8 メルキオ視点
──今日は、リッチモンド公爵家の懇親会に招かれた日だ。
仕事仲間との親睦を深めるためのパーティーで、年に二回ほど開かれる。
今回、僕は初めて参加する。父からは「失礼のないように」と、くどいくらい釘を刺された。
パートナーはティオラ。
完璧なマナーを身につけた彼女なら、何の心配もいらない。
宝石のように着飾ったティオラは、誰よりも美しかった。
──僕はずっと、彼女に憧れていた。
好き、というよりは“眩しかった”のかもしれない。
でも、結婚は考えていない。
だってティオラは僕を好きじゃない。そんなの、とっくに分かってる。
少しの間だけ恋人のフリをして、幸せな時間を過ごせればそれでよかった。
……リアには、本当に申し訳ないと思っている。
でも、きっと分かってくれているはずだ。僕の“初恋”だと。
リアはいつだって、そんな僕を許してきた。
──ティオラと腕を組み、公爵家のパーティ会場に足を踏み入れた。
眩しいシャンデリア、流れる音楽。夢のような世界だ。
「そういえば、リアを見かけなかったけど、どうしてるの?」
ふと気になって、ティオラに尋ねた。
「さあ、朝から見てないわ。拗ねて、レインの家にでも愚痴をこぼしに行ったんじゃないかしら」
彼女の声には、いつも小さな棘がある。
ティオラは昔からリアに対抗心を燃やしていた。
僕に親しげに接してくるのも、リアを焦らせたいからだ。
それを分かっていても、僕はティオラを拒めなかった。
リアの優しさを利用して、ティオラと僕は互いの欲を満たしていた。
本当に、酷い話だ。
でも、リアも僕を止めなかった。
信じてくれているから──僕との約束を。
だからこそ、黙って見守ってくれていた。
──ティオラを、ケイナスが迎えに来た。
「最後のリハーサル、準備しよう」
「また後でね、メルキオ」
涼しい笑みを浮かべ、ティオラはケイナスと並んで去っていく。
残された僕は、妙に現実感が薄れていた。
もし今日のパートナーがリアだったら。
それがリアの社交界デビューになったのに。
そして、彼女が僕の婚約者だと堂々と世間に知らせられたのに。
リアの泣きそうな顔が脳裏に浮かぶ。
『私とティオラ、どっちを選ぶの?』
……そんなの、リアに決まってる。
約束したんだから。
あのとき、そう言えばよかった。
「ごめんよ、リア」
僕はリアに伝えた。
これは“偽装”だと。ティオラとは表向きだけの関係だと。
卒業したら、僕はリアだけを選ぶ。
そう決めている。
──次に会ったら、ちゃんと伝えよう。
今度こそ、迷わずに。
しばらくすると、ざわめきが広がった。
それを制するように、澄んだ声が響く。
「お静かに!」
会場が一瞬で静まり返る。
──壇上に現れたのは、リッチモンド老公爵夫人だった。
華やかな拍手が沸き起こる。
リッチモンド商会の元会長であり、その手腕で公爵家を大きく発展させた女性。
いくつもの有名店を手掛け、海外にも強いコネクションを持つ。
すでに商売の実権は長男夫妻に譲り、隠居したと聞いていたけれど……
その姿には、今もなお圧倒的な存在感があった。
「皆様、ようこそ──」
上品な笑みを浮かべ、参加者たちへねぎらいの言葉をかける。
その一言一言に、会場中が惹き込まれていた。
挨拶が終わると同時に、大きな拍手が鳴り響く。
そして次に、夫人の隣に並んだのは──
「リア?」
思わず、息をのんだ。
壇上には、色違いのお揃いのドレスをまとったリアとレイン。
どちらも見違えるほど美しかった。
レインの隣には彼女の父親の姿。
──けれど、リアの隣に立つ銀髪の男は誰だ?
まるで絵画から抜け出したような美丈夫が、優しい眼差しでリアを見つめている。
その瞳は、まるで恋をしているかのように。
リアもまた、彼に微笑み返していた。
「なぜ?」
口の中でそうつぶやくと、体が勝手に動きだした。
「リア……」
会場の後方から壇上へと、僕は真っ直ぐに歩き出していた。
人の肩をかき分けながら。
ただ、リアだけを見つめて。
読んでいただいて、ありがとうございました。




