石じじいの話・ミイラ村(ロシア、朝鮮)
石じじいの話です。
この話も、知り合いのロシア人によって語られたものです。
あるいは、そのロシア人(商人)が店で雇用していた他のロシア人(または他の民族の人物?)が語った話である可能性があります。
ロシア南部の地方には、「ミイラをつくる村」があったそうです。
そこには、その専門家(技術者)たちが住んでいました。
彼らは、どうやって生計を立てていたのでしょうか?
依頼を受けてミイラをつくることによって報酬を得るのです。
だれが依頼するのか?
基本的には、宗教などは関係なく、だれでも依頼できました。
特別な信仰を持つ人たちのみが依頼するということではなく、その村と技術の存在を聞きつけた人が依頼するのです。
そのミイラ製作技術は、その村がある地方には広がっておらず、ミイラ製作依頼は、遠く離れた土地に住む人々から来たそうです。
近隣の村々に知られると、村が弾圧される可能性があるからでしょう。
秘密は厳重に守られていたそうですが、「人の口に戸は立てぬ」といいますから、じっさいは情報が近隣に漏れていたのではないでしょうか。
しかし、そのようなことはなかったと、離してくれたロシア人は主張していました。
何らかの口封じの手段があったのかもしれません。
村では、人間のミイラだけでなく猫や犬、牛、馬のミイラもつくりました。
まるでエジプト文明のようです。
しかし、ここで問題あります。
その村まで死体を腐敗しないように運搬する方法です。
解決策はありました。
保存のための特別な薬があり、その薬が、いくつかの場所で売られていたのです。
死期が近いということがあらかじめわかっている場合は、薬を購入して準備することが可能でした。
そうでなければ、塩漬けにして運びました。
砂糖漬けや油漬けにして保存することもあったそうです。
まるで、保存食のようです。
一度、ミイラを作ってもらうために村まで長距離を運搬しなければならない人が、その死体を乾燥させた状態で持ち込んだことがあるそうです。
これは、すでにミイラになっているのではないか?
わざわざ村に持ち込むこともないだろう。
と、村のミイラ技師たちは当惑しましたが、一度「もどして」からミイラ処理をしたそうです。
「もどす」とは?
その製法は秘密でしたが、ある人によると、エジプトにおける方法に似ていたと*1。
ミイラづくりを行っている人たちは、普通のロシア人でした。
その技術は、中東からやってきたツィガン(いわゆるジプシー:ロマ人)から伝わったという話もありましたが、これは、ツィガンに対する偏見や差別心による単なる噂話(嘘)とも考えられていました。
ミイラづくりは、食品の処理工場のようだったといいます。
立派な建物で、外見は教会のようでした。
あるいは、ほんとうの教会だったのかもしれません。
教会に偽装されていたとも推察されます。
その村は、基本的に農村で普段は農作業を行っていたそうです。
これも、カモフラージュでしょうか?
頻繁にミイラ製作の仕事もないでしょうから「兼業農家」だったのかもしれません。
その村の人々じしんは、ミイラになることありませんでした。
彼らの墓も普通にあるし、普通の葬儀をしていたそうです。
ミイラづくりのプロセスをまとめてみましょう。
・人が死にそうだ。
・依頼者は、ある場所のある人から死体保存薬を購入する。そのときに、ミイラづくりを依頼する。
・その依頼が、薬品販売者(?)から村に届く。依頼の連絡は、薬販売者とは別の人から伝えられるのかもしれない。
・依頼をうけて、村はミイラ製作の準備を開始。
・依頼者は、死体の防腐処置をして村まで運搬。
・村でミイラ製作。
・依頼者は、完成したミイラを受け取る。
ミイラ製作にかかる時間は不明です。
みなさんは、ミイラになりたいですか?
あるいは、ミイラにしたい存在はいますか?
*1 当時、エジプトのミイラづくりの技法は知られていたのでしょうか?




