2-1(第二王子姫騎士と出会う).
「ダイカルト、まさかお前がデナウ王国の侯爵令嬢と結婚するとはな。驚いたよ」
ゲナウ帝国の第二王子カイルベルトは弟の第三王子ダイカルトにそう話しかけた。
ここは、王宮の中庭で、噴水の脇にあるベンチに二人は座っている。噴水の中央に白っぽい石でできた勇者マルスの像があり、その手から水が噴き出している。今日は見られないが運が良ければ虹が架かることもある。勇者マルスは王太子のアルベルトがその名にちなんで名を付けられた英雄アルベルトよりもっと昔の神話時代の英雄だ。
「僕自身も驚いています。エカテリーナがデナウ王国の王太子オーギュストから婚約破棄をされたと聞いてすぐに思いついたんです」
そう、あのときダイカルトは、すぐにこれはチャンスだと思って父であるジェズアルド王に直訴してエカテリーナに婚姻を申し込んだ。だが、ジェズアルド王に言った言葉とは逆に、たぶん申し出は拒否されるだろうとも思っていた。
それなのに・・・。
2年ほど前のことだ。一番上の兄、王太子アルベルトの婚約パーティーに王国から招待されていたボルジア侯爵父娘を見たことがあった。デナウ王国の王太子の婚約者だという気の強そうなエカテリーナを一目でダイカルトは気に入った。
もちろん、今回いきなり結婚を申し込んだのは、それだけが理由ではない。ダイカルトがジェスアルド王に言ったことは嘘ではない。帝国のためでもある。王国有数の武闘派貴族ボルジア侯爵と縁を得ることは帝国のためになると思ったのだ。しかもオーギュストからひどい仕打ちを受けた娘を妻にすれば・・・。
「だが、エカテリーナに良い噂はなかった」
兄カイルベルトの言う通りだ。帝国まで聞こえてくるエカテリーナの噂といえば、その性格に関するものばかりで、すべてが悪い噂だった。
ダイカルトは、エカテリーナが正式な婚約のため皇宮にやってきた日のことを思い出した。
あの日、馬車から、優雅な動作で降りてきたエカテリーナは、出迎えたダイカルトに軽く膝を折って挨拶すると「ダイカルト様、お出迎え頂きありがとうございます。私がデナウ王国ボルジア侯爵が一人娘、悪役令嬢のエカテリーナですわ」と言って微笑んだ。
エカテリーナの挨拶を聞いて思わず破顔したダイカルトは「ようこそ、悪役令嬢エカテリーナ、僕がゲナウ帝国第三王子のダイカルトです。貴方のような面白い、いえ、美しい人を妻に迎えることができるなんて僕はこの上なく幸せです」
そして二人はお互いに顔を見合わせてニッコリとした。
あの瞬間、二人とも恋に落ちたのだ。
「兄上、僕は今、エカテリーナに結婚を申し込む決断をした自分をこれ以上なく褒めてやりたい気分なんですよ」
ダイカルトの顔は喜びに輝いている。
「本当に我妻ながら面白い女なんですよ。なんせ開口一番、私が悪役令嬢のエカテリーナですって挨拶したんですよ。それが夫になる人への最初の挨拶だなんて。それを聞いて僕の選択は間違ってなかった。そう思いましたよ」
本気で嬉しそうにしているダイカルトを見てカイルベルトはやれやれという顔をして「そろそろ会場に戻るか。お前は主役の一人なんだしな」と言った。
そう、今日はダイカルトとエカテリーナの結婚披露パーティーだ。パーティーは夜まで続く。しかも3日間連続で行われる予定だ。あまりにも急な結婚だったのでパーティーが結婚から1ヶ月以上も経ってから行われるという異例な事態だ。だが本人たちは至って幸せそうなのでカイルベルトがあれこれいうのも野暮なのだろう。
今日は初日で挨拶などの公式行事を終えて一息ついたカイルベルトとダイカルトの二人は、中庭で休息していたのだ。そろそろ会場に戻らなくてはならない。特にダイカルトは主役の一人なのだから。
「おっと、申し訳ない」
カイルベルトは会場に戻るところで、一人の青年と肩が触れてしまった。その青年は心ここにあらずといった様子で会場の入口辺りにボーッと立っていた。それを担当の侍女が一歩控えて心配そうに見つめている。
「いえ・・・」
ずいぶん覇気のない青年だ。確かあれはエカテリーナの父であるボルジア侯爵に付いてきていた・・・。そうだデナウ王国騎士団長のギルロイ伯爵の息子の・・・確かアレクセイではなかったか?
カイルベルトは噂とはずいぶん違うなと思った。噂ではアレクセイはオーギュスト・・・さすがにエカテリーナとの婚約を破棄したオーギュストはパーティーには来ていないのだが・・・の友人の一人で体力自慢で陽気な男と聞いていたのだが、カイルベルトの目には立派な体格はともかく、とても陽気には見えなかった。
まあ、そんなことはどうでもいい。
この結婚により、また弟のダイカルトは帝国に貢献した。ダイカルトは昔から優秀だ。父であるジェズアルド王や兄の王太子アルベルトからの信頼も厚い。帝国の諸策についてもいろいろと助言を求められている。おまけに性格だって悪くない。
カイルベルトが嫉妬するのもバカバカしいほどだ。
エカテリーナだって性格は好いが凡庸との噂のオーギュストと結婚するよりダイカルトを夫にしたほうがよほど幸せだろう。まさかとは思うがそのためにわざと婚約破棄されたのではと、カイルベルトが一瞬疑ったほどだ。確かにオーギュストは王太子だが。最近はデナウ王国より我がゲナウ帝国のほうが明らかに勢いがある。
「あれは・・・」
カイルベルトの視線の先にいるのはマルマイン王国のアルストン辺境伯令嬢だ。数人の若い貴族に囲まれている。マルマイン王国のアルストン辺境伯領はゲナウ帝国と国境を接している。アルストン辺境伯は国境の守備を担う武門の家だ。その武は帝国でも名高い。アルストン辺境伯の娘であるセリアは姫騎士など呼ばれて女だてらにその槍技は有名だ。帝国にとってはセリアが姫騎士などと持ち上げられているのは忌々しいことだ。
その名声の元になった武功のほとんどは帝国との小競り合いによって得たのだから・・・。
それでもこのパーティーに招待されているというのは今夜の主役でありカイルベルトの優秀な弟であるダイカルトの進言によるものなのかもしれない。
やはり我が弟は優秀だ。
カイルベルトの見立てでは、というより多くの者がそう思っているのだが、今回の結婚でゲナウ帝国とデナウ王国の関係はしばらく安定する。そして、その後は徐々に帝国が王国を圧倒するだろう。ボルジア侯爵家が帝国と縁を結んだとなれば帝国が王国に多少図々しい要求をしたとしても王国にそれに逆らう力はない。だいたい、その原因となったのが王国の王太子オーギュトの失態によるものなのだから・・・。
全くオーギュストはバカなことをしたものだ。それに比べてダイカルトの行動は早かった。
こうなってみるとダイカルトのしたことはすべて正しかった。おまけに本人たちはこれ以上ないくらい幸せそうなのだからカイルベルトとしても文句のつけようがない。
というわけで、領土拡大に取り憑かれているカイルベルトの父ジェズアルド王の次のターゲットはマルマイン王国になるだろう。マルマイン王国は小国だが鉱物資源が豊富だ。マルマイン王国にはアルストン辺境伯を始め武に優れたものが多い。マルマイン人は素朴だが武に優れ忍耐強い性格で知られている。カイルベルトの父であるジェズアルド王が小国とはいえマルマインを傘下に収めようとすれば少なからぬ血が流れることになるだろう。
そうだ! 僕が弟のダイカルトのように我が帝国に貢献できるとすれば・・・。
その思いつきは、考えれば考えるほど悪くないとカイルベルトには思えてきた。気がついたら、カイルベルトはグラスを片手に姫騎士セリアに近づいていた。
あれが姫騎士セリアか・・・。
確かに美人と言っていいだろう。だが、それは騎士になるような女性にしては、という但し書きが付く。間違いなく美人の部類に入るが、カイルベルトの好みからすれば、少したくまし過ぎる。今日はドレス姿だが、よく見れば筋肉が付きすぎたスタイルがややドレスの優美さを損ねている。特に肩幅が広すぎる。
カイルベルトは人込みを縫ってさらにセリアに近づく。
カイルベルトは自分が女性からは、はかなげな美青年に見えることを知っている。そう、陽気なダイカルトとはまた違ったタイプだが、自分がたいそう女性に好感を持たれるタイプであることをカイルベルトは自覚していた。
セリアの周りには数人の男がいる。どの男も体つきのしっかりした、いわゆる男らしいタイプだ。やはり姫騎士の周りにはそういったタイプの男が集まりやすいのだろうか? 耳を澄ませば、セリアの容姿や今日のドレスを褒める言葉のほかに戦場での活躍を話題にしている者もいる。その戦場での相手は、ほとんどの場合ゲナウ帝国なのだが・・・。
話が途切れたのを見計らってカイルベルトはセリアに話しかけた。
「初めまして、姫騎士セリア殿。私はゲナウ帝国の第二王子でカイルベルトと申します」
「これは、カイルベルト様。私のほうがご挨拶すべきですのに、遅くなって申し訳ございません。マルマイン王国のアルストン辺境伯が長女、セリアと申します」
セリアは軽く膝を曲げて挨拶した。美しい所作だが優美というよりはきっちりしていると言ったほうが正しいだろう。カイルベルトは、なんとなくセリアの生真面目な性格が表れているようで好ましいと感じた。さっきは容姿そのものはカイルベルトの好みからは少し外れていると感じたのにセリアの挨拶を聞いただけで好感を持っている自分を不思議に思った。
まあ、これも国のためだ。
カイルベルトは少し微笑むと「噂以上に美しいですね。戦場に咲く花のようだという噂が本当だとよく分かりました」と言った。
今の自分の表情が十分魅力的だとカイルベルトは知っていた。特に女性には・・・。
しかし容姿を褒められたセリアは、返って警戒するような表情を浮かべ「本当は噂ほどではないって思ってらっしゃるんでしょう?」と返した。
おっと、なかなか手ごわいようだ。
だが、カイルベルトは男をあしらうのに慣れたような言葉を発したセリアの表情を見て、セリアが本当は背伸びをして話しており、カイルベルトの憂いのある顔を直接見るのを恥ずかしがる素振りしているのを見逃さなかった。
幼い時から自分の容姿が女性を惹きつけることを意識しており、またそれを利用してきたカイルベルトにとって、根が素朴で純真なセリアの本心を見抜くことなど簡単なことだった。
「すみません。いきなりぶしつけだったようですね。帝国でも有名な姫騎士に会って、いささか舞い上がっていたようです」
カイルベルトは長い睫毛を伏せるようにして少し俯いた。
「いえ、こちらこそ、少々軽口がすぎたかもしれません。なんだかカイルベルト様が初対面には思えなかったものですから」
セリアの顔が少し赤い。
「いえいえ、そう言っていただけて僕もほっとしました」
その後、カイルベルトとセリアはお互いに笑い合って。2度ダンスを踊った。女性に慣れたカイルベルトはもちろんセリアの運動神経もさすがで二人が踊る姿は注目を集めた。
すべてはカイルベルトが望んだ以上に上手く運んでいた。セリアはカイルベルトの予想どおり男女のことに関しては初心と言ってよかった。
「こんな話は帝都暮らしのカイルベルト様にはつまらないですよね」
セリアはカイルベルトにアルストン辺境伯領での素朴な暮らしぶりやその美しい風景について話していた。
「いえ、そんなことはありません」
これは嘘ではない。意外なほどセリアの話はカイルベルトの興味をそそった。是非その景色を見てみたいとさえ思ったのだ。
不思議だとカイルベルトは思った。
一方、セリアのほうも、カイルベルトが面白おかしく話した王宮での貴族同士の陰謀や駆け引き、それに今回のカイルベルトとエカテリーナの結婚の話などを興味深そうに聞いていた。実際、セリアがカイルベルトに夢中になるのにそれほど時間はかからなかった。
二人はお互いに自分たちが戦場で相まみえることになるかもしれないことを知っている。それが恋心を余計に燃え上がらせたのかもしれない。
デナウ王国一の武門の家であるボルジア侯爵家の令嬢エカテリーナはデナウ王国の王太子オーギュストから婚約破棄され、カイルベルトの弟であるゲナウ帝国の第三王子ダイカルトのもとへ嫁いだ。娘を可愛がっているボルジア侯爵はデナウ王国の王家に対して思うところがあるだろう。これにより、帝国と王国の関係が帝国優位の状態で安定することは想像に難くない。
とすれば、次は・・・。
もしゲナウ帝国がマルマイン王国を攻めるとしたら最初に戦うのはアルストン辺境伯軍だ。
その後3日間続いたパーティーの最中、カイルベルトとセリアの二人は人目を偲んで逢瀬を重ねた。警備は厳重だったが、それでも豪華な王宮は広く、二人の逢瀬の場所は意外に多かった。




