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石じじいの話  作者: Lefeld
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石じじいの話・母の覚悟

石じじいの話です。


これはじじいが朝鮮から帰ってきてから、地元の人に聞いた話です。

戦争中、戦死した若者の村葬が行われました。

「村葬」は、戦死者の出身地の集落の小学校などで営まれることが多かったそうです。

在郷軍人会や国防婦人会、議会、地域の人たち、小学校の児童などが参列し、大がかりなものでした。


その若者は、北支で戦死。

戦死して、二か月後に遺骨が連隊から引き渡され、引き渡しから三日後に村葬が行われました。

村葬の式次第:

午後、自宅から出棺

葬列が続きます。

葬列は、弔旗、花輪、供物、写真、遺族、霊柩、在郷軍人、後援団幹部、消防組、国防婦人会の順。

葬列が斎場である小学校に到着。

葬儀終了後、 再び埋葬墓地までの葬列が行われました。

葬儀の開式。読経のあと、弔辞が続きます。

弔事は、村長、師団長、県知事、連隊長、 連隊区司令官、憲兵隊長、郡連合分会長、と延々と続きます。

「尊き護国の人柱、武勲輝く郷土の勇士・・・。」

「護国の英霊故山に鎮る・・・。」

その後、弔電披露、読経、焼香、葬儀委員長挨拶、遺族挨拶、助役の閉式。

焼香の順番は、村長、喪主、遺族、親族。

出征者が戦死したとき、その家には、「遺族の家」として日の丸が高く掲げられました。

その若者は、その家での二人目の戦死者だったので、彼の家に掲げられた旗は二本になりました。

集落のあちこちに日の丸が高く掲げられていました。


その若者といっしょに出征した男性の母親も、その村葬に参列しました。

それから数週間後、その母親の元にも息子の戦死広報が来ました。

彼の「遺骨」は、石ころ一つ。

ふたたび、村葬です。

葬儀の数日たって、彼の母親は、自宅で亡くなりました。

自殺であったと噂されましたが、病死であったとも言われました。*

彼女の遺体のそばには、白い包みが置いてあり、開けてみると、真っ白な石に彫られた人形が出てきました。

その人形は、自作のものでした。

一緒に、戦死した息子を想った彼女の辞世の句が詠まれていたそうです。

*聞き取りノートには、「死因は不明」と書かれているページがあります。

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