石じじいの話・仁川の泥船(朝鮮)
以前の話に、朝鮮西岸の干潟の葦原に、人骨が散乱していたというものがありました。
[石じじいの話・引用:骨の葦原]
このような船の積み荷と関連しているのかもしれません。
石じじいの話です。
ソウルの西、黄海に面して、仁川という町があります。
朝鮮戦争の戦局の転機となった仁川上陸作戦の舞台となった場所です。
今は、国際空港もあり、企業誘致が進み開発された大都市になっていますが、じじいが朝鮮にいた頃は、小さな漁村だったそうです。
遠浅の海岸が広がり、干満の差が大きい場所です。
干潮の時には、海岸から広く泥底が露出するのですが、海水が沖に引くときに、その泥底に川のような水路ができます。
海水が、海底で、いくつかの水路に集まって沖に流れ下るのです。
反対に、満潮のときには、その川を通して海水が陸の方向に上がってきます。
その干満の際の海水の流れによって、海底の「川(水路)」は深く穿たれます。
ある時、泥底の侵食によって、泥に埋没していた沈没船が見つかりました。
蛇行する水路が、沈没船を「掘り当てた」のです。
それは、木造船でしたが、船体の形状から近代の船だとわかりました。
マストは破損して残っておらず、船体のみ横倒しの状態で泥に埋もれていました。
沈没してから、陸上から運ばれてくる泥に覆われてしまったのでしょう。
外国の商船なのだろうか?
しかし、そのような船舶が沈没した記録はありませんでした。
もしかしたら、密輸船かもしれない。
そうすると、積み荷に金目のものがあるのではないか?
地元の漁民たちは、船内を探ることにしました。
引き潮のときに、短時間だけ船の周辺や内部(一部)を探ることが出来たのです。
この沈没船のことが役人に知れると面倒なことになるだろう。
役人や日本の官憲もやってくるかもしれない。
そう考えて、秘密裏に「宝探し」をすることにしました。
船体は、かなり破損していて、内部もほとんどが泥に埋められていたのですが、泥が入り込んでいない船倉もありました。
船倉は海水に浸されていたのですが、たくさんの木箱が散らばっていました。
ぐずぐすしていると潮が満ちてくるので、いそいで箱のいくつかを運び出しました。
見つからないように家まで持ち帰って開いてみたのです。
箱の中には、人間の頭部が入ったガラス瓶がたくさん入っていました。
腰の部分で折り曲げられた一体分の死体が、金属の箱に収めれていることもありました。
白骨化しているものが多かったのですが、屍蝋化しているものもありました。
死体は全裸だったと思われ、女性のものも男性のものもあり、年齢もいろいろで、子供のものもあったそうです。
屍蝋化した死体の顔は、東洋人のものでした。
見つかった死体は、頭部や一体分のものであり、内臓や腕、脚などの一部だけという状態のものはありませんでした。
漁民たちは、驚愕し恐れ落胆しました。
いったい、あの船は何か?
どこの船だ?
死体の運搬用の船なのか?
しかし、何のために?
その後も、船倉は、なんどか探られましたが、金目のものはなかったそうです。
医療用の道具、手術道具やガラス瓶(薬ビン)などがたくさんありましたが、漁民の生活の役には立ちませんでした。
船から持ち帰った死体は、漁民たちによって埋葬されたそうです。




