4-8(不穏な空気とシェリンガム伯爵領).
月日は流れ、私とソフィアは3年生になった。私たちの学園生活は概ね順調だ。
アンジェリカ様とその取り巻きにときどき嫌味は言われるが大したことではない。アーサー殿下とその側近候補たちも私たちの味方だ。ただ、私はアーサー殿下の婚約者であるアンジェリカ様がソフィアに嫌味を言う気持ちも分かる。殿下は一年生のときから婚約者であるアンジェリカ様よりもソフィアと親しくしている。アンジェリカ様はそんな扱いにずっと耐えているのだ。私のそんな思いとは反対にアーサー殿下とソフィアはますます接近している。
3年生になって3ヶ月くらい経った頃から、ソフィアは嫌味だけでなく持ち物を隠されるなどの嫌がらせを受けているとアーサー殿下たちに訴えるようになった。私自身は嫌味を言われる以上のことはされていない。
何か嫌な予感がする。
それからも、ソフィアは嫌がらせについて頻繁にアーサー殿下たちに訴え続けた。嫌がらせをしている犯人の有力候補はもちろんアーサー殿下の婚約者であるアンジェリカ様とその取り巻きだ。アーサー殿下とその側近候補たちのアンジェリカ様たちを見る目が一段と厳しくなった。今ではアーサー殿下と婚約者のアンジェリカ様が話しているのを見ることはない。
学園の中に不穏な空気が蔓延している。
アンジェリカ様はブラックロック侯爵令嬢だ。ブラックロック侯爵領は鉱物資源が豊富だ。だからブラックロック侯爵はマルマイン王国でも有数の力のある貴族の一人だ。だからこそアンジェリカ様がアーサー殿下の婚約者に選ばれているのだ。ブラックロック侯爵領は姫騎士セリア様のアルストン辺境伯領に近い。それはゲナウ帝国にも近いということだ。領地の一部がゲナウ帝国とも接しており、姫騎士セリア様がゲナウ帝国のカイルベルト様と結婚するきっかけとなった小競り合いはブラックロック侯爵領にある鉱山の権利をめぐってのものだった。歴史的にもあの辺りは領土問題が絶えない地域だ。ブラックロック侯爵領の一部はかつてはゲナウ帝国領だったこともある。当時はその辺りに鉱山は発見されていなかった。鉱山が発見されてからはお互いが自分の領土だと争っているのだ。よくある話である。
そんなわけで、ソフィアは確かに聖女だけど、ブラックロック侯爵は王家すら気を遣わなければならない有力な貴族だ。何か悪いことが起こるのではと私はとても心配だ。
最近では、ソフィアは毎日のようにアンジェリカ様とアンジェリカ様の取り巻きからの嫌がらせについてアーサー殿下たちに話している。私も汚された教科書を見た。それに無くなったものをソフィアと一緒に探したこともある。ただ、私にはそれくらいしかできない。
アンジェリカ様やその取り巻きたちのやり口は巧みだ。ほとんどソフィアと一緒に行動している私も、なかなかその虐めを防げない。2年生のとき、食堂で取り巻きの一人アロイス・ケラー伯爵令嬢がソフィアのスカートに飲み物をかけたときだってそうだった。ソフィアはいつも私を姉として慕ってくれる。嘘をつくような娘ではない。家でもソフィアはブレンダからいつも私を守ってくれた。
それなのに私は何もできない・・・。
何もできないどころか、私はソフィアが聖女に目覚めてアーサー殿下の関心が私からソフィアに移って以来、胸の中にもやもやしたものを抱えているのだ。それは、きっと私が悪い子だからだ。
★★★
なにか良くないことが起こるのではないかと私が心配している中、マルカ魔術学園にシェリンガムのお爺様が私を訪ねてきた。私が呼び出されて学園の一室に入るとそこにはお爺様と姫騎士と呼ばれ剣や槍の臨時講師をしているセリア様、そして初めて見る女の人がいた。
「私は悪役令嬢のエカテリーナです」
その女性は透き通った声で名乗った。悪役令嬢? どういう意味なんだろう? それになぜお爺様と一緒に?
「ルシア、ちょっとこれからわしらと一緒に来てくれ。ソフィアには内緒でな」
お爺様はそう言って私を見た。ソフィアに内緒って・・・。最近の学園の不穏な空気と何か関係があるのだろうか?
「学園長にも話は通してあるから大丈夫だ」
学園長まで話が通っている。私は戸惑いながらも頷くことしかできなかった。
そして王都から馬車で二日、途中の街での宿泊も挟んで一行が到着したのはシェリンガム伯爵領だ。学園に入学してからは初めての訪問だ。屋敷の前で出迎えてくれたのはなんとパーシヴァル様だ。隣にはニコニコしているお婆様もいる。
「ルシア、疲れてない?」
「なぜ、パーシヴァル様がここに?」
「うん、ちょっとね」
私は何が何だか分からないうちにセリア様とエカテリーナ様と一緒に屋敷に案内された。とりあえず疲れているだろうからと、その日はみんなで夕食を取った後は、早めに寝た。夕食の席では私が屋敷に連れて来られた理由について誰も触れなかった。私もなぜか訊くことを躊躇った。
次の日の朝食の席でお爺様が「今日はルシアとパーシヴァルを魔女の館に案内しよう」と言った。
そういえばシェリンガム伯爵領にはそんなものがあった。初めてアーサー殿下とパーシヴァル様と会ったとき、パーシヴァル様が行ってみたいと言っていた場所だ。でも時間が無かったため行くことができず、アーサー殿下が希望した魔獣狩りの見学に出かけたのだ。あのときの記憶が蘇ってきた。
「ルシア、大丈夫?」
パーシヴァル様が心配そうに訊いてくれた。
「大丈夫です」
私も魔女の館には興味がある。それに最近はあのときのことを思い出しても以前のように体が強張ることはなくなった。
「魔女の館とは古の魔女が魔法を研究していたと言われている場所ですよね」
エカテリーナ様が確認するように質問した。
「その通りです。魔女は実は聖女様の末裔だという話もあるのです」
お爺様はエカテリーナ様にそう答えた後、私の方を向くと「マージョリーはあの場所が好きでな。よく連れて行ってやったものだ。マージョリーはあそこでよく魔法の練習をしていた」と目を細めて言った。お爺様はお母様をとても愛していた。だからその娘である私のこともこうして気にかけてくれる。
私、お爺さま、パーシヴァル様、エカテリーナ様、セリア様の5人は馬車で魔女の館に向かった。5人のシェリンガム伯爵家の騎士も同行している。魔女の館があるという森は魔獣狩りを見学した森とは別の森だ。魔獣狩りの見学にはアーサー殿下がいることもあり比較的安全な森が選ばれた。魔女の館がある森はそれに比べると危険らしい。森に入る前に私たちは馬車を降りた。ここから先は徒歩になる。森特有のひんやりとして清浄な空気を感じる。私たちは下草と落ち葉を踏みながらシンシンと森の中を進む。段々と辺りは薄暗くなってきた。この森には危険な魔獣がいると聞いている。私は自分が緊張していることに気がついた。
「ジェラルド様とセリア様がいる。何の心配もないわ」
私の不安を感じ取ったのかエカテリーナ様が私とパーシヴァル様を安心させるように言った。それに応えてセリア様が「まかせて」と言って優しく微笑んだ。確かにお爺様と姫騎士セリア様がいればたいていの魔獣はなんとかなるだろう。するとパーシヴァル様がそっと私の手を握ってくれた。
私は隣を歩くパーシヴァル様を見た。
パーシヴァル様は私の方を向くと、大丈夫だよ、とでも言うように笑顔を浮かべて頷いた。あの魔獣狩りのとき、私はパーシヴァル様を安心させようと思わず手を握った。今度は逆にパーシヴァル様が私を安心させようと手を握ってくれた。あのときよりパーシヴァル様は少したくましくなった。パーシヴァル様は口数が少ないけど殿下と違ってソフィアが聖女に覚醒した後も私に対する態度が変わらない。それどころか、いつも私を気遣ってくれる。私は顔が赤くなるのを意識した。
私たちはさらに森を進む。セリア様やお爺様を警戒しているのか一体の魔獣も現れない。遠くで不気味な鳴き声が聞こえるくらいだ。
すると、突然辺りがぽっかりと開けてその館は私たちの前に姿を現した




