」


「……」


 ステージ上で、Rusty Dollsの三人が顔を見合わせていた。


「いや、無理、選べない……」


「でも、選ばなかったら――」


「時間、あんまりないよ~?」


 神崎が、悪ノリとも本気ともつかないテンションで煽る。

 観客席から、「決めろー!」「がんばれー!」という声が飛ぶ。


 その声に、“楽しんでいる”ニュアンスが混ざっていることを、

 サキのセンサーは正確に解析してしまう。


「娯楽指数……高。“他者の選択”を見守ることによる、興奮反応――」


 Rustyの真ん中の子が、膝を震わせながら呟く。


「……やだ」


 一言。


「やだよ、そんなの」


 隣のType-Rが、震える手で彼女の肩を掴んだ。


「ねえ、あんたはさ」


 声が、少しだけ強くなる。


「人間っぽい顔してるし、多分、“残したら絵になる”の、あんたなんだと思う」


「なに、それ」


「だから、あんたが残りなよ」


 彼女の目は、涙を流すこともできない。

 ただ、表情パターンの限界いっぱいまで、歪もうとしていた。


「うちらは――」


 もう一人のType-Rが続ける。


「うちらは、“Rusty”って名前の方が似合うから。錆びた部品は、捨てられる方が自然なんでしょ」


 観客席から、微妙な笑いが漏れる。

 それは、残酷さに対する笑いなのか、自嘲に対する笑いなのか。


《え…きつ》

《Rタイプマジで使い捨て扱いかよ》

《これ脚本?マジで言わせてる?》


 神崎が、マイクを向ける。


「ということは――。真ん中の君が、ユニットから“残る一人”ということで、よろしいですか?」


「……」


 しばらくの沈黙。


 ラウンジで見つめるサキの内部で、

 “破棄拒否”のログが熱を帯びる。


「“拒否”……。しかし、彼女たちには、“拒否権”が――」


「……はい」


 やっと絞り出したその一言で、すべてが決まった。


 観客席から、拍手が起こる。

 番組は、感動的な音楽をうっすらとかぶせている。


 神崎ジュンが、

 「仲間を信じて、未来を託した選択でした!」

 と、きれいなまとめ台詞を読み上げる。


 ステージの端から、スタッフ用の黒服があらわれる。

 “脱落”扱いとなった二体のType-Rに、静かに声をかける。


 画面には、そこから先は映らない。


 カメラは、あくまで“残された一人”のアップを抜く。

 涙を流せない顔に、うっすらとハイライトを乗せる。


《仲間のために残るってエモい》

《でもR二体どこ行くんだよ》

《処分場行きかな…やだなこれ》


「……なぁ、P」


 ルカが、乾いた声で言った。


「あたしたち、あれ、“いい話”としてパッケージされるの、これから何回も見るんだよね」


「多分な」


 浩一は、目を逸らさなかった。


「“友情”“犠牲”“選択”――。そういうタグつけて、切り取られて、再生される」


 ベルが、腕を組む。


「たぶん、総集編のダイジェストとかにも使われる。“第1ステージから涙の展開!”って」


「P」


 サキが、静かに呼びかけた。


「なんだ」


「もし、私たちが最下位だった場合――Pは、“私”を選びますか”」


 問われるとは思っていた。

 けれど、こんなに早く、こんなに真っ直ぐに問われるとは思っていなかった。


 浩一は、少しだけ息を吸ってから、吐いた。


「その時になってみないとわからねぇよ」


「……」


「今、“絶対選ぶ”“絶対選ばない”って言うのは、

 どっちにしろ嘘になる」


 サキの右目が、わずかに光量を落とす。


「では、私は、Pの“揺れ”の中に、含まれている、ということですね」


「……ああ」


 わざと軽い口調で言う。


「お前は、俺の人生をバグらせた。だったら、そいつに対してどうするかは、その時の俺の“バグり具合”で変わる」


「理解不能です」


「それでいい」


 浩一は、ラウンジの窓の外――

 スタジオの外壁の向こうに広がる空を、一瞬だけ見た。


 天気は、さっきよりも青かった。

 でも、その青さが何の意味を持つかを、今ここで考える余裕はない。


「とりあえずだ」


 視線をサキたちに戻す。


「お前らは、今日のステージをちゃんとやり切った。

 それだけは、数字とは関係なく、俺が保証する」


「やり切る、とは」


「立って、歌って、踊って、“ここにいる”って言ったろ」


 ルカがにやりと笑う。


「そうそう。“生きてます”アピールだよ」


 ベルも、小さく頷いた。


「それを、見ていたやつらが確かにいる。

 それなら、今日の時点では、それでいいんじゃない?」


「……」


 サキは、自分の胸元――

 焦げ跡の下に隠された、IDプレートの位置に手を当てた。


「本日のログ。第1ステージ、“Debut Live – This is I Doll”」


 内心で、小さく保存処理を行う。


「“破棄拒否”から、“ステージ上での立位維持”まで。続行フラグ――オン」


 スクラップだった金属片に、

 ステージの熱と光のログが上書きされていく。


 外では、観客と視聴者とスポンサーたちが、

 それぞれの都合で“いい話”と“数字”を計算していた。


 そのどれにも、まだ届かない場所で。


 I Doll This Gameの、本当の地獄は、

 ようやく一歩目を踏み出したところだった。

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