5 ご招待
授業が終わるなり、レインが私の手を引っ張った。
「ちょ、レイン? どうしたの?」
「いいから、早く!」
そのまま勢いで、彼女の馬車に押し込まれる。
御者に向かって、レインは告げた。
「行き先は雑貨屋よ」
「雑貨屋?」
「奢ってあげる。あそこのチョコレート、好きでしょう?」
「なーに、それ。慰めてくれるつもり?」
「本当はカフェでパフェでも、って思ったけど……お小遣い、もう残りわずかでね。ごめん」
「ふふ、じゃあ遠慮なく、買ってもらおうかな」
「いいわよ。チョコを食べると元気になるって、本に書いてあったの」
ほんと、優しい親友だ。レインの言葉はいつも私を元気にしてくれる。
雑貨屋に着くと、奥の椅子に銀髪のおばあさんが座っていた。ふわりとショールを羽織り、柔らかい声で迎えてくれる。
「あら、いらっしゃい」
先日のプレゼントのお礼を伝えてから、三個入りのチョコレートをカウンターに置いた。
「今日は、絵を見せてくれないの?」
おばあさんが微笑む。
「ちょっと汚してしまって……」と私は答えたが、
「それでもいいの。見せてちょうだい。いつも楽しみにしてるのよ?」
そう言われては、断れない。スケッチブックを開いて差し出す。
「これは……ハリネズミね? まあ、可愛らしいわ」
「それを彫るのは難しいかも」
財布を出しながら、レインが笑った。
「……あら? この辺、滲んでる。泣いたの?」
「少し、嫌なことがあったんです」
「リアの彼氏、最低なんですよ!」
「もう、レイン! 言わないでよ」
おばあさんは苦笑して、優しい目を私に向ける。
「あらあら。最低な彼氏なんて、別れなさいな。まだ若いんだもの」
「実はもう、別れたんです。あはっ」
照れ隠しみたいに笑うと、おばあさんの瞳がふと光った気がした。
「別れたの?」
その声には、妙に力がこもっていた。
──思い出す。ずっと前におばあさんから『婚約者はいるの?』と聞かれたことがあった。
『いえ、いません』
『そう、いい人に出会えるといいわね』 あのときはまだ、おばあさんと親しくなかったので、メルキオのことは話さなかった。
「フラれちゃったんです。彼の初恋の人に……私、負けちゃいました」
「まぁ、見る目のない男ね。でも安心しなさい。もっといい人が現れるわ。私が保証する」
おばあさんはそう言って、ふいに契約書の紙を差し出した。
「ハリネズミちゃん、買い取らせてね。チョコレートはおまけよ」
ハリネズミの絵をおばあさんに渡して、契約書にサインすると──
チョコを十個もくれたのでレインと半分こした。
「奢るつもりだったのに」
「ううん。ここに来て、元気出たもの。ありがとう」
帰り際、おばあさんが微笑んで言った。
「今度、食事にご招待するわ。二人とも来てちょうだいね」
「はい、喜んで!」
馬車の中でチョコを口に放り込むと、甘さが広がる。
「ねぇ、あのおばあさんのお家に招待されるのかしら? それともお店で?」
レインが嬉しそうに言う。
「どんなお家かしらね」
なぜか、私の頭に浮かんだのは、あの店員のお兄さんの優しそうな顔。
店と同じエプロン姿で、温かな料理を作る姿を想像した。
きっと私は、今、温もりを求めているんだ。
馬車が屋敷の門をくぐると、現実が冷たく戻ってくる。
私を「恥」と呼ぶ、寂しい家。
チョコレートの甘さが、急に苦く感じられた。
レインと別れて家に入ると、バイオリンとピアノの音が響いてきた。
妹のマーベリーは十四歳。けれどもう、バイオリンの名手だ。
ピアノを弾いているのはティオラだろう。二人はとても仲がいい。
自室へ向かおうとしたとき、兄のケイナスが声をかけてきた。
「マーベリーが名家に招待されたんだ。バイオリンを披露してほしいって」
「そう、すごいわね」
「一人じゃ不安だからって、私とティオラも参加して三重奏を披露するんだ」
「お兄様はチェロ?」
「ああ。お前も何か楽器を弾けたらよかったのにな」
「不器用でごめんなさい」
そう言うと兄は肩をすくめ、妹たちのもとへ去って行く。
私も昔、楽器を習っていた。簡単な曲なら、ピアノで弾ける。
でも、興味がなかった。
ピアノに触れるより、絵を描くほうがずっと好きだった。
それならと絵の先生をつけられたけれど、描きたいジャンルが違った。
『凡人ですね』と先生に言われてしまった。
そのあともいろいろ試されたけど、どれも凡人扱い。
だから家族は、私に興味をなくしていった。
好きな絵を描ければそれでよかった。なのにお祖父様は「恥」と、うるさい。
悲しいけれど、絵に対して敬意を持つお祖父様には、私がどうしても気に入らないのだ。
読んでいただいて、ありがとうございました。
驕る→奢る 訂正しました。誤字報告ありがとうございました!




