【第5話 三日目、アレは二体】
夜の見張り交代は機能した。糸鈴は一度だけ鳴ったが、影は近づかず、朝は静かにやって来た。
まずは数字だ。雨漏りゼロ区画は維持、通路幅は一・〇をキープ。祈り場の埃は、主観メモで二から一を目標に。棚卸しは干し肉と乾芋がわずかに減り、薪は昨日の積み増し分でプラス。壁板のKPIに線を足す。
「数字は昨日の努力の足跡だ。今日も一歩だけ進める」
「鈴の鳴りは風……たぶん、ね」とローヴェン。
「たぶんって言わないで」とニナが顔をしかめる。マーラは祈り場を布で拭きながら「床の光り方が違います」と微笑んだ。
祭壇跡に膝をつく。手の甲の輪が内側から熱を帯びる。深呼吸。短く呼ぶ。
「来い」
床下のどこかで、骨が歌うみたいに鳴った。白い指が二方向から突き出し、同時進行で二体が組み上がっていく。
背骨が積まれ、肋骨が弓を描き、頭蓋がコトン、コトン。二重の音が重なったところで、俺の肺は空になった。膝が抜けて、片手で床を支える。
「え? 二体!?」ニナの声が跳ねる。
「おお……数が増えおった」ローヴェンが杖を握り直し、マーラは胸に手を当てて小さく祈った。
「三日目……二体。累計四。記録する」
壁板の片隅に、昨日までの数字の横へ「1, 1, 2」と並べる。ペン先が躊躇して、次の欄に小さく「3?」と書き足した。
一、 一、 二。等差ではない。前二つの和で次が決まる手触り。言葉にすれば、俺の世界なら有名な数列だ。だが確証は、明日。
「今日は分隊を組む。まずは清掃分隊、通称ピカピカ。骨一号、監督マーラ」
「次、運搬分隊、通称どすこい。骨二号と三号、監督ローヴェン」
「資材分隊は俺と骨四号。名前は……そうだ、カツグ君」
「長、名付けに偏りが」とローヴェンが咳払いする。
「社内命名規則は現場の士気が最優先だ」と言い切ると、ニナが肩を震わせて笑った。「ピカピカ、どすこい、カツグ君……」
「合図ルールは昨日と同じ。開始は一拍手、停止は二拍手。木笛一吹きで“ここまで”、二吹きで“繰り返し”。今日はそれに“集合”を追加。手信号は頭上で両腕を丸——これ」
ニナが実演して、骨たちの空洞の目がこちらに固定される。理解しているのかいないのか、表情がないので判断が難しい。けれど命令は通る。命令が通れば、仕組みは作れる。
外へ出る。朝露が残る足元に、昨日延ばした排水溝が鈍く光っている。
まずは入口前の泥濘を砂利で埋め、外周の警戒線を一本追加。畑予定地を縄で区切り、表土を起こす。骨三号がやる気を出しすぎて石を抱えすぎ、足指骨をばらまいた。
「……はい、指。なくすと歩きにくいでしょ」ニナが拾って手渡す。
「助かる。パーツ管理用の袋を作ろう。分隊ごとに色を変える。ピカピカは白、どすこいは……黒で」
「なんで黒」
「強そうだから」
「理由、雑」
昼過ぎ、糸鈴がかすかに鳴った。全員の動きが止まる。森の縁に、黒い影。獣か、小さな魔物か。
俺は扉前に骨二体を横並びに立たせ、停止の合図。ニナが木笛で短く警告を鳴らす。影は距離を測るように一度だけ揺れて、やがて森に溶けた。
「見せるだけで退く相手もおる」とローヴェン。
「実戦は避ける。守衛は“どや顔で立つ”が基本だ」
「骨にどや顔はありません」とマーラが苦笑する。
「じゃあ、どや立ちだな。肩幅を広く、胸を張れ。いや胸は肋骨だが」
骨二体がぎくしゃくと胸を張った。どや立ち。悪くない。ニナが笑って木笛を鳴らし、「集合」の手信号を空に描いた。
午後は土木。排水溝をさらに延ばし、入口の蝶番に仮の補強を入れる。清掃分隊は祈り場の隅を磨き、床の木目が一本分、はっきり見えるようになった。
壁板のKPIはこうだ。雨漏りゼロ区画維持。通路幅一・〇維持。埃レベル、主観で二から一へ。守衛の基準「どや立ち」を新設。召喚記録は「三日目=二体、累計四」。骨の点検表に「部品袋ルール」と「指の予備は二セット」と書く。
「祈りの言葉が、ここではよく響きます」とマーラ。
「場が整うと心が整う。順序は逆じゃない」と俺。
「骨、こわいけど……便利」とニナ。
「便利を“安全”に替えるのが、分隊長の仕事だ」
夕方、森の影は遠く、糸鈴は鳴らなかった。
壁板の数列の横に、もう一つ小さく書く。「明日が三なら確定」。
もし三なら、次は五。増え方は速い。いつか、止め時が来る。その時のために、今日から記録をつけておく。理由が話せなければ、人はついてこない。数字は、そのためにある。
焚き火の煙がまっすぐ上がっていく。分隊の名前はふざけたけれど、やることは大まじめだ。
現場は問いに答える。俺は、その数字を読むだけ。
(つづく)