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石じじいの話  作者: Lefeld
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石じじいの話・短い話:死の水面;林の死後の世界;革手袋;浴槽の棺桶

石じじいの話です。


短い話をいくつか。


(1) ある人が、じじいに言ったそうです。

私は、自分へ死がやってくるのを感じることができるのだ、と。

それは、「水に浸かっているときに感じる水面の動きのようだ。」

身体の皮膚に、水面がひたひたと接しているような感じだ。

これが、「死の予兆」なのだ。

自分が、こどものころ、すでにくるぶしに、その「水面」つまり「死」を感じていた。

その「水面」が、歳とともにどんどん身体の上に上がってくる。

今は、水面を胸のあたりに感じるが、これが顔を覆ったときどうなるのか?

顎に接したときに死ぬのだろうか?

それとも、全身が「水面」に沈んだときに死ぬのだろうか?

「水面」が鼻の上に来たときに、私は「溺死」するのかもしれない。

死は水の感覚なのだ。

と。


(2) じじいが、石探しのために田舎道を歩いていると、田んぼのなかに、こんもりとした林がぽつんとありました。

樹木の種類からすると、自然林です。

その林の近くに男性が立っていたので、じじいは、彼にあいさつをして、そのあたりの地誌についての話をいろいろと聞きました。

情報収集は、石探しの旅には欠かせません。

彼がじじいに言うには、

この林の樹間を通して死後の世界が見えるのだ。

だから、この林の木を、あまり伐採しないほうが良い。

見通しが良くなると、死後の世界が、だれでもはっきりと見えるようになるから。

それに、死後の世界が、広い樹間を通って、こちらにやってくるかもしれない。


(3) じじいが、作業用の革手袋を脱いだとき、それを裏返しのまま棚の上に置いたときです。

すると、その手袋が、ゆっくりと動いて、もとのとおりに、表側が外になろうとしていました。

じじいは、思わず目を背けたそうです。

見てはいけないと。


(4) じじいが住んでいた村の家々では、風呂は、五右衛門風呂が普通でした。

旅行のときに泊まった旅館の風呂の浴槽は、背を伸ばしてはいれるバスタブでした。

当時としては、非常にめずらしいものでした。

じじいは、浴槽に手足を伸ばして入っていると、「棺桶にはいるのは、こんな感じなんだろうな」と思ったそうです。

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