【第29話 消火器、アレは霧——最小の奇跡】
朝。灰の匂いはまだ残っているけど、風は冷えた。
板に昨日の“借り”を書き直す。炊き出し二回、無償搬送三便、焼け跡の植え戻し“3:1”。約束は、紙に落としてから動く。
「炊き出し一回目、出す。救護院前、並びは“子ども・年配・負傷の家”から」
大鍋で麦粥。炭“上”で火をやさしく保つ。味は塩と少しの干し菜。器は回収、洗い場は上流。
院母が腕章を見て頷く。「次は夕刻ね」
「出す。二回目で帳尻」
無償搬送は朝いちで一便目。
水樽と毛布、包帯。帰りは焼け残りの鍋や布を積んで戻る。
荷の目録は右揃え、受け渡しはサイン。紙のやりとりが増えたせいで、骨の“どや”が看板に移った。胸に“どや禁止”と書いた札を抱え、自然体で立つ。よし、そのまま。
植え戻しは午下がり。
焼け跡の外縁から、広葉3、針葉1の“3:1”。今日の目標は360本。穴掘りは骨、植えと足踏みは人。
「声、出して」「植えた」「踏んだ」「よし」
——笑われても効く。土は声を聞く。
正午、黒外套。カリスが現れて、昨夜の“霧”の記録票を差し出した。
「奇跡使用記録」という紙。文言は淡々、欄は多い。
「使用目的、適用範囲、副作用、返し方。——書いてくれ。これは政治の紙でもある」
「わかってる。『消火器運用、兵器化せず』って書く欄はないか」
「ない。だから、君が書き足せ」
書き足す。
・目的:救護線と避難路の保護(攻撃・追撃には不使用)
・範囲:帯状(幅15m×長さ80m)
・副作用:視界低下→誘導員の増員で補正
・返し方:炊き出し2回/無償搬送3便/植え戻し“3:1”
・備考:霧は“通すための道”。兵器としての運用は不可。
カリスは黙って読んで、印を押した。次の紙を出す。
「王都からの通達。『霧の加護を有する者は、義勇の列へ“安全な進軍”のため随行せよ』」
「安全な進軍、ね。『攻撃の目隠し』の言い換えだ」
「文面は曖昧に書く。——政治だ」
午後、商会の代表と評議の書記、鍛冶組合の親方、救護院の院母が会堂に集まった。
議題は一つ。「霧を戦に持って行くのか」。
俺は板を立てる。
「三箇条の“宣言版”を出す。紙にする。
一、奇跡は人命の即時危機に限って使う。
二、代替策が尽きたときだけ使う。
三、使ったら“運用で返す”。
補足——霧は消火器。攻撃には使わない。兵器としての依頼は、全部断る」
商会代表が渋い顔。「断って、うちの便は守れるのか」
「守る。『兵站従事者証』と『衛生標章』で道を通す。物資線は俺の戦場だ」
鍛冶の親方が腕を組む。「“安全な進軍”の随行に、道普請の名目で出るのは?」
「出る。条件を三つ。
・避難路の確保を最優先(撤退路二重)。
・救護線の運営権はうち(院母と一体)。
・霧は“退避のための帯”に限る。前進の目隠しには使わない。
——紙で取り交わす。破ったら引く」
院母が短く頷く。「なら、私の印も押す。霧は“水”だ。血に混ぜない」
評議の書記は砂時計を見てから言う。「その文言で“随行の覚書”を作る。王都の文面は曖昧だが、こちらは明確に」
夕刻、炊き出し二回目。
鍋を置く場所は人の流れの“外”。灯は低く。
器の列で、昨日助けた赤タグの男が帽子を脱いだ。「……ありがとう」
「返すのは俺らの番だ」
無償搬送は二便目・三便目も予定どおり。
荷は毛布と濾過布、帰りは手紙の束。偽旗に巻き込まれた商人の証言も混じっている。
「油壺が、最初から柱元に三つ」「あの路地は風上じゃないのに火が走った」——紙は集まる。線になる。火より遅いが、消えない。
夜、丘の上。
遠くの街道に、いくつも灯が見えた。旗の影が揺れる。
“安全な進軍”。言葉はやさしい。中身は硬い。
カリスが横で言う。「随行の覚書、受理された。だが、明日から君は“軍に随う者”と見られる」
「兵站の旗を掲げる。『武器より道』の旗だ。——それでも、戦に近い。線をまたぐ」
「またぐ」
帰路、骨が看板を抱えたまま自然体。どや立ちは、しない。
オーシが角で肩をコツン。今日の合図は二回。「行く」「戻る」。
リベルティアが袖を引いた。幼い声が、少しだけ大きくなった。
「けい。ふえる、かも。……しんじゃう、ひとも」
「ふえる。だから、減らすために“道”を持って行く。霧は“退くための帯”にだけ使う。——線は、俺が引く」
板に今日の数字を書く。
・返し方:炊き出し2回(計410食)/無償搬送3便(往復、荷計47)/植え戻し360本(3:1配合)
・奇跡:使用記録票作成(目的・範囲・返し方・備考“兵器化せず”)
・渉外:王都通達(随行要請)受領→“随行の覚書”締結(避難最優先・救護運営権・霧は退避用途限定)
・証言:油壺配置・着火順の不自然さ、証言6件収集
・運行:戦時ダイヤ継続、事故ゼロ73日(作業)
・骨:視界外・土木限定継続(どや禁止看板の運用、定着)
数字は冷たいけど、線になる。線は道になる。
旗の下に立つ日が、来る。
俺は腕章をたたんでポケットにしまい、灯を落とした。
夜風の中で、糸鈴が一度だけ鳴った。短く、遠く。——行軍の合図に似ていた。
(つづく)




