石じじいの話・ロシアの人工冬眠装置
この話は、私のじじいの話の聞き取りノートのあちこちに散らばっていたメモを集めてまとめたものです。
オリジナルの話とは、完全に同じではないかもしれません。
しかし、全体の話の流れと、地名はあっていると思います。
石じじいの話です。
以前、朝鮮の山奥の仏教寺院に、「人工冬眠施設」があった、という話*をしたことがあります。
それと似たような話です。
知り合いのロシア人が話してくれました。
「人工冬眠装置」がロシアにもあったそうです。
それは、現在のカザフスタンとロシアとの国境付近にある、大昔の城塞の中にありました。
そこは、地元の遊牧民も、呪われた場所として近づかない場所でした。
トルキスタン(当時カザフスタンは、そう呼ばれていたそうです)へ入植するために旅していたロシア人の商人が、その城塞についての情報をロシアの考古学者たちにもたらしたのです。
そこは、ほとんど崩れ果てて、飛砂に覆われた遺跡でした。
城塞の中には、いろいろなものが残されていましたが、それらは、非常に風化しており、ボロボロで、ほとんどが砂に埋もれていたそうです。
陶器や武具、豪華な櫃もたくさん砂に埋れていました。
それらの櫃には、朽ち果てた衣類や装飾品が入っていたそうです。
これは、重要なものだろうということで、いくつかの遺物をペトログラードに送りました。
それらを調べた帝国科学アカデミーの研究者によると、今まで未発見の考古遺跡らしい。
しかし、その時代がいつのものかわからない。
今回発見された遺物の特徴は、非常に特殊で、比較できるような文化遺物がそれまで発見されていなかったのです。
その後、この地域には、ロシア人がどんどん入植してきて、多くの町ができました。
鉄道も近くまで敷設されました。
このように条件が整備されると、ロシアから考古学調査隊が派遣されてきました。
当時、じじいの知り合いの、そのロシア人はセミパラチンスクに住んでいたので、その調査地の現地スタッフとして参加したそうです。
そこは、乾燥した草原に孤立した、崩れかけた城塞でした。
城壁は、ほとんど崩れてしまっていて、城塞の中は砂に覆われていました。
城塞の周辺は、砂漠ではなく、それほど砂は多くないのに、不思議な埋没状態でした。
砂を掘って遺物を発掘したところ、砂に覆われた石組みが発見されました。
石室への入り口でした。
その石室は粘土によって封印されていました。
粘土は乾燥してコンクリートのように固くsなっていて、さらに、その粘土の表面には、文字が彫られた陶板が埋め込まれていました。
文字は読めません。アラビア語でもペルシャ語でもない**。
粘土の封印を破壊すると、ポッカリと空間が広がりました。
その空間への入り口が開いたとき、その空間から非常に冷たい空気が吹き出したそうです。
そこは、かなり広い石室で、3つの棺のようなものが配置してありました。
その棺は、黄金色に輝く金属でできていました。
長さは、80ベルショク、幅が6ピャチ***ほどの回転楕円形でした。
調査隊や役夫たちは、これは金ではないかと思って色めき立ちましたが、その硬度を確認し、試金石で調べると、どうも金ではないらしい。
「棺」の表面には、入り口の陶板に彫り込まれていたのと同じ文字がびっしりと彫り込まれていました。
文章と思われましたが、どちらから読むのかわからない。
縦読みか、横読みか、さえもわからなかったそうです。
それらの棺を収めた石室の壁や天井には、抽象画のような壁画と文字が描かれていました。
入り口の陶板、棺、石室の壁にかかれている「文字」は、すべて同じものでした。
その棺は、非常に冷たかったそうです。
触ると、すぐに手がしびれてしまうほどの低温でした。
この石室の入り口を開いたときに、内部から出てきた空気が冷たかったのは、この冷たい棺のせいだったのでしょう。
棺の1つを開いてみようということになりましたが、その棺には、どこにもつなぎ目がありません。
ツルハシで叩いても、びくともしません。傷さえつかない。
お手上げでした。
調査隊は、苦労して、棺の一つを石室から運び出し、他の出土品と合わせてクラスノヤルスクまで運んだそうです。
その後、それらはどうなったのか、そのロシア人は知らないということでした。
石室内の壁画や文字の一部は、調査隊所属の画家によってスケッチされ、拓本が作られました。
当時は、写真が貴重だったので、画家が調査隊に同行して、風景や遺物などをスケッチや色彩絵画で記録していたのです。
その冷たい棺は、遺跡から運ばれる道中でも、その冷たさを保っていたそうです。
何人かの作業員たちは、夏の草原の暑さをさけることができるので、その冷たい棺の近くでずっとすごしていました。
今で言うクーラーですね。
さて、予想されるとおりです。
棺の近くで長時間過ごした人々は、その後体調を崩して死んだそうです。
棺の中の死者の呪いではないか、と噂されましたが、他のメンバーには害がなかったので、その噂はすぐに収束しました。
「ファラオの呪い」****と同じ話しです。
*これは、朝鮮の山奥の仏教寺院にの裏山の洞窟に、たくさんの棺がおさめられており、僧侶がじじいに言うには、この棺のなかには、「すばらしい世界」が訪れるのを待って、人々が眠っているのだ、と。じじいは、僧侶に「お前も眠ってみるか?」と言われて震え上がったという話です。
**当時の中央アジアでは、ペルシャ語が共通語・教養語として広く用いられていたそうです。
***両方とも、昔のロシアの長さの単位だということです。
****この話は、作り話だとか。




