【第3話 初日。召喚第一号、現る】
朝の空気は湿って冷たい。俺はまず雨漏りのバケツをずらし、ローヴェンに脚立を押さえてもらって抜け板に仮の板を打ち付けた。マーラには在庫の棚卸しを頼み、壁板に干し肉・乾芋・塩・薪の数を正の字で記していく。祈り場と寝床の境界にはベンチを横置きして通路幅を確保。
手を動かせば、頭が落ち着く。数字は逃げない。見える化が、まず一歩だ。
「……ほんとに“長”なの?」
ドア口に立つニナが、まだ疑いの目でこっちを見る。
「肩書は利部さん、じゃなくて神さまの無茶振りだ。中身は現場作業員だよ」
軽口をひとつ置いてから、祭壇跡に膝をついた。昨夜から手の甲がじんわり熱い。目を閉じると、皮膚の下で薄い輪の刻印が光る気配がある。意味で届く声が、微かに脳裏を擦った。
——呼べば、来る。
喉が渇いた。深呼吸。意識を刻印に合わせて、小さく言う。
「……来い」
石の隙間で、乾いた指先がカタ、と鳴った。白い指骨が、土を払いのけるみたいに這い出て、手首、前腕、上腕、肩——骨が組みあがる音が教会にこだまする。最後に頭蓋がコトリとはまり、空洞の眼窩がこちらを向いた。
同時に、胸を掴まれたような倦怠がどっと押し寄せた。膝が笑い、視界の端が暗くなる。壁に手をついて、どうにか倒れまいとする。
「な、な、な……」
ローヴェンの喉から妙な音が漏れ、次の瞬間——
「ぎゃああっ、骨じゃと!」「下がって、下がって!」
ローヴェンは柱の陰へ、マーラはベンチの裏へ、ニナはドア口の外へ飛び退いた。ベンチが軋み、埃が舞う。逃げ足だけは速い。俺は、と言えば、その場に膝をついたまま、息が上がって動けない。
教会の中央に、骨だけが立っている。
直立不動。空洞の目で、ただ、待っている。襲ってこない。音も立てない。風の音と俺の荒い息だけが響く。
「……はあ……っ、はあ……っ。動くな」
掠れた声で命令してみる。骨は微動だにしない。
次に、視線を床の割れ板へ向ける。
「それを……持ち上げて、ここに」
骨はぎくしゃくと歩き、板を両手で持ち上げ、俺の指さした場所に置いた。ぎこちないが、命令は通る。
「……不浄のもの、では、あるが……従っておる、のう」
柱の陰からローヴェンが顔を出した。杖を握る手の震えはまだ残っている。マーラは胸の前で祈りながら、恐る恐るベンチ越しに覗きこむ。ニナはドア口から半身だけ出して、じっと骨を見ている。
「大丈夫だ。少なくとも、俺の敵じゃない。……お前、ここを片付けろ。瓦礫はあの隅だ」
骨はコトコトと動き、瓦礫を抱えて運んだ。力はある。繊細さはない。けれど、十分だ。
場が少し緩んだところで、わざと平常トーンを作る。
「よし。お前は……骨一号」
「センス……」
ドア口からニナの小声が飛んだ。悪くない。怖さの層が一枚、はがれた音だ。
「命令は簡単なほうがいい。名前もね」
俺は壁板を引き寄せ、チョークで今日の作業リストを書いた。
雨漏り箇所3→1にする。通路幅0.5→1.0。祈り場の埃レベル(主観)5→2。
そしてもうひとつ——召喚記録。
「1日目=1体。累計1」
書きながら、喉の奥で苦笑が漏れた。今のこれが、俺の魔法だ。記録、配分、手順。見える化。
「長……これは、毎日呼べるのか」
ローヴェンが近づいてきた。眼差しはまだ半信半疑だが、さっきより近い。
「体が限界って言ってる。今日はもう無理だ。たぶん、一日一回だと思う。……明日も、一体呼べるなら、作業を横に広げられる」
「骨が増えれば、森にも手をつけられるかの」
「焦りは禁物だ。まずは足場だ」
夕刻、骨一号はひたすら瓦礫を片付け、ベンチを拭いて、最後は片隅で直立したまま待機した。雨滴の落下点は半分以下。寝床の湿りが減り、祈り場の床が見える。マーラが「灯りが戻った」と小さく呟いた。
森の方角から、低い唸りが聞こえた。風か、魔物か。境界線の向こうに、未知がいる。
「明日も一体。……それがまた一体なのか、二体になるのか」
自分でもわからない未来に、少しだけ胸が高鳴る。現場は問いに答える。俺は、その数字を読むだけだ。
(つづく)