1-2(断罪の後).
卒業パーティーの翌日、エカテリーナを庇った俺は、ことの次第を知ったボルジアの侯爵から感謝され屋敷に招かれた。
「アレクセイ、きみのおかげで助かったよ。危うく娘は修道院送りなるところだった」
そう、俺の証言のおかげでエカテリーナのサーシャに対する虐めはの証拠不十分となった。そのため、ゲームの結末である修道院行きを、エカテリーナは免れたようだ。
「セドリックにも私から感謝の言葉を伝えたよ」
セドリックとはデナウ王国騎士団長セドリック・ギルロイ伯爵のことだ。俺の父だ。軍務大臣であるボルジア侯爵は王国騎士団長である俺の親父の上司でもある。
「俺、私は本当のことを言っただけですから」
「ああ、もちろんだ」
ぜんぜん、もちろんじゃない。
「それにしても、王太子殿下も男爵令嬢なんかのためにエカテリーナを陥れようとするなど。ちょっと王家に甘い顔をしすぎたかもしれんな。このボルジア侯爵家をなんだと思っているのだ」
ボルジア侯爵の顔が怒りで赤く染まっている。ボルジア侯爵がエカテリーナを溺愛しているのは有名だ。あの後、ボルジア侯爵は、王家はもちろん、ジルベール、エロール、カイルのそれぞれの家にも激しく抗議したらしい。そもそも、俺がゲーム通りの証言をしたとしても、ボルジア侯爵なら何とかできそうな気もする。まあ、そこはゲームの強制力というかご都合主義なのだろう。
ボルジア家はデナウ王国最大の貴族家にして最高の武を誇る家だ。それどころかデナウ王家は王国の軍事部門をボルジア侯爵家に丸投げしているといってもいい。王国の繁栄はボルジア侯爵家の軍事力があってこそのものだ。そういうわけで、王家を始め抗議された家は戦々恐々としているだろう。
そうでなくてもデナウ王国と並ぶ大国である隣国のゲナウ帝国は、最近、近隣の小国を傘下に収め勢いを増している。ある意味王国は今、ボルジア侯爵家の力を最も必要としているのだ。そんなときにボルジア侯爵家の反感を買うことがいかに危険なことかは馬鹿でも分かる。
馬鹿でも分かるはずだったのだが・・・。
「アレクセイ、今日はゆっくりしていきなさい。こんなことがあってはエカテリーナも心細い思いをしているだろう。是非、話し相手になってやってくれ」
「私のほうこそエカテリーナ様とお話できるとは光栄です」
ボルジア侯爵は俺の言葉に満足そうに頷いた。
こうして俺は、ボルジア侯爵からかなりの好感度を得た。ボルジア侯爵は娘に甘い。俺が、このままボルジア侯爵に気に入られれば・・・。これは俺にも運が向いてきたのではないだろうか?
★★★
ボルジア侯爵に勧められるまま、俺はエカテリーナと二人でお茶を飲みながら会話を楽しんでいる。
「アレクセイ、なぜ、あなたは私を庇ったのですか? あの場にあなたがいたのなら、私がミグル男爵令嬢を突き落とそうとしたのが本当だと知っているはずです」
俺は質問には答えずというか、あなたの顔と体がすばらしかったので、とは言えなかったので、質問で返した。
「逆に訊きますが、なぜあなたはサーシャを虐めていたのですか? あまつさえ階段から突き落とそうとするなど」
実際、俺は不思議に思っていた。乙女ゲーム『心優しき令嬢の復讐』の中のエカテリーナは典型的な悪役令嬢なので、サーシャを虐めても何らおかしくない。しかし、さっきから会話している目の前のエカテリーナは、ただの意地悪な令嬢には見えなかった。それどころか、話をすればするほど気は強そうだが理性的な令嬢に思えてしかたがない。
「あの女が王妃になどなったらこの国はどうなると思いますか?」
エカテリーナは形の良い眉を顰めてそう訊いてきた。
「まあ、国のためには良くはないでしょうね」
サーシャはゲームの主人公であり善人だ。それは間違いない。だが、その設定上、貴族の振る舞いなどには疎く、純真すぎて駆け引きもできない。性格は良くても王を補佐する有能な王妃にはまずなれないだろう。
ゲームの製作陣の発想の貧困さが分かるテンプレ以外の何物でもない設定だ。とはいえ、ゲーム制作陣の事情も分からなくもない。主人公である以上、サーシャが純真で善人なのはしかたがない。
「良くないどころか、すぐに帝国に難癖でも付けられて、また領土を削られますよ」
確かに最近のデナウ王国はゲナウ帝国に押され気味だ。ボルジア侯爵のおかげでこの程度で済んでいるとも言える。
しかし・・・。
「いや、いくらなんでもサーシャが王妃になっただけで」
俺の言葉を途中で遮るとエカテリーナは「問題はサーシャだけではないのです」と言った。
「というと?」
「オーギュストをどう思います」
なるほど、そういうことか。
「うーん、バカ・・・ですかね」
「その側近候補たちは?」
「やっぱりバカですね」
俺はオーギュスト、ジルベール、エロール、セインの顔を思い浮かべる。全員顔も性格も良い。それに頭だって悪くない。勉強に関しては脳筋設定の俺を除いて皆優秀だ。とくにジルベールはそうだ。だが、いかんせん、人間関係や政局を読む力に欠けている。勉強ができることと施政者として優秀であることはイコールではない。そうでなければこんなことを起こすはずがない。
俺は昨日この世界に転生したばかりだがゲームの内容を知っている。アレクセイとしての記憶もある。あっという間にサーシャ・ミグルに絆されてしまった俺も含めた5人は控えめに言っても相当なバカだ。婚約破棄をする前に、ボルジア侯爵家と王家の関係とか、今の王国と帝国の関係とか、いろいろ考える必要がある。実際に今王家が困っているだろうことは想像に難くない。
なるほど、バカな王に貴族としての教育をあまり受けてない王妃、側近もバカばかり、今のデナウ王国の現状を鑑みるに確かにこれはまずいかもしれない。
「エカテリーナ様が言いたいことがなんとなく分かってきました」
そもそも全員人が好すぎるのだ。だからこそ、純真なサーシャを虐めるエカテリーナが許せなかった。主人公のサーシャはもちろん、乙女ゲームの攻略対象の顔や性格が良いのは当たり前だ。乙女ゲームのご都合主義がなせる技だとしたら彼らも被害者なのかもしれない。設定の甘さや発想の貧困さが非難されるとすれば、それはこのゲームの制作陣に対してなされるべきだろう。
だが、この世界で生きている者として現状に目をやればどうだろうか?
そうでなくても帝国に押され気味なのに、軍務大臣でありこの国随一の武闘派であるボルジア侯爵がこの件により王家に対して反感を持てば将来何が起こるか分からない。最悪の場合はボルジア侯爵が帝国と通じてなんてこともあるかもしれない。そうなれば王国は終わりだ。
だがゲームではこの国の将来のことなど描かれない。そもそも『心優しき令嬢の復讐』の制作陣はこの国の将来のことなど考えていない。まあ、続編があるにはあるが、とりあえず今は関係ない。
ゲームはオーギュストとサーシャのハッピーエンドで終わる。エカテリーナは修道院送りだ。殺されない辺り、昨今のゲームとしては悪役令嬢に比較的優しい結末なのかもしれない。どっちにしてもゲームの目的はエカテリーナが『ざまぁ』されて、サーシャの恋が実ることだ。それでプレイヤーがサーシャに感情移入して幸福感を得られればいいわけだ。
「そう、彼らは全員バカです。私は昨日まであなたも同類だと思っていましたよ」
「面目ないです」
エカテリーナは俺を蔑むような目で見た。ちょっとぞくっとする。この目は悪くない。いや、悪くないどころか、なかなかいい。
「まあ、私もサーシャを階段から突き落とそうとしたところを、あなたとセインに目撃されたのは失敗でしたわ」
「確かにあれはやりすぎでしたね」
「私の嫌がらせにもかかわらず、あの娘がなかなか引き下がらないものだからちょっとムキになってしまいましたわ」
少し反省しているエカテリーナも可愛い。うん、これも悪くない。いや、悪くないどころか凄くいい。
「なるほど、そういうことでしたか。理解しました」
俺は、その後、エカテリーナを庇った理由を、はっきりとは分からなかったが、あなたのすることだから何か意味があるのだろうと思って庇ったのだとかなんとか、適当なことを言って誤魔化した。
「で、結局、婚約破棄されたわけですけど、これからどうするのですか?」
エカテリーナは俺の問いに何も答えなかった。
俺はエカテリーナを見る。やっぱり顔といい体つきといい悪くない。いや、すばらしい。
「今、ちょっと寒気を感じましたわ」
「きっと、またあいつらがエカテリーナ様の悪口でも言っているんでしょう」
「・・・」
エカテリーナを見て、俺は日本にいたときの彼女である美月のことを思い出した。美月も俺にはもったいない美人だった。俺には美月以外に彼女がいたことはない。
まさか、あの美月が自殺するとは・・・。
高校で知り合い同じ大学に進んだ。美月は俺と違って優秀だったので、誰でもその名を知っている一流企業に就職した。俺と違って明るく友達も多かった。その彼女がまさか職場で虐められていたなんて・・・。
俺は全く気付いていなかった。俺の前の彼女はいつだって明るくて元気そうだった。むしろ何をやっても上手くいかない俺の愚痴を聞いて励ましてくれいたのに・・・。
美月・・・。
「どうしたんですの? 急に真面目な顔になって気持ち悪いですわ」
「いや、なんでもない」
残念ながら、その後は、あまり会話が弾まなかった。




