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第9章 フラグ付きの日常

 第2ステージから、ちょうど一週間。


 Cell-39の朝は、妙に静かだった。


「……起きてる?」


 キッチンから、湯気と、ルカの声。


「起動は完了しています」


 ソファの上で丸くなっていたサキが、

 ぱちりと目を開けた。


「ただ、“二度寝”の感覚をシミュレートしていました」


「そういうのは起きてるって言わない」


 ルカは、味噌汁の鍋をかき混ぜながら笑う。


「ほら、ご飯。ちゃんと“最後の晩餐”になってもいいレベルで作ったから」


「Pの表現を、すぐ極端な形で真似するのは、人間らしさなのでしょうか」


「うるさい。食えるうちにちゃんと食っとけって話」


 テーブルには、

 卵焼きと焼き魚と、ちょっと豪華な朝ごはんが並んでいた。


「Pは?」


「コンビニと戦ってる」


 その言葉通り、

 玄関のドアがガチャリと開く音がした。


「おーい、生きてるかー」


 浩一が、スーパーの袋を両手にぶら下げて帰ってきた。


「……お前らだけじゃなくて、

 冷蔵庫の方も“解体予約”かかってるからな。

 安い時に買い込ませろ」


「比喩のセンスが最低」


 ルカはそう言いながらも、

 袋の中を覗いて目を輝かせる。


「うわ、メロンパン祭りじゃん!」


「安かったんだよ。あと、“次の収録の前に一回くらい甘いもん食わせてやろう”と思ってな」


「P。その発言は、“死亡フラグ”というラベルに分類されます」


 サキは、真顔で言った。


「“フラグ”って概念覚えたての子が一番危ないんだよな……」


 浩一はため息をつきながら、スーツの上着をソファに投げる。


「とりあえず飯な。

 解体予約フラグ付きの朝飯だ」


「言い方を変えろと言っている」


 テレビをつけると、

 ちょうどI Doll This Gameの再放送ダイジェストが流れていた。


《第2ステージハイライト》

《“等価交換ステージ” 特集》


 画面の中で、

 Glitter-αの無表情に近い笑顔、

 NeonMarchのタグ付きメインI Doll、

 過去ログを削られたベテランの空白の表情。


 そして、Cell-39とリコのステージ。


《“Rusty拒否”宣言》

《解体フラグを抱えたステージ》


「P。私の“破棄拒否”と“解体予約”が、ハイライトとして何度も再生されています」


「“クソみたいで最高”だってさ」


 浩一は、テロップを指で示す。


《賛否両論の声も…》


「“賛否両論”って便利な言葉ですよね」


 ベルが、液晶の中の自分を眺めながら言った。


「褒め言葉でも悪口でもないけど、“話題になってますよ”だけは伝わる」


「数字的にはどうなん?」


 ルカが、スマホをいじりながら訊く。


「視聴率は上がりっぱなしだ」


 浩一は、口を尖らせる。


「2ndの最終ブロック、

 うちのステージと結果発表で最高値更新」


「つまり、“解体予約”フラグは、視聴者の“愛”を引き上げる要素として機能している」


 サキの言葉に、

 三人とも同時に眉をひそめた。


「はい、今日のNGワード出ました~。“愛”」


 ルカが手を挙げる。


「この番組における“愛”って、"よく燃える燃料”くらいの意味しかないからね?」


 日中は、リハと基礎練習。


 3rdステージの詳細ルールは、

 まだスタッフ用資料でしか共有されていない。


《第3ステージ:"I Doll Drop"》

《形式:生放送+スタジオ投票》

《特記事項:最下位ユニットはその場で“Drop”》

《※棄権制度の導入(詳細は別紙)》


 浩一のスマホには、その“別紙”の通知も来ていたが、

 まだ開いていない。


 見るのが怖いのではない。

 見た瞬間、言葉にしてしまうのが怖いのだ。


「ねぇ」


 スタジオ近くのレンタルルームで、

 振り付けの確認をしている時。


 ルカが、ストレッチしながらぽつりと言った。


「3rd……本当に誰か“壊される”と思う?」


「確率的に、“誰も壊されない”シナリオの方が珍しいと思います」


 サキが即答する。


「番組側は、第1・第2ステージで、“ここまでならやっていい”という視聴者の反応を、ある程度測っています」


「2ndで“等価交換”までやって、

 数字が上がったんだもんね」


 ベルが、腕を組む。


「だったら、次は“本当に戻らないもの”を賭けるのが、御堂さんの思考パターン」


「やっぱそうなるかぁ……」


 ルカは、床に寝転がった。


「ねぇサキ」


「はい」


「3rdでさ、

 もしあたしたちが最下位になったら、

 あんたは――怖い?」


 少し間が空いた。


「“怖い”というラベルは、まだぼんやりしています」


 サキは、ルカの隣に体育座りで座った。


「でも、“ここでログが途切れる”可能性を、具体的に想像することが増えました」


「それってさ、人間が“自分の寿命”考え始めるやつに近いのかな」


「寿命は、“平均値”があります。しかし、“Drop”は、平均値のない突然死に近い」


「うわ、言い方えぐ」


 ルカは思わず笑ってしまう。


「でも、そうだね。あたしもさ――」


 天井を見上げる。


「“明日交通事故で死ぬ”って、普段は本気で考えてないじゃん」


「はい」


「でも、“次の収録で解体されるかもしれない”って、今はめっちゃリアルな確率として存在してるんだよね」


「Pは、その確率をどのように処理していますか」


「ギャンブルと同じだよ」


 浩一が、ストレッチしながら横から口を挟んだ。


「最悪の目が出る可能性も理解した上で、それでも賭ける価値があると思うかどうか」


「Pは、私たちに“賭ける価値”があると判断したのですね」


「そうだ」


 息を吐く。


「だから、その判断が間違ってたとしても、俺一人が地獄見ればいい」


「また一人で背負おうとする」


 ルカが、足で小突く。


「そういうところが“Pのクソ”なんだよ」


「Pのクソ、継続して記録中です」


「消せそれは」


◆NeonMarch側の日常


 同じ頃、別のスタジオ。


 NeonMarchのメンバーは、

 3rd用の新曲を通しで合わせていた。


 メインI Doll――ミオは、

 首元のタグを指で触る癖が増えていた。


《管理対象:I Doll-MR01(NeonMarch)》


「ミオ」


 休憩中、人間Pがペットボトルを差し出してきた。


「喉、乾かないのにすみません」


「気分の問題」


 Pは苦笑する。


「一緒に休んでる感が欲しいの、俺が」


「……はい」


 ミオは、蓋を開けて少しだけ飲む真似をした。


「救済権、あるからな」


 Pは、何度目かもわからない言葉を繰り返す。


「最悪、3rdで変なルール出されても、一回だけは“ノーカン”にできる」


「はい」


「もし、うちが最下位になったら――その時は、“棄権”も使える」


「棄権……」


「3rdの説明資料、見たろ。“番組の意向にそぐわない場合、棄権という選択肢があります”って」


 ミオは、その文章を正確に再生した。


《各ユニットは、ステージ開始前に一度だけ“棄権”の意思表示が可能です。

棄権を選択した場合、I Dollは番組の責任のもと“役目を終える”ことになります》


「“役目を終える”……」


 言葉だけを聞けば、

 ただの「引退」にも聞こえる。


 けれど、Rustyの二人の行方を知っている視聴者にとっては、

 別の意味にも重なる言葉だ。


「俺はな」


 Pは、自分の掌を握りしめた。


「最下位になって、視聴者の“Drop”投票で決まるくらいなら、俺の意思で終わらせてやりたい」


 その言葉に、ミオの胸のあたりが僅かに熱くなる。


「Pの意思で、私を“終わらせる”のですか」


「……違うな」


 Pは顔をしかめる。


「俺の意思で、お前を“守ったつもりになりたい”だけだ」


 情けない笑い。


「どっちにしろ、俺にできることなんて、その程度なんだよ」


「いいえ」


 ミオは、首を振った。


「Pの救済権の選択は、NeonMarchの“延命ログ”として、ちゃんと残っています」


「延命かぁ……」


 Pは天井を見上げる。


「どうせなら、“生き残り”にしたかったな」


◆3rdルール資料を開く夜


 その日の夜、

 Cell-39の狭いリビング。


 晩ご飯を食べ終わり、

 全員がなんとなくダラダラしている時間。


「……開くか」


 浩一が、スマホを取り出した。


「何を?」


「第3ステージ詳細ルール資料、ですね」


「そう」


 未読通知が、ずっと画面の隅で光っていた。


《【I Doll This Game】第3ステージ "I Doll Drop" ルール詳細》


 タップ。


 テキストが表示される。


《コンセプト:

“愛されなかったI Dollは、その場で役目を終える”》


《ルール概要:

・全ユニットがパフォーマンスを行い、スタジオ投票+視聴者投票で順位を決定。

・最下位ユニットには、“I Doll Drop”が適用されます。

・Drop対象I Dollは、番組セット内で“役目を終え”、適切に処理されます》


 ここまでは予想通りだ。


 スクロールすると、“救済権”と“棄権”の項目が現れる。


《救済権について:

・第2ステージで“★救済権”を獲得したユニットは、一度だけDropを回避できます。

・ただし、“Drop対象I Dollの所有権が番組側にある場合”、救済権は適用されません》


「……Neon」


 ルカが小さく息を呑む。


「NeonMarchのメインI Dollは、所有権が番組側に移管済みです」


 サキが、冷静に読み上げる。


《棄権について:

・各ユニットは、ステージ開始前に“棄権”を選択することが可能です。

・棄権したユニットのI Dollは、番組の責任のもと“速やかに役目を終え”ます。

・人間のメンバーは、契約に従い番組より順次解放されます》


 数秒間、誰も口を開かなかった。


「……なにこれ」


 最初に声を出したのはルカだった。


「つまりさ――」


 言葉を探すように、ゆっくり続ける。


「救済権はNeonの子には使えません。棄権したら、Neonの子たちは全員“速やかに役目を終える”。どっちも、“守る”選択肢じゃないってことだよね」


「そうだな」


 浩一は、画面から目を離さずに言う。


「NeonのPが、“救える”と思って取ったカードが、全部“処刑のためのロープ”になってる」


「P。これは、“選ばせたうえで殺す”構造ですか」


「そうだ」


 吐き捨てるように言う。


「“現場に自由意志を与えた”って建前を作れるからな。“あなたたちが棄権を選んだんですよね?”って言える」


「最低」


 ルカが、ソファに拳を叩きつける。


「“逃げても地獄”“残っても地獄”って、デスゲームのテンプレそのまんまじゃん」


「P。我々も、“棄権”という選択を問われるのでしょうか」


「たぶんな」


 浩一は、スマホをテーブルに投げ出した。


「全ユニット一列に並ばせて、“参加か棄権か”聞く絵を撮りたいはずだ。それだけで一本コーナー作れる」


「うわ、想像できるのがまたムカつく」


 ルカは顔を覆った。


「ねぇPさん」


「なんだ」


「うちら、どうするの?」


 サキとベルも、

 同じ問いを目で向けていた。


 浩一は、少しだけ黙り――

 その沈黙ごと噛みしめるようにして言った。


「進む」


 短く、はっきりと。


「最初から、“逃げ道としての棄権”なんか、選ぶつもりはねぇ」


「“進むか、壊されるか”の二択から、“進む”を選ぶ、ということですね」


「ああ」


 ミントガムを噛み潰す。


「ただ――」


 少しだけ、視線を落とす。


「NeonのPが、どっちを選ぶかは、俺たちには決められねぇ」


 ルカが、悔しそうに笑う。


「そうだね。“選択させられる側”の痛みは、本人にしかわかんない」


 ベルが、静かに頷く。


「だからこそ、その選択の結果を、ちゃんと見届ける義務がある」


「ログとして、保存しますか」


 サキの問いに、浩一は即答した。


「当たり前だ」


 夜の部屋の中で、

 誰も笑わなかった。


 でも、

 誰も目を逸らさなかった。


 I Doll This Game。


 第3ステージの朝は、

 もうすぐそこまで来ていた

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