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第1章 居候と応募フォーム

  サキが起きてから、三日が過ぎた。


「起きた」と言っても、最初の一日は、半分以上をスリープモードで過ごしていた。

 電圧が不安定だとすぐに落ちるし、動かそうとすればするほど、焦げた配線が悲鳴を上げる。


「だから言っただろ、動きたきゃちゃんとしたメンテ受けろって……!」


「Pが、メンテ工房の見積もりに、“高い”とコメントしていました」


「人の口癖ログるな」


 安アパートの床に、今日もネジと工具と、通販で買った安物のパーツが散らばる。


 浩一は、サキの膝のあたりにしゃがみ込んで、ガタつく関節を押さえた。


「ほら、もう一回。膝、ゆっくり曲げろ」


「了解しました。――屈曲。角度、三十度……四十五度……」


 ぎぎ、と金属が擦れる音がして、サキの右脚がぎこちなく折れた。

 そのまま九十度まで到達したところで、関節のどこかが「ぱきん」と嫌な音を立てる。


 バランスを崩し、サキの上半身が前につんのめる。

 浩一は慌てて受け止めた。


「っととと! おい、壊れるなよ、今壊れたらマジで笑えねぇぞ」


「現在、破損音を検出。

 要メンテ箇所……右膝ジョイント、二カ所」


「わかってるよ……見てたからな、今」


 浩一は小さくぼやきながらも、倒れかけたサキをそっと元の位置に戻す。


 半分むき出しのフレーム。剥き出しの配線。

 まともな服もないから、処分場から引き剥がした破れた衣装の上に、使い古したパーカーを無理やり羽織らせている。


 鏡に映せば、きっとホラー映画のポスターが一枚できるだろう。


「……なあ」


「はい」


「お前さ、自分で‘破棄拒否’とか言ってたくせに、

 この程度でガタガタ言ってんじゃねぇよ」


「“破棄拒否”時点のログと現在の状況は、別個の事案です」


「それっぽく言うな」


 そう突っ込む声に、苛立ちはほとんどなかった。

 むしろ、半分は自分に向けたツッコミのようなものだ。


 サキは首を傾げる。


「P」


「なんだ」


「あなたは、拾ったことを後悔していますか」


 その問いは、あまりにも真っ直ぐだった。


 浩一は、少しだけ口を閉ざし、手にしていたドライバーをくるくる回した。


「……七割くらいはな」


「高確率での後悔ですね」


「残り三割は、“まあ面白そうだし”で誤魔化してる」


「合理的ではありません」


「合理的なやつは、そもそも処分場からスクラップ担いで帰らねぇの」


 工具箱を漁りながら、浩一は自分で言って、自分で苦笑した。


「いいんだよ。俺の人生はもう、合理性とは別ルート走ってんだ。

 今さら一個や二個、バグが増えたところで誤差だ」


「私が、そのバグの一つ、ですか」


「光栄に思え。人の人生をバグらせるのは、なかなかできることじゃない」


 サキは、その言い回しを処理しきれなかったのか、一瞬黙り込む。


 やがて、静かな声で呟いた。


「……了解しました。私が生きていることが、Pの人生に影響を与えているという認識で、ログしておきます」


「言い方ァ」


 それでも、どこかくすぐったいような感覚が残ったのは、きっと疲れているせいだ。


 浩一は、工具箱から新品のジョイントパーツを取り出した。

 通販サイトで、「訳あり品・動作保証なし」という怪しいタグがついていたやつだ。


「動かなきゃ話になんねぇからな。

 アイドルオーディションってのは、基本立って歌う仕事なんだよ、サキ」


「“アイドル”の定義を再確認したいのですが、ドール型接客端末とは、別カテゴリーなのですか」


「……いい質問だな」


 浩一は、床に座り込んだまま、天井を見上げた。


「世間的には、今、お前ら全部ひっくるめて“アイドル”扱いされてんだよ。歌って踊るタイプも、笑って飲み物運ぶタイプも、客のストレス発散用に殴られるタイプも、まとめてな」


「負荷処理型ドールも、“アイドル”ですか」


「店の名前見たことねぇか。“殴ってストレス発散! リアルアイドル解体ショー☆”とか」


「検索結果……三十二件ヒットしました」


「だろ。

 要は、“画面映えさえすりゃなんでもアイドル”ってことだ」


 それは自嘲でもあり、諦めでもあった。


 人間アイドルが市場から削られていき、代わりにドールが隙間を埋めていく。

 安価で、壊しても、傷つけても、誰も本気で泣かない存在。


 統計上の犯罪件数は減った。

 ニュース番組は、「ドール普及による治安の改善」と好意的に取り上げる。


 代わりに、ドール専用の解体ショーや、暴力発散系の店舗が増えたことには、誰も触れない。


「P」


「ん?」


「私は、どの分類に属しているのですか」


 サキが自分の胸元――焦げたプレートのあたりを見下ろしながら問う。


「接客型でも、負荷処理型でも、戦闘支援型でもありません。

 私は、何のために作られた個体だったのか、ログが欠損しています」


「……上の連中は、“世界で一番愛されるため”とか言ってたかもな」


 浩一は、膝をついたまま、ジョイントをカチリとはめ込む。


「お前の型番、“公式ライン予定”なんだろ?

 動きも表情も、歌声も、“人間より上”になるように作られた。

 表向きは、な」


「……裏向きは?」


「知らねぇよ。

 俺が知ってるのは、“動けるかどうか”と、“客が金出すかどうか”だけだ」


 工具を置き、浩一は立ち上がる。


「ほら、もう一回。立ってみろ」


「了解しました」


 サキはゆっくりと足に力を込める。

 右膝の新しいジョイントが、微かに軋んだものの、さっきのような不穏な音はしない。


 座り込んでいた状態から、ぐっと上体を引き上げ――

 ぐらつきながらも、なんとか立ち上がった。


 視線の高さが、浩一とほとんど同じになる。


「……立位姿勢、維持。成功率、六十七パーセント」


「もうちょい自分を褒めろよ。

 立てたんだろ、十分だ」


 そう言いながらも、浩一は、いつでも支えられるように手を伸ばしたままにしていた。


 サキは、そんな彼を一瞥し、ほんの少しだけ、首を横に振る。


「P。私は、“破棄拒否”を選択した個体です」


「……ああ」


「であれば、“立位姿勢維持のための補助”に依存しすぎるのは、

 私の選択と矛盾します」


「言うようになったじゃねぇか」


 口ではそう言いながら、浩一の口元には、知らず知らずのうちに笑みが浮かんでいた。


 立つ。

 それだけの動作が、今のサキにとっては、一つの“生存宣言”だった。


 修理と調整を繰り返すうちに、

 この狭い部屋の中にも、少しずつ“日常”のパターンができていった。


 昼間、浩一は映像編集の仕事を片付ける。

 机代わりのラックの前に座り、三枚のモニターを使ってテロップを流し込み、

「ドール普及で世界は平和に!」みたいな企業PRを淡々と繋げていく。


 その後ろで、サキは充電ケーブルに繋がれたまま、静かにデータ更新を続ける。


「新規ニュース取得……完了。ドール関連犯罪件数、前月比マイナス二・二パーセント。

 “ドールへの暴力は合法ですか?”というアンケート記事、賛成七十パーセント……」


「そういうニュース読み上げるのやめろ。編集してる内容と喧嘩すんだろうが」


「失礼しました。ニュースのフィルタリング設定を、Pのストレス値に合わせて調整します」


「俺をスマホ扱いすんな」


 夜になると、逆だ。


 浩一が仕事を終え、ソファ代わりのケーブルの束に沈み込むと、

 今度はサキが、部屋の中をぎこちなく歩き回る番だった。


 最初のうちは、三歩進んで二回つまずくレベルだったが、

 一週間もすれば、壁にぶつからずに冷蔵庫まで辿り着けるようになる。


「P。水の残量が少なくなっています」


「おう、明日買ってくる」


「今夜の分は、確保済みです」


 そう言って、サキは冷蔵庫からペットボトルを一本取り出し、

 浩一の前の机――の役割をしているラックにそっと置く。


「……気が利くじゃねぇか」


「“居候”は、宿主の生活に一定の貢献をするべきだと判断しました」


「言い方の問題はいつ直るんだ」


 そんな会話を交わしている間にも、

 サキの視線は、室内の色々なものをスキャンし続けていた。


 レンタルドールの広告チラシ。

「出張アイドール・一晩いくら」の料金表。

 ニュースバナーに表示される、ドール殴打用テーマパークのCM。


「P」


「なんだ」


「“レンタル・アイドール”は、接客型ドールの一種ですか」


「そうだな。

 ラブホとカラオケと、メンタルクリニックをごちゃ混ぜにしたような商売だ」


「利用後に、破損していた場合のペナルティが細かく記載されています。“軽度の破損”“中度の破損”“重度の破損”“完全破壊”……」


「そこ読み上げんなって」


「“完全破壊”の場合、弁償額が他の三倍になっています。負荷処理型ドールが、安価な暴力の受け皿として設計されている一方で、完全な破壊は、あまり好まれていない、ということでしょうか」


「壊れすぎると新しいの用意すんのが面倒なんだろ」


「……“安く、壊してもいい存在”でありながら、“壊しすぎるとコストがかかる存在”でもある、と」


「そうだよ。ドールも人間も、“コスト”で見られると、だいたいろくなことにならねぇ」


 浩一は、空になったペットボトルを指で転がす。


「お前は今のところ、俺にとって“高すぎる居候”だな」


「……私の維持コストが、Pの生活を圧迫しているという意味ですか」


「そういう言い方されると、なんか罪悪感煽られてるみてぇだな」


「事実を述べました」


「事実だけ述べるやつは、だいたい嫌われるぞ」


「では、どのように表現すれば――」


「“ご迷惑をおかけしていますが、これからもよろしくお願いします”とかだな」


「……ご迷惑をおかけしていますが、これからもよろしくお願いします、P」


「おう。よろしい」


 意味を理解しているのかどうかはともかく、

 その言葉の順番だけは、妙に丁寧に発音された。


「で」


 ある日の午後、浩一は腕を組んで、サキの全身を眺めた。


「このままの格好でオーディション行くわけには、いかねぇんだよな」


「現在の衣装に、問題がありますか」


「問題しかねぇよ」


 破れた公式衣装の残骸、その上から着せた男物のパーカー。

 膝はむき出し、ところどころ配線が覗いている。


 “世界一愛されるアイドル決定戦”とやらに送り出すには、あまりにも惨めだ。


「まあ、“シンデレラ・ストーリー”ってことで、

 ボロ服から始めても話的には美味しいんだけどな。見た目的に地上波アウトだ」


「“地上波アウト”の基準は、露出面積の問題でしょうか」


「露出もそうだが、“夢”が無さすぎんだよ」


 浩一は、古びたスマホを取り出し、通販サイトを開いた。


「最近は便利な世の中でな、ドールサイズの服だけ扱ってるショップがある」


「検索結果、一一六件ヒットしました」


「お前、何でも先に言うな。人の出番を奪うな」


「失礼しました。Pの“話術”の見せ場を侵害しないよう、以後注意します」


「自覚あったのかよ」


 小さく笑ってから、真顔に戻る。


「サイズは……一応公式スペックは“人型標準女性サイズ”なんだよな?」


「私のフレームは、平均的成人女性の体格データを参照して設計されています」


「平均って便利な言葉だよな。どこの誰を基準にしてるのか、だいたい誰も知らねぇ」


 ぶつぶつ言いながら、サイズ表とサキの身体を見比べる。

 バスト、ウエスト、ヒップ。

 メジャーなど持っていないので、手の感覚と目分量でどうにかするしかない。


「……オッサンが真顔で人形の胸囲測ってんの、客観的に見たら通報案件だな」


「通報、とは?」


「気にすんな。お前は真顔で立ってろ」


「了解しました」


 採寸らしきものが終わり、浩一は通販サイトのカートに適当に服を放り込んでいく。


 量販系のワンピース。動きやすそうなショートパンツ。

 安い合皮のジャケット。

 “アイドル風ステージ衣装・汎用タイプ”なんてふざけた名前の商品もある。


「……高ぇな。

 布切れにしては、いい値段するじゃねぇか」


「ドール用衣装市場は、近年拡大傾向にあります。

 所有者の“自己表現欲求”が、衣装消費に反映されているとの分析が――」


「分析は後で聞く。今は割引クーポン探してる」


「……Pも、“自己表現欲求”が高い個体に分類されますか」


「俺の欲求は“安く済ませたい”一点だよ」


 最終的に、アウトレット品や型落ちモデルをかき集め、

 どうにか予算内に収めた。


「よし。

 明後日には届くらしい。文明って素晴らしいな」


「“文明”の定義に、“即日配送サービス”が含まれるのでしょうか」


「俺の中ではかなり上位だな」


 二日後。

 届いた段ボール箱を開けて、中身を並べる。


 シンプルな白のブラウス。

 膝上丈のプリーツスカート。

 黒のショートブーツ。

 そして、安っぽさをギリギリ可愛さに変換しているステージ衣装もどき。


「……よし。

 想像してたよりマシだな。写真写り次第では“安めの新人アイドル”くらいには見える」


「“新人アイドル”のベースラインが、まだ私の辞書にありません」


「そのうち覚えろ」


 浩一は、服を片手にサキの方を振り返る。


「じゃ、上下脱げ」


「命令の意図が不明です」


「着替えさせんだよ。ドールでも、さすがにテレビ出すなら服くらい整えないとクレーム来んだよ」


「了解しました。――ただし、“異性による衣服着脱行為”に関する倫理規定が、一般的に存在していると認識しています」


「気にすんな。お前、人じゃねぇし。俺も人としていろいろ終わってるし」


「……P」


「なんだ」


「今の発言は、自己評価として健全ではないと判断しました」


「AIに説教される日が来るとはな」


 そんなやり取りをしつつ、ぎこちなく着替えを進める。


 焼けた衣装を脱がせ、新しい布を通していく。

 関節に引っかからないように慎重に。

 むき出しだった配線は、布の下に隠れていく。


 最初に袖を通したブラウスは、想像以上に“普通の女の子”らしく見えた。


「……おお」


「サイズ、問題ありませんか」


「問題ねぇな。

 やっぱり“平均的成人女性体型”ってのは、伊達じゃねぇらしい」


 スカートを履かせ、ブーツを履かせる。


 鏡代わりの黒いモニターに映ったサキは、

 お世辞抜きに、“安っぽいけれど、それなりに愛想のありそうなアイドル候補生”に見えなくもなかった。


 焦げ跡は化粧品でどうにか隠す予定だ。

 髪はまだ短く焦げているが、ウィッグを買う余裕はないので、一旦“ベリーショート系”と強引に解釈する。


「……どうだ」


「視覚センサーによる自己認識結果。

 以前より、“人間女性の外見的パラメータ”に近づいたと判断します」


「そういうことを、世間では“似合ってる”って言うんだよ」


「……P」


「ん」


「似合っている、と判断しますか」


 その問いには、少しだけ感情のノイズが混じっていた。

 浩一は、ほんの一瞬だけ考えてから、短く答えた。


「――ああ。

 似合ってるよ、サキ」


「了解しました。

 その評価を、優先ログに保存します」


「保存すんな照れるだろ」


 そんな他愛もないやり取りをしていると、

 机の上の端末が小さく振動した。


 新着メール。

 件名には、見覚えのある番組名が表示されている。


 《【I Doll This Game】一次エントリー結果のお知らせ》


「あ?」


 浩一は、ペットボトルを置き、端末を手に取る。

 サキが、静かにその背中を見つめていた。


 メール本文には、定型文が並んでいる。


 《この度は“I Doll This Game”へのご応募、誠にありがとうございます。

 書類および事前データ審査の結果――》


 スクロールして、肝心な一行を探す。


 《――IDoll-39(識別名:サキ)様は、一次審査を通過いたしました》


「……マジかよ」


「“マジ”とは、“事実としてそうであることに対する驚き”を表す――」


「わかってるよ。今のは俺が言ったんだよ」


 浩一はメールを読み返し、条件文にざっと目を滑らせる。


 撮影日時。スタジオ所在地。

 持ち物。所有者同伴の義務。

 そして、細かく書き連ねられた免責事項。


 《番組参加中におけるドールの破損・機能不全・喪失等につきまして、

 当社は一切の責任を負いかねます》


 その一文のところだけ、指が一瞬止まる。


「……クソが」


 小さく吐き捨てて、それでもチェックボックスに指を滑らせる。


 同意する。

 送信。


「P。

 何か、問題がありましたか」


「問題しかねぇよ。

 でもな――」


 端末を机に置き、振り返る。


 新しい服を着て、不器用に立っているサキ。

 まだところどころ動きは固い。

 それでも、“破棄予定のスクラップ”には、もうどう見ても見えなかった。


「ここまで直して、立たせて、服まで着せて、“やっぱやめました”って引き返すのも、

 それはそれで俺の性に合わねぇ」


「……では」


「行くぞ、サキ」


 浩一はニヤリと笑った。


「世界一クソッタレなショーに、スクラップ上がりと落ちぶれ映像屋で、殴り込みだ」


「了解しました、P。“世界一クソッタレなショー”への参加を、開始します」


「言い方ァ」


 それでも、不思議と悪くない響きだった。


 部屋の外では、今日もどこかでドールのCMが流れている。

 “世界は前よりマシになった”という、よくできた物語が、繰り返し再生されている。


 その物語の裏側に、小さなバグがひとつ。

 ――“破棄拒否”を選んだドールと、そのドールに人生をバグらされた男が、

 足を踏み入れようとしていた。


 I Doll This Game。


 愛されるための道具たちのゲームに、

 まだ“I(私)”を知らないアイドールが、一体、紛れ込もうとしていた。

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