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石じじいの話  作者: Lefeld
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石じじいの話・コミ人のシャーマン(ロシア・朝鮮)

この話は、じじいの話の聞き取りノートに記録されているのですが、話を聞き取った当時の私が、じじいの話すことを理解できなかったようで、意味不明なものになってしまっています。

今回、その意味が通じるように書き直したつもりですが、当時の話の内容を正しく伝えられているのかの自信がありません。

ご容赦ください。

石じじいの話です。


朝鮮にいたとき、知り合いのロシア人が話してくれたそうです。

そのロシア人は、ペルミ市を訪れた際、コミ人のシャーマンから、彼らのシャマニズムについて話を聞いたのです。

そのシャーマンによると、コミ人のシャーマンのなかには、神を自分の内に降ろすものが多いが、あえて、そうしない者もいるのだそうです。

シャーマンは言います。

「私も、神を降ろさない。

神に祈りながら太鼓を鳴らし続けていると、神の声が聞こえてくるのだ。

その声を、人に伝えるのだよ。

つまり、神が私の体に降りるのではなく、神と交信するのだ。

このとき、神の声を聞く自分は、自分自身の自我を保っていることができるんだ。

だから、神の声を「適切に」人に伝えることができるのだよ。

どうして、神を、自分の体に降ろさないのかって?

自分の体に神を降ろしてしまうと、降ろした神を自分では制御できないからだよ。

だから、危険なんだ。

神が、私を乗っ取ってしまうと、私の意識はなくなるだろう?

そうなったら、だれが、神を私の体から送り返すのだ?」

と。

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