3-1(未来を知る侍女).
やっと就職した会社も予想通りブラックだった。
俺はその日の朝、前日の疲れが残ったまま、トボトボと最寄りの駅までの道を歩いていた。
「虎次郎! ダメ!」
見ると一匹の子犬が、リードを引きずったまま道路に飛び出している。叫んだのは飼い主らしい少女だ。何かの拍子でリードを手から離してしまったらしい。
子犬が飛び出した先にトラックが走ってきた。
ああ、これはダメだと思った瞬間、少女は再びリードを手にしようと道路に飛び出した。
次の瞬間、俺は道路に飛び出していた。間に合うわけがないのに俺は何を考えていたんだろう。いや、覚えている。
なんで犬が虎次郎なんて名前なんだ!
しかも白い犬じゃないか!
確かあの瞬間、俺が考えていたのはそんなことだった。くだらない。これまでの人生で人助けなんてしたこともなかったのに。あのときの俺はどうかしていた。もしかして犬好きだった美月のことが影響でもしたのか・・・。
そしてその後、間違いなく俺が死んだこと以外は何も覚えていない。
次の瞬間俺が目にしたのは、「エカテリーナ・ボルジア! 僕、オーギュスト・デナウはお前との婚約を破棄する!」と叫ぶオーギュストと笑みを浮かべてそれを睨み返すエカテリーナの姿だった。
その後、俺に起こったことを思い出すと腹が立つ。だいたい、少女と子犬を助けようとして死んで転生したんなら転生先では幸せになるのが普通だろう。
それなのに・・・。
★★★
エカテリーナは義母の王妃ミランダ、義姉の王太子妃エリザベスと王宮の中庭にある東屋でお茶を楽しんでいた。
「義母それはどういう意味ですの」
「いえね、私の侍女のエルサが、未来が分かるって言うのよ」
もしかして、またもや転生者なのだろうか? それとも・・・。
「未来が分かるって・・・予知能力みたいなものがあるって言っているのでしょうか?」
「エカテリーナ、それがもっと突拍子もないことを言っているのよ」
「突拍子もないこと?」
「それがね、エルサは今2回目の人生を経験してるって、だから未来が分かるって言うのよ」
もしかして、エカテリーナもよく知っているあれなのだろうか。人生をループするとか、やり直すとか、そんな話はラノベやアニメではよくある。しかもここはもともと前世の乙女ゲーム『心優しき令嬢の復讐』の世界だ。
「それがね。エカテリーナには言い難いんだけど、どうもエルサは同僚の侍女に自分がダイカルトと結婚することになってるはずだったのに、前の人生と変化してるとかなんとか、私にもよく分からないようなことを言ってるらしいのよ」
「夢見がちにしてもそれは行き過ぎですわね」
呆れたといった顔でそう言ったのは王太子アルベルトの妻のエリザベスだ。
「義母、エルサは他にも何か言っているのですか?」
気になったエカテリーナは尋ねてみた。
「それが、私もよく知らないんだけど聖女様がどうとか・・・」
「聖女様・・・」
「そんなバカな! 聖女様って古の大帝国の基礎を築いたっていう、あれでしょう」
エリザベスは、そのエルサとか言う侍女をなんとかすべきだと、今度は本気で怒っている。
「それはそうなんだけど、意外と仕事はしっかりしてるし評判は悪くないのよ。それがダイカルトがエカテリーナと結婚したでしょう。それでほかの侍女たちから嘘つき呼ばわりされてね。ちょっと虐められているらしいのよ」
エカテリーナは人生をやり直しているという侍女エルサについて考えてみた。
もしかして、『心優しき令嬢の復讐』には私の知らない例えば帝国編なんて続編でもあって、私のせいでシナリオを外れてしまったなんてことがあるだろうか? だとしたら、私はそのエルサって娘からダイ様を奪ってしまったのかしら?
『心優しき令嬢の復讐』にはちょっとしたファンタジー要素もあった。実際にエカテリーナが通った学園では魔法の授業なんてものもあった。大体この世界が中世ヨーロッパ風なのにとても快適なのは科学の代わりに魔法があるからだ。要するにご都合主義である。男子生徒には魔物の討伐訓練なんてものもあった。
エカテリーナも氷属性魔法が使える。悪役令嬢だけあって、そこそこ能力は高いがストーリーにはあまり関係なかったはずだ。せいぜい魔法の授業でサーシャにちょっとした嫌がらせをする程度だ。実際にはサーシャのほうが魔力が高いのだが・・・。サーシャは主人公なんだから当然の設定だ。そんな『心優しき令嬢の復讐』の続編なら、確かに聖女様なんてものが出てきてもおかしくなさそうではある。
それよりもエカテリーナが気になるのは、ラノベなどでよくあるゲームの強制力というやつだ。ゲームの強制力というのはエカテリーナのような転生者のせいで、一旦シナリオを外れても、元に戻ろうとする力のことだ。
ゲームの強制力なんてものがあるんだろうか? もしあるとして、それが私やダイ様に影響を与えるなんてことがあるだろうか?
バカバカしい。エカテリーナは愛するダイカルトのことを思い浮かべると、そんな考えを頭から追い払った。
「まあ、さすがにダイカルトのことを話に出されては黙っているわけにはいかないわ。いくらなんでもダイカルトが侍女と結婚するはずだったなんて荒唐無稽にもほどがある。例えダイカルトがエカテリーナと結婚するって言い出さなかったとしても、オルランド家のご令嬢なんかどうかしらって思っていたのよ。侍女なんてありえないわ。エルサのことは、さすがにちょっと注意しとこうと思っているの」
エカテリーナが聞いたところでは、そのオルランド家のご令嬢は今では宰相様の元で官吏としての勉強に励んでいるらしい。女性としては異例なことだが、ダイ様の結婚相手と義母が考えていたぐらいだから優秀な人なのだろう。本人も官吏としての仕事にやりがいを持って頑張っていると聞いている。将来は帝国初の女性宰相になるかもしれないとわね、と義母も褒めていた。
「義母、エルサをあまりきつく叱らないであげて下さい。少女が王族との結婚に憧れるなんていうのはよくあることですから」
「エカテリーナがそう言ってくれるのなら、そうするわ。実際、それ以外はとても良い娘なのよ。これ以上変なことを言って、虐めが酷くなったりしないといいんだけど」
エカテリーナの義母にして王妃ミランダは「この話はこれでおしまい」と言って話題を変えた。
「あの人の野心にも困ったものだけど、あなたとダイカルトおかげでこれ以上戦争が拡大しなくて済みそうで良かったわ」
未来が分かる侍女エルサの次の話題は、最近起こったゲナウ帝国とマルマイン王国の件だった。そう、ダイカルトの提案したカイルベルトと姫騎士セリアの結婚はジェズアルド王に認められたのだ。
「最初に聞いたときは上手くいくとは思えなかったけど、本人たちが乗り気なのには驚いたわ」と王太子妃のエリザベスが言うと、王妃ミランダは「カルベルトはセリアに手玉に取られたっていうのに相変らず人が好すぎるわね」と相槌を打った。
ダイカルトがエカテリーナに言った通りカイルベルトはセリアを愛していた。やっぱりダイ様の言うことに間違いない。
そして姫騎士セリアのほうもエカテリーナの予想通りカイルベルトを愛していた。やっぱりセリアは転生者で間違いない。じっくり二人で話をしてみたいとエカテリーナは思っているが、今のところそれは叶っていない。
ダイカルトとエカテリーナのときに続いて、またもや慌ただしい結婚披露パーティーが行われた。ただ、違っていたのは、二人の結婚の経緯から帝国の王子にしては非常に質素なパーティーだったということだ。
そして、カルベルトはすでにマルマイン王国のアルストン辺境伯領にいる。カイルベルトが婿入したからだ。すべてエカテリーナの夫であるダイカルトが上手くジェズアルド王とアルベルト王太子を丸め込んだおかげだ。
エカテリーナが聞いたその経緯はこんな感じだ。
最初に、ダイカルトはジェズアルド王に「父上、そろそろ皇帝になってはいかがでしょう」と切り出した。ゲナウ帝国は前王の時代から帝国を名乗っている。傘下にある小国が増えたからだ。だが王は王のままだ。
「デナウ王国も我妻の実家であるボルジア家のおかげで我らには頭が上がらない状況です、その上、カイルベルト兄上と姫騎士セリアが結婚すればマルマイン王国へも楔が打てます。ボルジア侯爵家はデナウ王国一の武門の家、そしてアルストン辺境伯家はマルマイン王国一の武門の家なのですから。おまけに両家とも現当主は一人娘を溺愛していることで知られています。この結婚をまとめた上で、父上はそろそろ皇帝を名乗るべきです」
ダイカルトの言葉にジェズアルド王は喜んだ。
言われてみればその通りだ。古の大帝国のように、我が国はどんどん拡大していくだろう。そうだ皇帝を名乗るべきだ。なぜ、今までそうしなかったのか不思議なくらいだ。
ジェズアルド王は、おそらくそんな風に思ったのだろうとエカテリーナは想像している。すっかりその気になったジェズアルド王は、満面の笑みでダイカルトが提案したカイルベルトとセリアの結婚に同意した。
そこで、ダイカルトは「我が帝国が後ろ盾になればもともと国民に人気のある姫騎士セリアのマルマイン王国での存在感は増し将来二人の子供が、現マルマイン王の子供たちを退けマルマイン王国の王になることも夢ではないでしょう。アルストン辺境伯夫人は王家の血を引いているのですから、ええ、そうなってもまったくおかしなことではありません」と締め括ったらしい。
さすがダイ様だ。
そしてその決定に、カイルベルト自身が乗り気だったことで、実は少し線の細い次男のことを気にかけていたジェズアルド王は「ダイカルトの言う通りだったな」とさらに喜んだ。
ジェズアルド王の説得が成功した夜、ダイカルトは「悪役令嬢たる妻の期待に応えるのもなかなか大変だ」と言ってエカテリーナを抱きしめた。そして「でもカーチャ、きみに褒めてもらえる喜びに比べればなんでもないけどね」と言ってエカテリーナを抱きしめる手に力を込めたものだ。
ダイ様・・・。
「エカテリーナどうかしたの? 心ここにあらずって感じだけど」
「も、申し訳ありません。義母」
「大方、昨日の夜のことでも思い出していたのでしょう」
エリザベス義姉は意外に鋭い・・・。




