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第4話 小さな手のひらと、頑なな心

 翌朝、茜は昨夜の不審な足跡のことが頭から離れなかった。一体誰が、何のために館の周りを…? 梅にそっと打ち明けてみると、案の定、「ひいぃ!も、もののけの仕業では!? やはりこの土地は呪われておりますのよ、姫様!」と顔面蒼白でわめき散らす始末。これでは相談にならない。


 一方、杉田に尋ねてみても、「はて、足跡でございますか。この白銀郷では、夜中に便所へ行くにも命がけでございますからなあ。あるいは、物好きな村人が姫様の美しいお顔をひと目拝みに…なんちゃって」と、柳に風、暖簾に腕押し。いつもの飄々とした態度で、真面目に取り合う気配すらない。ただ、その目がほんの一瞬、鋭く光ったような気がしたのは、またも茜の気のせいだろうか。


(…まあ、考えていても仕方ないわね)

 今のところ実害はないのだ。それよりも、やるべきことは山積みである。茜は気を取り直し、今日も『北方風土記』を片手に、梅と杉田を伴って村へと足を向けた。


 昨日とは、村の空気がほんの少しだけ違って感じられた。相変わらず視線は冷たいが、その中に、昨日まではなかった好奇の色が混じっているような気がする。茜が山に入り、本当に薬草らしきものを採ってきたという噂は、この小さな村では瞬く間に広がったのだろう。


「…お飾り姫様が、また何かお始めになるのかねえ」

「どうせ、帝都の遊びの延長だろうよ」

 遠巻きにする村人たちのひそひそ話が、嫌でも耳に入ってくる。

 広場では、昨日と同じように鉄が仲間らしき若者たちと何か作業をしていた。茜の姿を認めると、彼はあからさまに顔をしかめ、大きな音を立てて斧を丸太に叩きつけた。その挑戦的な態度に、梅はまたしても茜の後ろに隠れようとする。


 そんな中、ふいに茜の足元に、小さな雪玉がこつんと当たった。

「…!」

 驚いて見ると、少し離れた家の陰から、小さな女の子がこちらを窺っていた。歳は七つか八つくらいだろうか。ぼろぼろの綿入れを着て、頬は寒さで真っ赤になっているが、その瞳は怯えながらも強い好奇心に輝いていた。昨日、茜が雪に転んだのを見て笑っていた子供の一人かもしれない。

「あ…あの…」

 女の子が何かを言いかけた時、家の戸が勢いよく開き、初老の女性が顔を出して女の子を厳しく叱りつけた。

「こら、小雪! 何をしてるんだい! 姫様に近づくんじゃありません!」

 女性は茜たちに慌てて頭を下げると、小雪と呼ばれた女の子の腕を掴んで家の中に引き入れてしまった。


(小雪ちゃん…)

 閉ざされた戸を寂しげに見つめる茜。だが、ほんの少しでも、自分に興味を持ってくれた子供がいたという事実は、茜の心に小さな灯りをともした。


 館に戻った茜は、早速新たな計画に取り掛かった。

「梅、杉田殿。この『北方風土記』によれば、雪の下に『寒掘り芋』という芋が埋まっていることがあるそうですわ。栄養価も高く、保存も利くとか。それから、この辺りの松林には、松ぼっくりがたくさん落ちているはず。あれは良い燃料になりますのよ」

「い、芋でございますか? 左様でございますか…」梅は相変わらず要領を得ない返事だ。

「松ぼっくり拾い、ですか。姫様が自ら? まるで絵本のお話のようですな。で、それをどうやって集めるおつもりで?」

 杉田は、面白そうに口の端を上げた。


「それは…もちろん、わたくしたちで!」

 茜は、きっぱりと言い放った。

「まずは、この館の周りから探してみましょう。それから、杉田殿には、安全な松林の場所を教えていただきたいの」

「はあ、まあ、お好きにどうぞ。ただし、あまり奥へは行かれませぬよう。例の狼どもがうろついておりますゆえ」

 杉田はそう言うと、粗末な地図のようなものを広げ、館からさほど遠くない松林の場所を指し示した。その手つきは、やはりどこか手慣れている。


 こうして、茜の「白銀郷サバイバル生活第二弾」が始まった。まずは館の裏手、雪が少し浅くなっている場所を、折れた木の枝で掘り返してみる。しかし、出てくるのは凍った土と石ばかり。

「うーん、なかなか見つからないものですわね…」

 茜がため息をついたその時だった。

「…あの、姫様」

 おずおずとした声に振り返ると、そこには、先ほどの女の子、小雪が立っていた。手には、小さな籠を抱えている。

「おばあちゃんに内緒で来たの。…姫様、芋掘りしてるって、本当?」

「小雪ちゃん! ええ、そうなの。でも、なかなか見つからなくて…」

 すると、小雪は得意そうに胸を張った。

「私、知ってるよ! 寒掘り芋、どこにあるか! それから、松ぼっくりも、あっちの林にいっぱいある!」

「本当!?」

 茜の目が輝いた。まさに、渡りに船とはこのことだ。


 小雪の案内で、茜と、心配そうについてきた梅、そしてなぜか「子供の遊びに付き合うのも一興ですかな」などと言ってついてきた杉田の一行は、昨日とは違う方向の山裾へと向かった。

 小雪は、まるで小さなリスのように、雪の上をぴょんぴょんと跳ねて進む。そして、「ここ!」と言って指さした場所を、茜が持っていた木の枝で掘り返してみると…本当に、丸々とした芋がいくつも出てきたのだ!

「すごいわ、小雪ちゃん! ありがとう!」

「えへへ」小雪は、はにかんで笑った。

 その後、松林でも、小雪のおかげでたくさんの松ぼっくりを拾うことができた。


 館に戻る頃には、茜も梅も泥と雪でぐちゃぐちゃだったが、その手には確かな収穫物があった。寒掘り芋と、山のような松ぼっくり。

「姫様…やりましたわね…!」

 梅は、泥だらけの茜の顔を見て、なぜか涙ぐんでいる。

 杉田は、芋を一つ手に取ると、

「ほう、これは見事な寒掘り芋ですな。これだけあれば、数日は飢えをしのげるやもしれません。小雪とやら、なかなか大した案内人です」

 と、初めて素直な感嘆の声を漏らした。


 その夜、囲炉裏で焼いた寒掘り芋は、びっくりするほど甘くて美味しかった。松ぼっくりは、ぱちぱちと音を立ててよく燃え、いつもより部屋が少しだけ暖かく感じられた。

「美味しい…こんなに美味しいお芋、初めて食べたわ…」

 茜は、心からの笑顔で言った。小雪のおかげだ。そして、ほんの少しだけ、杉田の協力(?)もあった。


(でも、これだけじゃ…)

 ふと、茜の心に現実が重くのしかかる。今日採れた芋も、松ぼっくりも、しょせんは焼け石に水。この厳しい冬を乗り越えるには、村全体の力が必要不可欠だ。

(どうすれば、あの頑なな村人たちの心を動かせるのかしら…)

 茜は、囲炉裏の炎を見つめながら考え込んだ。

 そうだ、と顔を上げた茜の瞳に、再び決意の光が宿る。

「杉田殿、梅。明日、わたくしはもう一度、源爺殿に会いに行こうと思います」

「ひ、姫様! またでございますか!? あの方に何を言っても…」

「いいえ、今度はただお願いするだけではありませんわ。わたくしなりの『手土産』を持って、誠意を尽くして、お話をしてみるつもりよ」

 茜は、まだ泥のついた自分の小さな手のひらを見つめた。この手で、何ができるだろうか。いや、きっと何かできるはずだ。


 窓の外では、相変わらず冷たい風が唸りを上げていた。しかし、茜の心の中には、昨日よりもずっと確かな温もりが灯っていた。それは、小さな芋と、子供の笑顔と、そして、まだ見ぬ未来への、かすかな希望の温もりだった。

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