石じじいの話・岩塩の家
石じじいの話の話です。
これも、知り合いのロシア人から、朝鮮で聞いた話です。
塩の家があったそうです。
場所は、よくわかりませんが、おそらくコーカサス山脈でしょう。
その家とは、「岩塩ドーム」をくり抜いて掘られた巨大な住居だったそうです。
中国のヤオトンのようなものでしょう。
「岩塩ドーム」とは何か?
太古の海や湖が干上がって、海底(湖底)だった場所に塩が析出して層となり(岩塩層というとか)、それが地殻変動によって地下深く埋没します。
海が干上がったあとも、岩塩層の上には、連続して砂や泥が堆積しますからね。
その後、岩塩は、その上の砂や泥の地層より軽いので、上の地層を押し分けて地表まで上昇してくるらしいのです。
その地面に浮き上がってくる岩塩の形が、ドームのようなので、岩塩ドームと呼ばれるようです。
じじいによると、岩塩といっても、まさに「岩」であり、かなり硬く、雨に当たっても容易には溶けないのだそうです。
また、岩塩のなかには、砂や泥が混じっていることが多く、透明度は低いのだとか。
さらに、そのような岩塩の層は、日本以外では普通に見られ、それらの地域では、食品としての塩は、この岩塩が使われてるそうです。
日本では、海塩なのですが。
さてさて、
そこでは、大きな山全体が岩塩ドームであり、そのなかに住居が穿たれていたのです。
その岩塩ドームの中をくり抜いて作られている住居は、かなり広大だったようで、通路が網の目のように走り、多くの部屋が規則的に並んでいました。
その全体の構造は、天然にできたものではないか?とも考えられたそうですが、やはり、「設計されて」人工的に加工されてできた構築物としか考えられない精緻なものでした*。
内装として、壁や天井、部屋の入り口など、あちこちに浮き彫り装飾がありました。
その住居は無人でした。誰もない。
各部屋には、木製の家具、炊事用具**、燭台などの家具も残されていました。
しかし、衣類や本、書類などは残っていなかったということです。
このため、ここに住んでいた人々がどんな人たちだったのか?
つまり、どのような民族で、何をして生活していたのかはわかりませんでした。
農民か?貴族か?
社会的階級も不明でした。
残された家具のデザインや、壁などに掘られている装飾のデザインは、コーカサス地方のものではなく、どちらかというとロシア的でした。
この岩塩住居を調べたロシア人の一人は、「フランス様式」だと言ったそうです。
(ロシア様式とフランス様式の違いはあるのでしょうか?)
一部には、文字のようなものが彫りつけられていましたが、保存状態が悪く読めませんでした。
形からすると、アラビア文字のようにも見えたそうです。
人の遺体は、見つかりませんでしたが、ある場所では、墓のような大きな空間(部屋)があり、そこでは、墓穴に埋葬されたと思われる、非常に大きな犬やネコの死体が、まさに塩漬けになっていたそうです。
さらに、奥には、天井が崩れて通路が塞がれている区域もありました。
崩れを掘ると、天井がまた崩落する危険があるので、それより奥には進めなかったのですが、もしかしたら、その奥の区域に住人たちが閉じ込められていたのかもしれないとも推察されました。
そうだとしても、閉じ込められた人は、もうとっくに死んでいるでしょうけど。
宝石入れのような木箱(宝石はなかったようです)や金属食器など、簡単に持ち運べるものは、調査した人々が持ち帰ったそうです。
しかるべき研究機関や大学に提出・報告されたのか?それとも、私物化されたのか?
*岩石をくり抜いた地下住居は、世界的にはめずらしくないのですが、それの岩塩版というところでしょうか?
**塩は食べ放題ですね。水はどうしたのでしょう?




