【第4話 二日目、アレはまた一体】
朝は数字の確認から始める。
雨漏りは昨夜の仮板が効いて、落下点が三つから一つへ。祈りの場の床はまだ薄く湿るが、寝床の毛布は触っても冷たくはない。壁板のKPIに線を足し、在庫の棚卸しをマーラとやる。干し肉、乾芋、塩、薪。正の字が増えるぶんだけ、心臓の鼓動が落ち着く。
「まずは現状確認。数字は昨日の努力を裏切らない」
「灯りが戻ると、祈りも落ち着きますねぇ」とマーラ。
「……骨、一匹でけっこうやるじゃん」とニナが口を尖らせる。
「一匹じゃない、一体だ」とローヴェンが真顔で訂正し、俺は笑った。こういうどうでもいいやりとりが、朝には効く。
祭壇跡に膝をつく。手の甲の薄い輪が、内側から微かに熱を帯びる。深呼吸。刻印に意識を寄せ、短く言う。
「来い」
石の隙間が鳴り、白い骨が組み上がった。背骨が積み、肋骨が弓を描き、最後に頭蓋がコトリとはまる。
同時に、胸を掴まれたような倦怠が押し寄せ、俺は膝をついて息を吐いた。ぜえ、ぜえ。昨日と同じしんどさ。体が「今日はここまで」と言ってくる。
「……また出た。でも、今日は逃げないから」とニナはドア口から一歩踏み込んだ。
ローヴェンは杖を構えつつも、距離は昨日より近い。「動きは昨日と同じか」
「二日目、召喚一体。記録する。累計二」
壁板の端にそう書き留めてから、骨二号を見た。昨日より、魔力の通りがわずかに滑らかだ。等差で増えない何かの気配。だが、まだ言語化はできない。
「今日は手順を決める。命令は短く、一個ずつ、確認付き。合図はこれで統一」
俺は掌を叩いて「開始」、もう一度で「停止」、木笛を一吹きで「ここまで」、二吹きで「繰り返し」を示すことにした。合図は遠くからでも通じる。ニナに木笛を預け、見張りと合図係を兼任させる。
割り当てはこうだ。
骨一号は瓦礫の集積と掃除の反復ループ。骨二号は薪拾いと水の運搬、屋根材の仮運び。ローヴェンは監督と寸法取り、危険作業には近づかない。マーラは在庫と配給表の更新、誰が何をどれだけ食べたか、壁に書く。俺は指示と記録と微修繕。
「開始」
骨二体はぎこちない所作で動き出した。骨一号は瓦礫を両腕に抱え、骨二号は水桶を持って外へ出る。
外周には昨日張った糸鈴——細縄に金属片を結んだ警戒線——が風に鳴って、場の全員の耳を軽く引く。森からの侵入があれば、まず音で分かる。
昼前、骨二号が水桶を運ぶ途中で足を取られ、前のめりに倒れた。乾いた音。腕骨がぽろりと外れて転がる。
「ひゃっ……腕、取れた……!」とニナ。木笛が鳴り、骨二体がぴたりと停止する。
「大丈夫、構造は単純だ。関節は嵌め込み」
外れた橈骨と尺骨を拾い、差し込む角度を確かめ、押し込む。カチ、と小さな手応え。肩の球もはめ直す。骨二号は無言で立ち直り、命令を待った。
俺は自分の手を見て、ほっと息をついた。整備性は高い。危険作業は必ず人間が監督——壁板の「骨の安全手順」の欄に大きく書き加える。
午後、雨漏りの落下点はついにゼロの区画が生まれた。祈りの場が一段分だけ広がり、床の埃は昨日より二段階ほど薄い。通路幅は一・〇を維持。薪と水のストックが一日分、確実に積み上がる。
「骨さんも、働くのですね……」とマーラが手を合わせる。
「働かせ方次第だ。誰だって、仕組みが整えば動ける」
ローヴェンがわずかに目を細めた。「戦わせるより、働かせる方が性に合うわ」
ニナが祈り場の端に立ち、目だけこちらを向けて小さく言う。「……あたしも、祈っていい?」
「もちろん。祈りたいなら祈れ。ここはそれを止めない場所だ」
世間は邪神と呼ぶ。けれど、自由を奪われた誰かが自由を取り戻すための祈りは、どう見たって邪悪じゃない。数字は中立だ。俺はただ、現場の数字を読んで、正しい場所に手を伸ばす。
夕方、糸鈴が一度だけ、チリン、と鳴った。全員の体が硬直する。風か、獣か。音はそれきりで、森はまた息を潜めた。
「外へは出ない。見張りは二人一組で短い交代。夜間は鈴をもう一筋足す。今日はここまで。明日は排水溝を延ばして足場を乾かす。入口の扉も補強しよう」
「三日目も一体なら、月で三十体じゃな」とローヴェン。
俺は壁板の片隅、召喚記録の欄に線を引いた。「二日目=一体。累計二」。
チョークの粉が指先に白くつく。脳裏では、増え方の手触りがもぞもぞしている。足し算の一本調子とは違う。直感だけが、別の法則を指している。
「答えは明日だ。現場は数字で語る。俺は耳を澄ませるだけ」
夜風が抜け、糸鈴がひと鳴りした。廃教会の空気は、昨日より少しだけ、住む場所に近づいている。
(つづく)