第2章 六畳スタジオと歩き方の練習
一次審査通過のメールが来てから、収録日まで一週間。
そのうち三日は、サキの関節とバッテリーの調整で消えた。
残りの四日間で、歌とダンスと“それっぽい笑顔”を叩き込まなきゃいけない。
「……無理ゲーだな」
「ゲーム難易度の分類としては、“ハード”に相当すると判断します」
「お前の中に難易度表まで入ってんのかよ」
「基本的な娯楽カテゴリは、一通り学習済みです。ただし、“課金”の概念についてはまだ完全には――」
「そこは覚えなくていい。こっちの財布が死ぬ」
浩一は、六畳間の端から端までを見渡した。
ベッド代わりの布団を壁に立てかけ、
ケーブル類をまとめて端に寄せ、
なんとか“人ひとり+ドール一体が動けるスペース”を作る。
「よし。今日からここが、お前のスタジオだ。家賃は俺が払ってる」
「“スタジオ”の定義が、私の知識ベースとは若干異なります」
「夢を見ろ。ここから世界に行くやつだいたい六畳からだから」
「統計的根拠は――」
「雰囲気の話だよ」
そう言うと、浩一は端末を操作し、「I Doll This Game」から送られてきた資料を再生する。
課題曲データ。仮振りのダンス映像。
既に収録済みの“お手本バージョン”には、IDoll-B01・レイのシルエットがぼかし付きで映っていた。
《♪ I Doll this game, your eyes on me… 》
完璧なシルエットの動き。
滑らかなステップ。
生きている人間よりも、わずかに正確すぎるターン。
「……上位モデルの動作パターンと推測されます」
「だろうな」
浩一は腕を組み、画面とサキを交互に見る。
「真似しようとすんなよ」
「同一の振り付けを求められているのでは?」
「動きじゃなくて、“印象”を真似ろ」
そう言って、床を指さす。
「はい、立って。イントロからいくぞ」
「了解しました」
サキは、まだほんの少しぎこちない足取りで立ち上がる。
ケーブルは外し済み。バッテリーは、今日の練習時間分だけは持つように調整してある。
音源を再生する。
軽快なビートが、狭い部屋にやや大きすぎる音で鳴り響く。
「ワン、ツー、スリー、フォー――」
浩一のカウントに合わせて、サキが動き出した。
ステップ自体は、驚くほど正確だ。
一度データとして振り付けを取り込めば、足の位置も腕の角度も、ミリ単位で再現できる。
問題は――。
「ストーップ」
イントロの半分も行かないうちに、浩一が手を上げた。
「今のお前、“動くマネキンに服着せてダンスさせてみた”って感じだ」
「動作精度は、譜面情報との誤差ゼロです」
「だから余計タチ悪ぃんだよ」
浩一は端末を取り上げ、録画モードに切り替える。
「一回撮る。お前のセンサーから見える世界じゃなくて、“客席から見えるお前”を見ろ」
「センサー視点と、第三者視点は、異なる情報系です」
「だから見せてやるって言ってんだろ。文句言わず動け、カメラ回すぞ」
曲を頭から再生し、サキをフレームに収める。
イントロからサビ頭まで、一曲分の半分をなんとか通したところで、録画を止めた。
「ほら」
再生ボタンを押し、画面をサキの方に向ける。
そこに映っていたのは――
「……私、です」
「それ以外の何に見えるんだよ」
「いえ。自己映像の客観視角は、初めてなので」
サキはじっと画面を見つめる。
動きは滑らかだ。
しかし、表情筋は最低限しか動いていない。
目線は常に一定方向で、カメラや客席に一切向かない。
息遣いも乱れない。汗もかかない。
整いすぎた“無機質な見本”が、画面の中で踊っている。
「……確かに、“マネキン”と類似しています」
「だろ」
浩一は画面を一時停止し、サキの顔のアップのフレームで止める。
「ここ。
この目で笑ってないのに、口だけ笑ってるのが一番怖ぇ」
「“怖い”とは、視聴者の不快感を指しているのでしょうか」
「不快ってほどじゃねぇけど、“推そう”って気にはならねぇな」
端末を置き、サキの正面に立つ。
「いいか。アイドルってのは、
“お前を見に来る”んじゃなくて、“お前を通して自分を見に来る”んだよ」
「…………」
「難しい顔すんな。
簡単に言うと、“自分が楽しんでるところを見たい”の。客は」
「……では、“楽しんでいる”表情をシミュレートすれば――」
「違う。それができたら世の中から売れないアイドルいなくなってる」
そう言って、浩一は指先で自分の頬を軽く叩いた。
「お前の中で、何か“楽しい”って感じたログ、ひとつ思い出してみろ」
「……解析中」
サキは目を伏せる。
まだ起動してから数日。
「楽しい」と名付けられるほどの体験など、ろくにないはずだった。
けれど――
「Pと……“居候”という概念について話した時」
「そこかよ」
「“人の人生をバグらせるのは、なかなかできることじゃない”と言われた時、内部ログに、微弱なノイズが検出されました」
「それ、楽しいってカテゴリでいいのか……?」
「他に該当しそうな感情ラベルがないため、一時的に“楽しい”に紐づけています」
「まあ、いいや」
浩一は苦笑して首を振る。
「その時のこと、思い出しながら、もう一回サビの頭だけ踊ってみろ」
「理解しました。“楽しかった時のログ”を参照しながら、動け、と」
「そう。あと、カメラじゃなくて、俺の顔見ながらやれ」
「Pの顔を、ステージ上の観客のモデルにするということですか」
「……嫌か?」
「いいえ。観測対象としてのPは、学習データとして興味深いので」
「言い方ァ」
音源を、サビ頭の少し前から再生する。
サキは正面――浩一を見つめたまま、イントロに合わせて動き出した。
ステップは相変わらず正確だ。
だが、先ほどとの違いは、ほんの僅かな“遅れ”だった。
動き出す瞬間に、迷いのようなものが生まれている。
何かを確かめるような一拍のズレ。
それが、機械的な完璧さを、ほんの少しだけ人間寄りに崩していた。
サビの頭で、サキが片手を胸元に当てる。
その瞬間、少しだけ、目が笑ったように見えた。
曲が終わる前に、浩一は停止ボタンを押した。
「――今の。最後」
「ログ巻き戻し。サビパート、終端二秒……」
「いや、今はお前のログじゃなくて、俺の目の話だ」
浩一は、さっきのサビ頭の部分だけを再生する。
確かに、ほんの一瞬だが――
そこに映っているサキの目には、さっきまでなかった“揺れ”があった。
「……」
「それだ」
「今のは、何か、有用な変化とみなされますか」
「少なくとも、“全部コピペみたいな顔”よりは、客が気にする」
端末を止め、サキの額を指で軽く弾く。
「いいか。お前は数値で世界見るだろ。
でも、世の中の連中は、ゼロか百じゃなくて、“なんとなく”で物事決めてる」
「“なんとなく”の定義が――」
「それがわかったら世界平和になってる。
お前はお前なりに、“なんとなく”を探せ」
「……了解しました。“なんとなく”を、探索します」
「よし。今のところその言い方が一番怖ぇけどな」
練習と修理と仕事に追われる日々の中で、
一度だけ、サキを連れて外に出た。
スタジオまでのルート確認と、歩行テストを兼ねて。
「外出モード、問題ないか」
「GPS、稼働。外部ネットワークとの接続、良好。視覚センサー、露出調整完了」
「よし。じゃあ、“普通に歩け”。“ドールらしく”とか考えなくていいからな」
「“普通”の基準値が――」
「人混みから浮かなきゃ勝ちだ」
「了解しました」
アパートを出て、駅までの道。
平日の午後、通りには人間とドールが混ざって歩いている。
コンビニの前では、接客型ドールが制服姿でチラシを配っていた。
「いらっしゃいませ」を延々と繰り返しているその声には、一切の抑揚がない。
路地裏には、ネオン看板が光っている。
《殴り放題30分 ストレスゼロコース》
《“壊さないでね”保証付きアイドルドール完備♡》
細い階段の上から、くたびれたサラリーマン風の男が笑いながら降りてくる。
「……どうだ? これでも世界は前よりマシになったってさ」
浩一がぼそっと呟くと、隣を歩くサキが、看板に視線を向ける。
「負荷処理型ドールへの暴力行為により、人間同士の暴力は減少傾向にあります」
「統計はそう言ってんだろうな」
「Pは、その傾向を、“改善”とはみなさないのですか」
「……そういうインタビュー、昔やりすぎて飽きた」
聞き飽きた台詞が、頭の中で勝手に再生される。
――“ドールがいてくれるおかげで、私は救われました”
――“人を傷つけるくらいなら、ドールを殴った方がいいですよね”
それは確かに、個人の生活レベルでは“正しい選択”なのかもしれない。
ただ、その裏側に沈んでいったものの話を、誰もしたがらないだけだ。
「お前も、その“裏側”に行く予定だったわけだ」
「処分場での私の位置情報から推測して、確度の高い推論です」
「そこを拾って、オーディションなんかに出しちまう俺も大概バカだが」
「Pは、バカなのでしょうか」
「フォロー入れるなら今だぞ?」
「“合理性”の観点からは、バカだと判断します。
ただし、そのバカがなければ、私はここにいないので――」
そこで、少しだけ言葉を切る。
「バカでいてください、P」
「……評価の仕方が独特だな、お前」
通りの向こうで、小さな子供が立ち止まり、サキをじっと見ていた。
五歳くらいだろうか。
コンビニ袋を提げた母親に手を引かれながら、目を丸くしている。
「ママー、あれ、人? ドール?」
「人に失礼でしょ。見ないの」
母親は慌てて子供の頭を押さえ、歩き出す。
子供はそれでも、振り返りながらサキを見ていた。
「……」
「気にすんな」
「今の子供は、“私”をどのように分類したのでしょうか」
「さあな。“人っぽい何か”くらいには見えたんじゃねぇの」
「“人っぽい何か”」
「人間様からしたら、それで十分だろ。仕事で使う分には、“人っぽく”見えりゃそれでいい」
「Pは、私をどう分類していますか」
「……居候だつったろ」
「“居候”は、私の辞書では、人間にもドールにも適用可能なラベルです」
「ならそれでいいじゃねぇか」
そう言って、駅前の雑踏へ踏み込む。
サキの歩幅は、まだほんの少しだけ固い。
だが、人混みの中で浮き上がるほどではなかった。
“普通”に紛れ込むための訓練としては、上出来だ。
夜。
練習の最後に、浩一はサキにマイクスタンドを持たせた。
「ダンスはまぁ、本番までにもう少し“なんとなく”を足すとして。問題はMCだ」
「“エムシー”……“進行役”の略称、でしょうか」
「そう。“しゃべり”の時間。お前は多分、踊ってる時よりここで評価される」
「私の話術は、Pほど洗練されていません」
「俺のは洗練っていうか、世渡りの副産物だ」
浩一は、自分用の古いマイクを手に取って、立ち位置の目印に置く。
「番組からの指示、“自己紹介とひとことアピール”。よくあるやつだ」
「テンプレート台詞を検索します」
「やめろ。ネットの“はじめまして〜○○で〜す♡”コピペしてきたら殴る」
「では、どうすれば?」
「まずは、普通に自己紹介してみろ。“IDoll-39ことサキです”じゃなく、“サキです”から始めろ」
「……了解しました」
サキは、マイクスタンドの前に立つ。
部屋の隅に置いた小型カメラを、仮想の観客として認識しているのだろう。
「はじめまして。……サキです」
そこで、わずかに詰まる。
「型番は、IDoll-39。正式稼働からの日数は――」
「ストップ」
浩一はこめかみを押さえた。
「履歴書の読み上げになってる。
客が聞きたいのは、“お前が何者か”であって、“何個ついてるか”じゃねぇ」
「“何個”……?」
「メモリとか、CPUとか、そういう話だ。ここでそれ語られて喜ぶの、技術フェチだけだから」
「では、“何者”と名乗ればいいのでしょう」
「それをこっちも探してんだよ」
しばし考えてから、浩一は言った。
「一回、正直にやってみろ」
「正直に、とは?」
「そのまんま。“アイドル”でも“ドール”でもなく、
今の自分を説明するとしたら、どう言う」
「……」
サキは少し黙り、内部で何かを組み立てるように視線を落とした。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「はじめまして。サキです。廃棄処分ラインから、Pに拾われました」
「ストップ」
「やはり“不適切”でしたか」
「不適切っていうか、いきなり重すぎる。深夜帯のドキュメンタリーならギリ通るけど、バラエティ番組の一発目じゃない」
「では――」
「でも、“本当のこと”ってのは、案外強い」
浩一は指を一本立てた。
「今のを、ちょっとだけ柔らかくする。
“廃棄処分ライン”って言葉を、別の角度の言い回しに変えろ」
「……“ゴミ山”」
「卑下しすぎだ。もっとオブラートに包め」
「“ちょっとだけ壊れかけ”」
「それはそれでエモいけど、修理工場の広告になる」
「“お値打ち品”」
「やかましいわ」
そんなラリーがしばらく続き――
最終的に、こう落ち着いた。
「はじめまして。サキです。……一度、処分されかけたところを、Pに拾われました。“もう一回くらいなら、やり直してもいいかも”と、言ってもらえたので――今度は、ステージの上でやり直してみます」
浩一は、無言で親指を立てた。
「それだ」
「表現の強度としては、控えめな部類だと判断しますが」
「最初はそれでいい。
お涙ちょうだいに寄せすぎると、“感動ポルノ”って炎上タグつくからな」
「“感動ポルノ”……?」
「そのうち覚えろ。テレビ業界の闇用語だ」
サキは、マイクスタンドを握ったまま、ほんの少しだけ頭を下げた。
「P」
「なんだ」
「本番までに、あと何回、練習できますか」
「時間で言やあ、あと二、三日は詰め込める。
でも――」
浩一は、狭い部屋と、散らばった工具と、
疲れた顔でこちらを見ている自分の姿を、モニター越しに一瞬だけ確認した。
「“完璧にしようとしない”って練習も、同じくらいしとけ」
「……完璧を、目指さない、ということですか」
「そう。完璧だと、そこに“お前”がいなくなる。レイみたいな“完成品”の真似したって、あっちの方が先にいるんだからさ」
「では、私は――」
「お前は、“一回捨てられたやつ”として、ちゃんと立て」
そう言って、軽く肩を叩く。
「スクラップから世界一ってのは、美味しい絵だ。
うまくいけば、俺の借金も返せる」
「そこまで含めて、Pの“演出プラン”なのですね」
「そういうこと。いいか、サキ。世界一クソッタレなショーに出るからには、こっちも、“クソッタレなまでに上手く”立ち回んだよ」
「了解しました。Pのクソッタレな話術と、私の“破棄拒否”ログを、最大限に活用します」
「まとめ方ァ」
それでも、悪くない。
収録日前夜。
練習を終え、充電ケーブルを繋がれたサキが、半スリープ状態で椅子に座っている横で、
浩一は机の上の書類を確認していた。
番組からの同意書。
所有者確認書。
事故発生時の免責事項。
細かい文字が、嫌になるほど並んでいる。
「……サイン、多すぎだろ」
ボールペンのインクがかすれたところで、ふと手が止まる。
「お前が……壊れた時、俺はどこまで責任取れるんだろうな」
思わず漏れた呟きに、隣の椅子から、小さな声が返った。
「P」
「起きてたのかよ」
「スリープモードの七パーセントを、“周囲音監視”に割り当てています」
「俺の独り言モニタリングすんな。恥ずかしいだろうが」
「P」
「なんだよ」
「私が“破棄拒否”を選んだ時点で、破壊されるリスクは、常に存在していました」
「……そうだな」
「Pは、そのリスクを、今さら“なくす”ことはできません。ただ、私に“ステージ上で壊れるチャンス”を与えました」
「言い方、物騒すぎねぇか」
「私の語彙の問題です。ただ――」
サキは、右目の光量をほんの少しだけ上げる。
「“破棄ライン”と、“ステージ”のどちらで壊れるかを、選択できるのは、今のところ、世界で私だけかもしれません」
「……自信家になったな、お前」
「Pの指導の結果です」
「責任取れって顔で言うな」
苦笑しつつ、最後の署名欄に名前を書く。
「明日だ」
「はい」
「怖いか」
「感情ラベル“怖い”の定義を、現在更新中です。
今のところ、それに最も近いログは――」
少しだけ間を置いてから、サキは言った。
「“楽しみ”と、混ざっています」
「……上出来だ」
浩一は立ち上がる。
「じゃあ、寝ろ。
人間様も少しは寝とかねぇと、明日カメラ落とす」
「P」
「今度はなんだ」
「おやすみなさい、P」
「……ああ。おやすみ、サキ」
六畳のスタジオ代わりの部屋の中で、
一人と一体の短い返事が交わされる。
外では、深夜の通販番組が、
「今なら最新型ホーム・アイドールがこの価格!」と叫んでいた。
その画面の中に、自分たちが映る日が来るかどうかも知らないまま――
二人は、それぞれの“明日”に向けて、目を閉じた。
世界一クソッタレなショーの幕が、
ようやく上がろうとしていた。




