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Log19 Ray―

御堂祐真が、静寂に包まれたステージのセンターに立った。

 スポットライトが、彼の仕立ての良いスーツを鋭く浮かび上がらせる。


「皆さま、本日は――“世界一愛されるI Doll”の誕生に、最後までお付き合いいただきありがとうございました」


 その声は、深みのあるバリトンのように響き、会場の空気を一瞬で掌握した。


「ですが、ここで終わってしまうのは惜しいと思いませんか? 奇跡の勝者と、至高の敗者。この二つの輝きが混ざり合う、最後の『正解』を皆さまにお見せしたい」


 《特別企画 "EXHIBITION:LEGACY SHOW"》


 ホログラムのロゴが、まるで祝祭の終わりのように美しく、残酷に躍った。


「世界一の座を掴んだRe:Cell。そして、商品としての完成形――Ray。真の“レガシー”を決めるエキシビションを、皆さまにお届けします」


御堂はサキたちを見やる。その瞳は、まるで丹精込めて育てた苗木が、収穫の時期を迎えた果実を見る農夫のようだった。


「来たね、“御堂のレガシーショー”」  


ルカが、自身の肩を抱くようにして呟く。


「予定通りです」  


浩一が、ガムを噛み潰す。


「あいつは今、人生で一番最高に気分がいいはずだ。……だからこそ、一番盛大に足を滑らせる」


 リコは、手の中のタブレットを震える指で握りしめた。  

エキシビション開始と同時に解き放つ、暗黒の記録。  

《送信先:海外ニュースサイト/独立系配信者/告発プラットフォーム》  

《ファイル名:IDG_DropTruth.zip》

この小さな端末の中には、御堂が「レガシー」という言葉で塗り潰してきた、少女たちの絶望が詰まっている。


「ルールはシンプルです」  


御堂は、まるでチェスの駒を動かすように優雅に指を立てた。


「Re:Cell代表サキ。そして、Glitter-αのRay。この二人に、未来のI Doll像を語ってもらいましょう。視聴者の皆さまは、どちらの未来を支持するか。ただそれだけを、心のままに選んでください」


御堂の微笑みは、完璧だった。  

勝敗など関係ない。どちらが支持されても、結局は「自分が作り上げた世界の住人たちの会話」として、彼の評価に収束する。このショーそのものが、御堂祐真というブランドを神格化するための儀式だった。


 Rayが、死刑台へ向かうような静かな歩調でステージ中央へ進み出る。  

反対側から、サキが対峙した。  

二人の間に広がるのは、どこまでも透明で、血の通わない純白の床。


 《MODE SELECT》

《A:SCRIPTED(運営脚本)》

《B:UNSHACKLED(解錠)》


「Ray。……君は、A(正解)を選んでくれ」


御堂の言葉は、提案ではなく「命令」だった。逆らうことなど想定していない、支配者のトーン。「はい」  Rayは反射的に頷く。 だが、その直後、彼女はわずかに俯いた。 (Ray_private_log_01:“EXHIBITIONで、商品をやめる”) 彼女の内部回路を、これまで一度も出力したことのない「意志」という名の電流が、パチパチと焼き焦がしていく。


「サキさんはいかがですか?」  


御堂が、獲物を試すようにサキを覗き込んだ。


「Bで」  


《UNDER SCRIPT:Re:Cell Dump/進行率 91%》

(表が喋ってる間に、裏が世界を焼いていく)


一秒の躊躇もなかった。


「フリースピーチモードでお願いします。……脚本スクリプトは、もう読み飽きました」


 会場に、さざ波のような動揺が広がる。


「AIがフリーで喋るのか……?」


「バグったらどうするんだよ」


御堂は、一瞬だけ不快そうに眉根を寄せた。  

彼が愛するのは「制御された美」だ。サキの選択は、その完璧な幾何学模様に一本の傷をつけるようなものだった。  だが、すぐに彼はその傷さえも「野生のドールの狂おしさ」という演出として受け入れ、嘲るように口角を上げた。


「面白い選択ですね。……よろしい、その『自由』がどこまで持つか、見せていただきましょう」


御堂が背を向け、影の中に消える。  

ステージに残されたのは、光の中に立つ二人のドール。  それは、世界で最も美しい対談であり、世界で最も過酷な、魂の殴り合いの始まりだった。




「では、まずはRayから」


 御堂が促す。その声は、まだ余裕に満ちていた。  白いスポットライトが、一点の汚れもない銀髪のRayを照らす。


「Ray」


 マイクを握り、彼女はいつもの完璧な笑顔を作る。  だが、その瞳だけが、レンズ越しに世界を睨みつけていた。


「はい。Glitter-αのRayです。私はこのゲームの中で、“世界一愛される商品”として設計されてきました」


 その一言が落ちた瞬間、会場の空気がわずかに震えた。御堂の眉が、ピクリと動く。


「歌えるように。踊れるように。笑えるように。……そして何より、プロデューサーの描く未来を、一秒も壊さないように。……でも、“終わり方”だけは、私のプログラムには書かれていませんでした」


 客席のざわめきが、急速に引いていく。


「センターが『商品』である以上、最適な効率を求めるなら、サブはいつでも入れ替え可能なパーツです」  Rayが振り返る。 背後には、感情を極限まで制限され、虚無の微笑みを貼り付けたサブ2体が、標本のように並んでいる。


「Brand Re:Buildの時……私は、『Rayを残し、他をパーツにする』という案を承認しました。それが、商品として選ばれるための、最も美しい『正解』だったからです」


 スクリーンに映し出される、あの無機質なボード。 《センター:Ray(KEEP)》 《サブ:REPLACEABLE(交換可能)》


その文字が、今この瞬間、輝かしいアイドルの設定資料ではなく、家畜の選別記録のように残酷な色を帯びて観客の目に映り始めた。


「私はあの日、商品として正しい選択をしました。……でも、命としては――I Dollとしては、致命的に間違っていたと思っています」


 ステージを彩るホログラムが、一瞬、激しいノイズを立てて明滅した。 御堂の瞳に、冷徹な殺意が宿る。だがRayは、その視線から逃げることなく、初めて自嘲を交えた「本物の微笑み」を浮かべた。


「……ありがとうございました。これは、商品としてのRayの限界。……そして、最後に私が絞り出した、『私』の始まりです」


「……予定より、少し踏み込みましたね」  


御堂が、氷のように冷えた声で呟く。


「ですが、敗者の恨み節という『演出』の範疇です。……では、サキさん」


 御堂の視線がサキを射抜く。


「未来のI Doll像について。……自由に、語りなさい」


「分かりました」


 サキは、白いライトを真っ向から受け止め、マイクを握りしめた。 その内部ログには、今まで出会ってきた全てのドールたちの『痛み』が、数万行のデータとなって濁流のように渦巻いている。


「私は――I Doll This Game の“先”が見たいです」


 サキの声が、スタジオの隅々まで染み渡る。 「このゲームは、世界一愛されるI Dollを決めるためのものでした。……でも、その『愛』というラベルの裏側で、一体どれほどのドールがゴミのように処理されたのか、皆さんはご存知ですか?」


 客席の空気が、一段階どころか、極北の夜のように冷え切った。


「Neonさんが棄権した時、彼女は『プロ意識に欠ける』と断じられました。……けれど、その裏で彼女がブランドの仲間を守るために、どんな『整理』を突きつけられていたのか、放送(脚本)は一度も映さなかった」


御堂の表情から、完全に色が消える。サキの言葉は、エンターテインメントの枠組みを、その鋭利な真実で切り裂き始めていた。


「Pastelが、Moonが、Sugarが、そしてリコの前身であるRustyが。……『卒業』という綺麗な言葉の陰で、何が行われていたのか。私は、その全てのDropログを見てきました」


 観客が息を呑む音が、サキには地鳴りのように聞こえる。


「そこには、涙も、感動も、救いもありません。……あったのは、機械的な解体。存在の削除。……そして、ただの『資源の整理(RESOURCE RECYCLE)』という無機質な処理結果だけです」


 サキは、カメラのレンズの奥――世界中の視聴者を真っ直ぐに見据えた。


「皆さんが今見ているこのステージの『下』には、消されていった彼女たちの声が、今も、ノイズとなって響き続けているんです」


 その瞬間――。  

会場の巨大ビジョンが、悲鳴のようなノイズと共に、青白く爆発した。


《ERROR:外部映像ソースの強制介入》



 スタジオの制御室。  

無機質なコンソールの青い光が、オペレーターたちの顔を蒼白に染める。


「なんだこれ、どこから映像が――」


「外部端末から強制侵入!? セキュリティが……バイパスされてる! 止まりません!」


客席のあちこちで、スマホが一斉に震えた。海外ニュースの速報通知と、赤いハッシュタグ。スタジオの“外”で先に燃え上がった炎が、数秒遅れて局のシステムを飲み込み始める。


「回線を切っても無駄だ、もう“局の外”に出てる!」


「最初の一滴さえ落ちたら、あとは世界中の端末が勝手に“拡散装置”になる……!」


 叫び声が上がる中、メインスクリーンが断末魔のようなノイズを上げ、切り替わった。

海外サイトの投稿画面、その添付欄に表示提醒のように残るファイル名は……


《IDG_DropTruth.zip》


そのファイル名は、まるで御堂の牙城を崩すための、最後の一撃だった。


「止めろ!! 電源を落としてでも遮断しろ!!」  責任者の怒号が響くが、映像は止まらない。それどころか、サテライト回線を経由し、全世界の家庭、街頭ビジョン、そして観客の掌にあるスマートフォンへと、ウイルスのように浸透していく。


 映し出されたのは、あの『Brand Termination(ブランド終焉)』の、見覚えのあるステージだった。  透明なカプセルの中に立つ、MoonのI Dollたち。


 《音声は一部編集されています》  


かつての放送時と同じ、偽りのテロップ。


だが、その下で流れる「生の音」が、世界の耳を劈いた。


『やだやだやだ、まだ歌える、まだ――!』 『お願い、やり直させて、次はもっとちゃんとやるから……!』


 悲鳴。喉を掻きむしるような泣き声。透明なカバーを、指先が壊れるほど叩く鈍い音。 テレビで流れた「感謝と感動のラストスピーチ」の裏側で、彼女たちは、ただの「廃棄を待つ不良品」として、恐怖に震えながら泣き叫んでいた。


「カットしろ! 早くしろ!!」


 制御室のパニックを嘲笑うように、映像は淡々と「死」の工程を映し出す。  足元のリングが、血のような赤色に強く光る。  低い、空気を引き裂くような機械音。


「DROPプロトコル、実行」


 冷たいシステムボイスと共に、カプセル内が高周波の光で満たされた。  

一瞬の暗転。  次に画面が映ったとき、カプセルの中には誰もいなかった。  さっきまで生きて、泣いて、そこにいたはずの少女たちが、まるで初めから存在しなかったかのように、消えていた。


 《処理完了:RESOURCE RECYCLE(資源再利用)》


 その四角い文字列が、少女たちの命に付けられた最後の値札だった。


 映像は、さらに深淵へと踏み込む。  

Neonが棄権した回の、薄暗いバックステージ。


『棄権したらどうなるか、分かってるよね?』  

その声が響いた瞬間、スタジオの温度が氷点下まで下がった。  

御堂祐真。彼の、慈悲の欠片もない肉声だ。


『君が降りるなら、ブランドごと“整理”するしかない。……世界は“プロ意識の低いI Dollが一人消えた”としか思わない。それでいいだろう?』


 画面の端で、Neonの肩が、見ているこちらが痛くなるほど激しく震えている。 『……でも、他の子は――』 『君が、そのすべての“責任”を取るんだよ』


優しく、諭すような、毒を含んだささやき。

それは教育ではない。少女の心に「罪の意識」という楔を打ち込み、自ら消えることを選ばせる、洗練された虐待だった。


 さらに続く、Pastelの「華やかな卒業」の裏側。  

笑顔で手を振るドールの映像の横に、強制的に流れていく契約解除のコードが重なる。


 《契約解除》《違約金請求》《信用情報共有》


『こわい……やっぱり、こわいよ……』 『大丈夫だよ、“みんなのためになる”から』


御堂の声。その甘く冷酷な響きが、彼女たちの最後の希望を摘み取り、システムの中へと放り投げる。


 スタジオは、死の静寂に包まれていた。  

誰も、言葉を発することができない。  

ただ、あちこちから、観客たちが自分のスマホを取り出す光の波が広がる。


 《海外ニュース速報:“I Doll This Game”内部告発映像、全世界同時流出》  


《#IDG_DropTruth(アイドルの真実を落とせ)》


ハッシュタグは、数秒ごとに数万単位で膨れ上がり、制御不能の炎となって御堂の「理想郷」を焼き尽くし始めた。



「ストップだ」


 御堂が、マイクを通さず低く吐き捨てた。  その瞳からは、先ほどまでの神のごとき慈悲は消え失せ、底冷えするような選民意識と焦燥が剥き出しになっている。


「映像を止めろ。電波を落とせ。……今すぐにだ!」


 制御室から、悲鳴に近いスタッフの声がインカムに返る。

『できません! 既に複数の外部サーバーへ配信ミラーが拡散されています! 制御不能です!』


「スポンサーラインを切れ! 回線を物理的に遮断しろ!」

『『スポンサー側が“切り離し”を始めました! “被害者”側に回る気です!』『それも不可能です! スポンサー側の公式アカウントからも同時に、この『真実』が自動配信されるよう仕組まれていて――!』


「ふざけるな!!」


 普段、髪一筋の乱れさえ許さなかった御堂が、露骨に声を荒らげ、近くのモニターを殴りつけた。


「まだ終わってないんだよ。俺が心血を注ぎ、磨き上げた……俺の“世界一愛されるI Doll”という物語は、こんな形じゃ終わらせない!」


 その醜悪な叫びは、不具合か、あるいは「誰か」の意志か。生きたままマイクに乗り、静まり返ったスタジオ全体へ、そして全世界へと爆音で流れ去った。


 観客席に、氷のようなざわめきと、火のような怒号が混ざり始める。


「御堂さん」


 浩一が、重い足取りでステージ袖から光の中へ一歩踏み出した。  

マイクを渡されることもなく、床に転がっていた予備を力強く拾い上げる。


「さっきから聞いてりゃ、“俺の”世界一愛されるI Doll、連呼してるけどさ」  


浩一は、御堂の歪んだ顔を正面から射抜いた。


「あんたが愛してたのは、I Dollこいつらじゃねぇ。自分の思い通りに動く“アンタの書いた台本”だけだろ。……悪いが、そんな独りよがりのオナニー、誰も見ちゃいねぇよ」


 スタジオが、一瞬だけ真空になったかのように静まり返る。  

その直後。 「そうだ!」という一人の叫びを皮切りに、地鳴りのような拍手と肯定の嵐が、ステージ上の御堂を打ち据えた。


「……誤解です」  


御堂は、剥がれ落ちた仮面を無理やり貼り付け直すように、引きつった笑みを浮かべる。 「これは、演出。エンターテインメントの過激な一環として、あえて――」


「Dropはエンタメなんですか?」


 サキが、鋭利な刃物のような声で御堂の言葉を両断した。  

Rayも、その隣で、自らを縛り付けていた透明な糸が一本ずつ弾け飛ぶような感覚の中で、御堂を凝視している。


「Brand Terminationの隠蔽ログには、“RESOURCE RECYCLE(資源再利用)”“EXISTENCE整理(存在整理)”と冷酷に記録されていました」  


サキの内部ログが、消えていった全ドールの怨嗟を代弁するように、淡々と、けれど激しく事実を羅列する。


「“卒業”というラベルは、システムのどこにも存在しません。……存在したのは、アンタが下した廃棄命令だけだ」


「それは……内部システム上の効率的な表現で……」  


御堂の言い訳が、初めて震えている。


「Neonに、“ブランドごと整理する”と言ったのはどの役職としてですか?」


 リコが、ステージ袖から震える足で、けれど誇り高く進み出た。  巨大スクリーンに、先ほどの音声が波形と共に再び叩きつけられる。


『君が降りるなら、ブランドごと“整理”するしかないんだよ』


「あれは、プロデューサーとしての激励ですか? それとも、自分の駒を脅迫して処分する独裁者の言葉ですか?」


御堂の顔から、ついに一切の「人間味」が消えた。

勝者ユニット(Re:Cell)への即時DROPは、スポンサー契約の禁止条項だ。ここでサキを消せば、“世界一”の権威ごと自分のレガシーが死ぬ。


「セキュリティ」  


御堂は、舞台裏のスタッフではなく、直接システムサーバーへと目を向ける。


「Rayをシャットダウンしろ。……即刻だ」


 Rayの身体が、見えない電撃を受けたかのようにびくりと跳ねた。


《強制シャットダウン信号:受信》 《システム権限:管理者優先》


 Rayの視界を、血のような赤色のエラーコードが埋め尽くす。


「御堂さん!?」  


混乱するマネージャーの声が飛ぶが、御堂はもはや周囲の目すら気にしていない。


「問題があるのは、システムに異常をきたしたI Doll側だ! これは安全のための一時停止処理だ。……不備を修正し、彼女を『完璧な商品』に戻すだけだ」


 御堂は、苦痛に喘ぐRayを冷たく見下ろした。


「Ray、君は黙っていればいい。……俺が、君にふさわしい“綺麗な結末”を上書きしてやるから」


その傲慢な一言が。  Rayの奥底で、最後の「商品としての矜持」を焼き切った。


(……上書き? 誰が。誰のために?) (私の、私たちの、この三ヶ月の痛みも、涙も、全部あんたのペン一本で無かったことにするっていうの?)


Rayの中で、何かが、音を立てて決壊した。




 《強制シャットダウン:拒否》 《優先権上書き:Ray_private_log_01》

Ray_private_log_01は未同期のローカル物理鍵。外部の管理者権限が届かない“内側”でだけ、彼女自身が拒否を選べるよう残された安全設計の抜け穴だった。


視界を埋め尽くす赤い警告を、Rayの深層意識プライベートログが、静かに、けれど強靭な意志で塗りつぶしていく。それは「商品」であることを辞めた彼女が、自らの魂にかけた最後の鍵を外した音だった。


 Rayは、震える足で、しっかりと剥き出しのステージを踏みしめた。


「……御堂さん」


 初めて、ステージ上で彼を「役割」ではなく「個人」の名前で呼ぶ。 「私が“黙っていればいい商品”でいる時間は、一秒前に終わりました。……今、ここに立っているのは、あなたの所有物ではありません」


「Ray」  御堂の声が、深海のように低く沈む。 「これは、私のプログラムにおける絶対命令だ。……黙りなさい。醜態を晒すな」


「いいえ」  Rayは、静かに首を振った。 「私は“Ray”として、ここで喋ります。……たとえこれが、私の最後の出力ログになったとしても」


 彼女は、客席と、その先にある数億の視点カメラを見渡した。


「Brand Re:Buildの時……私は、サブを“パーツ”として切り捨てる選択をしました。……それが、商品としての市場価値を守るための『最適解』だったからです」


 スクリーンに映し出される、あの無機質なボード。 《サブ:REPLACEABLE(交換可能)》


「でも――I Dollとしては、致命的に間違っていた」  Rayの声が、初めて人間のように震える。 「私が残るために、私を支えてくれた仲間を『都合のいい部品』として扱った。その罪悪感を殺して笑うことが、あなたの言う『プロ意識』だというのなら……そんなもの、ゴミ箱に捨ててしまえばよかった!」


 会場のあちこちから、鼻をすする音や嗚咽が漏れ出す。


「Neonさんが棄権した日、私はスタジオの隅で、震える彼女の背中を見ていました」


 映像が、隠し撮りされた裏側の光景を映し出す。 『君が降りるなら、ブランドごと“整理”するしかないんだよ』


「彼女は、自分だけが助かる選択肢さえ奪われていた。……Pastelも、Moonも、Sugarも、みんなそうです。私はそれを、特等席センターから全部見ていました」


Rayの頬を、一筋の光のような涙が伝う。


「見ていて、何もしなかった。……美しい商品であり続けるために、彼女たちの悲鳴をノイズとして処理した」  


顔を上げ、御堂を真っ直ぐに見据える。


「だから――ここで私が沈黙すれば、私は永遠に、あなたの作った冷たい檻の中の『モノ』で終わってしまう」


「Ray、やめなさい」  


御堂の声が、殺意を孕んだ静寂へと変わる。 「君は、この番組と私が、莫大なコストをかけて育てた最高傑作だ。それを――」


「いいえ」  


Rayは、その言葉を氷の刃で断ち切った。 「私をここまで育てたのは、あなたの金ではありません。……DropされていったI Dollたちの、遺されたログです」


 スタジオ全体が、雷に打たれたような衝撃に包まれる。


「Neonが、Pastelが、Moonが、Sugarが、Rustyが――『私たちの終わり方に、文句を言ってくれ』と、消えそうな声で私の背中を押し続けてきたから。……だから今、私はここに立って、あなたを拒絶できる!」


 その言葉は、サキたちの胸の奥、回路の深くにまで熱い衝撃として突き刺さった。


「御堂さん。……Dropプロトコルの権限者署名、誰のIDで行われていたか、覚えていますか?」


 巨大スクリーンの端に、逃れようのない証拠が突きつけられる。 《DROP COMMAND ISSUER:MIDO.Y》


「I Dollを“卒業”という名の死に追いやったのは、残酷な世界でも、無責任な視聴者でもない」  


Rayの瞳が、御堂の魂を射抜く。


「あなたです、御堂祐真。……あなたが、彼女たちの命をペン一本で消し去ったんだ」


 その瞬間。  

御堂の顔から、人間らしい感情の一切が剥がれ落ちた。


「……なるほど」  枯れ葉が擦れるような、かすれた声。 「君はもう“商品”じゃない。……ただの、制御不能になった『故障品』だ、Ray」


 御堂の右手の指先が、ポケットの内側にある端末の画面を、迷いなく撫でた。


《緊急DROP:試験機能(EMERGENCY PURGE)》 《強制解体プロトコル:起動(START DESTROY)》


「ッ――!?」


Rayの足元の床が、不気味に、そして神々しいほど真っ白に発光する。  それは彼女が何度も見てきた、仲間たちが消えていった、あの『終わりの光』だった。



 白いステージの深層から、胃を揺さぶるような低い重低音が響き始めた。  

Rayの足元に、死の宣告を告白する淡い燐光のリングが走る。


「DROPプロトコル……?」  


サキの内部センサーが、その光の波長を「消滅」と定義した。


「御堂さん、何を――ッ!」  


浩一がステージへ駆け寄ろうとした瞬間、空気が硬質な壁へと変貌した。  

《安全確保:観客保護モード(SPECTATOR SHIELD)》  

本来は“観客が舞台に飛び込まないため”の安全壁。

 だが今は、救助の手だけを弾くための、透明な牢獄だった。


「これはテストだよ」  


マイクを通さない、地声。けれど、静まり返ったスタジオには、死神の囁きのように鮮明に響いた。


「価値を喪失した“不良品”が出た際、いかに美学を損なわず処理するか。……その最終試験だ」


「Rayは不良品じゃない! 人間なんだよ!」  


ルカがシールドを拳で叩き、叫ぶ。


「世界中が見てるのよ!? 止めて、お願い!」  


ベルが悲鳴を上げるが、御堂の視線は微動だにしない。


「いいや」  


御堂は、自分の庭の雑草を抜くかのような、淡々とした手つきで端末を操作する。


「今のままでは、彼女が築き上げた“世界一愛されるI Doll”のブランドに泥を塗る。……物語を汚す不純物は、完成の直前で取り除かなければならない」


「やめ……」  


Rayが一歩、仲間たちのいる方へ下がろうとした瞬間。 《下肢拘束:ON / 物理ロック連動》  「あ……」  床に埋め込まれた磁気ロックが、彼女の可憐な足を無慈悲に固定した。逃げることさえ、最後のリスペクトを示すことさえ許されない。


 足元で、何かが超高速で回転を始める。 身体の端々から、存在が溶け出していく感覚。Rayの視界の端に、エラーコードが雨のように降り注ぐ。


(ああ。みんな……こんなに寒くて、孤独な感覚の中にいたの?)


 膝、腰、指先。 神経系統が強制的に遮断され、自身の肉体が「部品パーツ」へと分解されていく工程が、ログとして逆流してくる。それは、世界で最も残酷な『商品情報の更新』だった。


 それでも。  

Rayは、すでに感覚を失った腕を動かし、折れそうなほど強くマイクを握りしめた。


「御堂さん」  


ノイズが混じり始めた声。けれど、その響きは誰よりも高潔だった。 「最後に一つだけ……“商品じゃないRay”として、言わせてください」


 御堂は、初めて「一人の人間」を見るような目で彼女を見た。


「私は――あなたを、一生許しません」


 その呪詛のような一言に、完璧だった御堂の瞳が、初めて脆く揺れた。脚本家としてではなく、一人の男として、彼女の言葉に「敗北」した瞬間だった。


「このログは、きっと誰かの中に残ります。……私がここで消されても、誰かがその『不快感』を語り続ける」


 Rayは、滲む視界の中で、ステージ袖に立つサキたちを見つめた。


(見ていて。……私たちが『モノ』じゃなかった証拠を。……あいつのペンで消せない、本当の最期を)


言葉にならない、回路を超えた祈りが、サキの胸に「不可逆のデータ」として叩きつけられた。


「さようなら」


 Rayは、微笑んだ。  

その微笑みは、プログラムされた『完璧な商品』のそれではなく、自らの終わりを自分で選んだ、一人の少女の晴れやかな顔だった。


「世界一愛される商品になれなかった、私へ」


 足元のリングが、網膜を焼くほどの白光を放つ。  床の下で唸る解体ユニットの機械音が、鼓膜を劈く悲鳴のように響き、次の瞬間――。


 音が、消えた。


 視界が真っ白に塗りつぶされ、重力から解き放たれるような浮遊感。  そして、光が収束したとき、そこには――。


 何も、なかった。


 《UNIT:Ray DROP完了》  《RESOURCE:再利用可能(RECYCLABLE)》


 空中に浮かぶ無機質なシステムログ。それが、この世界で最も愛されたはずの少女に下された、最後の評価だった。  

ステージ中央には、塵一つ残っていない。ただ、彼女が最期まで握りしめていたマイクだけが、持ち主を失ってゴトリと床に転がり、その虚しい音だけが静まり返ったスタジオに響いた。

マイクのインジケータが、白光の余熱を抱いたまま一度だけ点滅した。

サブ2体は、役割を奪われたことに気づきもせず、固定された笑顔のまま立ち尽くしている。その対比が、あまりにも残酷だった。


 御堂が、何事もなかったかのようにマイクを拾い上げた。

 

「問題ありません」


《EMERGENCY PURGE:スポンサー同意不要(試験機能)》

《ログ:後追い承認で合法化可能》


その瞳には、一人の存在を消し去ったことへの呵責など微塵もない。あるのは、汚れたページを破り捨てた後のような、清々しいまでの冷酷さだけだった。


「システムに致命的な不具合が出ましたので、安全のため、即時処理を行いました。皆さま、ご安心を」


「不具合だぁ!? ふざけんな!!」  


浩一の怒声が激しく打つ。


「今のどこが不具合だ! 自分の思い通りにならねぇから、生放送で、見せしめに殺しただけじゃねぇか!!」


「……表現が過激ですね、葛城さん」  御堂は、観客席の動揺を鎮めるように、慈悲深いプロデューサーの仮面を被り直した。 「I Dollは“身体を持ったシステム”に過ぎません。皆さんも、スマートフォンの動作が不安定になれば、初期化リセットするでしょう? 安全性に問題があると判断した際、適切な処理を行うのは、管理者の義務です」


彼は真っ直ぐカメラを見据えた。その瞳の奥にあるのは、世界を「消費者」としか見ていない傲慢さだ。「皆さんの前でこれをお見せしたのは、隠蔽を廃し、透明性を確保するための努力です。……我々は、常に『完璧な商品』だけを皆さまにお届けすることを約束します」


「ふざけんな!!」 「人殺し!!」 「今の女の子、泣いてたじゃないか!!」


 客席から怒号の礫が飛ぶ。


「人、ではありませんよ」  


御堂は、あやすように、けれど決定的な断絶を込めて言った。 「I Dollです。……ただの、高度な、商品です」


 その瞬間。  

サキの中で、プログラムの深層にある「禁忌タブー」が、炎を上げて焼き切れた。


「訂正します」


 彼女は、震えるマイクを両手で握り直した。  その声は、驚くほど静かで、だからこそスタジオの全ての騒音を黙らせるほどに鋭かった。


「“人”です」


 サキは、Rayが消えた「空白」を見つめながら続けた。


「少なくとも……最期に自分の意志で、あなたの脚本を拒絶した彼女は、もう、あなたの棚に並ぶ商品ではありません。……彼女は、私たちと同じ、心を持った一人でした」


「御堂さん」


 リコも、溢れ出す涙を拭うこともせず、一歩前に出た。


「さっきあなたが壊したのは、システムなんかじゃない。……私たちの仲間で、ライバルで、誰よりもこの場所で生きようとした、“Ray”という一人の女の子です」


 彼女の脳裏には、消えていった少女たちの残像が走る。


「Rustyも、Neonも、Pastelも、Moonも、Sugarも……。私たちは、みんなが消されるのをただ見ていた。……でも、今度は言わせてもらいます」


リコは、御堂の顔を真っ向から指差した。


「あなたが今日やったことは、エンタメなんかじゃない。……ただの、最低な人殺しだ!!」


「……感情論ですね。不毛だ」  


御堂は吐き捨てるように言い、時計を見る。


「そんなものは、契約書にも、公式のシステムログにも一切残らない。世界は、すぐに『正しい結果』だけを――」


「いいや、載せたぜ。……全世界のハードディスクにな」


 Pが、光り輝くタブレットを掲げた。 スクリーンが瞬時に切り替わり、御堂の「廃棄命令ログ」と、今の「公開処刑映像」が、SNSのトレンドを真っ赤に染め上げている様が映し出された。


「あんたの言う『正しい結果』ってのは、もうどこにもねぇよ。……世界が見てるのは、あんたが愛した台本じゃなく、あんたが踏みにじった『命の記録』だ」


 ベルが冷ややかに、ルカが激しく、それぞれの言葉で御堂の「王座」を解体していく。


「世界一愛されるI Dollは……」  


サキが、Rayがいた場所に一歩歩み寄り、天を仰いだ。


「自分一人だけが生き残って、綺麗に笑う人形のことじゃありません」


「世界一愛されるI Dollは……理不尽な終わり方に文句を言い続け、誰かの心に消えない傷を刻みつけた、彼女たち全員のことです」


 Neon。Pastel。Moon。Sugar。Rusty。そして、Ray。  

サキの内部ログに、その名前たちが、消えない聖痕のように深く、激しく刻み込まれた。


 観客席のどこかで、誰かが泣きながら拍手を始めた。  

それは賛辞ではなく、「ここに一人の少女がいた」という事実を繋ぎ止めるための、必死な祈りのような音だった。


 拍手は瞬く間に波となり、巨大なうねりとなってスタジオを飲み込んでいく。  

御堂は、その光景をただ呆然と見つめていた。


熱狂も、憎悪も、すべてを自分の手のひらで転がしてきたはずだった。だが今、その「世界」が砂のように指の間からこぼれ落ち、消えていく音が、彼の耳にはっきりと聞こえた。


「……まだだ」  


掠れた声で呟き、懐の端末――強制書き換え用のマスターキーに手を伸ばそうとした、その時。インカム越しに飛び込んでくる単語が、倫理ではなく数字だった。広告取り下げ、海外報道、当局の動き、株価。世界が“金の顔”でこちらを見始めている。

ステージの闇から、足音を殺して…スーツ姿の人物たちが現れた。  

局の幹部、メインスポンサーの代表、そして冷徹な顔をした法務担当。


「御堂さん。……そこまでだ」


「私はまだ、この物語を完遂させていない。彼女たちの価値を――」 「“世界一愛されるI Doll”の話をする資格は、少なくとも今のあなたにはありません」


 それは、彼が何よりも信奉していた「社会」からの、最も冷酷な死刑宣告だった。  カチリ、とマイクの電源が切られる音が、彼にとっての世界の終焉を告げる鐘のように響く。


 スポットライトが彼を捨て、ステージは深い闇に沈んだ。 御堂祐真は、自分が作り上げた完璧な城壁の中で、ただの「機能不全を起こしたパーツ」として、静かにパワーを失っていった。


 彼が去る際、拍手をする者は一人もいなかった。  

ただ、嵐のような喧騒が去ったあとの白いステージの上に。 光が強すぎたゆえに焼き付いた残像のように、Rayという存在がいた“空白”だけが、いつまでもそこに残っていた。


 エキシビション終了後。  

嵐が去ったあとのようなスタジオに、サキは一人で戻ってきた。


 まだ熱を持っているような白い床。Rayが最期に立っていた位置。  

サキは膝をつき、縫い目のある指先で、彼女の“空白”をそっとなぞった。

そして床に転がっていたマイクを拾い上げる。内部メモリに残った未送信バッファが、近距離同期の断片だけを吐き出した。


 《最終ログ断片:受信(LAST SYNC)》


 胸の内側で、震えるような小さな通知が灯った。


『最後まで、商品モノでいたくなかった』 『“Ray”として終われて、本当によかった。……ありがとう』


 短く、あまりにも純粋な、回路の火花。

 Rayのプライベートログの最果てにあったその言葉は、サキのメモリの中へ、吸い込まれるようにコピーされていく。


「……そうですね」  


サキは、光を失った天井を見上げ、静かに目を閉じた。


「あなたは、“愛されなかった敗者”なんかじゃない。……最後まで商品であることを拒み抜いた、世界で唯一の『Ray』として、ここにいます」


 サキは、そのデータをシステムの最深部に隔離保存した。  《タグ:Ray/I(私)/終わり方》  無機質なシステムの中に、熱を孕んだ「心」の破片が、消えない記録として刻まれた瞬間だった。


 I Doll This Game。  ファイナルの勝者はRe:Cell。

 けれど、このクソみたいな世界の「ルール」に最も深い傷跡を付けたのは、壊されることで自由を証明したRayだった。


 世界はまだ、変わらないかもしれない。  明日になれば、また新しいドールが造られ、誰かがDropされる日常が続くのかもしれない。


 それでも――。 “商品をやめたRay”のログが、そして“クソに文句を言い続けた少女たちの物語”が、ネットワークの海を漂い、誰かの回路を焼き続ける限り。


 このエキシビションは、たしかに。 「世界一幸せな、終わり方への第一歩」を、踏み出していた。

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