4 別れ
翌朝、早めにメルキオの馬車が迎えに来た。
この一年、ティオラは別の馬車で。私と彼は二人っきりで、ほぼ毎日一緒に登下校していた。
いつも他愛ない話をして、笑って。そんな日々が続くと思っていた。
最近は、卒業後の話をすることも増えていた。
メルキオの実家――サーカズ伯爵家は貿易商を営んでいる。
彼はその跡取り息子で、私は彼の隣で家業を支えるつもりだった。
私は不器用だけれど、勉強は嫌いじゃない。計算も得意だし、外国語も話せる。
彼の力になれると思っていた。……本気で。
──けれど、今朝のメルキオはどこか落ち着かず、迷っているように見えた。
少し沈黙が続いたあと、彼はようやく重い口を開いた。
「卒業まで残り半年だね。それでリアに相談があるんだけど」
「なにかしら?」
「昨日、君のお祖父様にも頼まれたんだけど……」
「ティオラの事でしょう?」
「う、うん」
やっぱり。
マーキス様との婚約を解消してから、ティオラはずっとお祖父様に縋っていた。
『親しく話しかけてきたのはジークス様よ? 無視できなかったの、だってマーキスのお兄様だもの』
『誘惑なんて誤解なの。私はマーキスを愛してたわ。信じてお祖父様!』
毎日泣きながら、そんなふうに訴えていた。
けれど、誤解で婚約が破棄されるなんてあり得ない。
ティオラの行動は、侯爵家を怒らせるほど明らかだったんだ。
私の家族は、彼女を田舎の領地に戻すよう提案した。
──けれど、お祖父様は頑なに拒んだ。ティオラを信じたまま。
そして、その盲信に似た優しさを、メルキオも抱いていた。
「学園で悪口を言われているみたいで不安なんだって。だから僕に守って欲しいって頼まれたんだ」
想像はつく。侯爵家との縁談が破談になれば、噂が立つのも当然。
「そう。それでどうするの?」
「半年だけ、ティオラの恋人になっていいかな?」
「私と別れるの?」
「違う、違う。偽装だよ。卒業するまでの……」
「違わないわ、私と別れたいって、はっきり言えばどう?」
「全然違うよ! 僕は卒業したらリアと結婚する、それは間違いないよ!」
「メルキオ……恋人のフリは、別に貴方じゃなくてもいいじゃない。私がいるのに」
「そうだけど……少しの間、君が我慢してくれればいいだけの話じゃないか」
「次は私が噂されるわ。あなたに振られたんだって」
「リアは強いから大丈夫でしょう? ほら、ティオラは繊細だから」
──ああ、この人は、私が我慢するのが当たり前だと思っている。
彼の初恋の相手がティオラだったことも、ずっと黙って見逃してきたから。
「ねぇ、いっそ本物の恋人になっちゃえば? 正式にティオラと婚約したいってお祖父様に言えば、今なら認めてくれるわよ?」
私がそう言うと、メルキオの瞳が揺れた。
「いや、僕は……」
その言い淀む姿に、もう昔のような純粋なメルキオはいなかった。
「はっきり決めて。私とティオラ、どっちを選ぶの?」
答えなんて、とうに分かっていたのに。
それでも、私はそう尋ねてしまった。
そして、彼は――
「ごめん、今だけだから!」
曖昧な言葉で、ティオラを選んだ。
その後、二人の噂はあっという間に学園中へ広がった。
ティオラは、まるで当然のようにメルキオの隣で微笑んでいる。
そして、メルキオも――幸せそうだった。
新しい話題に人々は群がり、「婚約が解消になったのは、メルキオがティオラを略奪したから」なんて話まで広まった。
私は――フラれた可哀そうな女として、噂の中心に残された。
「酷いわね。メルキオの奴、見損なったわ!」
怒りを隠さず言ったのは、親友のレインだった。
「もういいの。フラれたのは本当だもの」
「私は別れて正解だと思うわよ?『今だけ恋人になりたい~』とか、夢見てんじゃないの? アイツ」
「そうよ夢見てるのよ、彼は。目覚めた時に痛い目に遭うはずよ」
そう言って、私は無理やり笑った。
午後の美術室。
私は色鉛筆を手に一心不乱に絵を描いていた。
色を重ねれば、心のざらつきも塗りつぶせる。
頭の中を空っぽにしたかった。
けれど、窓の外から流れてくるピアノの音に、心が揺れる。
――「君が我慢してくれればいいだけの話じゃないか」
胸の奥が、また痛んだ。
私はズルい人間なのかもしれない。
ほんの小さな傷を、いつまでも抱えて、彼を縛りつけていた。
そんな負い目があったから、彼には強く言えなかった。
「リア……泣かないで」
「え?」
気づけば、スケッチブックの上に涙がいくつも落ちていた。
読んでいただいて、ありがとうございました。




