平凡じゃない当たり前
「俺ら…頑張ったよな」
気が付けば、隣で涙を流している仲間がいる。
気が付かば、膝から崩れ落ちている監督がある。
気が付けば、泣いている俺がいる。
終わったのだ
俺の挑戦は
ガキの頃から夢見てた箱根駅伝は、どうやら本当に夢だったらしい。
四年生の先輩は何も言わずにただ、俺を睨んでいた。
「今日を持って竜胆大学陸上部の監督を下りることになった。」
箱根駅伝の予選会が終わって一ヶ月。
監督がそう言い、自然と先輩方が寮から出て行った。浅い関係だ。朝、食堂に来なくても部屋がダンボールだらけでもなんとも思わなかった。
逆に、こんな浅い関係で箱根なんてバカみたいだ。
一度だけ走ったあの景色に俺が、俺たちが浮かれていただけ。
箱根に出れるのはたったの二十校。
大体の大学が出れていない。
結局、平凡だ。
中学も高校も、そして大学も。
このまま無駄な一年が過ぎて、多少の努力をして彼女もできぬまま就職して。
「つまらねぇ人生だな。」
独り言ならば詳しくは聞かない。
その人の口癖だった。
「…なんすか」
いつもなら通り過ぎるはずのその人、池田碧生は四年生で陸上部の主将だった。
俺がどれだけ相談しようとしても、独り言ならば詳しくは聞かない。
とだけ言って居なくなってしまうのだ。
だからか、池田さんの前だと気が緩んでつい本音で話してしまう。
「大学三年で随分大人っぽいこと抜かしてるな。」
俺の向かいに座って缶ビールを飲みながら、池田さんは呟いた。
「池田さんはそう思いませんか。」
陽キャとも陰キャとも言われない部類で安全な生活。適当な大学を受験して、とりあえずやっていた陸上部に入って。
「そうだな。俺はつまらない人生でもそれなりの事ができれば充分だと思ってしまうから。」
この人のことはよく知らない。
いつもつまらなそうな顔をしているくせに、謎に圧力があって後輩からは怖がられていた。
でも怖い人じゃないことは知っている。
今だってこうやって話してくれているんだから。
「俺は一年の頃、自分の力で掴み取った箱根だって浮かれて今までずっと突っ走ってたんで。」
初めてだった。
自分の走りが評価されたのは。
良くて中の上。
試合に出たのは中学二年の最後から中学三年。
高校二年の最後から高校三年。
毎日練習さえしてれば誰でも出られるような時期。
「正直、あの時のお前には驚いた。」
池田さんは俯きながら話し出す。
「記録会で公認記録を出したあと、監督に一年でも箱根に行けますかって言ったんだってな。」
当時池田さんは二年生。良くも悪くも目立たない人だった。
「結局、予選会で大活躍だったお前は一年のうちに箱根に行って走ったんだし実力は本物だ。」
だから、なんだと言うのか。
「池田さんだってその年一緒に走ったじゃないですか。」
数年ぶりの出場だった為か、監督も実力重視でメンバーを選び、二年生はから二人一年生からも二人、選ばれていたのだ。
「楽しかったか?箱根は。」
酒を飲んでいるからか、いつもより口調が柔らかい。
「楽しかったですよ。初めてだったし、何より嬉しかった。」
小さな幸せが、俺にもあっていいだろう。
小さな辛いが積み重なって出来た幸せなのだから。
「去年も、今年も箱根には出れなかったわけだが…お前は悔しいのか?颯斗。」
俺の名前を呼んだ池田さんは、しっかりと目を見ていた。
「悔しいに…決まってるじゃないですか。」
池田さんは立ち上がり、俺の肩を叩いて言った。
「もう一度箱根に行け。箱根まで行って帰ってこい。」
目指すことを諦めていた訳じゃない。
どうせ、来年の目標は箱根駅伝出場になるだろうから。
でも、きっと心のどこかでどうせ無理だって思っている。それは今まで無理だったから。
今まで劇的なことが箱根駅伝しかなくて、それをテレビで眺めるのが当たり前だと思っていたから。
あと一年、俺には時間がある。
残されている。
決して良くないこのチームなら、いけるのではと思ってしまう自分も何処かにいて、誰かに背中を押してもらいたかったのかもしれない。
「目指して、いいですかね。」
これ程自分の性格を恨んだことは無い。
不器用で、下手くそで。
相手に自分の気持ちを汲み取ってもらおうとしてしまう。
悪い癖だ。
「俺が、目指すべきだと言ってる。」
「目指せ。もう一度勝利をみるんだ。」
―
「新主将は泉川颯斗だ。」
三ヶ月後、本格的に就活に打ち込む部員が多い中引退式が開かれた。
そこで発表された新主将。
池田さんは俺をみて大きく頷いた。
「少しだけ聞いてくれ。」
普段部員の前で話すことが少ない池田さんの言葉に、食堂が静かになる。
「俺は今年の予選会で、結果が12位と知った時安心した。何校もが出場する予選会で12位。決して弱くない立場にいたからだ。でも、それは間違っていた。俺たちの目標は箱根駅伝出場。主将の俺が箱根に連れていきたかった。それができずに申し訳ない。」
そう言ってしばらく頭を下げてから言った。
「それでも悔しいと思ってる奴は少なからずいる。そしてこのチームは弱くない。それを証明してくれるんだ。颯斗が。」
部員諸共、監督までもが驚きの顔でこちらを見る。
「今日から、来年の箱根まで颯斗について行け。そして俺からの最後の頼み事だ。」
「箱根に行って、帰ってこい。」
俺たちの平凡じゃない当たり前が、幕を開けた。