石じじいの話・瞽者の娘
聞き取りノートにあった言葉のなかで、現在では適切ではないと思われるものは変更しました。
石じじいの話です。
初冬に、村に遍路の父娘がやってきました。
彼らは、遍路の姿をしていましたが、まあ乞食です。
その娘は瞽者で12-3歳でした。
その父娘は、一時、村の橋の下に住みついていましたが、ある日、村人がそこを見てみると、娘がひとり、ぽつんと座っていました。父親の姿が無い。
彼女は捨てられたのです。
寒い初冬に、娘を無情に追い払うわけにもいきません。
そこで、使われなくなった古い木小屋に、しばらく住まわせて最低限の食べものを与えることにしました。
いずれは、孤児院に送ろうと考えたのです。
世話をしてみると、その娘は、非常に賢かったそうです。
怜悧で所作もきちんとしていて正確でした。
食事のときも、箸を上手につかって、器から食べ物をこぼさないで食べました。
それは、あたかも、目明きのようだったということです。
しかし、彼女は完全に盲目でした。
また、親が仕込んだのでしょうか、浄瑠璃を語るのが非常にうまかったそうです。
歌も上手でした。
三味線を与えてみると、上手に弾くことができました。
どんな歌も、それを聴くとすぐに三味線を弾奏して、それを憶えて歌えたそうです。
さらに、彼女は手芸にも優れていて、切り絵でいろいろなものを、上手に切り抜くことができました。
花や草木、人物などを上手に切り出しました。
目が見えないのに、いろいろなものの姿形を知り、迷うことなく、いっぱつで切り出すのが不思議でした。
そのような彼女ですから、秤を使って豆や米を正確に量ることができたそうです。
村人は、彼女の優れた能力に感心し、もしかしたら、どこかで養女として引きとってもらえるのではないか?と期待しました。
しかし、世の中は、そう甘くない。
そのような貰い手は出てこず、興味をしめすのは人買いや下心のある者だけでした。
村に住むようになってひと月ほどたった寒い朝、彼女は河原で冷たくなっていました。
住んでいた木小屋から川まで行き、父親と別れたであろう場所で死んでいたそうです。
彼女は、村の寺の墓地に埋葬されました。
戒名もつけてもらいました。
清賢光円童女
たまに、彼女の墓に、だれかが花やお菓子を供えていたそうです。
今は、その墓も草に埋もれてしまいました。
これは、じじいが子供の頃、村の古老から聞いた話です。
じじいによると、行き倒れになる遍路も多くいたそうです。
死に場所を探して歩く、ということもあったのだとか。