石じじいの話・将軍の墓
石じじいの話です。
蒙古に、「将軍の墓」というものがあったそうです。
それは、大昔の英雄の墓であると言い伝えられていました。
その人物が活躍した時代は、チンギスハン以前だということでした。
そのような墓は、いくつかあったそうです。
じじいは、満州を旅したときに、そのなかの一つを見たそうですが、立派な石積みのマウンドだったそうです。
蒙古には、「オボ」という石積みが峠に建てられることがあり、そこに、死んだ馬の頭骨やお金を供えるらしいのですが、じじいの見た「墓」には、そのようなものは一切なく、地元の人によると、そのような供え物をしてはいけないとのことでした。
ある塚は、盗掘されたことがありました。
結果的には、その盗掘者たちは、その地域の官憲に捕縛されたのですが、その時の彼らの証言や盗品から、以下のことが判明したそうです。
石積みの下には、鎧の一部が残っていました。
副葬品として、銀細工や石サンゴ、トルコ石などもあったそうです。
小さな金属の箱もありましたが、それを開くことはできなかったと。
盗人たちは、その鎧も価値のあるものだろうと思い、鎧を持ち去ろうとしましたが、その鎧は非常に重かったそうです。
とてつもなく重い。まるで、鎧が地面に根を張っているように。
また、残っている鎧のパーツが硬く接合していて、小さく分割できないので、持ち去るのをあきらめたそうです。
蒙古人は地面を掘り起こすのを非常に嫌がるので、そのような墓を作るのは珍しいとのことでした。普通は鳥葬なのです。
墓が作られたのは、埋葬者が高貴な人物だったからだろうか、とも考えられました。
盗人が捕縛されたあと、これら盗掘された副葬品がどうなったか、についての記述は、私のメモにはありませんでした。
これと似た話を、以前書いたことがあります。
日本に帰ってきたじじいが山の中で、日本のものとは思われない鎧を着た背の高い死体を発見して、そこから鎧の一部をとろうとして、はたせなかった:という話です。
それと似ています。
ひょっとして、同じ話ではないか?と思ったのですが、状況設定が異なっているので、一応別の話としてここに書きました。