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石じじいの話  作者: Lefeld
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石じじいの話・狩猟の極意(ロシア、朝鮮)

石じじいの話です。


じじいの知り合いのロシア人は語りました。

彼が、まだロシアにいた頃、イルクーツクで知り合ったエベンキ人が教えてくれた狩猟の極意だそうです。

彼が、ヘラジカ猟に連れて行ってもらったときです。

そのエベンキ人は、彼に喋るなと言いました。

なぜなら、ヘラジカたちは、彼らの間で話をしているのだ。

もし、そのなかのどれか一頭でも、おまえの話を聴いたら、仲間にそのことを話すだろう。

そうすると、彼らは警戒して逃げてしまうのだ。

狩猟がうまくいかない。

ヘラジカに接近するときは、木製のスキーを使うのだそうです。

このスキーは、歩くたびにヘラジカの足跡のような音を出すので、ヘラジカに警戒されないのだと。

むしろ、ヘラジカが、仲間かと思ってハンターたちに近づいてくることも多いのだそうです。

そのエベンキ人が言うには*1、

それは、自分たちの存在がヘラジカに近づいていくということだ。

言ってみれば、ハンターである自分たちが獲物であるヘラジカに「変身する」のだ。

狩猟というものは、深く没入する作業だから、こうすることが必要だし自然なことなのだ。

殺しを遂行するための時間の過程で、自分自身の経験と自分の獲物であるヘラジカの経験が同時に進行するのだ。

ハンターと獲物は、おなじ知覚を同じ場所で共有するのだ。

ライフル照準を覗いていると、ヘラジカの呼吸と自分の呼吸とが調和するのがわかる。

このような生活は、我々のアイデンティティでもあるのだ。

私たちは、獲物である動物と同じ存在なのだ。

われわれ人とヘラジカとの間を、魂が循環するのは自然だろう。

われわれの獲物は、ヘラジカだけではない。

熊狩りや狼狩りの場合も同様なのだ。

だから、自分の存在が、熊や狼になる場合もあるのだ。

もちろん、ハンターは、自己を保つし、狩猟のあと獲物とは完全に分離するのだが、ときたま、自己を失い、しかも人間にもどらなくなる者もいる。

熊や狼と同一のものとなってしまうのだ。

それが、人狼や熊人間になるのかもしれない。


そう、教えてくれたエベンキ人は、射撃の名手で、照準器を覗く方の眼が「虎」の目のようだったそうです。

*1これ以下の内容は、教養があり知的な、知り合いのロシア人が、エベンキ人の話を整理したものでしょう。

そのため、エベンキ人が彼に語ったオリジナルの内容、意味とは異なっているかもしれません。

また、この話を聞き取った当時の子ども私の理解力の限界もあり、内容が変化している可能性が高いでしょう。

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