3 雑貨屋のお兄さん
レインの馬車に揺られ、街の大通りを進む。
最初、私はてっきり中世ヨーロッパに転生したのだと思った。
けれど、すぐに気づいた。──全然違う。
ここは、まるで遊び好きな神様が気まぐれで作ったような世界。
進化と退化が入り混じった、アンバランスな場所だ。
下水道は整備されているのに、移動は馬車。
ガスでお湯は沸かせるのに、電気がない。
王政が続き、騎士はいるけど──魔法も魔物も存在しない。
「ゲームの世界でもないのよね」
つぶやいた私に、前に座るレインは首を傾げた。
彼女は黒い髪に鋭い瞳の、美しい男爵令嬢。
初めて会ったとき、私はてっきり悪役令嬢かと思った。
ヒロインはティオラで、私はモブ。──でも、それも違った。
◆◆◆
下町の雑貨屋に着くと、扉の向こうから子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてきた。
ここは庶民に人気の店で、値段も手ごろ。
懐かしい駄菓子屋みたいな雰囲気に、胸の奥がくすぐったくなる。
「いらっしゃい」
カウンターの向こうで声を掛けてきたのは、時々見かける店員さんだった。
ボサボサの銀髪を後ろでひとまとめにして、うっすらと無精髭。瓶底メガネの奥の瞳は優しい。
「今日はおばあさんは?」
「用事で出かけてるよ。いつもの買取だね?」
この店の主は、上品な銀髪のおばあさん。
子どもたちにいつも優しい眼差しを向ける人だ。
「私はこれを持って来たの!」
レインがウサギの人形をカウンターに並べる。
「今回は、兎の妖精ファミリーよ」
「私は白黒のクマと、おデブなヒヨコを描いたの」
「うん、可愛いね。ちょっと待っててね」
店員のお兄さんは契約書を出して、カウンターに広げた。
「サインして。……いつもの取り分で」
契約書には“売上の一割が報酬”と書かれている。
でも、お店には私たちの作品が並んでいない。
「ねぇ、売上って、まだ無いんでしょう?」
レインが尋ねると、お兄さんは微笑んだ。
「まだね。今は準備中。けど、期待してて」
そう言って、彼は私にスケッチブックと色鉛筆のセットを。
レインには、美しい装飾が施された裁縫箱を差し出した。
「うわぁ、ありがとうございます!」
レインが嬉しそうに頬を緩める。
──これが“報酬”なのだろう。
学生の私たちには現金を渡せない、そんな事情なのかもしれない。
「オーレリア嬢、ちょっといい?」
帰ろうとしたとき、店員のお兄さんが声をかけてきた。
「今度、食事に……誘いたいのだけど」
「まぁ! ナンパ!?」
レインが即座に叫ぶ。
「ダメよ、リアには恋人がいるんだから!」
「いや、仕事の話だよ。絵のことでね」
「レインとおばあさんが一緒なら、お受けします」
「そうか。じゃあ予定を組むよ。よろしくね」
「ええ、おばあさんにもよろしくお伝えください」
そう言って店を出ると、レインが興奮気味に腕をつかんだ。
「ねぇ、あのお兄さん……何者かしら?」
「おばあさんの孫じゃない? 同じ銀髪だし」
レインはもらった裁縫箱をじっと見つめる。
「これって、どう考えても高級品よ。色鉛筆だって三十六色もあるじゃない」
確かに、この世界では贅沢品だ。
雑貨屋を営むくらいだし、もしかしたら名のある貴族なのかもしれない。
◆◆◆
レインの馬車で屋敷に戻ると、エントランスにメルキオがいた。
どうやらお茶をしていたらしい。
ティオラとお祖父様が見送りをしていた。
私の手にあるスケッチブックを見て、お祖父様が一言。
「まだ落書きなんぞ描いておるのか」
お祖父様は王宮付きの有名な宮廷絵師だ。
そして今は、才能豊かなティオラを傍に置き、孫の中でも特別に可愛がっている。
「マイケント伯爵家で、芸術の才がないのはお前だけだ。一族の恥」
「お祖父様、そんな言い方なさらないで。リアが可哀そうだわ」
ティオラがしなやかにお祖父様の腕に手を絡め、上目遣いで微笑む。
──どっちが恥なんだか。
お祖父様。婚約を取り消された理由が“色目使い”だったこと、忘れたのかしら。贔屓って恐ろしい。
まぁ、我が家が芸術一家なのは事実だ。
父も母も兄も妹も、それぞれいろんな分野で、プロ並みの技術を持っている。
「あの、僕はこれで失礼します」
メルキオが頭を下げた。
「お見送りするわ!」
ティオラがすぐに駆け寄る。
二人は私を完全に無視して、仲良く玄関の方へ歩いて行った。
ぽつんと取り残された私に、お祖父様が言い放つ。
「メルキオにお前は相応しくない。婚約させなくて正解だった」
──お祖父様の言葉に傷つくのは慣れている。
だから笑って、軽く会釈をする。
「ご忠告、感謝いたします。……では、失礼します」
私はスケッチブックを抱きしめ、その場を後にした。
なんの取り得もない私が、せめてできるのは──“笑って立ち去ること”だけだった。
読んでいただいて、ありがとうございました。




