【第10話 査察、アレは視界外——誓約板と炭の初上がり】
朝いちで窯の煙を見た。白から薄い青、そしてほのかな透明——炭化は順調。排気口を指で半分に絞って、もう一度だけ弱火で回す。
板に今日の段取りを書く。
・本焚き移行:午前中
・誓約板の掲示位置:門の右(視認性◎)
・外周見張り:2人×30分交代
・来客対応:俺ひとり(数字セット持参)
事故ゼロ連続:20日。伐採本数:240/植え戻し本数:480。水路延長:120m→130m予定。
「どや立ち——今日はやめとけ。自然体で立ってろ」
骨たちが、ぎこちない“自然体”になった。どや立ちが癖になってるの、どうにかならんかな。
誓約板は門横に据えた。でかでかと「伐採1:植え戻し2/事故ゼロ継続/外周の火気管理」と刻む。見える場所に貼れば、嘘をつけなくなる。鏡であり盾。
午前。外周の糸鈴が、間を置いて3回。来客。
黒外套の男が2人を連れて立っていた。胸に王都教会の紋。——ギルド受付が言っていた“査察官”だな。
「ここが“白い行列”の噂の場所か」
「噂は尾ひれが大きい。ようこそ、暗黒教団へ。俺はケイ=サンジョウ。ここの……まあ、段取り係だ」
「教団長だろう」
「肩書は神さまの無茶振りで付いた。中身は現場の管理人だよ」
外套のフードがわずかに動いた。相手は槍を向けてはこない。距離は5歩。会話はできる。
「問う。森に“動く白骨”がいるという。人の遺骸を穢して動かす不浄ではないのか」
「遺骸じゃない。召喚で作った“骨の労働力”だ。飲まず食わず眠らず、危険作業に当てられる。人間の怪我を減らすために使っている」
「言葉でいくらでも飾れる。数字を見せろ」
「望むところ」
俺は板束を開いた。
・伐採地の地図(境界線、手入れ済み範囲、植え戻し済みの印)
・伐採本数240/植え戻し480(苗木は広葉樹中心、比率2:1)
・事故ゼロ連続20日(人間の転倒・切創ゼロ。骨は部品交換扱い)
・水路延長120m→本日130m予定
・納品:薪100束(乾燥度“中上”、束規格60cm×直径20cm)
・次回:炭の初荷(規格袋、乾燥度“上”を目標)
「……骨は見せないのか」
「見せたらあなたの心拍数が上がる。議論が数字から離れる。だから“視界外”で運用している。林間で平行移動、距離5m。町へは入れない。あなたの宗旨に配慮しての運用だ」
「配慮、とな」
「俺の目的は“祈れる場所を保つこと”。人の恐怖を増やすのは逆効果だ。だから見せない。成果だけ見せる」
査察官は誓約板を一瞥し、窯の煙を見た。薄い青が揺れて、風に消える。
「では、成果をもう一つ。炭は?」
「今日の夕方、初上がりを見せる」
「見届けよう」
わあ、居座るコースか。よし、段取りを少し前倒す。
俺はローヴェンに目配せし、マーラにはお茶と簡単なパンを。ニナには外周の死角チェックを頼む。骨は……自然体のまま動くな。絶対に“どや”るな。やめろ、その胸を張るな。深呼吸。
昼。窯の音が落ち着き、煙がさらに薄くなる。棒で排気口を少しずつ絞り、内部の温度を“耳”で読む。
「今、蓋を閉める。酸素を切って、炭を残す」
粘土を塗り、目地を塞ぐ。夕刻まで待つ。待つ時間が一番長い。査察官は無言のまま誓約板の前に立ち続けている。風が外套を揺らすだけ。
夕刻。窯が静かになった。
「開ける。熱いから下がって」
粘土を剥がし、蓋板を二人で上げる。もわっと黒い熱気。中から、黒い塊が転がり出た。
一本を鉤で引き、足元の石に立てて“コン”。澄んだ高い音。
次、もう一本。“コン”。
マーラが息をのむ。ローヴェンがわずかに笑った。ニナが親指を立てる。
俺は3本続けて“コン”を鳴らしてから、査察官に向いた。
「初回としては上々。“上”判定に近い。来週には“上”を安定化させる」
査察官は黒い炭を手袋越しに持ち上げ、割れ目を見た。
「……よい出来だ。燃えもちは長いだろう」
「基準を作る。長さと太さの規格、乾燥の規格、束の規格。あなたがここに来るたび、数字が並ぶ。積み上がりを見せる」
「積み上がり、とな」
外套の奥から、かすかな溜息みたいな笑いが漏れた。「祈りの場所を整えること。それ自体は善だ。——ただし」
「ただし?」
「“白い行列”はやめろ。人々は恐怖で判断する。恐怖は祈りを壊す」
「わかってる。町へは出さない。視界外で動かす」
「では条件を置く。1つ、町に入れないこと。1つ、伐採と植え戻しの誓約を続け、月ごとに記録を見せること。1つ、事故の報告を書くこと。——守れ」
「守る。数字で見せ続ける」
査察官は顎をわずかに引き、踵を返した。外套の影が夕闇に溶ける。同行の二人は無言のまま後に続く。
糸鈴が、風に一度だけ鳴った。
俺は力が抜けて、地面に座った。ニナが呆れ気味に笑う。
「ケイ、息してた?」
「してた。たぶん。途中で“どや立ち”しそうになった骨が視界に入って、別の意味で死ぬかと思ったけど」
「センス……」
ローヴェンが炭をいくつか叩いて、音を確かめる。「“コン”の検品分隊、名は伊達ではないの」
「だろ。音で標準化できる。次回は“上”の割合を増やす。町への初荷は炭10袋、薪は50束に絞る。単価を上げる」
「ケイ」
マーラが空を見上げて、小さく指差した。
廃教会の尖塔の上、夜の色に、米粒みたいな光点がひとつ揺れた。風鈴みたいな音が、ほんの一瞬。
——リベルティアの、微かな余韻。
「祈りが、届いてます」
「積み上げた数字にも、意味があるってことだな」
俺は立ち上がり、板に今夜のメモを書き足した。
・炭 初上がり:コン判定◎(“上”寄り)
・査察条件:町へ骨を入れない/月次で記録提示/事故報告
・次回出荷:炭10袋/薪50束(質重視)
・“どや立ち”常習骨、青タグ剥奪の可能性あり(反省会)
風が冷たくなった。糸鈴がもう一度、短く鳴る。
現場は問いに答える。数字は、祈りの形にもなり得る。
俺は、明日の“積み上げ”を思い浮かべながら、窯の蓋を閉じた。
(つづく)