9 大逆転
壇上に立つと、足元が震えた。
レインの緊張まで伝わってくる。
そっと私の背に手を添えてくれたのはジーク。
彼の指先の温もりが、胸のざわめきを静めてくれる。
彼はジークス・ガルシオ侯爵令息。ティオラの元婚約者マーキス様の、兄。
つまり、ティオラが婚約解消された原因となった人。
最初に聞いたときは本当に驚いた。
あの瓶底眼鏡のお兄さんが、まさかジークス様だったなんて。
「大丈夫だよ。僕たちが付いている」
「ええ」
小さくうなずくと、ジークが優しく微笑んだ。
おばあ様が、私とレインを紹介してくれる。
「次の事業展開を手伝ってくれるオーレリア・マイケント伯爵令嬢とレイン・ダーナン男爵令嬢です」
会場から大きな拍手が湧き起こった。
「“可愛い”をテーマに商品を開発し、ファンシーショップを展開する予定です」
私はデザイン担当、レインは技術サポート。
一号店の運営は、若い二人──つまり私たちに任されるという。
「もちろんリッチモンド公爵家が、全力でバックアップします」
私の描いた絵が商品になる。
お祖父様に“ラクガキ”と呼ばれ、いつも叱られていたあの絵が。
そしてレインの手作りの人形も、店頭に並ぶ。
眩暈がしそうだった。夢のような話。
──でも、これは現実だ。
この十日間、レインとジークはこの計画を私に隠していた。
だから“ファンシーショップ”の話を聞かされたのは、ほんのついさっきだった。
突然の申し出に、私は一度ひるんだ。
『お店なんて、私には無理です』
そう固辞した私に、おばあ様は優しく言った。
『失敗しても構わないわ。恐れずやってみなさい』
リサーチの結果はすでに上々だった。
子供服店で、私の描いた絵のメッセージカードを景品に添えたところ、大好評だったという。
『私の目に狂いはないわ。自信を持ちなさい』
レインはその言葉に勢いづき、力強い声で言った。
『リアは強くなりたいんでしょう? 大逆転のチャンスよ!』
──そう、私は強くなりたい。
“恥”なんかじゃないって、ちゃんと証明したい。
『やります、やらせてください』
そう答えた瞬間、覚悟が決まった。
そして今、こうしてレインと並んで壇上に立っている。
拍手を受け、新しい未来へと踏み出そうとしていた。
「リア……」
目の前にメルキオが立っていた。
信じられないものを見たような顔で、ただ私を見つめている。
私は静かに微笑んだ。
もう彼のために涙は流さない。
傷つくこともない。
最高の笑顔で、私は前を向いた。
挨拶と私たちの紹介が終わると、会場の空気が少し和らいだ。
──けれど、それも束の間だった。
私とレインは、大勢の人たちに囲まれて質問攻めにあっていた。
「このチャンスをどうやって掴んだのか?」
質問のほとんどはそればかり。
どう答えたものかと困っていると、ジークがすっと間に入ってくれた。
「二人はまだ学生で、この場には慣れていません。質問はリッチモンドの──僕のおばあ様にお願いします」
その一言で場の空気が変わる。さすが侯爵家の跡取り。
けれど、今度は別の質問が飛んできた。
「ジークス様とオーレリア様のご関係は?」
ジークは少しだけ口角を上げ、さらりと答える。
「今は恋人未満。僕が彼女を口説いている最中です」
会場がどっと沸いた。
私は真っ赤になって、何も言えなかった。
──事実、彼に告白され続けているのだから。
この十日間で、私とジークの距離は急速に縮まった。
きっかけは、彼の何気ない一言。
『僕は前世、映画好きのアメリカ人だったんだ』
彼の話す内容はとてもリアルで、疑う余地はなかった。
『日本を旅行したこともあるよ。君の絵を見た時は興奮した。仲間がいる! ってね』
その言葉が嬉しかった。
そこから話題は尽きることがなかった。
国も生まれも違うのに、同じ映画を観て、同じ音楽を聴き、同じ本を読んでいた。
──二人だけに通じる秘密の時間。懐かしくて、胸の奥がくすぐったくなる時間が流れた。
「私はお邪魔でしょう?」
ウインクしてレインが離れて行くと、ジークに手を引かれて少し静かな場所へ移動した。
音楽がふっと止まり、会場が静まり返る。
そこに現れたのは、マーベリーとケイナス、そしてティオラ。
三人が演奏の準備を始めると、ティオラと目が合った。
彼女は小首を傾げて、私とジークを交互に見つめ、
その顔には、歪んだ感情が浮かんだ。
「ティオラ?」
ケイナスに呼ばれ、ティオラは慌ててピアノの前に座る。
けれどその視線は、ずっとこちらに向けたままで。
──三重奏が始まった。
読んでいただいて、ありがとうございました。
誤字報告、ありがとうございました! 訂正しました。
★ ー「私はお邪魔でしょう?」
「私はお邪魔でしょう?」邪魔な罫線消しました。ご報告ありがとうございました。




