Log12 地獄見学ツアー
第3ステージ本戦がすべて終わると、観客席には妙な空気が残った。
興奮とも、疲労とも、罪悪感ともつかないざわめき。
「いやー! 激動の第3ステージでしたね!!」
MC神崎は、いつものテンションで締めに入る。
「次回、いよいよ最終ブロックに向けて――」
その声の裏側で、
《PastelNote…》
《マジであれで終わりなん?復活ないの?》
《Drop演出エグすぎて普通に笑えんかった》
配信コメントは、いつもより刺々しい文が多かった。
Cell-39の控室。
「……疲れた」
ルカが、ソファに仰向けに倒れ込む。
「Neon見て、Pastel見て、その後に本番とか、精神力テストかよ」
「でも、ステージはちゃんと勝った」
ベルが、タブレットの簡易データを見ながら言う。
「スタジオ投票は2位、視聴者リアクション指数も2位」
「第1位は、もちろんGlitter-α」
サキが補足する。
「“Dropショーのデモンストレーション”を、PastelNoteが一手に引き受けた形です」
「……“引き受けた”って言い方、なんかやだな」
ルカが、目だけこちらに向ける。
「では、“押し付けられた”?」
浩一の問いかけに、誰も答えなかった。
エアコンの微かな駆動音だけが、熱を持ったままの四人の肌を無機質に撫でていく。鏡に映る自分たちの顔は、強力なライトにさらされたせいで白く飛び、まるで実体のない偶像のように見えた。
耳の奥には、まだあの「拍手」がこびりついている。PastelNoteを奈落へ突き落とした、あの温かくて残酷な、免罪符の音だ。自分たちもまた、あの音に包まれながら、死体の山の上に立っている。その事実が、鉛のような疲労となって、ルカの肩にのしかかっていた。
「そっちの方がまだしっくりくる」
浩一は、上着も脱がずに壁にもたれ、
天井の蛍光灯を眺めていた。
「P」
ベルが、慎重に声をかける。
「顔、死んでるよ」
「お前らもな」
即答だった。
ノックの音がして、ドアが開く。
「お疲れさまです、Cell-39さん」
入ってきたのは、番組ADと数人のスタッフ。
「このあと、コメント撮りが何本か入ってます。NeonMarchさんの件と、“I Doll Drop”を見てのご感想を……」
「……はい来た、“感想ください”」
ルカが、両手で顔を覆う。
「“人が死んだ感想どうぞ”ってやつのソフト版」
「感想を切り取って、“番組の答え”としてテロップをつけるやつですね」
サキは、さらりと言う。
ADが困ったように笑った。
「まぁ、その、言える範囲で大丈夫なんで……」
「“言える範囲”って言葉が一番何も言えない範囲なの、皮肉だよね」
ベルが肩をすくめる。
「リコさんも一緒にどうです?」
ADの言葉に、ルカが顔を上げた。
「リコ?」
「はい、さっきサブスタジオでご一緒でしたよね?今こちらに向かってきてます」
そのタイミングで、
控室の外から小さくノックが響いた。
「失礼します。……あの、入ってもいいですか」
ドアの隙間から顔を覗かせたのは、
Rustyの生き残り――リコだった。
「リコ!」
ルカが、跳ね起きる。
「無事? 生きてる?」
「はい、一応」
リコは、どこか力の抜けた笑顔を浮かべる。
「“Drop候補ではない枠”で生きてました」
「それ、全然安心できない言い方なんだけど」
ベルが苦笑する。
サキは、一歩近づいて軽く会釈した。
「第3ステージの視聴、お疲れ様でした」
「それ、視聴者に言うやつじゃないですか?」
リコが、くすっと笑う。
「でも、ありがとうございます。こっち側から見てるの、わりと地獄でした」
「Neon、見てた?」
ルカの問いに、リコは小さく頷いた。
「棄権の瞬間から、Final Stageのセットが組まれるところまで、全部、ガラス越しに見せられました」
声が震えるのを、
無理やり押しつぶしているのが分かる。
「ミオさん、最後まで“NeonのI Doll”でした」
「Pの選択をログして、“納得はしない”と言って、それでも命令を待っていました」
言葉の選び方が、どこかサキに似ていた。
「PastelNoteは?」
ベルが訊ねる。
「……あれは、“綺麗な方の殺し方”だと思いました」
リコは、ぎゅっと自分の腕を抱きしめる。その指先は、まだ「あの場所」の冷たさを覚えているようだった。
「ミオさんたちが消えたあとのセットが、次の瞬間には『なかったこと』にされて、PastelNoteを沈めるための花びらが準備されていくんです。……ガラスの向こう側では、誰かの人生が終わる音と、誰かを喜ばせるための演出が、同じ作業員の手で並行して進んでいました」
リコの瞳に、やり場のない鋭い色が混じる。
「拍手さえすれば、誰も『床の下』の惨状を見なくて済む。……視聴者も、スタッフも、みんなその共犯なんです。中身がどこに行くかなんて、誰も聞かないように、呼吸を止めるようにして笑ってるんです」
部屋の空気が、重く沈殿していく。 サキのセンサーが、リコの心拍数の異常な乱れを検知した。それは、あまりに多くの「終わらされた者たち」を間近で見すぎた者の、壊れる寸前の悲鳴だった。
「それでさ」
リコは、少し顔を上げて続けた。
「さっき、ADさんに言われました」
チラリとADを見る。
「“リコさんは、今後コメント枠やVTR用で、もっと活躍してもらうかもしれません”って」
「……つまり」
ルカが眉をひそめる。
「“Dropさせるには惜しい素材だから、外側から利用価値ある位置に置いとくね”ってこと?」
「たぶん、そうです」
リコは、自嘲気味に笑った。
「Rustyのログも、Neonのログも見てて、Cell-39のステージまで近くで見れる立場の人間って――今、世界で私しかいないんですよね、多分」
「“世界で一人だけ、まとめてログを持たされている存在”」
サキが、感情の薄い声で言う。
「それは、非常に特殊な役割です」
「特殊って言うと、ちょっとだけカッコいいですね」
リコは、ぽつりと笑う。
「でも、幽霊みたいだなとも思いました」
視線を落とす。
「ステージにも、Dropにもいない。ただ、見てるだけで“存在する”幽霊」
「幽霊で終わる気ある?」
不意に、浩一が口を開いた。
リコがびくっとする。
「……ないです」
即答だった。
「終わらせられたくないです」
「なら、それでいい」
浩一は、椅子の背にもたれながら言う。
「今はまだ、お前がどのタイミングで何をやるのが、一番クソに効くか分かんねぇ」
ルカとベル、サキも、じっとリコを見ている。
「だから――」
浩一は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「次のステージが始まるまでは保留だ。お前が“どこで生きるか”は、今は決めなくていい」
「……それ、すごくPさんらしい言い方ですね」
リコの口元が、少しだけゆるむ。
「“今決めておかないといけないこと”と、“ギリギリまで保留していいこと”の区別が、Pは得意です」
サキが補足する。
「得意かどうかは知らんが」
浩一は、天井を見た。
「NeonのPが、“その場で決めさせられた”結果は見たろ?」
リコは、きゅっと唇を噛む。
「あいつの分まで、お前の選択肢は、ギリギリまで残しとけばいい」
「……ずるいなぁ」
リコが、ぽつりとこぼした。
「Cell-39って、言ってることは全部クソなのに、ちゃんと筋は通ってる」
「褒めてる?」
「褒めてます」
はっきり言い切った。
その後、ADに連れられて、小さなカメラ前に並ぶCell-39+リコ。
「……正直に言っていい?」
ルカの瞳には、冷めた怒りが揺らめいていた。カメラのレンズを、自分たちを消費する視聴者の眼球そのものだと言わんばかりに、射抜くように見つめる。
「表現に気をつけてたら、何も言えないんだよね。……だって、今アタシの口から出そうな言葉、全部ピー音で消されるようなものばっかりだし」
「あ、はは……。まぁ、できる範囲で……」
たじろぐスタッフを置き去りにして、質問が投げられる。「NeonMarchの最期をどう思ったか」。
最初に口を開いたのは、リコだった。その拳は、白くなるほど強く握りしめられている。
「……ずるいな、って。猛烈に、羨ましかった」
絞り出すような声だった。カメラマンの手が、一瞬止まる。
「私は、Rustyがバラバラにされた時……怖くて、『生き残る方』に逃げました。一人だけスペアパーツとして、この地獄に居座り続けてる。……でも、ミオさんたちは違った。壊れる時まで一緒で、最後まで『自分たちの名前』のまま終わり切った」
リコの瞳から、堪えていた一滴が床に落ちる。それは悲しみというより、置いていかれた者の、やり場のない憤りだった。
「あんな風に、誰にも自分たちの魂を切り売りせずに終われた彼女たちが……今の私には、何よりも眩しくて、憎たらしいくらいに綺麗に見えたんです」
スタジオに、痛々しいほどの沈黙が流れる。次にマイクを向けられたサキは、瞬き一つせずにレンズを見つめ返した。
「私は、NeonMarchのPの選択を、『最高級のクソ』として内部メモリに書き込みました」
「……クソ、ですか?」
「はい。この番組が用意した『愛』や『感動』といった既製品の言葉では、彼の絶望を記述するには軽すぎる。……あいつは、必死に足掻いて、無様に間違えて、最悪の結果を招いた。その『人間ゆえの愚かさ』こそが、計算不能なバグであり、私が初めて美しいと思った――唯一の真実です」
サキの首元のタグが、一瞬だけ激しく明滅する。それは、ドールとしての論理を超えた、彼女なりの『敬意』の表明だった。
続いて、PastelNoteの「Drop」に話題が及ぶと、ルカが鼻で笑った。
「“綺麗に終わる”?よくそんな恥ずかしい台詞、テロップにしようと思ったね」
ルカは一歩、カメラに詰め寄る。
「花を飾って、音楽を流して、棺桶に寝かせれば『卒業』だって? ふざけないでよ。あれはただの『廃棄』。アタシたちの仲間の頭蓋を割って、記憶を消して、肉体をシュレッダーにかける工程を、あんたたちは『美学』なんて言葉でコーティングしたんだ」
「ルカさん、少し言葉が……」
「あんな拍手、彼女たちには一音も届いてない! あれは、あんたたちが『私は悪くない』って自分に言い聞かせるための、ただの不快なノイズだよ」
ベルが、ルカの肩にそっと手を置く。その表情もまた、いつもの優雅さは影を潜め、冷ややかな嫌悪に満ちていた。
「愛されないモノは、ゴミとして処理される。……この番組が突きつけているのは、それだけでしょう? それなら、その『愛』の正体がどれだけ薄汚いものか、私たちが最後まで証明してあげますわ」
最後に、カメラは黙って見守っていた浩一に向けられた。
「葛城さんは、この状況をどう総括しますか?」
「地獄見学ツアーだ」
即答だった。
「でも、おかげで目が覚めたよ。棄権しようが落ちようが、最終的な処理ライン(出口)は同じだってことが分かったからな」
浩一は、レンズの向こうにいる御堂を嘲笑うように、口角を上げた。
「出口が塞がってるんなら、この密室の中で盛大に暴れて、中の壁を全部ぶっ壊すしかねぇだろ。……次のステージからは、愛想笑いは期待するなよ。俺たちは、このクソみたいな会場を、更地にするためにステージに立つ」
それが、葛城浩一の“総括”だった。
収録がひと段落した夕方。
モニタールームでは、御堂が各種数値を眺めていた。
「Neon棄権回+I Doll Drop初回=視聴率、過去最高更新」
スタッフが報告する。
「SNSトレンドも、“Neon棄権” “Drop演出” “Cell-39コメント”全部上位に入ってます」
「いいね」
御堂は、静かに笑った。
「“これはやりすぎでは?”という声が出るラインを、ようやく試せた」
別のスタッフが、遠慮がちに口を開く。
「ただ、“やりすぎ”の方の声も、今回はかなり多くて……」
「問題ない」
御堂は、モニターの一つを指で弾く。
そこには、
リコがコメントをしているテスト映像が映っていた。
《Rusty生き残り・リコ、次回スタジオトーク参加か?》
「“クソだと思いながらも目を離せない”という状態が、一番強い」
視線が細くなる。
「次は――“最後まで見届けないと気が済まない”状態に持っていく番だ」
その夜。
Cell-39の部屋。
「今日は泊まっていきますか?」
サキが差し出したのは、柔軟剤の香りが微かに残る真っ白なタオルだった。リコがそれを受け取ると、サキの指先が触れる。合成皮膚の冷たさは、かえってリコの火照った神経を落ち着かせる「静寂」のように感じられた。
「えっ、いいんですか?」
「うん。どうせADさんたち、“悲劇の生存者と反逆のユニット”っていう絡みを撮りたくて、廊下でカメラ構えて待機してるしね」
ルカが、行儀悪くソファの背に足を投げ出し、メロンパンを一口齧って笑う。
「利用される前提で、こっちも寝床と数字をシェアしてやればいいのよ。ね、ベル?」
「ええ。レンズの向こう側に『私たちのプライベート』を少しだけ切り売りして、その代償にこの子の安全を買い叩く……悪くない取引ですわ」
ベルが淹れたハーブティーの湯気が、無機質な控室をわずかに「家」の匂いに変えていく。
「リコ」
風呂上がり、湿った髪を拭きながらサキがリコの隣に腰を下ろした。ドール特有の規則正しい排熱音が、心音の代わりに小さく響く。
「あなたの“幸せログ”は、現時点でどうなっていますか。……ミオさんたちの消滅を見た後でも、記述可能なデータは残っていますか?」
リコは少しの間、ハーブティーのカップに映る自分の顔を見つめていた。
「……そうですね」
リコは、震える細い指を一本ずつ折っていく。
「Rustyの二人が、まだ誰かの口から『クソ』と呼ばれて、完全にはなかったことにされていないこと」
「NeonMarchが、あんな地獄の中でも、自分たちのアイデンティティをログに残せたこと」
「あと――」
リコは、ルカから手渡されたメロンパンの端っこを、大切そうに口に運んだ。
「今日、こうしてCell-39の部屋で、甘いものを食べて、誰かと明日を迎えようとしていること」
サキの瞳の中で、レンズが微かに絞られる。
「最後のログだけ、生存戦略とは無関係な、非常に非効率的なデータです」
「でも、こういう『無駄』が一番、自分が生きてる証拠になるんですよ」
リコは、この数時間で初めて、プログラムではない柔らかな笑みを浮かべた。
「だから今のところ。……死にたい気持ちより、食べていたい気持ちの方が、コンマ数パーセントだけ上回っています」
「了解しました。『幸せ寄りログ・微増中』として、重要領域にセーブします」
サキの微笑みは、月光のように静かだった。
窓の外、夜の闇には、巨大な都市のネオンが血管のように張り巡らされている。 あの光のどこかで、PastelNoteのボディはボルトの一本まで解体され、ミオたちの意識データはゴミ箱の中の0と1に還元されているだろう。世界は、消えた彼女たちのことなど一秒後には忘れ、次の刺激的な『Drop』を求めて拍手の準備をしている。
けれど、この四畳半ほどの空間にだけは、死者たちの名前がまだ熱を持って漂っていた。
「リコ。今はまだ、自分のことを『幽霊』だと思っていてもいい」
キッチンの隅、暗がりにいた浩一が、不意に声を落とした。
「どういう形で成仏するのか。……いや、そもそも成仏なんてさせてやる気はないが。その答えは、次のステージが始まるまで保留でいい」
「成仏って……。やっぱりPさん、デリカシーないですね」
リコはクスクスと肩を揺らす。
「できれば、ただ消えるんじゃなくて。……何か、あいつらが驚くようなものに『進化』したいです」
「なら、『進化保留』だな」
浩一は、噛み終えたミントガムの包み紙を指先で弾いた。放物線を描いた銀紙が、ゴミ箱の底で小さな音を立てる。
I Doll This Game。
第3ステージが終わった夜、まだ誰も「最終形の自分」を知らない。 けれど、彼女たちが背負ったログは、もはや御堂のシステムでもデリートできないほど、重く、深く、このスタジオの歴史に刻み込まれてしまった。
それは、地獄を更地にするための、最初の『バグ』の産声だった。




