【第17話 灰の雨、アレは水——衛生SOPと復旧】
朝、灰が降ってきた。
雪じゃない。冷たくない。指でつまむと、軽い。風が一度息を吐くたび、世界がうっすら白黒になる。
「今日は“水の日”。飲む・洗う・流す、ぜんぶルールで回す」
壁板に今日の欄。
・降灰=有 ・屋根清掃=最優先 ・井戸/溜め水=**一時停止**(煮沸のみ可)
・仮濾過所=3基 ・配水=1人3L/日目標(飲用2L+調理1L)
・用水路=点検→延長200→220mへ
「“火の10ルール”は継続、“水の10ルール”を追加する」
水の10ルール:
1)飲用は煮沸10分が基本 2)濁り水は三層濾過(砂利→炭→布)の後に煮沸
3)洗濯は下流、飲用は上流 4)手洗いは食前後・作業前後・トイレ後
5)トイレの後は灰を一掴み被せる 6)下痢・発熱時は直ちに申告
7)配水量は1人3L(子は2L)を基準 8)動物は別枠(オーシ10L)
9)濾過槽の清掃担当を掲示 10)最終点検者は署名
「指差し呼称もやるの?」とニナ。
「やる。“火”で効いた手は“水”でも効く」
まずは屋根の灰を落とす。
骨が竹箒で掃き、どすこいが運ぶ。人は軒樋の溝を開け、灰を“灰集積場”にまとめる。雨が降る前に、できるだけ屋根から灰を追い出す。
テッサが滑り止めの板を打ち、ローヴェンが落下防止の麻縄を張る。
骨が調子に乗って胸を張りかけたので、指で×。「どや禁止。省エネ立ちで頼む」
次、仮濾過所を3基。
ボルンが古樽の輪締めをやり直し、内側に布→炭→砂利の順で層を作る。底に小穴、受けは桶。
セラが炭の粒度をチェックして、細かすぎる層は布を一枚足す。「詰まりやすいからね。焦らず、じっくり落とす」
「流量、どのくらい?」とルーク。
「1基あたりおよそ30L/時目標。3基で90L/時。昼までに200L、夕方までに追加200L。煮沸して配る」
「じゃあ配水は大人1人3L、子ども2Lで合計……今日は**約170L**あれば足りる。余りは備蓄へ」
「右揃えは後でやってくれ」
配水所の前に掲示板。
・配水割り当て(家族名→人数→L)
・受け取り時間(午前/午後)
・手洗い表(食前後/作業前後/トイレ後)
骨が無表情で「てあらい」と書かれた板を掲げて立つ。お前たちは手、ないだろ。まあいい、啓発は多いほうが勝つ。
昼前、濁りの強い桶を“コン”と叩いて(いやそれは炭の音だ)覗くと、濾過水は思ったより澄んでいた。
俺は真面目に声を出す。「指差し確認。濁り→低、色→無、匂い→弱。次、煮沸10分。OK」
セラは救急点検。「下痢・発熱ゼロ、軽い喉の痛み2件。うがいは煮沸水で」
「口腔ケアまで回ってるの、強いね」「続けると効くから」
午後はトイレのSOPを固める。
位置は用水路から離して30m以上、風下へ。穴は深さ60cm、使用後は灰を一掴み。毎夕、骨が灰を補充し、人が見回る。
標識に「こっち飲み水」「こっち洗濯」「こっちトイレ」。矢印はでかく、文字は太く。迷う余地をなくす。
「ケイ、下腹が痛い……」とミオ。顔が青い。
セラがすぐ抱え、「体温36.9、軽い。緊張か冷え。念のため、少量ずつ水分」
俺は砂糖と塩を取り出す。「ORS(経口補水)、仮版。水1Lに糖40g、塩6g。味見して“しょっぱい砂糖水よりちょい薄い”が基準。氷は入れない」
ミオはちびちび飲んで、少し顔色が戻った。「ありがと……」
「こぼしてもいいから、ちょっとずつね」
作業は続く。
用水路は堆積した灰を掬って、200→220mまで延長。途中に小さな沈殿槽を2つ追加する。
沈殿→濾過→煮沸の三段ロジック。やることは変わらない。段取りで押す。
夕方、灰はまだ舞っているけれど、空はさっきより明るい。
商会ギルドからの伝令が来た。「周辺でも降灰、明日の市は縮小。——災害対応の記録を求む」
「出す。数字で。濾過量、配水、疾病ゼロ、運用ルール。全部“右揃え”で」
ルークが笑って、板に書く。
・濾過:合計210L(午前)+230L(午後)=440L
・配水:大人×3L、子×2L=総計**172L**配布/残りは備蓄
・病:下痢・発熱0/軽い喉2(経過観察)
・衛生:手洗い実施率(見回りサンプル)**86%**
・用水路:延長**220m**/沈殿槽2追加
ニナが見張り台から降りてくる。「灰が弱くなってきた。空、青に戻りつつある」
「じゃ、全体ミーティング10分。良かったこと3つで締める」
テッサ「濾過樽、流量30L/時をキープできた」
セラ「OR Sで子のケアが間に合った。うがいの声かけが回った」
ルーク「標識が効いた。迷子ゼロ、動線の交差ほぼなし」
ボルン「樽の輪が一個も飛ばない。禁酒、今日も勝ち」
ニナ「骨の“手洗い看板”が妙に効いた。子どもが真似する」
骨は胸を張りかけて——俺と目が合って、そっと看板を上げ直した。「どや」は看板で代替か。賢い。
その時、糸鈴がふたつ、間を置いて鳴った。
門の向こうに、黒外套。王都教会の査察官。今回は護衛も少なく、歩く早さもいつもよりゆっくりだ。
誓約板の前で足を止め、濾過樽を見て、沈殿槽を覗き、配水表を読む。言葉は短い。
「記録を、見せろ」
「どうぞ。濾過量、配水、手洗い実施率、病状ゼロ。用水路の延長と沈殿槽の写真板。——奇跡の使用はゼロ。Clause1は回避、Clause2は代替成立、Clause3は“使わない判断”」
外套の奥で視線が動く。ややあって、うなずきが一つ。
袋から紙を出して、俺に渡す。
『月例レビュー:合格。条件(骨視界外・植え戻し・事故報告)継続。災害対処は適正。』
印が三つ、押されている。これが、制度の言葉。
「ありがとう。次も数字でやる」
「——ああ。数字は、祈りを壊さない」
査察官はそう言って、外套を翻した。灰の尾が空でほどける。
マーラが小さく祈り、糸鈴が風に一度だけ鳴った。
夜。
炭の窯は今日は休み。濾過樽の底を洗い、布を干し、手洗いの水をもう一桶追加してから、俺は板に最後の行を書いた。
・降灰対応:濾過440L/配水172L/衛生SOP運用/疾病ゼロ
・用水路:220m/沈殿槽2
・月例:合格(条件継続)
・事故ゼロ:**65日**
「よし。奇跡は、まだ壁の消火器。日常は、今日も段取り」
オーシが鼻を鳴らし、骨が看板を胸の前で揃えて、自然体で立つ。
灰はもう、ほとんど落ちない。明日は晴れる。やることは、増える。——それでいい。
(つづく)




