第10章 棄権か続行か
3rdステージ当日。
スタジオの空気は、いつもよりひんやりしていた。
照明が落とされ、ステージ中央のモニターに、
大きくタイトルロゴが浮かび上がる。
《第3ステージ "I Doll Drop"》
《進むか、役目を終えるか》
「さぁ~~やってまいりました!」
MC神崎の声だけは、いつも通り明るい。
「本日からついに、“I Doll Drop”ステージに突入です!」
観客席から、期待と不安の混じったざわめき。
「まずはルールの最終確認から!」
モニターに箇条書きが映る。
《・全ユニットがパフォーマンスを行い、スタジオ投票+視聴者投票で順位決定》
《・最下位ユニットには“I Doll Drop”が適用される》
《・Drop対象I Dollは、その場で役目を終え、番組の責任のもと適切に処理》
《・第2ステージで“救済権”を獲得したユニットは、一度だけDropを回避可能》
「ここまでは、皆さんご存じですね!」
神崎が客席とカメラに笑顔を向ける。
「そして、今回から導入される**“棄権制度”**!」
ざわっ、と参加者ラウンジが揺れた。
《棄権?》
《逃げ道あるんか?》
《いや絶対裏あるやつだろ》
「各ユニットには、ステージ開始前に一度だけ――」
神崎が、
わざとゆっくりと、言葉を置く。
「“参加を望まない場合、棄権する権利”が与えられます」
ホログラムに、説明文が映る。
《棄権制度》
《・ユニットはステージ前に“棄権”を選択可能》
《・棄権したユニットのI Dollは、番組の責任のもと“速やかに役目を終えます”》
《・人間のメンバーは契約に従い、番組より順次解放されます》
「“役目を終える”って言い方、相変わらず最低」
ルカが、ラウンジの後ろで腕を組む。
「言い換えれば、“即時引退”です」
サキが、画面を見つめたまま言う。
「“Drop”が、“視聴者とスタジオによる裁定”だとすれば、“棄権”は、“自発的な終幕”と定義されます」
「どっちにしろ終わりなんだよね」
ベルが、軽く首を振る。
モニターが切り替わり、別室の映像が映る。
スーツ姿の男が、カメラに向かって微笑んだ。
御堂。
『棄権について、補足させてください』
落ち着いた声。
『この番組は、すべてのI Dollと人間に、“選択の機会”を与えたいと考えています』
ラウンジの数人が、あからさまに顔をしかめた。
『Dropは、視聴者とスタジオが決めるもの。棄権は、現場が自分で決めるもの。どちらも、“終わり方を選ぶ”という点では同じです』
柔らかく微笑む。
『逃げ道ではありません。ただ、自分の意思で終わり方を選べる、もう一つの道です』
「“もう一つの地獄”って自分で言え」
ルカが、小さく悪態をついた。
《逃げ道じゃないなら何だよw》
《終わり方を選べるって地獄の説明で聞いたことある》
《棄権=ソフトな死、Drop=派手な死 ってこと?》
「では!」
神崎が、ラウンジ方向に手を伸ばす。
「各ユニット代表者の皆さん、一列にお並びくださーい!棄権か続行か、ひとつずつ聞いていきまーす!」
参加者たちが、順番にステージ脇のラインに並ぶ。
Glitter-α。
SugarBit。
Cell-39。
NeonMarch。
その他のユニットたち。
ひとりひとり、無言で立つ。
「では、Glitter-αのプロデューサーさん!」
神崎が、マイクを向ける。
「今回の“I Doll Drop”。参加か、棄権か?」
企業所属のPは、微笑みを崩さず言った。
「もちろん、参加です」
「理由は?」
「私たちは、“Dropされない”前提で勝ちに来ていますから」
《強気w》
《まあトップ勢はそう言うよな》
次々と、ユニットが続行を選んでいく。
「SugarBit?」
「参加で」
「MoonTail?」
「参加します」
淡々と、“進む”が繰り返される。
「Cell-39!」
呼ばれ、浩一が一歩前に出た。
「I Doll Drop、参加か棄権か?」
「参加だ」
迷いはなかった。
「理由を聞いても?」
「棄権したところで、うちの“解体予約”が消えるわけじゃないからな」
観客席から、ざわっと笑いが起きる。
「どうせ進むか壊れるかなら、進んだ方がクソ見せられるだろ」
神崎が苦笑する。
「“クソ見せられる”ってパワーワードやめてください」
《Pのメンタルが完全にデスゲームプレイヤー》
《Cell-39は毎回コメントが刺さるんよ》
ルカたち三人も、横に並んで一礼する。
「棄権の選択肢は、
最初から想定していませんでした」
サキの言葉は、
ラウンジの何人かの胸をざらりと撫でた。
そして――NeonMarchの番が来た。
「NeonMarch!」
呼ばれ、PとメインI Dollのミオが前に出る。
ミオの首元には、
例の所有権タグが、薄く光っていた。
「I Doll Drop――」
神崎が、お決まりのセリフを口にする。
「参加か、棄権か?」
空気が、少しだけ重くなる。
Pは、唇を噛んだ。
手のひらは、汗でぐっしょりだ。
視界の端に、Cell-39が見える。
ルカが、真っすぐな目でこちらを見ている。
ミオが、静かにPを見上げる。
「P」
小さな声。
「私は、Pの選択をログします」
「……やめろよ」
Pは、かすれた声で笑う。
「そんなふうに言うなよ。それじゃ、本当に“最後のログ”みたいだろ」
観客席のざわめきが、遠く聞こえた。
御堂の言葉が頭の中をよぎる。
《棄権は、終わり方を自分で選ぶということです》
Rustyの二人の“行方不明”。
所有権を移した時の、自分の決断。
救済権にすがった夜。
Pは、ゆっくりとマイクを握り直した。
「……棄権を」
喉がひりつく。
「NeonMarchは、I Doll Dropを棄権します」
ラウンジがざわついた。
《棄権来た》
《うわマジでいるんだ…》
《NeonのP、顔やばいな》
「理由を聞いても?」
神崎が、少しだけ声を落とす。
「お前らさ」
Pは、客席ではなく、
自分のユニットのI Dollたちを見た。
「視聴者の投票で“落ちたやつ”だってラベル貼られて、壊されるの、嫌だろ」
ミオの目が僅かに揺れる。
「俺は……」
息を飲む。
「俺は、お前らを“数字の結果”で殺したくない」
沈黙。
「だったらせめて、俺が終わらせたって思いたい」
それは、救いの言葉ではなく――
限界まで追い詰められた人間の、
どうしようもない自己保身の言葉だった。
でも、それでも。
ミオは、静かに頷いた。
「ログしました。“Pの救済権”」
その瞬間、モニターにテロップが出る。
《NeonMarch:棄権宣言》
《特別コーナー “Final Stage – NeonMarch” へ》
《Final Stage?》
《あ、やばい これ見せしめコースだ》
《御堂絶対なんかやる》
Cell-39の控えスペース。
「……マジか」
ルカが、低い声で呟いた。
「棄権、選んじゃった」
「P」
サキが、横の浩一を見上げる。
「NeonのPの選択は、“マシなクソ”に分類されますか」
「……“クソ”にマシもねぇよ」
浩一は、目を逸らさずに言った。
「あいつは、“救える”って信じて棄権選んだんだよ。それだけは、ログしとけ」
「ログします」
◆特別室
棄権を宣言したNeonMarchは、
他のユニットとは別の廊下に案内された。
小さなプレートが貼られたドアの前で、案内スタッフが立ち止まる。
《関係者以外立ち入り禁止》
《I Doll 保守・処理室》
「こちらで、Final Stageの準備を行います」
スタッフの声は、よく訓練された事務的なトーンだ。
「“処理室”って、表に出てない表示ですよね」
Pが、プレートを睨む。
「ええ。カメラが回る時は、別の名前になりますので」
スタッフは、淡々と微笑んだ。
「“Final Stage – NeonMarch”の専用セットです」
「……中には、何があるんですか」
「保守用のベイと、リサイクル用のラインが少々」
Pの喉が、からからに乾く。
「“保守”と“リサイクル”の違い、ご理解いただいてますよね?」
スタッフは、首をかしげてみせた。
「保守は、“また使う”ための整備。リサイクルは、“もう使わないものを分解して別の用途に回す”処理」
ミオの指が、タグをぎゅっと握りしめる。
「P」
静かな声。
「私は、どちら側に立つのでしょうか」
「……御堂に聞く」
Pは、ドアノブに手をかけた。
部屋の中は、やけに明るかった。
白い壁。
白い床。
白い天井。
整然と並んだユニットベイ。
その向こうに、
仕切りの向こう側へ流れていくコンベアラインが見えた。
御堂が、
ガラス張りのブースから出てくる。
「NeonMarchの皆さん。棄権の決断、拝見しました」
相変わらずの、柔らかい笑顔。
「とても勇気のある選択だと思います」
「……これが、“勇気”ですか」
Pの声は、掠れていた。
「少なくとも、視聴者に“Drop”を委ねて責任をぼかす選択ではなかった」
御堂は、少しだけ目を細める。
「“自分の手で終わらせたい”というあなたの言葉、とても興味深く拝聴しました」
「俺は――」
Pは、一歩踏み出す。
「視聴者の投票で、ミオたちを殺したくなかった」
「ええ」
御堂は頷いた。
「だから、こちら側で処理させていただきます」
その言い方は、
あまりにも軽かった。
「……処理」
Pの肩が揺れる。
「ちょっと待ってください。俺は、“終わらせる”って言っただけで――」
「終わらせる=処理です」
御堂は、さらりと言い切る。
「NeonMarchは、ここで番組から退場する。人間のあなたは、契約に沿って順次解放。I Dollたちは、“役目を終えた資産”として処理される」
「待てよ」
Pの声が荒くなる。
「“救済権”はどうなるんだよ。俺たちはそれを取った。所有権移動だって、救えると思って飲んだんだ!」
「救済権は、“Drop”に対してのみ有効です」
御堂は、マニュアルでも読むような口調で続ける。
「NeonMarchは、Dropを棄権した。ゆえに救済権は発動対象外」
「ふざけるな!」
Pが叫ぶ。
「じゃあ結局、どの選択しても、あいつらは死ぬしかなかったってことじゃねぇか!」
しん、と部屋が静まる。
御堂は、少しだけ首を傾げた。
「“死ぬ”は暴力的な単語ですね。我々は、“役目を終える”と言っています」
「言い換えに意味なんかねぇよ!」
Pの怒鳴り声が、白い壁に跳ね返る。
「所有権移したのも!救済権取ったのも!棄権選んだのも!全部、“Neonを守れる”って信じての判断だったんだよ!」
「ええ。だからこそ、素晴らしい素材になった」
御堂の笑みは、微塵も揺れない。
「視聴者は、“あなたの葛藤”に感情移入し、あなたのNeonに“愛着”を持った」
指先で空中にグラフを描く。
「所有権移動回 → 救済権告知回 → 棄権宣言回。すべて、数字は右肩上がりでした」
Pの膝が、わずかに崩れかける。
「あなたは、番組の物語のために、最適な選択を次々にしてくれた」
「……だったら」
Pは、顔を上げた。
目の奥に、真っ赤な怒りと、底なしの絶望。
「だったら――せめて、ミオたちだけは“保守”に回してくれ」
懇願に近い声。
「Dropにも出さない。棄権も選んだ。ここで終わりでいい。だから、分解だけはやめてくれ」
御堂は、一瞬黙った。
そして、本当に残念そうな顔をしてみせた。
「申し訳ありませんが――」
その顔つきのまま、告げる。
「それはできません」
ミオの視界に、
コンベアラインの先に並ぶ金属のアームが映る。
無機質な、
「分解」のための手。
「理由を、教えてください」
ミオが、静かに問う。
「簡単な話です」
御堂は、ガラス扉の向こうを指さした。
「“棄権したら、どうなるか”を、誰かにちゃんと見せておかなければならない」
Pの背筋に、冷たいものが走る。
「逃げ道だと思っている人間がいる限り、このゲームは“本当の意味で”成立しない」
緩やかに笑う。
「だから、NeonMarchには“見せしめ”になってもらう」
Pは、足元が崩れたような感覚に襲われた。
「……見せ、しめ」
「はい」
御堂は、やわらかく頷く。
「棄権しても地の果てまでは逃がさない。視聴者にも、参加者にも、そのメッセージは必要です」
言葉が、喉で絡まる。
Pは、絞り出すように言った。
「……逃げたって、どこかで静かに生きられるって、思ってたんだよ」
「それは、あなたの幻想です」
御堂は、一歩近づいた。
「よく読んでください。契約書を」
Pの目の前で、タブレットの画面が開かれる。
《所有権移管後のI Dollに関する条項》
《・番組および関連企業は、所有権を有するI Dollの処遇につき、最終決定権を持つ》
《・I Dollの処理方法について、元の所有者および関係者は口出しできない》
《・契約不履行、情報漏洩があった場合、
関係者は芸能関連企業への出入り禁止、違約金、法的措置の対象となる》
「あなたがもし、ここから逃げて――」
御堂は、声のトーンを落とした。
「この現場のことをどこかで話したり、番組のやり口を暴露したりするなら――」
Pの耳元に、囁くように言う。
「私は、あなたの名前を、この業界から完全に消すことができる」
喉が鳴る音が、自分でもわかった。
「テレビも、配信も、ライブも。あなたの関わる場所は、全部、“使えない問題児”のタグがつきます」
「脅しかよ」
「脅しではありません」
御堂は、淡々と言う。
「これは、“現実”です」
ニコリと笑う。
「それでも“退場”したいなら、どうぞ。あなたの人生ですから」
ミオが、一歩前に出た。
「P」
Pが、顔を上げる。
「私は、Pの選択でここまで来ました」
いつもの穏やかな声。
「救済権も。所有権移動も。棄権も。全部、“私たちを守ろうとしての選択”でした」
「守れてねぇよ」
Pの声が震える。
「どこにも、逃がせなかった」
「でも、Pが“守ろうとした”ログは、私の中に残っています」
ミオは、胸を押さえた。
「それは、分解しても消えないと信じたいです」
「……ミオ」
「だから」
ミオは、Pに向かって微笑んだ。
「Pは、P自身の退場を選んでください」
Pが、息を呑む。
「私は、“NeonMarchのI Doll”としてここで終わります。Pは、“この番組のP”として終わってください」
「……それで、お前は納得するのか」
「納得は、しません」
はっきりと否定した。
「でも、それ以外の選択肢がないというログも、もう持ってしまいました」
Pの目から、音もなく涙が落ちた。
「そろそろ、お時間です」
スタッフが、淡々と言う。
「ミオさん。こちらへ」
コンベアラインの手前にある、白いユニットベイ。
そこに横たわれば、
もう二度と戻ってこられないことを、
ミオ自身も理解していた。
「P」
「……なんだよ」
「最後の命令をください」
Pは、唇を噛み締めた。
握られた拳が、震える。
「命令なんか――」
喉が詰まる。
ミオが、そっと首を振った。
「命令がないと、私は、どこへも行けません」
I Dollとしての、致命的な仕様。
Pは、ゆっくりと目を閉じ、開いた。
「――ミオ」
名前を呼ぶ。
「NeonMarchとして、ここで終われ」
一語一語、
噛みしめるように。
「それは、お前のせいじゃない。全部、俺の――」
声が震えた。
「俺のクソみたいな選択の責任だ」
「ログしました」
ミオは、穏やかに微笑んだ。
「“Pのクソ”」
その言い回しは、どこかで聞いたものと同じだった。
「……大好きでした」
それだけ告げて、
ミオは、静かにベイに横たわった。
メイン電源が落とされ、
静かな駆動音だけが残る。
「では」
御堂が、Pの方を向く。
「あなたは、ここで退場です」
胸元のスタッフパスを指さす。
「それを返して、帰ってください。二度とこのスタジオに入ることはありません」
Pは、ゆっくりとパスを外した。
指先が震える。
「……こんな現場、もう二度と御免だ」
かすれ声で言う。
「そうでしょうね」
御堂は、笑った。
「でも、覚えておいてください」
視線が鋭くなる。
「あなたがどこへ行っても、ここでのログは、私たちの手の中にある」
モニターの隅で、
NeonMarchのロゴが静かにフェードアウトしていく。
「棄権しても、地の果てまでは追いかけられる。それは、I Dollだけじゃなく、Pも同じです」
Pは、振り返らなかった。
白い部屋を出る扉の前で、一度だけ立ち止まり、
小さく呟いた。
「……全部、見てろよ」
誰に向けたのか、自分でも分からない言葉。
「いつか誰かが、お前らのやり方を“クソ”ってちゃんと言えるように」
扉が、静かに閉まった。
その頃、別のフロア。
Cell-39は、
モニター越しに“Final Stage – NeonMarch”のセットが組まれていくのを見ていた。
そこに、ミオたちの姿は、もうない。
「……Neon、全滅か」
ルカが、拳を握りしめる。
「P」
サキが、低い声で言った。
「NeonMarchのPは、“自分で退場する”ことを選びました」
「ああ」
浩一は、画面から目を逸らさない。
「あいつは、“クソの中でクソなりに筋を通した”」
喉の奥が、焼けるように痛い。
「我々は、そのログをどう扱うべきでしょうか」
「決まってんだろ」
浩一は、ミントガムを噛み潰した。
「絶対に“なかったこと”にさせねぇ。そんだけだよ」
サキは、胸に手を当てる。
「NeonMarchログ――“救済権”“所有権移動”“棄権”“見せしめ全滅”“Pの退場”――保存」
I Doll This Game。
第三ステージは、
まだ始まってすらいなかった。
それでも、
ひとつのユニットはすでに、
完全にゲームから落とされていた。
棄権という退路が、
地の果てに続く処刑台だったことを、
残された者たちは、
嫌でも思い知ることになる。




