石じじいの話・十三塚
石じじいは、戦争中朝鮮に住んでいましたが、そのときに何度か満州を旅したことがあったそうです。
その時の話のいくつかは、以前に別の場所で書いたことがあります。
石じじいの話です。
これは、戦争中、朝鮮にいたじじいが満州に旅行したときに、当地の蒙古人から聞いた話です。
あるラマ寺に、十三人の児童がいて、仏道修行をしていました。
ある日、彼らは、鳥の雛を奪い合って喧嘩になり、全員斬死しました。
刀で斬りあったのでしょう。
その死骸を埋めた場所が「十三塚」と呼ばれていたそうです。
その時から、そのラマ寺と周辺の集落には鳥が一羽もいなくなりました。渡り鳥もやってこなくなりました。
もし、鳥がやってきた時には、そのあたりの子供に必ず不幸が起きたそうです。
話をしてくれた蒙古人によると、自分の知っている塚は「十三塚」と呼ばれているが、現在では九つしか石塔はないということでした。
また、別の塚については、一人の女性の死体を十三に切り分けて、それぞれを埋葬して十三の塚を築いた、という言い伝えもあったそうです。
死体を切り分けた意図が不明です。
大雨が降ったときに、その塚が崩れて、その中から武具が出土したこともあったので昔の蒙古兵の墓ではないか?とも考えられたそうです。
峠の上にたてられる石づみは、オボと呼ばれるそうですが、13の石づみからなっているオボもあり、そこでは、1つの石づみが大きく、そのまわりを12基の小さい石づみがとり巻いていたそうです。
日本にも、「十三塚」と呼ばれる宗教的な建造物があるようです。