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石じじいの話  作者: Lefeld
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石じじいの話・別人の顔

石じじいの話です。


この話を聞き取りノートに見つけた時、「現代的な怪談話」だな、と思いました。

ご紹介しましょう。


昔は、写真を撮るのがまれでした。

カメラが高価だったので、どの家庭にもあるというわけではありませんでした。

現像焼付けの料金もばかにならない。

今のように、一人一台以上、カメラ付き携帯をもっているというわけではありませんでした。

写真は、結婚式などの記念に写真屋さんに撮影してもらうというのが普通でした。

もちろん、時代が進むと、カメラが家庭に普及したので、旅行や子供の入学式、運動会などの写真がアルバムに残されるようになりました。

それでも、毎日、いろいろな機会に、ある意味理由もなく撮影することはありませんでした。


ある男性が死んで、彼の家族が、生前の写真を整理していました。

その男性は、父親でした。

遺影のための写真をさがしていたのでしょうか。

写真を見ていると、家族の人々は、その死んだ父親の顔が写真によって違っていることに気がつきました。

いろいろな記念写真、旅行の写真のなかに、まったく見覚えのない別人の顔の写真があるのです。

父親の写真のはずなのですが、そこに、彼は写っておらず、別人の男が、あたかも父親のように、そのポジションに写っているのです。

しかも、いろいろな写真に写っている、その男は、同じ人物でした。

だれも、その男には見覚えがない。

その写真を撮影したときの記憶では、確実に、その父親が一緒に写ったはずだ。

かつて、写真をアルバムに整理したときには、その写真には、父親が写っていたはずだ。

父親の職場の同僚であった人々など、家族以外の人にたずねても、その男には見覚えがないといいます。

これはどういうことでしょう。


仏間に飾ってある、父親の遺影は、ほんとうに父親の遺影だったのでしょうね。

すきなときに写真が撮影でき画像が大量に残されて容易に閲覧可能な今日では、よく思いつかれる怪談話の設定でしょう。

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