【第19話 追跡、アレは証拠——緊急監査と救出計画】
動く前に、まず連絡。制度で殴る。
板の余白に“緊急監査申請”を書き、焼き印の拓本と灰の採取袋を結わえた。オーシの腹帯を締め直して、脚を肩で叩く。コツン、合図は返った。
「リベルティア、糸鈴を——一回だけ、強く鳴らせる?」
「いちどだけ。とどけるための、ちから」
幼い指が空をはじく。切れた糸鈴の欠片が澄んだ音を立て、風の道を走った。
……十数息後、黒外套が丘の陰に現れた。王都教会の査察官——カリス。今日は護衛が二人。顔色は硬い。
「見た。焼印、聖灰、文言。——現場保存の意志は?」
「最大限。立入線済み、採取と拓本も着手。これが申請書。緊急監査の立ち会いと、印の真正の確認を要請する」
紙が手から手に渡る間、喉の奥の温度が一段下がった気がした。
カリスは焼印を指でなぞり、輪の内側の角度に眉を寄せた。
「これは正規神殿の紋ではない。角度が違う。——純化会印だ」
「仮説一致。なら、正式に“過激派の暴走”として扱ってくれ」
「……扱う。だが、救出はおまえが行くのだろう?」
「行く。先行二、後衛三の定石だけど、今は人手がない。俺とオーシ先行、君らは監査と現場保全、そして追跡補助。
神の力は三箇条の範囲。今はいらない。使うときは言う」
カリスが短く頷く。「記録は私が取る。——行け」
北東へ。足跡の一部はリベルティアの“めがね”でかすかに濃い。生きている者の重みが、土に残っている。
車輪の跡は幅広、外径は約90センチ。二台分。足跡は成人八、子ども二。歩幅から推定速度は時速3キロ。出発からおそらく三時間。追いつける。
「オーシ、いける?」
鼻息。コツン。OK。
森の縁を斜めに切り、斜面では無理をさせず、平地で伸ばす。水は途中の小流れで補給。
俺は歩きながら、救出SOPの骨格を頭の外に出していく。
「接触時の優先順——一、子ども。二、非戦闘(縛られた・座らされてる)。三、武装の解除。四、撤退路の確保。交渉は“数字の提案”から始める。汚名は現場写真で落とす」
リベルティアが小さくうなずく。「けいのこえ、ふるえてない」
「震えたら足がもつれる。帰ってから震える」
陽が傾きかける頃、古い狩人道の袂で、灰の帯が途切れた。足跡が硬い地面を外れて、沢沿いの苔に移る。
苔に残るのは、崩れた麻縄の繊維、布のほつれ。そして——小さな踏みしだき。ミオの靴と合うサイズ。二歩分、踏ん張った跡。
「ここで……抵抗した」
呼吸が浅くなる。深呼吸、三秒吸って七秒吐く。数字は心拍も落とす。
視界の奥で、リベルティアが指さした。苔の影に、小さな白。ジュドの木彫りの駒。歯車の刻み。
俺はそれを拾って、胸のポケットにしまった。戻すための証拠は、ここにもある。
「道は二つ。狩人道の上りと、沢を回り込む下り。どっちも北東の尾根に合流する」
「うえは、あしおとがふえる。したは、ぬかるむ」
「上を行くほうが、焼印を掲げる側は好きそうだ。見られたいからな。下は逃げ道。——分かれる」
判断は速く。
俺は上へ。オーシは下の沢側を“歩幅と鼻”で追わせる。リベルティアは上の視界をわずかに広げる“めがね”を貸してくれる。
脚が熱い。心臓がドラム。足場は悪い。——でも、進めば近づく。
尾根道の影で、人影が揺れた。外套が四。革鎧が二。先頭、杖持ち。
俺はすぐにしゃがみ、オーシに木笛一。沢側から低い鳴き声が返る。位置は取れてる。
相手は足を止めない。会話できる距離に入るまで、十数歩。
「そこまで」
声は柔らかく。刃は見せない。板を掲げる。
——“緊急監査進行中。現場保存のための立入制限。被害者の救出を妨げるな”。
正面の杖持ちが鼻で笑う。「邪の働きは、清められねばならない」
「清めたいなら、まず記録を見ろ。伐採一:植え戻し二。事故ゼロ。災害対応の数字も出ている。おたくの印は正規じゃないだろ」
杖先がピクリと揺れた。隣の革鎧が一歩前に出る。
その瞬間、尾根の下からオーシの鼻息が鋭く走り、沢側で枝がはじけた。彼らの視線が一瞬だけ割れる。
——割れ目は一拍。十分だ。
「今から言う。交渉の数字は二つ。
一、今ここで子ども二名と非戦闘者の解放——“手柄”はそっちのままでいい。
二、この場での“清めの実演”中断——理由は“緊急監査の妨害”。
どちらも飲めば、俺は“合法的にあなたがたを救う”。飲まなければ“合法的にあなたがたを止める”。どっちにする?」
杖持ちの眼が細くなった。
革鎧が顎をしゃくる。「どうせ、骨は使えない」
「使わない。使わなくても勝てる。数字で、道で、証拠で」
沈黙。沢の音。オーシの鼻息。糸鈴の残響は、ここにはない。
数えて、七。
杖がわずかに下がった。外套の後ろで、子どもの肩が動いた。
「——子は、渡す。だが“汚れの女”は置いていく」
汚れの女。誰だ。胸が一度だけ鳴った。ニナ? テッサ?
選べる返事は少ない。怒りは後ろに置く。まず、二人を取る。
「子から先に。あとで書面に記す。監査立ち会いのもとで“合意”にする。
——近づく。刃は見せない。手は見せる」
掌を上にして、ゆっくり間合いを詰める。
縄の結び目、結束の癖、革の擦れ。目に入る情報は全部拾う。
ミオの目が俺を見て、ほんの少しだけ緩んだ。ジュドは涙の跡を拭って、歯を食いしばっている。
縄を解く。指が冷たい。怒りが熱い。
子どもを後ろにやって、沢側に一歩下がらせる。オーシが低く鼻を鳴らし、角をそっと子の背に触れる。落ち着け、の合図。
「次は——」
「そこまで」
杖が再び上がった。聖句。空気が乾く。
このままじゃ、殴り合いだ。殴らない道は——一つ。
「監査官、入って」
木の陰から、黒外套が現れた。カリスの声は低いが通る。
「緊急監査を宣言する。純化会の印を掲げる者たちよ、ここでの行為は教会法に照らして“妨害”にあたる。——子を解放し、被害者の救出を妨げるな」
杖持ちの目が、ほんのわずかだけ揺れた。
正面突破はしない、と決めた顔だ。
革鎧の一人が腰を引き、杖持ちは舌打ちを飲み込んだ。
「汚れの女は——」
「彼女も、救う」
俺は言い切った。声が震えなかった。
杖持ちは背を向け、外套が散る。引く判断だ。
今は、追わない。子が先。呼吸。数字。
「二人を、後衛に繋ぐ。カリス、ここでの会話は全部記録に。焼印と聖灰の件は、お前の言葉で“正規印ではない”と出してくれ」
「ああ。出す」
背後でミオが袖を握った。ジュドの小さな歯車が、胸のポケットの中で角に当たって鳴る。
帰り道は長い。戻って、テッサとニナを取り返して、マーラの祈りを土に返して、誓約板をもう一度立てる。
奇跡は消火器だ。今日も壁にぶら下げたまま。
でも——必要な時が来たら、三箇条で使う。その線は、さっきよりずっと、はっきり見えている。
オーシが角で肩をコツン。リベルティアが、小さく息を吸った。
まだ終わっていない。半分も終わっていない。
板に帰路の段取りを書き足し、俺は子どもの手を取った。
(つづく)




