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石じじいの話  作者: Lefeld
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石じじいの話・曲芸団の娘(朝鮮)

石じじいの話です。


これは、じじいが朝鮮に住んでいた頃の話です。


じじいは、朝鮮で、日本から興行に来ていた、ある曲芸団の娘と知りあいました。

日本人の彼女は、二十歳前であり、なかなかの美人でした。

彼女が、じじいに話すには、

彼女は、孤児で、姉(といっても実の姉ではないのですが)と一緒に、かどつけで歌いながら糊口をしのいでいました。

そのうち、彼女は姉によって、ある曲芸団に売られました。

そこで、団長に非常に厳しく芸を仕込まれたそうです。

何度か逃げ出そうと思いましたが、幼い自分が生きていく手段を思いつけなかったので、そのまま生活を続けました。

やがて芸も上達し、美人だった彼女は、団の花形となったのです。

美人の彼女に言い寄る団員もいたのですが、彼女は相手にしませんでした。

また、そんな連中は、団長によって厳しいお仕置きを受けたのです。

団長は、できるだけ長く、彼女を儲けの手段として使おうとしていたのでしょう。

団員の中に、若い中国人がいました。

なかなかの男前で、知的で、やさしい人物だった彼に、彼女も惹かれたのです。

彼女は、彼と親密な関係になったのですが、二人の関係は、やがて団員や団長に知られることになりました。

一緒に仕事をしているのですから当然でしょう。

ある地方の祭りにあわせて興行をうった時、その中国人は、何者かに殺されたのです。

死体が、運河に浮かんでいました。

警察は、それを自殺として処理し、団長もそれ以上、彼の死の原因を追求することはありませんでした。

彼女の曲芸団は、さらに全国を旅して廻っていたのですが、ここいらで一旗あげようと朝鮮に渡ってきたのです。

朝鮮でも、彼女の曲芸団は、おおいにうけていました。

どこにいっても、興行は連日大入り満員だったそうです。

それは、じじいも知っていました。

じじいは、彼女の活躍を祈って、別れたのですが、その後、朝鮮で彼女と会うことも、また、曲芸団のことを耳にすることもありませんでした。

戦後、朝鮮から引き揚げたあとも、じじいは、長らく、彼女についてのうわさを聞くことはありませんでした。

しかし、じじいは、偶然、彼女の消息を知ることとなります。


日本に引き揚げてきた後、朝鮮時代の友人数名と大阪で懐かし親睦会をもったとき、参加者の一人が、彼女のその後を離してくれたそうです。

その人によると、彼女は、曲芸団の団長を殺害して行方をくらましたということでした。

団長が彼女に殺されたという確固たる証拠はなかったのですが、おそらく、団長が彼女を妾になるのを強制したため、彼女が殺害を決断したのではないかと。

団長と花形を同時に失った曲芸団は消滅したということでした。

その後、どうなったのか?

彼女は、満州に逃げたのではないか?船で北支に逃げたのではないか?もしかしたら、ソ連に逃げたのかもしれない。

いや、すぐにどこかで自殺したのだろう。死体は見つからなかったが。

日本には帰ってこれなかっただろうな。

などと、いろいろな意見が出たそうです。

じじいは、この話を聞いたとき、「そんな殺人事件は、朝鮮の日本社会で話題になるだろうし、それを自分が知らないのはおかしいな。」と思ったそうです。

この殺人事件、ほんとうかいな?と。

この話については、不確かな後日談があるのですが、それはまた別の機会に。

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